お寺さんぽ Ver.03

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華頂山 元慶寺 (京都・山科)

2006年06月09日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は西国三十三箇所の一つ、華頂山は「元慶寺」です。
最近変なネタ(?)が増えておりましたので、軌道修正をば。
普通に京都のお寺を紹介致します。


ちなみにひでるさんは京都にいるときは三条大宮付近に住んでおりましたが、この山科方面へも例によって自転車で行きました。
そりゃー暑くてしんどかったですよ。ええ。
何度かそれで酷い目にあっているのに、懲りない人です。
(※この山科からの帰り道は、”ひでる京都四大受難”でも最強と呼ばれるほどに過酷なものでした。…いつか紹介しますね)


貞観十一年(869)…は平安時代のことですね。
僧正遍昭(へんじょう)によってここ「元慶寺」は建立されました。
建立当時の名前は「華山寺」でした。
遍昭さんはこの関係で花山僧正(↓花山という土地なのね)と呼ばれています。

さて、建立した遍昭さんは六歌仙、あるいは三十六歌仙の一人でもありました。すごいですね!この方一流の歌人でもあるんです。
俗名は良岑宗貞(よしみねむねさだ)というこの遍昭さんのびっくり情報をもう一つ。

なんと!
桓武天皇の子、良岑安世(よしみねやすよ)の子供なんです。要するに孫ですよ、天皇家の血筋なんですよ!
王族みたいなもんですよ!!

元慶元年(877)
華山寺は清和天皇の勅願寺となり、名を今の「元慶寺」に変更。
そんなお決まりのパターンで天皇家の庇護を受け、寺領は大いに拡大していたようです。

寛和二年(986)には十二歳で即位し、そのすぐ二年後に出家・退位した「花山天皇」という人がいるんですが、ここで出家させられています。
これには「藤原兼家」の陰謀という説があり、外孫「懐仁親王」を即位させることが目的で、ひと芝居うったんですねー。
こうして退位させられてしまった花山天皇なんですが、そこでもうひとふんばりして「花山法皇」となり、当時廃れかけていた西国三十三所巡礼を復興したりと功績を残しています。

そんな長い歴史のある「元慶寺」
例によって「応仁の乱」にて広大だった寺領はことごとく戦火により焼失。現在あるような、ちょこんとこじんまりとしたものとなったそうです。

「お客様、右手をご覧下さい」
…じゃなくって、写真をご覧下さいませ。どうですか、ちょっと変わった風情でしょ?
この門は「竜宮造り」といいます。
なるほど、そのまま竜宮城みたいですもんね。こういった白壁で唐風の建築様式を「竜宮造り」というそうです。
でね、ここには「梵天」と「帝釈天」が安置されていたようなんですが、ひでるさん行った時は出張中でした。
るるる。
あ、ちなみに本尊は薬師如来ですよん。

ぽつんとした小さい可愛らしいお寺ですが、古く長い歴史をもつためか、ひでるさんが行った時も観光の人で賑わっておりましたよー。



[住所] 元慶寺 京都市山科区北花山河原町13


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※なにかキーワードがあるとひでるさんの「ひぐらしノイローゼ」が発動します。
 竜宮…あ。
 …あのね、本当に日常そんな状態なんですよ。そりゃー本も色々増える訳です。
 という訳で2巻は今月22日発売です。表紙の絵柄が出揃いましたね。
 うわーバットもってるよー 

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