お寺さんぽ Ver.03

現在は更新をお休みしています。

愛宕念仏寺 (京都)

2006年06月27日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は京都右京区の愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)です。


このお寺は石像の「千二百羅漢像」で有名なので、聞いたことがあるのではないでしょうか?
これについては実に楽しいので、別ネタにします。明日ね。
期待していた方、ごめんなさい。(いないか)


さて、この「愛宕念仏寺」の歴史は非常に古く、天平宝字(てんぴょうほうじ)八年(764)~宝亀元年(770)あたり。
時代としては奈良末期から平安初期という頃に「稱徳(しょうとく)天皇」により開山しました。

ちなみに稱徳天皇というのは史上六人目の女性天皇です。聖武天皇の娘さんです。
早々に皇位につくことを決定されていたために結婚はできず、また当然ながら子供もおりませんでした。ち
なみに、いまでこそやや落ち着きましたが、女性天皇・女系天皇の違いというのはこんなんなんですね。女性天皇ってのは、歴史上やむない場合に何名か即位しているんですが、父方の血筋だけはしっかり守っているんですね。
だからこの方も結婚していません。
別に女性差別ではないんですよ。そこを間違えないように。

さて、余談が長くなってしまいましたが、当初は山城国愛宕郡に「愛宕寺」として建立されました。
平安期頃は真言宗「教王護国寺」こと東寺に属していましたが、洪水による鴨川の氾濫でざぶんと流されてしまうのです。

…ああ、お寺がすっかりなくなってしまいました。
それからほったらかしにされること、少なく見積もっても約百年ほど。

天台宗の僧、千観(せんかん)は、なぜだかその復興を命じられるのです。
命じたのって誰?
なんで百年もたった今更そんな過去のこと蒸し返すんでしょう?

千観の年齢から想像するところ、十一年間続くこととなる天暦元年(947)にちょうど彼三十五歳なので、その年代の天皇様がいかにも命じそうですよね。
調べてみると、村上天皇でした。
命じた理由は…まっったくわかりませーん。

ともかく、誰かしらのパックアップを受けた千観は「愛宕寺」を七堂伽藍の大寺院として復興させました。
しかも、単に復興させただけではないんですよ。
当時の千観さんは天台宗でしたから、どさくさにまぎれに、ちゃっかり比叡山延暦寺の末寺、「等覚山愛宕院」としてしまうのです。
さすがに抜け目ないですね(笑)

この千観さん、実は中納言「橘頼顕」の子でした。言うなれば当時のセレブです。
信仰の厚かった千観さんご両親は、子を授かるようにと毎日清水寺までお参りをしていました。そんなある日、観音さまから蓮華の華をいただく夢を見ると、観音様のおかげか見事懐妊。
喜んだ両親は子に「千手観音」から名を拝借して「千観」と名づけたそうです。
へー…夢に出てきた観音様は千手さんだったんでしょうかね?
ちなみに、愛宕念仏寺の本尊も千観自ら彫った「千手観音」なのでした。


成長して十二歳となっていた千観さんは早々に比叡山で修行をし、御所へ出入りできるという内供(ないぐ)職にまでのぼりつめております。
また、この方は常に念仏を唱え続けて絶えることがなかったので、「念仏上人」とも言われています。
巨人軍の桑田投手のような感じですかね。

ちなみに、愛宕念仏寺に残る重文「千観内供像」も若干口を開いた、念仏を唱えているようなお姿になっています。…ものすごく微妙な表情(笑)をしているので、ぜひ見てみて下さい。(※パンフにものってます)


と、前置きがずいぶん長くなりましたが、そんな千観さんの関係から「愛宕念仏寺」と称するようになったのでしたー。



[住所] 愛宕念仏寺 京都市右京区嵯峨鳥居本深谷町2-5


 ★ランキング参加しております。応援お願いします★
⇒ 人気blogランキングへ
⇒ ブログランキング (マイプロフ


※仏像に会うなら、こんなんが一番オススメです。

イラストガイド 京都・奈良のお寺で仏像に会いましょう

メイツ出版

このアイテムの詳細を見る


仏像が気になりだしたら… 自宅で選べる美術品 掛軸、絵画、美術工芸品のトップアート
ちょっと旅へ出たいと思ったら… 旅の総合サイト『BON VOYAGE!』 温泉宿予約は「楽天トラベル(旅の窓口)」

最新の画像もっと見る