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晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

クーちゃん

2009-05-31 20:16:55 | Weblog
 釧路といえば「クーちゃん」、冬になって迷い込んだと思われる1頭のラッコが有名になりました。連日人気者を見るため釧路川の幣舞橋の近くに人が押し寄せました。本来ラッコは寒い海に棲む生き物です。暖かくなってきて5月8日以降、釧路では姿が見られなくなり、その後、浜中、納沙布岬、尾岱沼でクーちゃんらしき目撃がありました。

 何しろ海は世界中と繋がっていますから。海のある街では、いろいろな事が起こります。小学校1年生の時には、釧路川に秋刀魚の大群が上り、近所の大人たちとバケツに紐を付けてすくったことを覚えています。台風の後の海岸にたくさんのイワシがピチピチと跳ねていたこともありました。英語やハングル語の書かれたゴミもたくさん打ち上げられます。

 学校で今日は海に近づいては行けないですと注意される日もありました。十勝沖地震で津波が来た日と何年か毎に流氷が接岸する日です。もちろん、子どもにとってはこんなに楽しい日はありません。(先生、教えてくれてありがとう)おかげで、津波の恐ろしさも流氷の怖さも学びました。今から思えば僕たちはそんな遊びをとおして、危険を察知する勘を身につけたように思います。

 「安全・安心」「健全育成」「危機管理」・・子どもを無菌状態のような環境に置こうとするのは誤った方向に向かっていると思います。



 来週はJAL千歳マラソンなのに本日は雨天、走り込みをしたかったのに残念。でも、初めての経験なのだが、就寝中に左足底が攣って、朝起きたら土踏まずにしこりのような硬い塊が出来ていて走れない状態。不幸中の幸い?ちょっと使い方が変。

 
 
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最首悟

2009-05-25 20:55:42 | Weblog
 昨日の練習で、再び恵庭市戸磯「むらかみ牧場」案内板の前を通りました。次こそ「タカトシ牧場」まで行って見ようと思います。



 『図書新聞インタビュー 語りの記憶・書物の精神史』(米田綱路編著 2000年 社会評論社刊)その5

 最首悟(1936年生まれ)には『水俣を抱き旅立つ 霧中をゆく巡礼者の姿』と題したインタビューを行なっている。氏は、東大闘争では助手共闘で活躍、その後水俣病への関わりや自らのお子さんが障害を持っていることなどから、それらについての思索活動を続けている。私は氏の著作には触れたことは無いが、これまでに雑誌『現代の眼』や『情況』においていくつかの論文を読んでいる。

 以下引用で最首氏の思索の特徴を示したい。「水俣や解放同盟や障害者、在日朝鮮人の人たちの話を聞いて『知らなかった!』と思い知らされる。」次に、その人たちから「『あんた、俺達の気持ちが分かるか!』といわれるが、分かるはずがない。」

 「『知らないこと』から『知ること』へ、そしてそこから進んで『分からない』ということを確認するというには、非常につらいことなんです。しかし、何処までつき合うかというと、これが、本当に難しい。」

 このように氏は、答えの出ない問いを真摯に問い続ける。

 最後に若者へのメッセージでは「社会と関わりたくなくて、信じられなくて、先行きが見えなくて、けれどもその中で人が信じられる。それが何を生み出すか、それに賭けてみたい。」と述べている。

 ただ、氏の議論は、ちょっと間違うと「俺の酒が飲めないのか。」「俺の気持ちがわかるか。」という酒癖の悪い輩の言っていることと同じになってしまう。障害者の気持ちは障害者にしかわからないなどと言われてしまえば、議論はそこで止まってしまう。物事をどちらかというと合理的に考えてしまう私にとっては最も苦手で不毛な議論に思えてしまう。

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野本三吉

2009-05-24 21:29:25 | Weblog
 友人の紹介で入手している高知県馬路(うまじ)村のゆず製品。ゆずの香りがとってもいいです。酸っぱいもの好きの私は、酢の物はもちろん、秋刀魚を焼いたのにも酢をかけています。

 本日は厚別でコンサドーレの試合があったのだが、2週間後のJAL千歳ハーフに向けて練習。コンサの方は、第1クールが終って5位、まあまあ最低限の結果を残しているというべきか。伸びしろの大きい選手達だから今後に期待するとしよう。

 さて、走り込みの方だが、今日はそれほど暖かく無かったのだが、蛇君が歩道で日向ぼっこをしていた。先日も遭遇したのだが、最近蛇が増えていませんか?

 木の枝だろうと思っていたら、直前で蛇ということが判明、ひゃアッと悲鳴を上げて飛びのいたのだけれど、その拍子に五十肩の右肩がギクッと、必死に痛みをこらえるが誰にも説明できないこの痛さ。



 『図書新聞インタビュー 語りの記憶・書物の精神史』(米田綱路編著 2000年 社会評論社刊)その4

 野本三吉(1941年生まれ)には『未完の放浪者として 受けとめ語り伝える暮らしのなかの思想』と題したインタビューを行なっている。氏は、小学校教師や児童相談所職員を経ながら放浪を続け様々な人々の聞き取りをしている。私は氏の著作のうちでは唯一『子ども観の戦後史』(現代書館2000年刊)を読んでいる。

 氏のテーマは子どもであり、子どもを通して社会を捉えるという方法論に立脚している。以下引用するが、氏は、「子どもと関わっていけば、社会性に取り込まれたものではない、初々しい自然性の感覚が取り戻せる。そう考えて子どもと付き合おうと思ったのが原点」という。

 「教育や子どもをどう見るかということが、次の時代、社会像をどうつくりかということと、密接に関係している。子ども観を確立することが次の時代をつくるんだと思う。」

 このことは、真理の一面を突いているのだろうが、そこには「子ども=純粋」という前提を踏まえる中で、その子どもをテーマにしている著者(野本)の思想も純粋だとの欺瞞性が隠れている。絵本作家、童話作家、童謡作家、・・幼稚園や保育園の先生、学校の先生・・など子どもに関わることを生業をしている者たちに共通の臭いがする。

 「やはり現場を離れては考えられない。自分の思想や価値観が生まれてくるというのも、どういう暮らしをしているかとことからしか見えてこない。」

 現場主義に徹して記録をすることの意義は認めるが、同じ野本氏が20代の著作で書いた「多様ゆえに、<異なる>ゆえに、<事成る>世界が生まれる。<革命>とは、<覚命>すなわち<命に目覚めること>だ。」の方が強烈なインパクトを感じる。

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花崎皋平

2009-05-23 21:11:40 | Weblog
 札幌東急デパート地下1階イートイン「花城」焼き魚定食、美味い鮭でした。

 拓郎がCDのジャケットでしている銀・黒の細い斜めのストライブのネクタイを探したが見つからず。



 知人の見舞いに行った後、新札幌から札幌駅に向かおうと決めていたのに、気付いたら地下鉄の券売機に1,000円札を入れ、値段表を調べていた。しかし、いくら見ても新札幌発で札幌までの料金が表示されていない。

 200円分を買って乗ってしまい、降車してから精算でもいいかなと思った時、どうしてここにいるのかな。JRでしょ。俺、何してるの?えっ!大丈夫?ヤバイな。



 『図書新聞インタビュー 語りの記憶・書物の精神史』(米田綱路編著 2000年 社会評論社刊) その3 

 花崎皋平(1931年生まれ)には『認識に賭ける “生きる場の哲学”を求めて』と題したインタビューを行なっている。花崎氏は、かつては北大の教官であったが1960年代末の全共闘運動において、北大本部封鎖をした学生たち(本部封鎖7戦士として有名)の弁護人を引き受けた後、自らの国立大学における教官の身分に疑問を持ち、職を辞す。

 その後在野の哲学者として、道内で北電伊達火発パイプライン建設阻止闘争など住民運動などに関わりながら思索活動を続けている。

 氏の初期の著作『力と理性―実践的潜勢力の地平から』(現代評論社1972年刊)、『風はおのが好むところに吹く』(田端書店1976年)、『生きる場の哲学』(岩波新書1981年刊)には接していたが、氏の実践から導き出した哲学、そこに連ねられている言葉が私にはあまり響くもので無い。

 氏の道内における運動(反公害、反原発、反差別、リブ、アイヌ解放、自由学校「遊」など)への功績は大なのであろうが(それはどこに行ってもそこに氏の顔があったことから)、反面、道内の運動が氏のレベルに連動してしまい、そこに停滞しているとも言える。

 以下、インタビューから引用する。「いま働きかけたからいま反応が返ってくるという直接的な対応を期待することが難しい時代になっている。いったん地下に消えて、断絶を介して間接的に現れるような作用を考えたい。」(民衆の思想が培われるには長い時間を要するという意味。)
 
 「『世話(ケア)の論理』というかたちで、壊れものとしての人間の関係についての、他者との関わりの技法についての貴重な富が、膨大に埋もれているような印象を持ち始めているんです。」(高齢者や障害者のケアにあたる現場の人の中にある経験について)

 これが、氏の求める「生きる場の哲学」ということなのか。インテリの位置から民衆を見下ろし、民衆の中に自明に存在するものをインテリ向けに言語化、体系化しようとしているだけではないか。かっこよく大学を辞めたところまでは良かったが、運動体の中で祭り上げられてしまい、切磋琢磨を怠った結果がこのレベルということか。





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太田昌国

2009-05-18 19:32:18 | Weblog
 お片付けの時間です!



 『図書新聞インタビュー 語りの記憶・書物の精神史』(米田綱路編著 2000年 社会評論社刊) その2 

 太田昌国(1943年釧路市生まれ)には、『<敵>はわが裡(うち)にあり 「日本ナショナリズム」を解体する』と題したインタビューを行なっている。

 太田氏の関心領域は第3世界、特にゲバラ、舞台は中南米といってもいいだろう。写真家の長倉洋海氏も釧路出身でアフガニスタンをはじめ第3世界の人々の暮らしをテーマにしている。釧路という土地の風土と第3世界への視座との間に関連はあるのだろうか。

 太田氏の近年の著作を追いかけるように、私は、『「ペルー人質事件」解読のための21章』(現代企画室1997年刊)、『日本ナショナリズム解体新書』(現代企画室2000年刊)、『「拉致」異論』(太田出版2003年刊)、『「国家と戦争」異説』(現代企画室2004年刊)、『暴力批判論』(太田出版2007年刊)と読んできた。

 太田氏を解く場合、なぜ氏が第3世界に関心を持つのか、ということを理解しなくてはいけない。

 氏は「戦後左翼および進歩派が抱えてきた問題と、現在の右翼的な表現が持っているナショナリズムの質というものは、そんなに変わらないところにあって、われわれに影響を与えてきたのではないか。」この国の左翼には、「現在の右翼ナショナリズムの跋扈と通底する、同じ理論装置や歴史観が孕まれていた。」という。

 従来、この国で先駆的な問題提起や批判をしたのは、在日朝鮮人の研究者であることからも、国内の左右両翼ともに感度の悪いことが露呈する。ペルー大使公邸人質事件での対応からも、この国の国際感覚の鈍感さが明らかになった。

 氏は、「闘うべき相手は決して彼岸にばかりあるはずはない。自らの問題として捉える姿勢が大切」と説く。換言すれば、一時流行した「わが内なる・・」である。全くもって全共闘!的である。

 余談だが、サラリーマンの社会で、「敵は内部にあり」というのはかなりの真実であろう。取引先企業や顧客との関係よりも、社内の人事、財務部門の方の抵抗が大きいのはしばしばよくあることである。

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石堂清倫

2009-05-17 20:26:42 | Weblog
 

 午前中にひとっ走りして良かったです。予報どおり雨になりました。昨日も午前中走りましたが、途中に会社からの呼び出しがありました。私にとってケータイは利便より束縛の方が大きいです。

 屋根を叩く雨音が好きです。もう少し暗くなった方がいいです。部屋でひとりというのが一番です。

 テレビは、流感のニュース一色になりました。テポドン騒動をはじめ、危機管理が蔓延しています。

 それもそうだけど、民主党さんへ!「街角に立てている小沢の野立て看板はいつになったら片付けるの?」後始末もできないような党が政権を取れるはずないだろ。今にも泣きそうな鳩山の顔は出せないのかな?



 『図書新聞インタビュー 語りの記憶・書物の精神史』(米田綱路編著 2000年 社会評論社刊)

 特に体系的に本を読んでいるわけではないので、時々なぜこんな本を買ったかな?と思うような本が出てくることがある。それも、途中で挫折したり、面白くなく放棄したりという記憶も無く。

 『語りの記憶・書物の精神史』は、2000年の発行なので10年ほど前の本だ。最近、編著者の図書新聞編集長(当時)米田綱路氏の名前を見かけるが、1969年生まれの若い編集者だ。

 石堂清倫(1904~2001)への『二〇世紀を生きる 終わりゆく世紀の証言』と題したインタビューが掲載されている。

 スターリン主義研究者として著名な石堂氏の講演は、1983年位だったと思うが道労文協の講座で聞いた記憶がある。『わが異端の昭和史』(勁草書房1986年刊)、『続わが異端の昭和史』(勁草書房1990年刊)『二〇世紀の意味』(平凡社2001年刊)は、興味深く読んだが、ソ連の内部から発せられた石堂氏の訳書『共産主義とは何か』(メドヴェージェフ著 三一書房 1973,4年刊)などは不勉強で読んでいない。

 石堂氏はこのインタビューの翌年に亡くなっているが、氏はこの国の将来にとって克服しなければならない課題を語り遺している。

 ひとつは、戦前の軍部による満州侵略論に対して左翼も自由主義者も有力な反論をしなかった事実から、日本人には非常に古くから排外主義の精神がある。

 中国では、直接行動により、辛亥革命、孫文らの国民革命、毛沢東らの新民主主義革命を実践したが、日本の社会主義者の「理論」と「実践」には距離があり過ぎた。日本の現実から出発すべきであるのに、日本にとって他者であるコミンテルンの判断に基づいて運動を開始した。コミンテルン権威主義と排外主義は裏と表の関係にある。

 勝海舟の言ったアジアにおける小国自主自立の主体の結合体は実現されず、日本は征服者になろうとして失敗した。そのことが、もっとはっきりした形で反省されるべきだ。支配と従属を伴わない共生アジアの一員として、受け入れる条件をひとつひとつ作り上げていかなければならない。

 大変重い課題と思います。歴史的な反省は、現在を問います。その歴史も中性から繰り返し繰り返し日本人の中に染み付いていることであるとすると、そう簡単なことではない。また、左翼的な思想からはスターリン主義の汚点を消すこともできない。

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寺脇 研 フォーラムin札幌時計台

2009-05-15 20:31:31 | Weblog
寺脇 研 フォーラムin札幌時計台(2009.5.14)

 講師の寺脇氏は、元文部科学省大臣官房審議官、ゆとり教育の旗振り役をやり、「ミスターゆとり教育」と言われた元官僚。

 この方、あまり品性よろしく見えない人物、このような方が、教育制度を立案し、全国の青少年がその制度の下で学習するとは、恐ろしい感じを持った。

 講演では、この国とアジアの間の分断、世代間の分断の問題について、氏の現在の取り組みを紹介するものであった。コリア国際学園の設立による朝鮮半島との交流実践、文化庁時代に韓国で日本映画が解禁された時日本人も泣くのだと感想を話した韓国のひとの話し、これらの文化交流が安全保障に繋がるという主張であった。

 今は亡き「ゆとり教育」の理念について寺脇氏が語った最後の質疑が面白かった。「ゆとり教育」の発想は、氏が大学で読んだ1970年にローマクラブが発表した「成長の限界」が発端であり、右肩上がりの社会はいつか限界にぶつかる。それを乗り越えるには、自分で選び決めることができる人間をつくらなければならないという思いから生まれたのだそうだ。

 評論家の斉藤貴男が「ゆとり教育」を批判して、エリートはゆとり教育の他に教育機会に恵まれるが、非エリートは低いレベルの教育しか受けることができず格差社会をもたらすと批判した。作家の三浦朱門は、全員が同じ事を学ぶ必要は無く、社会の中で果たすべき役割もそれぞれ違っていいという考えを批判してのものである。

 詰め込み教育が求められていたのは、成長社会においてであり、軍隊や産業に労働力として供給することが求められていた時代だからである。寺脇氏は、斎藤氏、三浦氏をまとめて近代主義と一刀両断に批判した。

 皮肉にもこの国で「ゆとり教育」を見直した直後、2008年秋、ついに成長の限界に達し、右肩下がりの社会がスタートした。

 私が「ゆとり教育」として浮かぶのは、総合学習での子どもたちの姿である。様々なテーマを持って学校を出て実地の勉強をしていた。お店を訪ねたり、レストランでコックさんの話を聞いたりしていたが、果たしてこれが何の役に立つのだろうと思ったものだ。

 「ゆとり教育=反近代」という思想が横たわっていたことなど思いもよらなかった。

 
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小沢一郎の屈服

2009-05-13 21:20:40 | Weblog
 練習で恵庭市の「むらかみ牧場」に至る案内板の前を通りました。

 UHB人気番組、「タカアンドトシのどぉーだ」で、「タカトシ牧場」の舞台となっている牧場だと思いました。今度は、通過ではなく寄ってみよう。

 国道36号恵庭バイパス、昔のカーボーイ(今の名前は?)前を、千歳市長都の法へ左折して直ぐです。



 『小沢一郎の屈服』

 私は、民主党に一片の期待も持っていません。また、選挙で世の中が変わるという幻想も持ち合わせていません。

 しかし、小沢一郎VS東京地検特捜部の闘いには興味を持っています。それは、こういう政治の展開の行方を読むことで、自分の政治的センスを試すことができるからです。

 利権顔の小沢は、3月3日の大久保秘書逮捕以来自分の正しさを一貫して主張していたが、ついに一昨日(5月11日)辞任しました。無念だろうと思います。なぜ、今辞任なのか。私にはそのタイミングに興味があります。

 それは、西松建設側初公判の冒頭陳述の内容が固まってきたからではないでしょうか。それは、小沢にとっても、小沢を党首に抱えている民主党にとっても最悪の内容が想定されます。

 西松側からの献金の目的は、公共工事の受注のため政治家の天の声を期待したものということが確たる証拠と共に明らかになり、西松側は容疑を認め争わないというものです。何という前時代的で古典的な献金でしょうか。利権政治家小沢の面目躍如です。小沢が弁明している政治資金規正法の解釈レベルの話しではないのです。

 もう一つのタイミングも世論の論点になっています。なぜ、検察が総選挙、それも政権交代の可能性のあるこの時期に、野党第一党の党首の公設第一秘書を逮捕したのか。国策捜査ではないかという批判です。

 私は、今後証明されることはないでしょうが明らかに国策捜査だと思います。西松建設の件で、民主党に打撃を与えなければどのような情況になっていたでしょうか。アッソー首相は毎晩バー通いばかりに熱心で、未曾有の経済危機なんて実感はないでしょう。

 おそらく総選挙で民主党は大勝、今と全く逆の構図ができあがったことでしょう。小沢首相の民主党政権は、まず米国及び財界が認知しないでしょう。検察としては、民主党の勢いを少し殺いで、自民党と拮抗させ、挙国一致体制翼賛型の連立政権のイメージを持ったのではないでしょうか。

 早速、民主党の代表選挙では、人材不足が露呈しています。いつも今にも泣きそうに話す鳩山では、一国の代表としては貧弱すぎます。今のところ、他に選択肢が無い様なので岡田でいいと思います。

 

 
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ホワイトストーン

2009-05-10 21:14:14 | Weblog
 「ホワイトストーン」和訳すると白い石、JR白石駅と地下鉄白石駅のみ限定発売のお菓子です。製造元は、あのユーハイムというから驚きです。洒落のわかる会社なのでしょう。千秋庵とは、大違いです。

 中身は、まさに白い石っころのように見える焼き菓子です。私としては、たまたまランニング中に発見したのですがあまりレアな情報ではないのかも知れません。

 HTBの人気番組「水曜どうでしょう」で、白石を舞台にホワイトストーンとか何とかというのが出ていましたが、あれとのタイアップかな?

 
 ということで、休日は陽気にまかせてあちこち走りまわっています。ようやくそんな季節になりました。何も考えず、何も考えず♪です。本日もハーフ程度の走り込みができました。

 申し込みが遅れてしまったのですが、本日「北海道マラソン」の申し込みをしました。今年から制限時間が緩和されましたが、今の力ではフルマラソンは到底無理な情況ですが、あと3ヶ月あまりでどこまで身体を作れるか、トライです。


 厚生省ができたのが昭和12年、戦争に向けて健康保険、年金の制度ができました。健康優良児の表彰制度もその頃できました。体力のある兵隊を確保することにつながるのでしょう。「健康」というテーマは、戦争とともに制度化されます。

 新型流感に対する厚生労働省の一連の対応を見ていると、真に国民のためにというよりも、国家の秩序を守るためにと感じられます。

 東京マラソンを始めた石原慎太郎は、オリンピックの誘致に夢中です。スポーツ選手たちも石原にからめ取られています。高橋はるみったくなし道知事も北海道マラソンの制限時間の緩和に熱心でした。政治家のスポーツ振興、健康志向には注意が必要です。



 

 
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『失われた<20年>』

2009-05-09 19:44:58 | Weblog
 マス添大臣が待ちに待っていた流感がようやくこの国に侵入した。国から自治体まで、政治家達は自分の政治的パフォーマンスのために「危機」を利用している。



 『失われた<20年>』(朝日新聞「変転経済」取材班編 岩波書店 2009年刊)

 1989年12月29日、1980年代最後の日の東証株価38,915円、思えばこの日がこの国の株価のピークであった。年明けからの1990年代は、栄光の時代となるはずであったが、坂道を転がるように転落していき、現在に至るも未だに回復できないでいる。

 これを称して、「失われた20年」と呼ぶのだそうだ。私自身、10年ほど前、2000年位か、社内文書で「失われた10年」という言葉を使って上司から削除を命じられた記憶があることから、この「失われた・・」という言い方は随分前から使われている言葉であり、今後も「失われた30年、40年・・」と使われる可能性もあるのだろう。

 子どもの頃、学校の教師から世の中の事を知るためには新聞を読めと言われた。少し前には、当時の会社の社長から、新聞ばかり読んでいると馬鹿になるぞと言われた。どちらが、真実か。本書は、朝日新聞に連載された特集記事をまとめたものである。
 
 この20年間の経済的なエポックをコンパクトにまとめている。しかし、本書を読んでも、現象だけを追いかけた皮相的な記述からは経済の本質は何もわからない。なぜなら、この間の経済事象を捉えるための歴史的な視点や哲学が無いからだ。

 「失われた」という言葉の意味するところは、空虚だった20年、無為だった20年、無意味だった20年というようなことなのだろうか。そこからは自ずと、この言葉を用いる者の視点が明らかになる。(決して揺るがないように見えた体制に亀裂が入ってきた、好機到来とは考えない人たち。)

 新聞を作る人たちの苦労も大変なのだろうが、本書のようなまとまった形にしても、どうしようもなく空虚な感じが付きまとうのはなぜだろうか。
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春眠暁を覚えず

2009-05-07 21:28:12 | Weblog
 マルヤマクラス3F(中央区南1条西27丁目1-1(メルパルク札幌跡地)地下鉄東西線「円山公園」駅直結)「リストランテ モデーロ」


 
 連休初めに読んだ『いなほ保育園』の実践例から出発して、連休中につらつら考えていて、「普遍性」または、「普遍主義」がキーワードとしてたどり着いた。そして、サークル的小宇宙と勝手に名付けたが、そこでは「境界」という内側と外側を線引きする言葉もキーワードになってくる。

 「普遍主義」がそもそも存在するものなのか、存在すると観念しても真に存在するものなのか、存在することを期待するのか、普遍主義で一色に染め上げるべきではなく、多様性が存在することに留めるべきか、問題は限りなく派生する。そこには、強制(不自由)から自由への濃淡が生まれる。

 自己と他者、組織内と組織外(会社、宗教、パルタイ・・)、自国と他国(制度、経済・・)、過去と現在と未来・・すべてに「境界」が存在するように見える。ここでも、「境界」がそもそも存在するものなのか、観念として存在するように思えても真に存在するものなのか、否、境界は解消(例えば、国家の廃絶)できるのか。

 以上を踏まえて、具体的な問題意識としては、
  人類史の中で、われわれの「現在」は、どこに位置するのか?
  われわれがめざすべき究極の未来とは何か?
  われわれの社会は、ユートピアを、夢を必要としているのではないか?
  未来世代や付いて来る世代への責任はあるのか?
  圧倒的な普遍性を持つ資本主義に対するオルタナティブはあるか?
  左翼はなぜ勝てないのか?

 自分なりの解明をテーマに「晴走雨読」生活です。
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豊平川マラソン

2009-05-05 21:52:31 | Weblog
 「するスポーツ」
 アコムプレゼンツ日刊スポーツ豊平川マラソン参戦
 ハーフマラソン9:50スタート 練習不足ながらも昨年より1分20秒短縮。
 午前中は日差しが強く、また気温も例年に比べかなり暑かった。しかし、この時期の真駒内~水穂大橋は、南風が吹き、復路は向かい風になることが常なのに、今日はなぜか北風、疲れてくる後半、川の上流に向かって上り坂な上に、向かい風は結構キツイのであるが、今年は背中を押してもらった。

 残り3km位でよれよれしてきたが、スタート前のバナナとゼリー、ヘルシア緑茶のおかげで何とか完走できた。

 今年の特徴として、参加者が急増しました。ハーフだけで2,400人、全種目で4,000人を超えました。これは、東京マラソンの影響、それとも北海道マラソンの制限時間の緩和の影響?マラソンブームが来ています。

 「観るスポーツ」
 マラソン終了後、午後からは、コンサドーレ札幌対栃木SCを観戦。
 2点の先制を許したが、最後は劇的逆転勝ち。最近、こんなに見事な逆転劇をみたことが無い。無条件に喜んだ。

 チームに粘りが出てきた。今年は、期待できます。

 疲れ果てた、こんなパッパラパーの一日もいいモンです!
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RCサクセション

2009-05-04 20:47:35 | Weblog
 RCサクセションの忌野清志郎さんが亡くなった。社会的なメッセージも唄っていました。私的には、RCでは、古井戸だった仲井戸麗市さんの方が好きです。

さなえちゃん♪

大学ノートの裏表紙にさなえちゃんを描いたの
一日中かかっていっしょうけんめい描いたの
でも鉛筆で描いたからいつのまにか消えたの

大学ノートの裏表紙のさなえちゃんが消えたの
もう会えないの もう会えないの 二度と会えないの



 前回は、サークル的小宇宙(保育園)内で理想を実現した例とその限界(小学校)について述べた。

 昨日は、憲法記念日、例年のとおり護憲派、改憲派の集会が各地で開催された。今年の特徴としてテレビの映像からは、改憲派の集会参加者が極端に少ないように見えた。原因としては、ひ弱だった安部、中川ら改憲派リーダーの醜態続きにあると思う。

 しかし、だからといって安心はできない。憲法論議をインターナショナルな視点から見ると、改憲派の方がパワーポリティクスという現実の国際情勢を踏まえた議論を展開していることを認めざるをえない。

 反対に日本国憲法は、この国というサークル的小宇宙内だけの理想主義に留まっているのではないか。護憲派は、世界に向かってなぜ日本国憲法の理想を拡大しようとしないのか。もちろん普及できないひとつの理由は天皇条項であるが、ここでの議論は、主として平和主義についてである。

 そもそも日本国憲法には、拡大できるための普遍性がそなわっていないのではないか。いなほ保育園の北原代表のようにそれぞれの持つ多様性を認めず保育園の理想を学校に求めるのか。普遍性なき強制は理想主義を掲げたとしても他者の自由を奪うことに繋がる。

 無数のサークル的小宇宙における実践の中で自由が尊重される多様な社会を求めるのか、小宇宙が持つ理想主義に普遍性のある原理を獲得して、世界中を席巻するのか。

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『いなほ保育園の十二ヶ月』

2009-05-03 18:18:50 | Weblog
 数日前から気温が急に高くなった。5日のハーフマラソンを目標にちょっと長めの走り込み兼花見。白石サイクリングロード南郷通り9丁目付近の万生公園の桜のトンネルは3分咲きくらいで、満開はもう少し後。

 暑さ対策ということで真冬と同じウィンドブレーカーの上下では、暑い!暑い!



 『いなほ保育園の十二ヶ月』(北原和子著 聞き書き塩野米松 岩波書店 2009年刊)

 埼玉県桶川市にある無認可保育園「いなほ保育園」における保育の実践記録である。北原代表の保育に懸ける情熱とポリシー、「一番大事なのは一人一人の時期を見抜くことなんです。」という言葉に表れる子どもたちの発達に応じた細かな心配りの機微など、まさに氏の経験から得た理想がここに体現している。

 2007.10.27の当ブログ「俺ルール!」で触れた、富山市「にぎやか」における認知症高齢者、知的障害者、発達の遅れのある学齢前児童が、生活を共にしているのだが、ここも代表の阪井由佳子氏の理想が展開されている実践例である。

 このようなカリスマ的な代表の持つ理念の展開例は限りなくある。幼稚園、保育園、障害者施設、高齢者施設など福祉分野には従来から篤志家が存在する。企業でも創業者の理想に社員が共鳴している例がある。本田技研工業のホンダイズムと呼ばれているような例。理念を共有する結社、サークル、セクト、党・・さらに宗教組織はその典型である。

 「自由とは、必然性の認識である。」(ヘーゲル)とすれば、上記のサークル的小宇宙の中では、その構成員間で理念という必然性が共有され、そのことで自由を得ていると感じることができるのであろう。それは、しばしば構成員らの「生きがいがある。」とか「やりがいがある。」という言葉で表出されている。

 本書に戻る。北原氏は、せっかく保育園で子どもたちや保護者を手塩にかけて育て、教育したのに、小学校に入ると今までの積み上げが壊されると嘆く。例えば、ウシやニワトリは有害な配合飼料を食べているので、「いなほ」では、牛乳や卵を給食に取り入れていない、それを理解していたはずなのに・・ということになる。

 では、そうならないためには、サークル的小宇宙の理念を普遍化する必要がある。小学校も中学校も、会社も、地域にも北原氏の理念の共感してもらわなければならない。さて、その時、それらの構成員は、自発的に共感を持って受け入れるであろうか。必然性として認識するであろうか。しかしそこに何らかの強制力が働いていれば、自由はスポイルされることになる。

 「理想の普遍化につきまとう悪魔」と呼んでもいい。

 本日は、日本国憲法記念日、次回は、この論理を憲法に応用して考えてみる。
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