晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

きたひろしまロードレース

2015-06-28 19:58:06 | Weblog

 きたひろしまロードレース

 今日は、曇天で肌寒かった(15℃くらいか)が、暑いよりは走りやすいマラソンには絶好のコンディション。15km50歳以上の部に出場。会場のエルフィンロードは、旧国鉄千歳線の線路跡地なので、平たんに思われるが、片道7.5kmで中間部の標高が一番高い「馬の背」型で、フラットなところのない比較的タフなコース。スタートから3.5kmの登り、4kmがなだらかな下り、復路はその反対で、最後の3.5kmは下り坂を疾走。

 ひとりで練習していると、苦しくなってペースを落としてしまうことが多いが、それもとみに最近は自分にやさしくなってしまっているが、大会になると僕なりのレベルの競い合いの結果、最後まで何とかペースが維持できる。競争というより周りに引っ張られる感じ。

 今日は、練習ではとても無理だと思っていた目標タイムを2分以上上回ったことには、結構達成感を持っている。最近は、反省ばかり残ってしまっていたが、最後まで何とか気持ちも続いて、まだまだ元気なものだと自己満足している。贅沢をいうと、往路で汗がブワッと出てくるまでの20分くらいが苦しくて、中々ペースが上がらなかったことが課題。

 20数年間一緒に走っているH氏も本当は出場する予定だったが、故障で急きょ応援に。H氏一家の励ましもあって、自分の中では次に繋がる走りになったと思う。今日、身体を全開で回したので、そのレベルを下げないように暑い夏の練習をしたい。これからどんどん体重の減る季節になる。久々にコケコケの顔になりたい。

 いつも思うが、僕らの趣味のために、大会をサポートしてくれる多くの皆さんに感謝!

 開会式で、石屋製菓の工場がJR北広島駅の近くに建つということで、石水社長が来て、30kmの部に参加すると紹介していた。随分練習をしたのではないだろうか、僕の持っていたイメージよりも体が絞れていた。

 

 

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蛭子能収 『ひとりぼっちを笑うな』

2015-06-27 20:20:39 | Weblog

 『ひとりぼっちを笑うな』(蛭子能収著 角川新書 2014年刊)

 テレビ東京系番組「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」は、リーダーシップの太川陽介、マドンナと呼ばれる女性ゲスト、そして超マイペース人間の蛭子さんの行き当りばったりの旅で、年に数回しか放映されないが楽しみにしている。

 今の時代に不適合のような蛭子さんがなぜ支持されるのか。

 それは、子どもたちをこんなふうに育てようとしている方向とは全く正反対の人間が蛭子さんだからではないか。将来に夢と希望を持って、自分の考えをしっかり言えて、コミュニケーション能力を身に着けて、常に相手のことを考えて、友達もたくさんいて、社交的でハキハキしていて、明るい性格で、勉強にもスポーツにも一生懸命で・・・その結果、子どもたちは大人になる前に疲れ果ててしまっているように感じる。

 一方、蛭子さんの考え方、行動は、反体制的である。望ましき人間像からはなはだ遠いところにある。しかし、人びとをホッとさせる。失敗してもいいんだよ、ひとりは悪いことなんかじゃないよ、有名になんてならなくてもいいんだよ、がんばらなくてもいいんだよ・・・そこに、救いを感じるのではないか。

 安保法制論議にも表れているが、世の中が益々「力の論理」に貫かれようとしている。身体や気持ちの強さが人の評価基準になっている。それに対して、蛭子さんの生き方は、それ自体が反戦である。

 今日の午後から一気読みをしてしまったが、いいフレーズが満載。久々の良書だと思う。僕は、多くの人に推薦したい。

 

 

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磯田道史 『天災から日本史を読みなおす』

2015-06-26 21:41:29 | Weblog

 今日も閉店の話題になります。道庁の前庭近く(北4西5)にある「そば徳」が今月末で閉店するということです。散髪の帰りに時々寄る美味しい蕎麦屋さんでした。昭和35年から営業していたということですが、今のビルに入る前はどんな店だったかが思い出せません。アスティ45ビルにあった「大勝」という蕎麦屋さんは、北5条通りに面して木造の建物で営業していた記憶はあるのですが。昭和48年から札幌に住む僕が知っているあの辺りは、喫茶店など古くからの店舗が軒を連ね、路面電車が通っていました。老舗がまた一つ消えていきます。

 

 『天災から日本史を読みなおす 先人に学ぶ防災』(磯田道史著 中公新書 2014年刊)

 帯に第63回日本エッセイスト・クラブ賞受賞とあり、売れているのであろう7版まで増刷している。本書は、タイトルにあるように、「天災から日本史を読みなおす」記述と「先人に学ぶ防災」に関する内容となっている。

 日本列島は太古の昔から地震、火山の噴火が繰り返し起きており、著者が古文書を読み解きその実相にせまろうとする部分はグイグイと読ませるものがある。天災が時の政治を変えたのではないかという提起は興味をそそる。

 僕は、3.11に関する思想やエッセイを敢えて読まないことにしている。なぜなら、大きな天災はこれまで幾度も発生していることであり、今回の震災や原発事故に驚愕して考え方を変えたような人を信用できないからである。この類の人は、次に別の事態になれば容易に今の考え方も変えてしまうと思うからである。

 だから本書で、僕がすっ飛ばしてしまう所は、3.11を意識しながら教訓的に防災について述べている部分である。そんなことは、防災マニュアルに書けばそれで済むことである。新書一冊のボリュームにするために、水増しをしたような感じである。僕の感性から言うと、大衆におもねらなければ、もう少し内容の締まった良書になったのにと思う。

 

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ヘーゲル論 吉本隆明ノオト その7

2015-06-25 20:17:58 | Weblog

 琴似から白石サイクリングロード沿いの東光ストア大谷地店に移転してきたのは、それほど前のことではない。いわゆる街の本屋さんがまた一つ消える。売れない文庫、中学生はこれを読め!、書店内に古書コーナーを設けるなどの新しい企画を打ち出していた「くすみ書房」が閉店しました。

 僕自身も大型書店を利用することが圧倒的に多いので、立派なことは言えないが、ボーナスが出たら金を握りしめ、札幌中心部の明正堂書店、アテネ書房、なにわ書店、富貴堂、東京堂書店と本屋さんのはしごをしたことが懐かしく思い出される。

 

 ヘーゲル論 吉本隆明ノオト その7

 西欧的な考え方の代表であるヘーゲルは、法は一般意思であるから倫理道徳とは関係がない。また、法という概念と国家という概念は不可分である。法は、特に憲法は、国家、法的な制度、政治的な制度のあり方を決めていくものである、という。

 これに対して、アフリカ的世界、アジア的世界に一部未だにある「この国」では、共同世界や国家に対する考察は甘く、あいまいであり、かつ情緒的である。

 *(*印は僕の感想部分)西欧世界にある国とこの国では、法に対するとらえ方が異なるため、現在の安保法制論議においても、西欧的な道徳倫理と法をはっきりと区分した論理優先の考え方と、アジア・アフリカ的に情念的に、戦争は嫌だとか、人を殺すことになる、という道徳倫理中心の考え方の間には、大きな隔たりがあると考える。

 従って、この国のジャーナリズムも法や論理中心の表現よりも、どちらかというと心情的な善悪の判断、受け手の情緒に訴える表現によって報道を行なっている。

 例えば、事故・事件報道においては、発生した事案の具体的な事象を客観的に伝えるのではなく、起こしたとされた人について、起訴前の容疑者段階であろうと、裁判の確定前の被告段階であろうとかまわず、映像で顔をさらしたり、プライバシーを暴いたりする中で、徹底的な人格攻撃、人格否定を行うのである。そして、その人の人間性に対する回復不可能なほどダメージを与える。西欧的で情緒的な姿勢である。しかし、この報道姿勢は、まさに今のこの国の国民心情にマッチするものであると考える。

 

 前回、人が人を殺すとはどういうことなのかについて触れたが、シモーヌ・ヴェイユに近い考え方なのが親鸞である。親鸞は、人間というものは、何かの機縁(モメント)がなければ、一人の人間だって殺すことはできない。だが、機縁があれば殺したくなくても百人、千人を殺すことだってありうる、という。

 *これが、戦争なのだろうと思う。殺さなければ自分が殺されるという局面では、心の制御など不要なのではないか。

 

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生命論 吉本隆明ノオト その6

2015-06-17 20:53:44 | Weblog

 ディズニーの「おんどこどん」が北海道にやってきました。午前の部3,900名、午後の部2,300名が集まったとのこと。小さな子どもたちには夢の世界だったようです。「世界はひとつ・・♬」僕なりに死語を使って表現すると、「米帝は懐が深い」なあ。

 安保法制反対運動が盛り上がってきているが、佐高信、山口二郎・・政党人が上がってくると、またあいつらが出てきやがったと、興ざめする人も多いのではないか。

 憲法に違反するとしたら、じゃ憲法を改正しようという方向に持って行かれる可能性もアリだ。

 

 生命論 吉本隆明ノオト その6

 『吉本隆明〈未収録〉講演集〈2〉心と生命について』(筑摩書房 2015年刊)をノオトする。本書には、1986年から1995年の間の講演が収録されている。僕は最近、糸井重里が主宰する「ほぼ日刊イトイ新聞」というHPに『吉本隆明の183講演』という無料で肉声が公開されているサイトがあり、時間に余裕がある時に聞いている。

 吉本には逆説を使った表現が多く、チョット待てよと思って聞かないと、煙に巻かれたように妙に納得してしまうことがある。例えば、「AはBであると言うこともできるが、AはCではないとも言えることから、AはBでも無いと同時にAにはCの面もあると言えるのではないでしょうか。」というような言い回しが要注意なのである。

 吉本は、心のあり方について『心的現象論』を発刊の後しばらくして、解剖学者三木成夫の理論を知り、大きな衝撃を受けたと様々な機会に表明している。

 三木成夫の生命論は、生体は螺旋性とリズム性を持つ。生物系は、性と食の位相、性と成長の位相を持っている。人間は、心臓を中心とした内臓系としての植物神経系と脳を中心とした感覚器としての動物神経系からなる。心は内臓にある。人間だけが生命あるものとしての自分を客観的に見ることができる、というものである。

 *(*印は僕の感想部分)集団的自衛権の行使を可能とする安保法制の国会論議が煮詰まってきている。

 わが軍(自衛隊)のリスクも高まることが想定される。殺されるリスク、殺す確率が高まるであろう。心について知りたいことは多い。わからないことが多いので疑問形になってしまう。

 果たして自衛官の心の準備はできているのであろうか。これまで、国を守るため、国民の命を守るため、家族、友人を守るためと教育されてきたと思うが、米国の利害のため、米国民を守るためにまで拡大され、今までの目的と大きく変わると思うが、本当に自分の命を捧げることができるように心のありようを切り替えることができているのであろうか。自衛官からは、お前のような左翼からの余計な心配などされたくもない、大きなお世話だと思っているだろうが。

 *人が人を殺すこととは、どういうことなのか。人の心の中には、人を殺すことに対して根本的なところで抑制力が働くのだろうか。反対に、シモーヌ・ヴェイユが言っていたと思うが、人間というものは、誰からも罰せられずに人を殺すことになる機会になると、躊躇なく人を殺すものだと。

 疑問形になるが、職業軍人においては、訓練により武器使用練度を上げるとともに、心のコントロールのためにどのようなことをしているのであろうかと。具体的には、個々人の判断によらず、上官の命令に従うことができるようにすることが必要絶対条件だと思うが、そのためには何が必要で、何が妨げになるのであろうか。

 *海外に派遣された自衛官の自殺率が異常に高いことが報告された。これまで政府は、リスクの高いところには行かせていないと説明しているが、イラクなどではどのような現実だったのだろうか。相当な心的ストレスがかかったことを想像する。

 また、僕は、隊内において日常的に強い拘束がかかっているのではないかと感じる。それは、退職などによりそれが解かれた場合に、一般社会での周囲との調和が難しい例も見聞きするからである。

 *自分で言っていることについてのリアリティーを感じている様子のないアヘ首相は、毎日の新聞首相動静欄に伝えられるように、自衛官を海外に派兵後も毎夜一流レストランで食事をし、休日はジムやゴルフ場通いを続けるのであろうか。

 

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瀬川拓郎 『アイヌ学入門』

2015-06-09 20:37:04 | Weblog

 アへ首相が来年のサミット開催地を「伊勢神宮」と発表した。この際、僕は古代史ブームが来るといいなあと思う。安保法制論議で憲法学者が違憲と言い切ったように、歴史研究者が神話の実在性と天皇制の真実を語る機会になればいいという期待感を持つ。前回の洞爺湖サミットは決めたのはアへ首相だったが、翌年は福田になっていた。来年もアへ首相である保証はないぞ。

 『アイヌ学入門』(瀬川拓郎著 講談社現代新書 2015年刊) 

 このブログ2015.5.24で、白老町のアイヌ民族博物館を見学したことを書いた。その後、紀伊國屋書店でアイヌ関係の書籍を探していたら、本書が平積みにされていて、かなり力を入れて売っているようであった。事実、2月20日第一刷発行が、すでに5月18日第四刷である。

 「はじめに」で述べているが、著者は「アイヌは自然と共生する民」という従来の静的なイメージの転換を意図し、交易や移動などが盛んだったというかなりダイナミックな民族として描いている。

 僕の持っている先入観というか、期待感は、かつてこの列島には縄文人が暮らしていて、弥生時代に大陸から渡ってきた人々(稲作文化)によって、北に蝦夷、アイヌ、南に琉球人が徐々に追いやられた。従って、アイヌと琉球の文化には、この国の初源を見出すことができるのではないかというものである。

 しかし、著者は、慎重な表現で「アイヌは日本列島の縄文人の特徴を色濃くとどめている人びと」とし、「現在のマジョリティである和人は、弥生時代に朝鮮半島から渡ってきた人々と、日本列島の先住民である縄文人が交雑して成立した集団」と、アイヌ・イコール・先住民とは断定しない。

 僕は、アイヌ民族博物館で聞いた、明治になり北海道開拓とともに突然にアイヌの生活手段が奪われそれまでの平和な暮らしが奪われた、私たちは差別の無い多民族共生社会を目指しているという言葉の意味を考えている。

 共生社会と天皇制が理論的に両立しないということは前に述べた。もう一つ、多民族共生社会の実現にとって国民国家という枠組みが桎梏になるのではないかというものである。明治維新を起こした薩摩、長州の田舎の下級武士は、その権威づけのために天皇という稲作文化の象徴的な存在を引っ張り出し、それまでの「藩」という単位では無く、「日本」という国民国家、それも単一民族国家という虚構を作り上げた。そもそもこの国民国家の中で共生は可能なのか、共生のためには国家を開いていかなければならないと考える。

 この列島で、マジョリティの継承してきた文化とアイヌや琉球の文化が異なるのに、アイヌ民族、琉球民族を日本民族の中に一つにくくることは、それぞれの文化を否定することになり、国民国家「日本」には収まりきらないと考える。

 

 

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『ザ・ニュースペーパー札幌公演2015』 

2015-06-03 20:02:21 | Weblog

 『ザ・ニュースペーパー札幌公演2015』

 5月30日(土) 道新ホール 17時開演 

30代:どうして、ザ・ニュースペーパーなどを観に行くの?

年金(受給資格者):2時間、お腹を抱えて笑えるからさ。15時過ぎに道新ホールの前を通った時、中から出てくる人たちが皆笑顔だったよ。コンサドーレが勝った時みたいに。

30代:どんな人たちが行っているのかな。

年金:若い人も少しいるけれど、大半は年輩者で50代から70代だろうな。今回は、女性が多かったような気がする。

30代:コントの題材は政治や時事ネタでしょ。そのどこが面白いのかなあ。

年金:普段、思っても口に出せないことってあるでしょ。それを思いっきり言葉にして笑い飛ばすとか、タブーに挑戦するという程のことでもないが、ちょっと際どく感じるところかな。

30代:爺さんは新聞をよく読んでいるみたいだが、テレビもバラエティなんか全然見ていなくて、世の中で起こっていることをわかっているの?

年金:テレビのニュースは見ていて気分が悪くなるのでほとんど見ないし、犬HKなんか最低だよ。でも、今日は、「ちょっと待って、お兄さん」(?)とか「あるある」(?)とか、周りの人たちには随分ウケていたが、僕は面白さがわからなくて、きっと今流行っているのだろうな、と思っていたよ。

30代:爺さんは段々と世の中に付いていけないね。

年金:いやいや、元々ズレているからしょうがないさ。

30代:結局、今日の公演は良かったの?

年金:うーん、アへ首相と橋シタ代表の演技は魅せたね。橋シタは、「このままでは終わらない、11月にこの続きをやるからな」と予告までしやがった。

30代:それは、11月公演も行かなくちゃね。

年金:コンサの試合以外にニュースペーパーしかないからね。大げさに言うと、僕にとって年に1回か2回の非日常体験なんだ。絶対に次も行くさ!

 

 

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