お寺さんぽ Ver.03

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源氏勢、清盛の策に堕ちる (保元の乱、平治の乱)9

2009年01月08日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日も、”武士の時代到来”したという、ターニングポイントと言うべき中央での変事「保元の乱」、そちらに続く「平治の乱」についてお送りします。
これらの合戦によって源氏は没落し、平氏政権が確立することとなるのです。


「保元の乱」の勝利によって、「後白河天皇」の側近「藤原信西」は「平清盛」と接近して実権を掌握しておりました。
一方、信西の対抗馬「藤原信頼」は乱後にくすぶっていた「源義朝」を味方とし、ついに挙兵。
瞬く間に「後白河院」、そして「二条天皇」を確保し、信西を自害させたのです。
こうして実権を握った「藤原信頼」なんですが、独断専行な政治は「二条天皇」や大半の貴族にも甚だ評判の悪いものだったのです。

反対派は六波羅邸へ戻った清盛へ連絡をとり、密かに「二条天皇」の奪回を模索するのでした…。


一方、政権を掌握した信頼は、すっかり気を緩めておりました。
彼が油断しきっている隙に、正二位権大納言「葉室(藤原)光頼(はむろ・みつより)」らの離反、「二条天皇」方の側近「藤原経宗」「藤原惟方」、内大臣「三条公教」などの活躍によって、人質となっていた「二条天皇」の奪回を許してしまうのです。
さらに間の悪いことに、「後白河院」も自力で仁和寺まで逃れられてしまうのでした。

こうして、無事「二条天皇」を迎えることに成功した「平清盛」
六波羅邸には続々と公家などが集まり、「藤原信頼」・「源義朝」追討の宣旨を得た平勢は、これを機に反撃開始となるのでした。

◆「藤原信頼」方
 源義朝(河内源氏)
 源義平
 源頼朝

◆「平清盛」方
 二条天皇
 平重盛
 三条公教
 藤原経宗
 藤原惟方
 葉室光頼
 源頼政(摂津源氏) ⇒ 「二条天皇」脱出後に寝返り
 源光保 ⇒ 「二条天皇」脱出後に寝返り


年号は平治、ところは平安京、我らは平氏、と三拍子揃っている、勝利は間違いない!
…などと、気勢を揚げた清盛勢は、義朝らの守る宮城を攻めております。

待腎門へと押し寄せた総大将「平重盛(たいらの・しげもり)」は清盛の嫡男。
一方、内裏紫宸殿(だいりししんでん)前庭を守っていた「源義平」との戦闘は疑わしい点も多いようですが、非常に有名(※写真)です。

「われこそは桓武天皇の末裔、大宰大弐清盛の嫡子左衛門佐重盛!」
「われこそは清和天皇九代の後胤、左馬頭義朝の嫡子、鎌倉の悪源太義平!」

こうして迎え撃った義平は、群がる平家方の軍勢を次々と蹴散らし、大将重盛へと迫りました。
その、あまりの迫力に驚いた重盛は、かなわぬとみて逃亡

追われる重盛は紫宸殿前庭にあった左近の桜の木、右近の橘の木を巡って、七、八度まで逃げたと伝わっています。
この有様を見た清盛は全軍を六波羅へ撤退。

…と、こう見るといかにも「源義平」の活躍によって平氏を退けたように感じますが……実際のところ、六波羅に誘い出して殲滅するよう計画していた、清盛の作戦だったようなのです。

実際に戦闘があり、義平も奮戦したのかもしれませんが、撤退については敗れて退いたというよりは予め予定通りのことだったのでしょう。

なお、義朝の誘いあって当初は「藤原信頼」方であった摂津源氏の五代目「源頼政」は味方せずに撤退。
(※のちに「平清盛」から信頼された、数少ない源氏の一人です)
もともと頼政は「二条天皇」や「美福門院」に近い立場にあったこと、また人心を失っていた義朝親子への加担を恐れたこと、などが原因であると言われております。
さらに、源氏一門「源光保」も「二条天皇」の脱出後に寝返って、清盛方についていました。
状況としては、義朝勢がかなり不利であったのです。

攻め寄せた平氏勢を撃退した「源義朝」
追撃する源氏勢は、決死の覚悟で六波羅へと迫りました。
しかし、数に勝る平氏勢は次々と新手を繰り出して襲いかかり、さしもの源氏勢も朝から転戦による疲弊もあって次第に討ち取られていったのです…。
こうして、六条河原での合戦にて、ついに義朝は敗北してしまうのでした。

⇒ つづく。
  次回は「源氏衰退、平家政権樹立」(10/10)



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※タイトルの、「実は」ってのがいいですね(笑)
 ちと見てみたいなぁ。


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