お寺さんぽ Ver.03

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天得院 (京都)

2007年12月01日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は京都・東山区は東福寺山内の「天得院」です。

あんまり記憶がないのは…毎度のようにお庭メインだからでしょうか。
場所そのまま、臨済宗東福寺派だそうです。
当たり前か。
そのままなら単に庭が見所なお寺なんですが、ここはとある事件と大きく関わっていたのでした。

南北朝時代。
正平年間(1346~1370)
…って書いてありましたんで、「足利尊氏」・「足利直義」兄弟の争いから南北朝の統一(正平一統)されたあたりのこと。
混乱が収まろうとしている頃ですかね。
その当時、東福寺住職だった「無夢一清(むむいっさい)」禅師が開きました。
万松山と号しています。
しかし、その後は年月と共に荒廃し、「大機慧雄(だいきえゆう)」禅師による再興まで待たなければいけません。

時代は進んで慶長十九年(1614)
「関ヶ原合戦」に勝利した「徳川家康」が権力を握っていた頃ですよ。
この頃には「文英清韓(ぶんえいせいかん)」長老が住職となっていました。
こちら文英長老、出家した後に勃発した「文禄の役」では「加藤清正」に従い朝鮮半島に渡っており、その後は東福寺・南禅寺の長老となった方です。
さらに「豊臣秀吉」、その子「豊臣秀頼」に重用され、学僧として仕えておりました。

年代とかで勘のいい方は何か思いつくかもしれませんが…。
そう、この人が「豊臣秀頼」の要請に応じて「方広寺」の鐘名を撰文した人なのでした。
鐘に刻まれた「国家安康」・「君臣豊楽」の文にイチャモンがつけられ、大坂方が滅亡する切っ掛けとなるんですね。
なお、鐘は重文指定されており「東大寺」・「知恩院」と合わせて”日本三大名鐘”なんだって。
日本人はくくるのがお好きですね(笑)

現在の堂宇は天明九年(1789)に再建されたもの。
明治元年(1868)には山内の「本成寺」を合併したそうです。
庭園は桃山時代の苔に覆われた枯山水庭園、桔梗の花がステキらしいんですが…特別拝観なので行かれる際にはお気をつけて。


[住所] 天得院(東福寺保育園) 京都市東山区本町15東福寺山内

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