晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

高橋源一郎 「『あの戦争』から『この戦争』へ ニッポンの小説3」

2017-03-21 20:02:47 | Weblog

僕の直感によると、自衛隊の南スーダンからの撤収と緊迫しているように報じられている朝鮮半島情勢はリンクしている。第2次朝鮮戦争勃発⇒自衛隊出兵。ただ、金正男と言われている人の暗殺事件でもそうだが、日米韓発の情報にはバイアスがかかっていることを忘れてはいけない。日共は、他党と声を合わせて北のミサイル発射を非難しているが、腐っても左翼ならば、そこに米韓軍事演習、日米韓軍事同盟に対する批判的な視点を欠落してはいけないと思う。

 

「『あの戦争』から『この戦争』へ ニッポンの小説3」(高橋源一郎著 文芸春秋社 2014年刊)             

初出は、『文學界』2012年4月号から2014年8月号に連載された文芸評論。高橋氏は冒頭「あの日以来、なにをどう読んでいいのか、まるでわからない」と言う。以来というのは「3.11」のことだと思う。あれから1年ほど経過しているが、まことにナイーブな感性の持ち主だ。

前にもここに書いたが、僕は、3.11の前と後で考え方を変えた人を全く信用しない。典型的なのは原発に対するスタンスだ。福島第1の事故に恐れおののき、コイズミのように突然原発反対論者になった人は多いと感じる。しかし、今一番重要なのは原発から逃げることではなく、原発と向き合い事態を解決することだ。技術を高め、何としても「アンダー・コントロール」にしなければならないと思う。

にわか原発反対論者のような人種は、別の何かが起これば、手のひらを返すように、今まで言ってきたことを平気で変えるような輩だ。もし、どこかの国がミサイルでも撃ってこようものならば、一気に撲滅せよ!と言うような世論に一気に転ずるだろう。

本書に戻ろう。筆者の読めない病は、時の経過とともに徐々に治癒していくのがわかる。そして、元のように時代の書き手たちの「ことば」に焦点を当て、ことばをめぐる書き手たちの葛藤、ひとつの言葉の重要さを丁寧に論じている。

これが、「3.11」では変わらなかった、僕がこれから読もうとしている源一郎ワールドなのだろう。

 

 

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教育勅語(教育ニ関スル勅語) 

2017-03-12 15:05:27 | Weblog

高橋はるみ(ったくなし)知事は政治音痴なのでは?道新11日朝刊記事に「鉄道路線維持に向けたJR北海道への対応について、赤字を穴埋めするための財政支援は国に求めず、道としても行わない意向を表明した。JRに対しては「コストの徹底的な軽減を含めた自助努力を考えていかなければならない」とある。アへ首相も問題の重要性を表明し、あっそう財務相の東日本との合併アイデアを表明、自民党のPTでは吉川貴盛代議士が存在感を出している中で、道知事として上記のような発言をするのか理解できない。JR北の問題は、北海道の未来にとって最重要課題だと思っていないのだろうか。罷免運動が必要になるぞ!

 

教育勅語(教育ニ関スル勅語)          

M友学園で話題になっている教育勅語を初めて読んでみた。①の原文は、漢字もカナも難しくて読むことができない。②の漢字にフリガナ、濁点・句読点付きは、声に出して読むと何とか文章のように聞こえるが、意味はよくわからない。そこで③の現代語訳で何とか意味を解釈することができた。

教育勅語を暗唱したM友学園の幼稚園児をスゴイ!と思ったらよいのか、それ位の能力は誰でも有しており、同じ年頃の園児なら繰り返し、繰り返し刷り込みをすればできるようになるのだろうか。僕も小学校4年生の頃だったと思うが、「私たちは荒野に丹頂鶴が舞う釧路の市民です」(違ったかな?)からはじまる『釧路市民憲章』を暗記した(させられた)ことを覚えている。

さて、教育勅語は「朕惟フニ」から始まる。これが、I think、私の思っていることは、という内省を表現している文なのか、I hope、私はこう希望する、という国民(臣民)が従うべき令なのか。例え、前者であったとしても、天皇がこう思うと言えば、その気持ちを周囲が忖度しなければならない、否、してしまうのは、昨年夏の「天皇のお言葉」以降の情況を振り返れば明治も今も同じだと思う。

泣きべそ稲田防衛相が、教育勅語を讃えると、民進党はそれを批判する。この対立構造は今までと同じであり、論理的には真新しいことは含まれない。私も、この戦前教育の中心思想であり、この勅語を基に軍国主義教育が展開され、国民を戦争に動員し社会が壊滅状況にまで持って行ったのだと思う。そういう意味では、僕は教育勅語の復活には反対する。

ただ、一筋縄ではいかない問題が内在されていると思う。勅語をその政治的な背景や意図、その歴史的な帰結を除いて、純粋に一文章として読んでみると、父母に孝行し、兄弟は仲良く・・・などの教訓は真っ向から否定すべきものではなく、当たり前のことを当たり前に書いている。引っかかる所は、「もし国家に危険が迫れば国家のために働き、皇国の運命を助けるようにしなければなりません。」の部分である。国家、それも天皇が治める国家に個人は尽くすべきとされているが、ここは容認できない。

僕は、教育勅語イコール機械的にけしからんということにはならないと思う。この勅語を批判し尽すのは中々容易なことではないからだ。なぜなら、勅語を否定するためには、天皇制と国家を否定した社会の形まで展望する必要があるからである。いずれも、人びとの間にはこの国の歴史の中で、共同幻想としっかりと定着している。天皇制なきこの国のかたち、国なき社会のかたちを僕らは幻想できるのだろうか。

 

①教育ニ関スル勅語

朕惟フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ

我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ済セルハ此レ我カ国体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦実ニ此ニ存ス

爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ

是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風を顕彰スルニ足ラン

斯ノ道ハ実ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス

朕爾臣民ト倶ニ拳拳服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ

明治二十三年十月三十日

御名 御璽

 

②教育ニ関スル勅語

朕(ちん)惟(おも)フニ、我ガ皇祖(こうそ)皇宗(こうそう)、國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠(こうえん)ニ、徳ヲ樹(た)ツルコト深厚(しんこう)ナリ。

我ガ臣民(しんみん)、克(よ)ク忠ニ克(よ)ク孝ニ、億兆(おくちょう)心ヲ一(いつ)ニシテ、世々(よよ)厥(そ)ノ美ヲ済(な)セルハ、此(こ)レ我ガ國体ノ精華(せいか)ニシテ、教育ノ淵源(えんげん)、亦(また)実ニ此(ここ)ニ存ス。

爾(なんじ)臣民、父母ニ孝(こう)ニ、兄弟(けいてい)ニ友(ゆう)ニ、夫婦相和(あいわ)シ、朋友(ほうゆう)相信ジ、恭倹(きょうけん)己(おの)レヲ持(じ)シ、博愛衆(しゅう)ニ及ボシ、学ヲ修メ、業(ぎょう)ヲ習ヒ、以テ智能ヲ啓発シ、徳器(とっき)ヲ成就(じょうじゅ)シ、進ンデ公益(こうえき)ヲ広メ、世務(せいむ)ヲ開キ、常ニ國憲ヲ重(おもん)ジ、國法ニ遵(したが)ヒ、一旦緩急(かんきゅう)アレバ、義勇公(こう)ニ奉(ほう)ジ、以テ天壌(てんじょう)無窮(むきゅう)ノ皇運ヲ扶翼(ふよく)スベシ。

是(かく)ノ如(ごと)キハ、独(ひと)リ朕ガ忠良(ちゅうりょう)ノ臣民タルノミナラズ、又以テ爾(なんじ)祖先ノ遺風(いふう)ヲ顕彰(けんしょう)スルニ足ラン。

斯(こ)ノ道ハ、実ニ我ガ皇祖皇宗ノ遺訓(いくん)ニシテ、子孫臣民ノ倶(とも)ニ遵守(じゅんしゅ)スベキ所、之(これ)ヲ古今ニ通ジテ謬(あやま)ラズ、之(これ)ヲ中外(ちゅうがい)ニ施(ほどこ)シテ悖(もと)ラズ。

朕、爾臣民ト倶ニ拳々(けんけん)服膺(ふくよう)シテ咸(みな)其(その)徳(とく)ヲ一(いつ)ニセンコトヲ庶幾(こいねが)フ。

明治二十三年十月三十日

御名 御璽(ぎょめい ぎょじ)

 

③教育に関する勅語

私(明治天皇)が思うに我が皇室の御先祖様が国をお始めになったのは、遥か昔のことであり、その恩徳は深く厚いものです。

我が臣民は忠と孝を守り、万人が心を一つにしてこれまでその美をなしてきましたが、これこそ我が国の最も優れたところであり、教育の根本も実にこの点にあります。

あなたたち臣民は父母に孝行し、兄弟は仲良くし、夫婦は協力し合い、友人は信じ合い、人には恭しく、自分は慎ましくして、広く人々を愛し、学問を修め、仕事を習い、知能を伸ばし、徳行・能力を磨き、進んで公共の利益に奉仕し、世の中のために尽くし、常に憲法を重んじ、法律を守り、もし国家に危険が迫れば忠義と勇気をもって国家のために働き、天下に比類なき皇国の運命を助けるようにしなければなりません。

このようなことは、ただあなたたちが私の忠実で良い臣民であるだけではなく、あなたたちの祖先の昔から伝わる伝統を表すものでもあります。

このような道は実に我が皇室の御先祖様がおのこしになった教訓であり、子孫臣民が共に守らなければならないもので、今も昔も変わらず、国内だけではなく外国においても理に逆らうことはありません。

私はあなたたち臣民と共に心に銘記して忘れず守りますし、皆一致してその徳の道を歩んでいくことを切に願っています。

 

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