晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

太田昌国

2009-05-18 19:32:18 | Weblog
 お片付けの時間です!



 『図書新聞インタビュー 語りの記憶・書物の精神史』(米田綱路編著 2000年 社会評論社刊) その2 

 太田昌国(1943年釧路市生まれ)には、『<敵>はわが裡(うち)にあり 「日本ナショナリズム」を解体する』と題したインタビューを行なっている。

 太田氏の関心領域は第3世界、特にゲバラ、舞台は中南米といってもいいだろう。写真家の長倉洋海氏も釧路出身でアフガニスタンをはじめ第3世界の人々の暮らしをテーマにしている。釧路という土地の風土と第3世界への視座との間に関連はあるのだろうか。

 太田氏の近年の著作を追いかけるように、私は、『「ペルー人質事件」解読のための21章』(現代企画室1997年刊)、『日本ナショナリズム解体新書』(現代企画室2000年刊)、『「拉致」異論』(太田出版2003年刊)、『「国家と戦争」異説』(現代企画室2004年刊)、『暴力批判論』(太田出版2007年刊)と読んできた。

 太田氏を解く場合、なぜ氏が第3世界に関心を持つのか、ということを理解しなくてはいけない。

 氏は「戦後左翼および進歩派が抱えてきた問題と、現在の右翼的な表現が持っているナショナリズムの質というものは、そんなに変わらないところにあって、われわれに影響を与えてきたのではないか。」この国の左翼には、「現在の右翼ナショナリズムの跋扈と通底する、同じ理論装置や歴史観が孕まれていた。」という。

 従来、この国で先駆的な問題提起や批判をしたのは、在日朝鮮人の研究者であることからも、国内の左右両翼ともに感度の悪いことが露呈する。ペルー大使公邸人質事件での対応からも、この国の国際感覚の鈍感さが明らかになった。

 氏は、「闘うべき相手は決して彼岸にばかりあるはずはない。自らの問題として捉える姿勢が大切」と説く。換言すれば、一時流行した「わが内なる・・」である。全くもって全共闘!的である。

 余談だが、サラリーマンの社会で、「敵は内部にあり」というのはかなりの真実であろう。取引先企業や顧客との関係よりも、社内の人事、財務部門の方の抵抗が大きいのはしばしばよくあることである。


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2 コメント

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濃霧 (ブラック・ソルジャー)
2009-05-19 19:49:26
戦中派のアナキー系は、今更読む気がしません。

第3世界をキーワードにしていますので、きっとゲバラかベトナム戦争を契機として主体にのめり込んで立位置が、定まったのでしょう。

「全共闘!的」と書かれていますので、戦中派アナキー系としてシンパシーを持っていることが覗えます。

貴兄の展開がピントをずらして書かれているところを見ますと、アナキー系の言説を読みきれていないのでは思います。



「余談」以後の内容は、冗談としか思えません。
貴兄の立位置は、濃霧に被われていることを外化しているとでも・・・
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同郷のよしみで (晴走雨読)
2009-05-23 21:26:45
 黒ヘルさま、コメントありがとうございます。

 太田氏は、同郷の釧路が生んだ数少ない著名人であります。長倉洋海、関根惠子、及川恒平、伊吹五郎、カルーセル真紀・・・

 風土が思想を形成するでしょうか。稲作の北限を超えている釧路では、お百姓さんが1年をかけてコメを育て収穫するような地道な努力を身近で見る機会はありません。

 一網いくら(漁業)、一山当てれば(炭鉱)の世界ですので、一か八かが自然に身に付いてしまいます。

 この国の辺境から世界の辺境である南米へのシンパシーも不思議ではありません。

 私にも、太田氏にも共通の心情があるように感じます。特に、「暴力」の行使の留保については。


 
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