晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

『風景 2010』 その2

2010-04-24 17:55:27 | Weblog
 ランニングがてら今週オープンした三井アウトレットパーク札幌北広島(MOP)まで行ってきました。買い物をしてもしょうがないので館内には入りませんでしたが周辺は凄い人出でした。今まで誰が歩くのかわからないような羊が丘通りの歩道を人々が列をなして歩いていました。

 景気の回復が思わしくない情況では、この盛況だけ見て喜べません。なぜなら、それは所詮一つのパイの奪い合いだから。ウィングベイ小樽も以前は賑わったこともありました。札幌駅周辺には、そごうデパートや五番館もありましたね。アウトレットという業態は長続きするものなのでしょうか。

 ゴルフ場やホテルにも使われていますが、札幌北広島というネーミングには違和を感じました。どうして札幌が前に付くのでしょうか。
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『風景 2010』 その1

2010-04-18 17:26:50 | Weblog
 白石サイクリングロードは、ランニングの練習コースにしていますが、愛称が「陽だまりロード」になり、北広島と上野幌間のエルフィンロードと繋がっています。
 
 このロードには、たくさんのトンネルがありますが、上野幌トンネルの壁面に上野幌小学校の児童が「ゆめ」というテーマで描いたタイルアートがあります。1枚1枚の絵から、ひとりひとりの子どもの想いが伝わってきます。

 今年の4月は例年に比べて寒く、桜の蕾は膨らんできていますが、開花は遅れそうな気配です。毎年、私の花見ポイントは、このロード沿いにある万生公園(南郷通り13丁目付近)でして、道の両側に桜が満開になると桜のトンネルのようになります。
 
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『介護保険は老いを守るか』

2010-04-12 20:40:33 | Weblog
 4月から気分一新、お弁当包みを新しくしました。強く?なりたいので「ウルトラマン」!



 『介護保険は老いを守るか』(沖藤典子著 岩波新書 2010年刊)

 必要があって読んだが、これは悪書の典型だ。著者の中で、重要なことと些細なことの区別ができていない。

 著者は、現在の介護保険制度について、国や自治体が財源論を盾に政策的に利用を抑制したり、認定が厳しくされたりしているなどと、告発型の主張を並べている。

 しかし一方で著者は、国の社会保障審議会のメンバーとして、介護保険制度改革(改悪)の議論に参加しているのだ。自分の主張が通らないからといって、岩波から本を出すのもいいけれど、先ずは審議会委員を辞すべきであろう。

 私は、介護保険制度で最も重要なことは、女性が家庭内介護労働から解放され、介護が社会化されたことだと思う。

 10年程前までなら、女性が結婚するということは、相手の男性家庭に嫁に行き、将来その親の介護をして看取ることも含まれていたであろう。

 介護保険制度を論ずるなら、この国に現存する封建的な家父長制度と女性解放運動の関係を掘り下げてほしかった。前提となる問題意識が違っていれば無理なことだが。

 著者による制度の枝葉末節の議論は、赤旗にでもまかせておけば良い。



 
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『人物で語る化学入門』

2010-04-10 20:09:49 | Weblog
 友人のお世話で今年もデコポンが届きました。凸があっても、凸が無くても、甘くジューシーな味は変わりませんが、比較的に古い木に凸の無いのが成るらしいです。



 『人物で語る化学入門』(竹内敬人著 岩波新書 2010年刊)

 久しぶりに理系の本を読んだ。それも1970年代に専門として学んだこともあった化学の本を。現在の会社では、化学とは全く縁の無い部門で仕事をしているし、また、自分の関心領域も化学からはかなり遠い所に来てしまっているのだが、10代後半から20代に触れたことは、化学に限らずその後年齢を重ねてもその人の思考方法を基底する原点になっていると考える。

 本書は、人間が関心を持った化学の領域ごとに古代から現代までを歴史的に記述しており、化学史の入門書としては教科書とは違ったアプローチがされていて、しかも読みやすい良書である。高校生くらいに薦めたい。

 さて、化学は何を求めてきたのか。いや、人間は何を求めてきたのか。本書を読むと以下のように良くわかる。

 先ず、人間は「物質は何からできているのだろうか」という根本的な問いを持った。それは、例えば、ものが燃えるとはどういうことか、と問うことでもある。様々な試行錯誤の末、元素、原子、分子などの概念が整理され、実証が進む中で新元素が次々と発見された。

 電気も化学の進歩に貢献した。ものの構造、反応、合成、いずれも原子を構成している電子が関係する。物質中の電子の性質、動きを理解することが化学といえる。

 次に、人間は、「役に立つ物質」を作りたいと思うようになった。そのためには、普通では起こらない反応を起こるようにするにはどうしたら良いかを考えた。反応条件を変える技術や触媒の発見もあった。役に立つ物質の成果のひとつが、高分子物質、すなわち私たちの生活の中に溢れているプラスチックである。

 分析機器の発達に伴って、ものの目に見える性質は、ものを構成する分子の原子レベルの構造によって決まることもわかった。

 
 振り返ると、化学という学問は、中間領域の学問と感じる。物質の組成を突き詰めていくと量子力学になり、物理学の領域になる。もちろん、化学の成果は、技術になり、工学として産業の分野につながる。

 最初に「その人の思考方法を基底する」と書いたが、自分を振り返ってみるとそれはどういうことなのだろうか。

 私は、社会を捉える場合、そのベースに技術への信頼と期待をもっている。地球温暖化説など科学的根拠のはっきりしない環境問題には与しない。非科学的なマイナスイオンなどという宣伝文句にも騙されない。貧困など格差問題や経済の問題は、税制や手当などの分配論には限界があると考えている。技術開発による新産業の創出が世の中を大きく変えるであろう。一言でいえば、「進歩」を肯定している。

 政治、経済は文系の学問分野であるが、近年の政治家は理系出身者が進出している。この国では、鳩山、菅が理系。中国も理系が中枢部を占めている。
 
 理系的な発想から社会に連想が飛ぶことがある。本書で、共有結合と水素結合が説明されていた。水は、水素原子と酸素原子の共有結合からなる物質であるが、1個の分子としての性質を示さず、分子同士が緩い水素結合をしていて巨大分子のような性質を示す。

 社会を構成する単位として、従来からの家族、会社、民族、国家など結びつきの強い共有結合による考えた場合、そこに水素結合のような結びつきを発想できないであろうか。新たな共産制社会、アソシエーションの発想である。

 自らは変化することは無いが、他者の反応を促進させる触媒という物質がある。ファシリテーター、コーディネータである。竜馬は、明治維新の触媒であったのか。

 
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『反障害原論』 ノオトその8

2010-04-04 17:41:06 | Weblog
 暦はすでに4月になっているのだが、今年の春は何だか寒々している。でも、今日は、少し暖かくなったので、今年初めての屋外走を少々。

 同じ気持ちのランナーもいたようで、サイクリングロードでたくさんの人とすれ違う。皆さん、シーズン初めで身体が中々動かないようで苦しそうに走っている。

 そんな、私も気持ちは春めいていても、身体が重くて苦しくて、ちょっとヘロヘロ状態に!



Ⅴ 反障害運動の方向性
第一六章 「障害者運動」の概観
 1970年代以前、家族、教育関係者、研究者による、「愛される障害者」像に基づく、慈悲と恩恵にすがる運動
 全国障害者問題研究会(全障研)による「発達保障論」(発達の弁証法に基づき、標準的人間像に近づけることが周りの者の役割)(*善意に発する差別!)
 1970年代、日本脳性マヒ者協会青い芝の会のラジカルな活動
 1976年、全国障害者解放運動連絡会議(全障連)結成、反差別、代行主義の否定(親が抑圧者になる、自分たちのことは自分たちで決める。)、発達保障論批判(障害個性論の主張)
 1980年台以降、障害別への分断、社会参加路線―機会均等派、生活保障運動(障害基礎年金)へ

第一七章 「障害者」をとりまく状況
 障害者が労働力として組み込めるかどうかで、分断される構図

第一八章 反障害運動の方向性―新しい流れを生み出すために
一節 障害に対するとらえ返しからアンチとして定立しようとする反障害運動
 著者は、「努力して障害を克服しよう」という形の差別の存在があることを捉え返そうと提起し、それが欠落したところでは、慈悲や恩恵のもとで生きざるを得ない、という。

二節 運動の中の反障害の思想と文化
(イ)「できるーできない」という言説に対する「どうでもいいじゃん」―能力主義としての「できること」の反対語―
 障害者に住みやすい社会はみんなが住みやすい社会
(ロ)「はやく、ゆっくり」
(ハ)ユニバーサル・デザインの思想

三節 反差別への広がりと深化
(イ) ユニバーサリーゼーションとしての半障害―反差別運動
(ロ)資本主義的―新自由主義的、<帝国>としてのグローバリゼーションと対決するユニーバーサリーゼーション
 スーザン・ジョージは、オルター・グローバリゼーション(もうひとつの)という概念を持ちだした。 



 以上、2ヶ月間近くかかりノオトと取りながら読み終えたのであるが、私なりの総括に至らない感想は以下のとおりである。

 著者は、障害者が「標準的人間労働」という物象化された資本主義社会における労働のあり方に規定されるため、差別、排除される、と主張します。また、障害者ゆえに社会をとらえることができることがあることから、「反転」した社会の可能性を示唆します。

 人間は、ユートピアとして平等社会の実現を模索してきました。ただし、その平等の内実が問われてもきました。

 毛沢東のコミューン論もそのひとつです。60年代初頭に実践された労働点数相互評価制(自報公議)と言う分配方式です。それは、先ず労働者は、自分の労働を評価し申告します。それを集団討議し決定するものです。例えば、幼い子どもを抱えた夫のいない体の弱い女性は、壮健な男性に比べても3分の1も働きがないという場合でも、その女性が必死に働いているのだから壮健な男性よりも点数が高くて良いとされる場合があります。

 この分配方式は、社会主義的な「労働に応じた分配」を超えるもので、共産主義的な「必要に応じた分配」に近いものと言えます。ただ、そこには、主観主義的な落とし穴や評価に手間暇がかかるという難点があります。(参考:加々美光行「中国における社会主義革命の展開と変容」情況2010.1.2 p.194)

 以上のように述べたからといって、中国社会が障害者にとって差別や排除の無い社会であったなどと捉えるものではありません。現実には、社会的効率の追求や競争、淘汰が資本主義社会以上に過酷であったと思われます。反対に、20世紀型社会主義社会において、差別の問題が解決できなかったことに、この体制の根本的な欠陥、崩壊の原因のひとつが内在していると考えます。

 また、この国における今日までの障害者運動も上記の社会主義社会を目指した革新勢力を中心として運動であるため、同様の欠陥を有していると考えます。

 「差別」「排除」克服の問題は、今後も考えていきたいが、少なくても「こころ」や「宗教」次元の問題ではなく、「体制」による解決を追求すべきだと考えます。
コメント (2)
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