お寺さんぽ Ver.03

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革堂[行願寺] (京都)

2006年09月30日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は西国三十三ヶ所観音霊場の第十九番札所、「革堂(こうどう)」こと行願寺(ぎょうがんじ)です。


金閣寺とか清水寺が京都のイメージになっている皆様へ。
正直なところ、観光で行かれた場合はよほどの余裕がなければ厳しいと思われますが、ひでるさんの考える京都の最も楽しいポイントは、

” 現代的な街並みの中に、ふと歴史的遺産が存在するところ ”

…だと思うのです。
ここ「革堂」も中京区の市街地にぽつんとあるお寺なんですが、これがまた古くからある歴史的なお寺なんですね。

寛弘元年(1004) は平安時代の後期。源頼光・頼信らが活躍していた頃のことです。
開祖の行円上人(ぎょうえん・しょうにん)によって、場所は一条小川(上京区)に創建されたのが始まりです。

さて、この「行円上人」はもともと猟師でした。
しかし、山中にて射殺した鹿から小鹿が生まれた(!)のを見て、自分の行いを悔い、仏門に入ったそうです。
まぁ、猟師だから仕方ないんですが…いい人ですね~行円さま。
さぞ生まれた小鹿は可愛かったのでしょう。
バンビみたいな。

僧となった行円さまには、影響された摂政「藤原道長」の子が思わず出家してしまうなど、身分に関わら多くの信者を集めていたようです。
でね、常に鹿の皮で作った衣を身にまとっていたことから、革聖(かわひじり)と称されることとなるのです。
そんな関係から、こちら行願寺も「一条革堂」あるいは「革堂」と呼ばれるようになったそうなのでした。
鹿のエピソードと言い、庶民から貴族まで慕われたことといい、空也上人とダブるんですよねぇ。
あちらは市の聖(いちのひじり)でしたが。

民衆の熱烈な厚い信仰を受けた革堂。
以後より、親しみやすいお寺として民の間で大いに栄えますが、度々の戦火に遭って移転・再建を繰り返すこととなるのでした。
各地を転々とした革堂が現在の地に落ち着くのは、なんと宝永五年(1708)のこと。
江戸時代で将軍は五代「徳川綱吉」の頃です。犬の保護が有名ですが、魚とか鳥とかも食べれなかったんだって。
そんなドエライ時期がちょうど終わろうとしている頃。(※六代・家宣は次の年に将軍になります)

宝永五年の大火によって、この地へ移されたそうです。
現在のこじんまりとした本堂は文化十二年(1815)に建てられたもの。
こちら有形文化財なんで行かれた方は気をつけて(笑)

本尊は行円作と伝えられる「千手観世音菩薩像」です。
ほか、境内には七福神(※コンクリ仏以外に寿老人の像があります。暗がりでニヤケ顔の像は不気味ちっく)や不動堂、弁財天などもいる、楽しいお寺です。
皆さんもぜひ訪ねてみて下さい。


[住所] 革堂[行願寺] 京都市中京区寺町通竹屋町上ル行願寺門前町17

[関連記事]
⇒ 源頼光と四天王 <前編> 実際の頼光さま
⇒ 源頼光と四天王 <中編> 虚像の頼光さま
⇒ 源頼光と四天王 <後編> 四天王は存在した?
⇒ 鎮守府将軍 「源頼信・源頼義」
⇒ 空也上人立像 (京都・六波羅蜜寺)

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