晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

『東京番外地』

2007-05-31 20:43:22 | Weblog
 『東京番外地』(森達也著 新潮社 2006年刊)

 網走番外地ではありません。著者が、首都東京の15スポットを訪ねそこで感じたことを書いています。地番が無いわけではありません。でも、何となく因縁のありそうな場所ばかりです。



 札幌と比較しながら読みました。札幌って、何て健全で、同質で、画一的な街だということがわかりました。



 東京拘置所を訪ねました。有名人が過去も今も収容されています。蛇足ですが、死刑囚は刑務所にではなく、拘置所にずっといるのだそうです。札幌にも拘置所はありますが、歴史の重みが違っています。

 歌舞伎町ですが、これだけはススキノのレベルは負けていません。男の性欲と従軍慰安婦の問題が語られています。

 イスラム教信者の集落などは、札幌にはありません。身元不明相談所もおそらく札幌にはないでしょう。もちろん、皇居はありません。

 地裁は、東京にも札幌にもあります。人が人を裁くとはどういうことなのでしょうか。公園もどちらにもあります。ホームレス、路上生活者の問題は深刻です。

 東京タワーに対抗できるのは、テレビ塔ですが、蝋人形の館などはありません。

 東京都慰霊堂には、関東大震災と東京大空襲の犠牲者が安置されています。札幌でいえば、西本願寺別院になるのでしょうか。

 後楽園ホールのような常設の格闘技場はありません。多摩霊園には多くの著名人が眠っています。



 札幌にしかない番外地があるでしょうか。ほとんど思いあたりません。それは、私の日常の生活領域の狭さのせいなのでしょう。


 


 
 
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『少子社会日本』

2007-05-29 20:39:13 | Weblog
 『少子社会日本ーもうひとつの格差のゆくえ』(山田昌弘著 岩波新書 2007年刊)
 著者は、これまで「パラサイトシングル」や「希望格差社会」など、社会事象の特徴を的確な言葉で表現してきた社会学者である。



 本書では、少子化の原因として、一つは経済的要因であり、①結婚や子育てに期待する生活水準が上昇して高止まりしていること。つまり、結婚することにより今の生活水準を下げたくない、自分の親から受けた子育ての水準より自分の子どもに良くしてあげたいという期待である。
 しかし、その反面、②若者が稼ぐことのできる収入水準が低下している現状がある。
 
 もう一つは、男女交際に関する要因であり、③結婚しなくても男女交際を深めることが可能になったという意識の変化、そして、④個人の魅力格差が拡大していることが指摘されている。



 この中でも、③の恋愛観の変化について興味深いことが書かれています。
 1950年生まれ以前の人(1970年代以前に黒春を送った人)は、恋愛に憧れ、恋愛をしたら結婚するのが当然と言う時代に育った。

 それに対して、1960年生まれ以後の人(1980年代以降に青春時代を送った人)になると、恋愛をしたら結婚をしなければならないなどと言ったら笑われる時代に育ったとのことだ。




 1970年代までは、男女交際が極めて貧弱で、異性と出会う機会少なかったため、個人の魅力格差が隠蔽されていたので、そのことが「好きになる」確率を高めていた。(社内恋愛→結婚はその典型)
 
 しかし、1980年代以降、男女交際の機会が増えると、魅力格差が顕在化してしまい、逆に結婚から遠ざかってしまう人が増える現実がある。これも少子化の原因である。



 私は、1954年生まれ、丁度、中間の世代である。当時を思い出すと、生活水準への期待などほとんど無く、職も金も「失うものなど、何にもない」ところから始めるという嬉しさを感じたものですが。
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ランニング・オン・サッポロ

2007-05-27 16:22:42 | Weblog
 この時期はリラ冷えの札幌、昨日から雨が降り続き、天気予報では快方に向かうと伝えられていたが、起床時まで雨が上がらず。

 大通公園は、ライラックの花が満開、マラソン屋さんの他にも多くの人で賑わっていた。



 先週、洞爺湖マラソンが開催されたためか、参加者が例年より少ない感じ。10時のスタート時の気温は、12℃前後の感じで少々寒い。そのため、ランニングシャツでなく、Tシャツを選択。靴紐は、ワッカ方式で足首をしっかりサポート。

 3km位までは、少し込み合ったのと、体が目覚めずゆっくりペース、山の手の折り返し少し前の5km通過は、思ったより少し速い。登り坂を我慢して走ったのでタイムが落ちていない。

 残り3kmの平坦部は、昨年はへばってしまったが、リズム良く走れ、ペースも一定で、無事ゴール。あっという間の10km、昨年よりはタイムも良く、練習不足にしてはまずまずか。



 私たちの趣味のために、交通止めまでしてもらって、付近を通過する方たちに迷惑をかけてしまいました。(本当のことを言うと、市街レースのこの優越感がたまらないのです。すいません。)
 
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『吉本隆明に関する12章』

2007-05-26 16:27:25 | Weblog
 このところ、週末の天気が今ひとつです。低温と雨。「雨読」生活です。



 『吉本隆明に関する12章」(齋藤慎爾責任編集 洋泉社新書y 2007年刊)

 吉本隆明と恋愛、漫画、住居、論敵、テレビ、音楽、写真、ファッション、猫、家族、編集者、映画の12章が、12人の執筆者に分担されています。

 吉本は、戦後思想界の巨人との評価もありますが、なぜか岩波書店からの著作がありません。岩波アカデミズムの基準からは逸脱しているのでしょう。

 この本は、吉本が格闘した国家、共同幻想、宗教、詩論などの領域とは全く無縁で、ワイドショー的な私生活についての覗き見的な興味に応えてくれます。
 
 しかし、吉本の著作の固定的な読者はどれほどいるのでしょうか。多分、全国で数千人というオーダーでしょう。

 吉本という名に、全く反応の無い方にとっては、面白くも無い、そこらあたりのおっちゃん、否、おじいちゃんの小市民的な生活が描かれています。



 明日の天気は、くもり、気温は低そうです。ライラック祭り協賛、ランニング・オン・サッポロ 10時スタート、10km 気分が高まります。





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結びの一番

2007-05-23 20:25:08 | Weblog
 「結びの一番」と言えば、「美しい国日本」の国技は大相撲。国際化が進んで力士は外国人だらけ。最高位の横綱の品格が疑われたり、次の横綱候補の大関も八百長疑惑と私は排外主義者ではありませんが、外国人には文化としての相撲は理解できないと思います。

 国民投票法ができましたが、憲法改定の是非より、この国の国技は何がふさわしいかを投票してはいかがでしょうか。



 そんなことよりも、「結びの一番」でなく、本日は、「一番の結び方」の話です。

 この写真は、冬道を走ったスノーランニングシューズですが、足首の近くの最後の靴紐を通す穴、変な場所にあってずっと使っていませんでした。

 最近、知人から教えてもらった方法を紹介します。

 まず、上から2つ目の穴に通っている紐を同じ側の一番上の穴に上から通し、ワッカを作ります。次に、左の紐は右のワッカに、右の紐は左のワッカに通し、そしてギューと締めて完成なのです。

 一昨日、本日とこの方法で走ったのですが、足首の安定感が非常にいいです。しっかり固定された感じと、途中で緩むようなことがないです。従来の場合、結んだ後、もう一度結んでいたので、結び目がダンゴ状態でした。

 今まで、マラソン仲間でこのような結び方をしている人を見たことがありませんでした。


 

 
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今日まで、そして明日から

2007-05-21 20:41:31 | Weblog
 夜の営業の無い日は、ダッシュで帰宅、日が長くなったので、薄暮の中をランニング。昨日は、全然走れなかったのに、本日は夕食前で空腹にもかかわらず、軽快そのもの。体というものは日替わりで調子が変わり中々わからないものです。



 走っている時は、何を考えているのでしょうか。当然、道順、時間、コンディションなどですが、疲れてくると簡単な時間計算ができなくなります。

 残り何kmで、今1km当り何分何秒位なので、ゴールは、何時間何分位かな、という計算が中々できないのです。酸欠で、脳細胞がかなりダメージを追うのでしょうか。



 今日は、全然違うことを考えていました。ふと、「生まれてから今の家は何軒目なのだろうか」と思いつき記憶を手繰りました。

 釧路では、崖の上の生まれた家、幼少期を過ごした道営住宅、高校を卒業するまで育った海岸の家、これで3軒。

 学生時代が、浪人していた頃の下宿、半年だけいた風呂屋の裏の下宿、ずっと過ごした間借の家、ここも3軒。

 社会人になってから住んだ公営住宅、結構長く暮らした借家、そして今住んでいる家、今のところ3軒、合計9軒でした。



 次に、「今まで乗った車は何台だったかな」です。

 これは、比較的簡単で、先輩からもらったブルーバード、その後、スプリンターを2台、これは仲の良くなった同じセールスマンからの購入、そして、今回、親の乗っていた車をもらって、合計4台。

 運転免許を取って、30年近くになり毎日使っているのに、自分でも驚くほど少なかったと思いました。



 退屈な練習も結構色々なことを断片的に思い浮かべながら考えています。

 日曜日は、「ランニング・オン・サッポロ」を走ります。大通り公園西7丁目,
後楽園ホテル前をスタート、西に向かって北海道神宮前を通って、西区山の手で折り返し、大通り西11丁目までの10kmです。距離が短いのは、結構きついです。

 ちなみに、過去3年連続で、宗男ちゃんが走っていました。結構早いです。ゴール後に「道東の期待の星」としっかり握手をしてきました。

 

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情況ノート第6回

2007-05-20 15:47:46 | Weblog
 気温が低く風が強いが、朝から天気も良く、ランニングに飛び出したが、2日連続の飲み会が原因なのか、体が重く、喘ぎ喘ぎ走る。

 夕方、もう一度走りなおすことに。



 1949年10月の中国成立後、1956年に中国で形成された、共産党一党指導、農業集団化、国営企業など自力更生型の政治経済体制は、パックス・アメリカーナ体制に連動したものであり、1978年に始まる「改革・開放」路線、そして1993年に打ち出された「社会主義市場経済」論もまた、パックス・アメリカーナ体制の変容過程と連動しながら、世界政治経済体制に再編入する動きである。

 中国における諸制度の形成を国内要因のみで説明する方法は、不十分である。



 中国成立の直前、1949年5月、アメリカ政府は、中国共産党に、中国が共産主義化せずに工業化に向かうならば、新中国政府に経済援助の用意があることを表明した。

 1950年2月、中ソ友好同盟相互援助条約を結ぶが、中国もまた、この時期、アメリカや西側諸国と対立する方針をとるのではなく、全ての国と友好平等な関係を目指す方針であった。

 この方針が、1950年6月、朝鮮戦争の開始により崩れた。



 1956年前後の国際環境の変化、冷戦体制の最終形成、朝鮮戦争の終結、台湾海峡への米軍進駐、西側の対中封じ込め政策、中ソ同盟結成と反目など、アメリカ主導型の戦後政治経済体制が、中国1956年体制を成立させた。



 「56年体制」を変容・崩壊に導いた国際政治的・経済的環境要因としては、
 ①冷戦期の中ソ離反と軍事対決(1953年スターリン批判、1960年中ソ離反、1969年珍宝島軍事衝突)
 ②世界経済におけるアメリカの経済「編成力」の低下(1964年トンキン湾事件、ベトナム戦争、1971年ニクソン訪中)
 ③周辺先進工業国(西欧、日本)経済力の躍進
 ④過剰軍備によるソ連・東欧経済の疲弊と破綻
 ⑤石油危機、IMF=ドル体制の崩壊、先進国経済の低成長



 1976年毛沢東死去、1978年12月、中国共産党11期3中全会で、「改革・開放」路線に転換。そして、社会主義市場経済体制に基づく「93年体制」に。

 「パックス・アメリカーナと『56年体制』との接点」苑志佳より



 一国のみの論理だけではなく、世界的な動き、歴史的な脈絡の中で情況を読み取ることの重要性を改めて認識する。
 
 なお、1951年に中国共産党に倣い採用された、山村工作隊や中核自衛隊などの日共軍事方針が、朝鮮戦争の後方支援部隊として連動したものであるとの捉え方があるが、これらについても検証してみたい。
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情況ノート第5回

2007-05-17 21:10:30 | Weblog
 昨日、一昨日と夜の営業。今日こそランと思ったら雨。



 中国では、「改革・開放期」(1980年代~90年代)に形成された「開発体制」が、「計画経済期」(1950年代~70年代)において大きく転換された。

 中国経済の転換の歴史的前提は、外部からのインパクトとしては、パックス・アメリカーナ影響下のアジアNIESにおける輸出主導型成長方式の成功と冷戦構造の崩壊に伴う旧ソ連型工業化モデルの破綻、内部からの要因としては「計画経済」の行き詰まりであった。

○「計画経済期」(1950年代~70年代)の矛盾
 1950年代前期、工業部門の国有化と農業の集団化(人民公社)を基本に、農民低収入・低食料価格→労働者低賃金→重工業高蓄積という工業化の成長方式を採用した。その結果、低食料価格と農民の都市への移動厳禁は、農村における不満を蓄積した。

 1950年代後半には、農民の不満を緩和するため、都市重工業+「小・土・群」(小企業・在来技術・人海戦術)の特徴を持つ農村工業、「2本足」発展戦略を採用した。しかし、農民移動の制限により、農・工間の対立は解決できなかった。

○「改革・開放期」(1980年代~90年代)の転換、その発展戦略の変容
 第1期(1977~1984年)「計画経済(重工業=生産財)を主とし、市場経済(軽工業=一般消費財)を従とする」という改革路線の下で、繊維、衣料、食品などで価格規制の緩和や投資制限の廃止を含む市場化が進んだ。

 第2期(1984~1992年)「計画経済と市場経済との結合」を基調とする改革路線の展開に伴い、耐久消費財生産部門(テレビ、冷蔵庫など)の創出と量産化、対外開放か進んだ。

 第3期(1993~2000年)「社会主義市場経済の確立」を目指す改革路線の下、市場化と対外開放は全面的に展開した。情報産業、自動車産業の拡張。


 中国の「開発体制」が直面する課題は、WTO加盟に伴う中国域内におけるグローバル競争の激化、「元高」(人民元の価値上昇)に伴う競争条件の変化など。

 また、「社会主義市場経済」の今後の展開について、その最も不透明な問題は、「共産党組織」のあり方です。政党としては、「前衛党」から「国民の党」へ転換を始めた。「土地の公有制」は堅持するものの、「社会保障」の整備と経済格差の是正を重視している。残る課題は、「政治的民主化」である。

 「中国における『開発体制』の転換」―成長方式と労使関係―李捷生による



 現在の中国の指導部の大半は、理工系出身です。社会主義としての理念と市場経済のバランスをとることは、極めて難しい舵取りと思います。会社や組織の運営には文科系的な情よりも、合理性が必要なのではないしょうか。
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詩と観念論

2007-05-14 20:12:01 | Weblog
 生住滅氏へ。「詩とことば」へのコメントありがとうございます。

 若かりし頃は、皆そうでしょうが、センチメンタルな気持ちになることもあり、詩もどきを書いたこともあります。

 もどきといったのは、詩のルールも言葉の意味も何もわからず、今から思えば、感情の発露だけを文字にしていたためです。

 その後、自分なりの修行と称して、感情を殺す訓練を行い、ある日、唯物論者と自己を規定した時から、詩は「観念論の産物(糞壷)」として斬り棄てました。

 すなわち、映画などを見て涙するなんてみっともない、血も涙も無い人間を目指そうと思ったのです。

 しかし、年を重ねるうちに人の情とかを少しだけ理解できるようになり、小説などこれも少しだけ読めるようになりました。

 従って、テレビドラマに感情移入できるようになったのは、比較的最近のことです。

 今は、映画などのシーンで少しのことでも泣きそうになります。すると、自分の中から修行が足りないとの声が聞こえてきます。



 国民投票法案の成立し、「新たな戦前」責任が後世に問われるべき日に。



 大きな声の出せない総理は、来る参議院選挙は憲法改定の是非を争点とするといい続けている。その自信の根拠は、鳩ポッポ幹事長の民主党が改憲政党だからである。

 憲法改定に反対する国民の声の行き所が、社民か日共しかなく、国民から見ると、弱小政党への投票は死票となってしまうと見えるからである。

 与党から争点を仕掛けられた場合、真っ向から反論するのが野党として当たり前の態度であるが、民主党の「格差是正」を争点にという戦略は、ただの争点ずらしであり、今から結果は推して知るべしである。

 もう少し、深読みすると、民主党なんてものは既に実態が無く、憲法改定の大連立をにらんで翼賛状態にあり、連立内閣のポストを得るべく、利敵行為に走っている者もいるのではと疑わざるを得ない。

 


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情況ノート第4回

2007-05-13 16:08:15 | Weblog
 昨日の万生公園横白石サイクリングロードの桜です。

 本日は、雨、晴走雨読の「雨読」の一日になりそうです。



 情報化する社会―1970年代以後の現代の資本主義社会―において、<消費>(労働力の再生産過程)についてどのように読み解いたらよいのか。

 以下で、4つの特徴とそれを表す例を示す。

 1.過剰商品化―従来は、非商品経済的な人間関係であったものが、現代資本主義においては、加速度的に商品化しつつある。

 例えば、代理出産は、人間の素材的再生産の商品化、臓器売買は、身体的部品の商品化、また、数式の解法の特許化や知的所有権の強化など

 2.過剰富裕―1人当たりGDPが5,000ドルを超える、世帯の過半が乗用車を所有する、エンゲル係数が30%を切るあたりが富裕社会の判断のポイント。

 アメリカは1920年代末に、イギリス、ドイツ、フランスは1960年代半ばに、イタリア、日本は1970年代に大衆消費社会に達した。

 例えば、使い捨て、浪費の常態化、頻繁なモデルチェンジ、死蔵品の累積、グルメ・過食・栄養過多とジョギング・ダイエット・摂食障害、マクロレベルでは、資源・環境問題、地球温暖化の出現など

 3.過剰効率化―資本は生産の効率を追求するが、それに対して人間は適応、不適応を繰り返していくが、それが限界に達している。

 例えば、精神的な疲労の増加、人災による産業事故の多発と大規模化、テクノストレス、突然死の発生など。

 4.過剰個別化―ブラックボックスであったはずの<消費>過程のありようも、ビジネス主体から見透かされるまでに到った。

 例えば、家族という共同体を単位として働きかけることから、個々のメンバーを単位とするマーケッティングへの転換、家電が個電に、ケータイなどや、システムとしては、顧客識別マーケッティングの導入など。



 商品経済化があらゆる所に入り込んできているという実感があります。また、「過剰」という言葉も時代を表すキーワードだと思います。

「情報化社会における<消費>の『歴史的・道徳的要素』」半田正樹による。
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『詩とことば』

2007-05-12 19:51:20 | Weblog
 昨日、一昨日は夜も営業で走れず。本日、久々に週末ラン。

 白石サイクリングロードの万生公園付近の桜は、満開を少し過ぎた感じ。木々の枝に新緑が芽生え始めて、桜の花が少し脇役に。今日のように、曇り空の日は、ここの桜の花が白っぽいので空の色と同化して今ひとつ主張が弱かったです。



 『詩とことば』(荒川洋治著 岩波書店 2004年刊)「ことばのために」シリーズ第1巻。

 詩が読まれない。私も近年はほとんど読まない。1950年代後半から1970年代にかけての政治の季節と詩が読まれた時代が重なっている。

 詩の技法について、書かれている。行替え、ことばのリズム、論理の飛躍などから、作者の意図を感じる読み方がある。

 詩の読み方のところは、「現代国語」の授業のようだ。高校の現国の時間のことは、ほとんど覚えていない。試験のことばかり気にして授業を受けていたのだろう。なんて無駄な時間を過ごしたことか。英語の時間もそうだ。全く身に付いていない。

 それに比べ、自分で、興味を持ち始めてから読んだものは、それなりに自分の血になり、肉になっているように思える。



 今の自分の文章の読み方は、速読型で、ひとつひとつのことばの味わいを感じながらというより、文意だけをいかに早く捉えるかとなっている。

 詩など、対象によって、それぞれの読み方があるということを改めて感じた。
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「スーパー カムイ」

2007-05-10 20:30:57 | Weblog
 JR北海道は、公募していた10月から運転する札幌・旭川間新型特急の愛称を「スーパーカムイ」に決定した。私も応募していましたが、残念。



 『鉄道ひとつばなし』(原武史著 講談社現代新書 2003年刊)でも、列車名の話題にも触れられている。

 日本が朝鮮半島を植民地にしていた、1932年に、釜山と奉天(現・瀋陽)を結ぶ急行「ひかり」が、その翌年には同じ区間を昼夜逆行で結ぶ「のぞみ」が誕生した。現在の東海道・山陽新幹線の愛称名のルーツは、ここにあった。

 以前に紹介した『鉄道ひとつばなし2』が楽しかったので、それより前に刊行された本書を引き続き読んだ。

 鉄道に関する話題を縦横無尽に取り上げていて、読んでいると列車の旅をしたくなった。



 今、乗りたいなと思っている路線は、特に理由もないが、「中央本線」です。日本列島のど真ん中は、どんな景色なのでしょうか。東京から塩尻経由で名古屋まで、山、川、谷、鉄橋、トンネルの連続なのでしょうか。

 

 

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情況ノート第3回

2007-05-08 19:38:40 | Weblog
 日本農業が崖っぷちに立たされている。ここでは、2つの課題について述べる。

 農業生産の担い手については、従来の家族経営が限界に達している。例えば、酪農経営の規模拡大は、「家族労働の過酷な完全燃焼によって実現している」という現実にかろうじて支えられている。労働力、資本力ともに限界である。

 これに対して、法人経営、集落営農、コントラクターなどの新しい担い手の概念が登場しているが、従来の家族経営との関係性が課題である。

 大手乳業メーカーの食中毒事件、牛肉原産国・原産地の偽装事件、人畜共通感染症であるBSE、鳥インフルエンザの発生など、食の安全・安心が脅かされている。

 トレーサビリティ・システムの導入、生産者と消費者の「顔の見える関係」など、信頼性を担保する新たな関係性の構築が課題である。

 また、自治体の合併により、今まで独自の農政を実施してきた市町村の現場で混乱が生じている。

 (農業、農政問題はずっといつまでも同じことを議論し続けている。一握りの農業者に対して、それを種にして、行政(国、道、市町村)、農協、メーカー(農業機械、農薬、肥料、種子)、研究者、流通、食品加工業・・、に従事する人たちが生計を営んでいる。)

 「模索する日本の農政と農業」矢坂雅充による



 営業終了後、今季初めてのランニング。
 学習塾の教師をしていた時、生徒にいつも言っていました。
 「努力すれば必ず報われる」と。

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情況ノート第2回

2007-05-06 20:03:09 | Weblog
 近年、人間の国境を越える移動が著しく増大している。

 20世紀初頭は、ヨーロッパから工業労働力として北アメリカへ、アジア(中国、インドなど)から熱帯の原料生産地への移民が盛んであった。

 第2次世界大戦後は、<南>の発展途上国から、<北>の高度資本主義国への移民が増大している。
 1950年代、ヨーロッパは、周辺地域や旧植民地国からの外国人労働者の受入国へ転換した。アメリカは、1960年代後半以降移民の受け入れが増大している。日本も、1980年代後半以降、アジアや南米からの受け入れが急増している。

 高度経済成長期の受け入れ理由は、労働力の不足であったが、低成長期になってからは、労働条件の劣悪な職種(3K職場)、途上国の農村過剰労働力の流出、移民による移民の連鎖的移民などにより、移民が継続して増大している。

 移民の過程モデルがある。
第1段階は、若い労働力の一時的な移民で本国への送金が行なわれる。
第2段階は、滞在が延長され、同一出身地域の者同士の社会的ネットワークが形成される。
第3段階は、長期滞在となり、家族が呼び寄せられ、エスニックコミュニティが出現する。
第4段階は、定住が進む。しかし、エスニックな特性は維持される。

地域における移民の存在は、流入地域と流出地域の双方を包含した新たな社会空間(国民的枠組みを超えた社会空間)を形成する。

 近年、<南>の国家の支配層には、富裕な地域に移住した人間やその子孫を取り込むことを戦略として選択する傾向もある。

 また、<北>の人々にとっては、移民のグローバリゼーションによって、<南>の「厄介な事」が、今後ますますもたらされるという意識が生じている。(私たちの中にある内なる排外主義が時々現出します。)

 「移民・社会空間・グローバリゼーション」竹野内真樹より



 拓銀本店ビルの解体が進んでいます。ここで働いていた頃に、妻と出会った思いで多い建物ですので、何か感傷的になってしまいます。


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「豊平川ラン&ウオーク」

2007-05-05 16:27:35 | Weblog
 今日は、絶好のマラソン日和、気温20℃、湿度が低く、微風。「アコムプレゼンツ 日刊スポーツ豊平川ラン&ウオーク」のハーフマラソンを走りました。

 真駒内屋外競技場発着、水穂大橋折り返し、前半は豊平川の河川敷を下流に向かって下る。今日は、わずかに向かい風、帰りは、逆に上流へ向かって登り、追い風。例年の風は逆で、帰りに強い向かい風となり、難儀する。

 向かい風は、汗が乾くので水分不足に気付くのが遅れがち、逆に追い風になると顔に汗が噴出す。



 今日のマラソンで気付いたこと。少し前までは、参加者のランニングの胸に必ず所属している企業名が付いていたものだが、近頃は少なくなったように思える。最近の傾向でしょうか、会社への帰属意識が薄くなっていることの現れだろうか。

 ところで、本日の結果は散々でしたが、どうも最近は、自分で加齢のせいにしているが、走りこみ不足、前のようにこつこつと努力していない、練習をさぼっていることが原因なのでしょう。マラソンは、騙しのきかない正直なスポーツだから。

 これをきっかけに体の再構築(リストラクション)をしよう。

 後遺症がひとつ、何とおっぱいの先に張った絆創膏が、走っている内に取れてしまい、ランニングと擦れて血が滲んでしまった。風呂のお湯や石鹸が沁みて痛い痛い。



 帰路、南郷通の万生公園付近の桜の開花状況を見る。未だ、2分咲き程度で、桜のトンネルは来週末位になるのではないでしょうか。ここは、お花見のお薦めポイントです。
 


 

 

 
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