のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は京都東山、東福寺の霊雲院です。
どっちかと言うとマイナー路線……でいいんですよね?(←失礼な)
そんな訳で今日はココを選択してみました。
日曜ですし。
さて、「霊雲院」は明徳元年(1390)岐陽方秀によって開かれました。
えー…室町時代の初期ですね。
当初は「不二庵」という名前だったそうです。名前の雰囲気からすると、こぢんまりとした感じだったのでしょうか?
それから時代は進んで江戸時代。
七代目住職「湘雪」は肥後熊本の生まれで、熊本藩の細川家と親交がありました。
藩主細川忠利(※1)の子、光尚はその影響を受け、湘雪和尚にあつく帰依していったそうです。
やがて湘雪が住職となった際、光尚はお祝いに”五百石”を贈ろうとしましたが、それに対してこんなことを言いました。
「出家の後、禄の貴きは参禅の邪鬼なり。
庭上の貴石を賜らば寺宝とすべし」
(※霊雲院パンフレットより)
えっとたぶんね、「出家したから高い給与はいらん。庭に飾る石くれたらそれでいい」みたいなことでしょう。
スゴイっス!
アンタはエライ! (※小松政夫)
かっこいいですね~!
このブログはじめてから寺院など色々調べたりしておりますが、たいていは天皇家や将軍家などの庇護で広大な土地を拝領し、ブイブイ言わせていた例が多かったんですよ。
実際には何人もの坊主・修行僧を維持しつつ、寺として発展していくには多少そうした現実的なものが必要だというのも分かります。
子供ではないですし。
だから…その↑一言は凄い、重い。
なにせ五百石ですからねぇ…百石でもいいんでほしいですよ。
それが単なる石ですからね?!
そこいらの川原にでも行けば似たような石が……[自粛]
結局、細川家は須弥台と石船に「遺愛石」と銘をつけた石を贈りました。
それが今回写真の遺愛石と九山八海の庭(※2)という訳です。
ここは他に「観月亭」という豊臣秀吉の北野大茶会で実際に使用した珍しい二階建ての茶室があったりします。
また、なんと日露戦争の際には「ロシア人捕虜収容所」にもなったそうですよ。
人生色々、お寺も色々ですねぇ。
(※1)細川忠利
関ヶ原合戦に出ていた細川忠興の子。あの有名な細川藤孝の孫ですね。
(※2)九山八海
ちなみに「九山八海」とは古代インドでの世界観で、意味はそのまんま。
その中心にある山が須弥山(しゅみせん)で、九山八海は日本庭園の石組の一つだそうです。
[住所] 霊雲院 京都市東山区本町15-801
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えー…室町時代の初期ですね。
当初は「不二庵」という名前だったそうです。名前の雰囲気からすると、こぢんまりとした感じだったのでしょうか?
それから時代は進んで江戸時代。
七代目住職「湘雪」は肥後熊本の生まれで、熊本藩の細川家と親交がありました。
藩主細川忠利(※1)の子、光尚はその影響を受け、湘雪和尚にあつく帰依していったそうです。
やがて湘雪が住職となった際、光尚はお祝いに”五百石”を贈ろうとしましたが、それに対してこんなことを言いました。
「出家の後、禄の貴きは参禅の邪鬼なり。
庭上の貴石を賜らば寺宝とすべし」
(※霊雲院パンフレットより)
えっとたぶんね、「出家したから高い給与はいらん。庭に飾る石くれたらそれでいい」みたいなことでしょう。
スゴイっス!
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かっこいいですね~!
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実際には何人もの坊主・修行僧を維持しつつ、寺として発展していくには多少そうした現実的なものが必要だというのも分かります。
子供ではないですし。
だから…その↑一言は凄い、重い。
なにせ五百石ですからねぇ…百石でもいいんでほしいですよ。
それが単なる石ですからね?!
そこいらの川原にでも行けば似たような石が……[自粛]
結局、細川家は須弥台と石船に「遺愛石」と銘をつけた石を贈りました。
それが今回写真の遺愛石と九山八海の庭(※2)という訳です。
ここは他に「観月亭」という豊臣秀吉の北野大茶会で実際に使用した珍しい二階建ての茶室があったりします。
また、なんと日露戦争の際には「ロシア人捕虜収容所」にもなったそうですよ。
人生色々、お寺も色々ですねぇ。
(※1)細川忠利
関ヶ原合戦に出ていた細川忠興の子。あの有名な細川藤孝の孫ですね。
(※2)九山八海
ちなみに「九山八海」とは古代インドでの世界観で、意味はそのまんま。
その中心にある山が須弥山(しゅみせん)で、九山八海は日本庭園の石組の一つだそうです。
[住所] 霊雲院 京都市東山区本町15-801
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人で印象的だったのは嵐山の「二尊院」なんですが、当初行った時は真夏で非常に少なくゆっくり楽しめたんですが、秋に行ったらまぁ、物凄い人でやめたりしましたが。