晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

アジアの片隅で

2008-02-23 10:41:20 | Weblog
 このコンサJ2優勝記念グッズの時計は中国製です。



 2007年のこの国の貿易総額(輸出入合計)に占める対米貿易の比率は、16.1%。(2006年の17.5%から低下)
中国との貿易は、17.7%となり、戦後初めて逆転した。中国に、香港、シンガポール、台湾を加えると27.8%。(中華圏)

 子どもの頃社会の時間で習った、貿易はアメリカとの間が大半という、頭の中にあった常識は全く通用しない時代になっている。

 2006年、日本人出国者のうち、米国へは367万人、中国へが377万人とこれも戦後初めて中国への渡航者が米国への渡航者を上回った。さらに、2007年には、米国からの訪日者は82万人、中国からは94万人とこれも戦後初めて中国からが上回った。中華圏からは、300万人を超している。

 街を歩いても、西洋人の顔をした人より、同じような顔なのにわからない言葉を話す人が増えているのが実感できる。

 この他、語学教室の情況など知りたいと思うが、学校教育は、相変わらず「英語」である。「今、ここ」が大事なのに、将来のためにということで、使うか、役に立つかもわからないことに貴重な時間を費やす子どもたち。

 ギョーザ事件が象徴するように、排外主義的な報道が気になるこの頃であるが、アジアの人たちとの交流は、経済ベースでは抜き差しならない関係になっていることがデータからもわかる。

 寺島実郎「脳力のレッスン 2008年の日本経済を考える視座」(sekai 2008.3を参考にした)

 「アジアの片隅で、このままずっと生きてゆくのだと思うのだが・・♪」(吉田拓郎から)



 今週は、夜の会議、営業が続いた。明日の日曜日も営業。

 天気は大荒れの予報、今日は脳ミソとなまった体を鍛えるぞ。
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ハーヴェイ『新自由主義』批判 情況論ノート第21回

2008-02-18 20:10:12 | Weblog
 情況論ノート第21回

 ハーヴェイによれば、’70年代末から’80年代にかけての新自由主義・市場原理主義の攻勢は、現代資本主義のケインズ主義的財政政策や社会民主主義的福祉政策に対する資本の側からの一大攻勢であったが、ハーヴェイは同じ時期に発生しつつあった大変動を見逃している。

 それは、アメリカで始まった新情報革命・新産業革命であり、アメリカ資本主義が2つのタイプへ分極化したことである。ハーヴェイは、デトロイト(自動車)、ピッツバーグ(鉄鋼)の伝統的な旧資本主義と、シリコンバレーのベンチャー企業、グローバルな無国籍資本主義への分化を見逃している。

 そして、アメリカ新資本主義は、中国世界への波及と中国新資本主義の起動を媒介した。小平の功績は、アメリカのシリコンバレー革命を受容したことである。そして、中国自身が、その新資本主義を発展させ、世界の製造業の集積基地となった。

 このダイナミズムは、一方で中国新資本主義を軸とする世界経済の発展と再編を必然にするとともに、旧資本主義の不況的停滞を必然にし、西ヨーロッパ、日本の旧資本主義とともに、世界経済に対する停滞圧力を強めた。

 「先進」資本主義国の産業的停滞は、投資の停滞を引き起こし、投資資金の過剰を引き起こした。それが、貨幣資本の過剰の根本原因である。

 貨幣資本の過剰は、バブル、株価の急上昇を起こし、21世紀に入るとともに、「先進資本主義国」は、投機的資本主義へと雪崩的に進化することとなった。それとともに、突然の経済崩壊の危機も増大している。(サブプライム問題)

 「ハーヴェイの「新自由主義」批判が見逃しているもの」岩田弘(80歳を超えた老マルクス経済学者)を参考にした。



 東アジア選手権で、サッカー日本代表が重慶の会場で激しいブーイングを浴びていました。中国の人たちの大半は、対戦した北朝鮮を応援していました。60数年前にこの国が重慶市民に行なったことを憶えているのでためからでしょうか。それとも、現在のこの国のアジアでの孤立を示しているのでしょうか。

 攘夷論を振りかざしても何も生まれないことは、明治維新から学んだはずです。

 
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新自由主義という反革命 情況論第20回

2008-02-16 19:46:20 | Weblog
 情況論ノート第20回

 『情況』誌が「新自由主義」を特集のテーマとしたことについて、ブラック・ソルジャー氏から「なんで今頃『情況』が、終焉を迎えた「新自由主義」の特集なんでしょうか。左翼、左翼の周辺、左翼にシンパシーの人間の、感性の鈍さを検証する特集?」とのコメントが寄せられました。

 『情況』誌の編集後記には、今後5年間月刊誌として再スタートすること、2008年のテーマは、世界情勢の分析、’68年革命とは何であったのか、と書かれています。

 ‘68が革命であったかどうかは全く疑問ですが、ハーヴェイの『新自由主義』での分析と重なる点があります。それは、’68は、「自由」と「公正」を掲げての運動であったが、新自由主義はそれを分断して、そのうち「自由」の要求を新自由主義への合意調達に吸い取ったとの表現があります。

 米国のネオコンや日本の新自由主義のイデオローグに、新左翼崩れがいることは事実です。



 さて、安定した戦後福祉国家体制を整えてきたこの国が、なぜ新自由主義的な改革をしなければいけなかったのか。

 この国は、ある意味で「公平」な社会の構築に成功していた。自民党政権は、公共事業投資の形で、国内の隅々の地域や農業など中小地場産業がそれなりに成立するような利益誘導型政治を行なってきた。また、企業内においても、協調型組合と資本側は、企業成長のパイを労資間でシェアしていた。

 階級間の対立が顕在化せず、一億総中流社会とも言われた。これらのことは、この国で新自由主義的な改革の本格的な取り組みが遅れた原因でもある。

 しかし、経済のグローバル化に伴い、アジア・中国の国際経済への参入により競争が激化した。その中で、グローバル企業が海外での激烈な競争に打ち勝つには、国内の非効率産業を淘汰するなど産業構造を再編するとともに、外国企業の参入を自由化することが不可避となった。

 新自由主義的な改革の取り組みは、中曽根政権以来、ジグザグはあったが小泉政権で本格実施された。

 この改革は、資本の側からの新たな階級的な挑戦、反革命と捉える事ができる。リストラ、労働者派遣法による非正規雇用の拡大、労働者階級に対する収奪の強化である。

 左翼が「展望」を持てないでぼやぼやしている内に、ケンカを売られたのである。

 「新自由主義」に対抗するオルタナティブの可能性は、次回に。



 雪の少ない冬と思っていましたが、一冬には一定の降雪量があるのですね。雪かきの連続で本日はランニング中止。

 中国ギョーザ事件続報、中国側は工場内で農薬の混入があったとする日本側の見解を真っ向から否定しています。私の謀略説も含めて、真実は中々明らかにならないような気がします。今後、日中の行司役として、第3者が入ってくるでしょう。
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福田「ちょっと一休み」政権 情況論ノート第19回

2008-02-12 20:02:28 | Weblog
 福田政権は、一体何をしたいのだろうか。今のところ低姿勢で乱暴なことはしそうにない反面、明確な主張も見られない。

 これを考えるキーワードは、「新自由主義」である。

 デヴィッド・ハーヴェイ著『新自由主義』(作品社 2007年刊)を読んでいる。『情況』誌2008,1,2月号は、「新自由主義」を特集していて、ハーヴェイの『新自由主義』についての賛否を含む書評論文を掲載している。

 少し、歴史を振り返ってみる。

 さて、2001年に登場した小泉政権は、「自民党をぶっ壊す」といって登場した。彼が壊そうとしたのは、言葉のとおり従来の自民党の政権基盤である利益誘導型政治であり、叩けば叩くほど自党の政権にとって不利になるという矛盾の上に成り立っていた。

 小泉政権は、構造改革を掲げ、「自由化」、「規制緩和」の名の下、戦後の日本型福祉国家体制を破壊した。その思想基盤は、「新自由主義」である。

 小泉政権の壊わしたもの一覧:地方においては、「三位一体改革」による地方財政の破綻、地方農業の衰退、中小企業に対する保護と規制の撤廃による地場産業の倒産。働くものにとっては、企業倒産、失業、リストラ、年功序列賃金体系の解体、非正規雇用化による労働者の権利、家族の崩壊、福祉の切り捨て・・

 その結果、2006年ころから、「格差社会」や「ワーキングプア」なる言葉も登場した。

 2006年に小泉政権を引き継いだ、安倍政権は、その使命として、新自由主義で崩壊しつつあった社会の危機を、国家、伝統、家族、地域の再建を掲げた新保守主義で統合しようとした。

 しかし、いくら教育基本法を改定し、愛国心や郷土愛を強制しようが、壊したものが簡単に復元できるはずは無かった。また、安倍政権は、憲法改定まで公言するような超タカ派政権であったため、その新保守主義も国民からは警戒された。

そこに、機を見るに敏な小沢は、従来の民主党の掲げていた新自由主義路線を覆し、反新自由主義的政策を掲げ、2007年参議選で大勝した。

 2007年、投げ出した安部政権を引き継いだ福田政権は、このような情況の下で、新自由主義的政策にブレーキをかけている。少なくとも、次期総選挙まではであるが。

 
 続く疑問として、なぜ、新自由主義政策を実行する必要があるのか。新自由主義の取り組みが、先進国の中で日本がなぜ遅れたのか。は、回を改める。



 中国ギョーザ報道が続いているが、あれだけ垂れ流された「北朝鮮」報道はどうしたのだろうか。6カ国協議以降、すっかり蚊帳の外のこの国は、都合の悪いことには触れたくなくなったのだろうか。



 目標が無いとだらだらランニングになってしまうので、4月20日の伊達ハーフに挑戦しようかと思う。

 立春も過ぎ、日中の日差しも強くなり、日暮れの時間も遅くなってきた。寒さも今まで程ではなくなるだろう。

 休日より、休日の前の日、春よりも、春に近づいていく頃が一番いいのではないだろうか。大人になるより、大人少し前が・・

 



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福祉哲学 その3

2008-02-07 20:29:25 | Weblog
 先日、私より少し先輩の女性と、最近は落ち着ける喫茶店が少なくなりましたねなどと話しをしました。札幌駅周辺では、今のアスティ45の辺りに喫茶店が並んでいたり、東急デパートから少し南へ向かった通りの左側に、名前が思い出せないが、蔦の葉が茂った奥行きの長い喫茶店が近年までがんばっていました。

 紀伊国屋書店2階のイノダコーヒーは、静寂で窓に向かって席が一列に並んでいて、本を読むには良い場所です。大丸デパートの中のイノダは、オバちゃんが多く、声が響く構造なので最近は敬遠気味です。



 「たてなおしの福祉哲学―哲学的知恵を実践的提言にー」(徳永哲也著 晃洋書房 2007年刊)第3回

 著者は、福祉的「善意」に懐疑の姿勢を示します。「その善意に思い上がりはないか。」「善意の福祉を受け取る側の人は感謝を表明するのだろうか。その感謝に卑屈さはないか」と。

 福祉的ニーズにも懐疑の姿勢を示します。『「困っている」状況や「助けるべき」境遇は、確実にわかるのでしょうか。誰がどうやって認定するのでしょうか。「福祉的ニーズ」は本人から表明されるのでしょうか。誰かが発掘するものなのでしょうか。』と。



 以下は、私が、これらから考えたこと。
福祉に従事する方で、「善意」の行使に際して、以下のことを自覚しているのか疑問を持つことがある。

 現在の資本主義社会においては、人間の持つ多様な能力のうち労働力としての価値が最重要であり、十全な労働力か否かが常に問われている。そのような社会構造の中での、「善意」の行使は、人間をスクリーニングする側面を持ち、それにより労働力商品としての価値が決められ、それが差別、排除へと繋がっていく構造である。

 それが、最も現れているのは、学校現場ではないだろうか。普通学級、特別支援学級(旧特殊学級)の区分けの本質は、本人のためか、社会からの要請なのであろうか。

 ここに、資本主義社会のオルタナティブを構想するヒントがある。言葉では、「共生社会」とか、「疎外の止揚」とかということになるのだろうが、資本主義社会の持つ価値観を転換した社会。



 中国ギョーザ事件、私の謀略説が危うい。
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『大日本道楽紀行―この国の歩き方 』

2008-02-04 20:17:42 | Weblog
 『大日本道楽紀行―この国の歩き方 』(松山猛著 小学館 1998年刊)

 旅の本が読みたく、図書館から借りて読んだ。

 著者の松山猛氏は、若い頃「帰ってきたヨッパライ」の作詞、「イムジン河」の訳詞をした方だそうだ。いかつい風貌は、テレビで観た事があるかも知れない。

 この本では、松山氏がこの国の四季に合わせて、国内北から南まで24ヶ所を巡り、行く先々で、名所、旧跡、温泉、食べ物、旅館、お酒などの定番の感想を綴っている。それも、その土地で一流の人物と交流しながら。

 この本、毎晩、寝床で読んでいたが、2ヶ所位を読むと睡魔に襲われてしまう。それだけ、退屈でオーソドックス過ぎる内容なのだ。その原因は、この本が10年ほど前の作品で、私達の今の旅の感覚が、微妙に違ってきているからではないか。

 飛行機に乗ってコンサートや美術展、観劇、サッカーや野球などスポーツ観戦に行くことは、10年位前では、かなり少なかったように思う。

 旅の感覚は、これからもっともっと変わっていくように感じる。



 私は、1月30日に以下のように書いた。

 「中国のギョーザに農薬、大量加工している製品なのに、なぜ10人だけが中毒になったのか。製造段階での事故では無い可能性があるのではないか。中国製品にダメージ。」

 その後、調査は進み、事故では無く「事件」説が強まっているようだ。中国国内で製造後、梱包までの間、日本に輸入後、梱包を解いてから店頭で売られているまでの間の疑いが残っているようだ。しかし、このメタミドホスという農薬は日本では使用が禁止され、入手も困難、しかるに、中国国内説が有力である。

 高村薫「レディ・ジョーカー」は、グリコ・森永事件を素材にしているようであったが、今回の「事件」からそれを思い出した。

 私は、輸出攻勢をかけて来る中国に対して、イメージダウンを狙った「謀略」説を考えた。その理由は、

 ①メタミドホスは、国内に全く存在しない農薬ではない。分析機関では、試薬として容易に入手可能であるはずである。ある意図を持った権力が使用することは可能ではないか。それを否定するためには、国内の全流通量、使用実態などの管理状況を調査して公表すべき。

 ②事件が報道された2日前にJT株が大量に売られていたとするインサイダー取引疑惑の報道。(北海道新聞)どこから、そのような情報が事前に出たのであろうか。ある意図を持った権力の近くにいる人物達だけに情報が流れていた疑惑がある。株の売り逃げをした者のりストを調査すると一連の動きのストーリーが見えてくるのではないか。

 この事件後の、周りの人びとの行動を見ると、中国産のあらゆる製品へのダメージ効果は計り知れないものがある。ちなみに、私は、昨日コープで中国製の40個入り冷凍「上海餃子」を購入した。

 

 
 

 
 

 

 

   



 

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『結婚しようよ』

2008-02-02 20:08:09 | Weblog
 『結婚しようよ』(佐々部清監督 2008年松竹作品)札幌シネマフロンティアにて。

 佐々部監督は、夏に観た「夕凪の街 桜の国 」を撮っていますが、「結婚しようよ」は、それより前、2006年の秋に完成されていて、公開が待たれていました。今の時期の公開は、吉田拓郎の体調不良と何らかの関係があるのでしょうか。

 その拓郎がこの映画にメッセージを寄せています。「映画に出演しているわけでもないのに・・ドキドキして眠れない日が続いています。もちろん観に行く勇気も未だに出てきません。子供達の晴れ姿をどうか暖かいお気持ちで見守ってやってください。」

 1970年代に青春を送ったわれわれ世代(お父さん役の三宅祐司、お母さん役の真野響子)だけでなく、その子どもたち世代(次女役は、中の森バンドのボーカルAYAKO、これが上手い)もわかってくれると思います。

 映画の全編、拓郎の曲がバックに流れます。

 「風になりたい」の歌詞が一番響きました。帰りに早速、中の森バンドがこの曲をカバーしているCDを購入しました。


 通り過ぎる あなたが風なら 
    私も今すぐ 風になりたい


 ストーリーのテーマは、青春、夢、現実、家族、愛、友情、世代です。感動度は、星☆☆☆☆☆で、太鼓判を押します。超

 最後のシーンにで、2006つま恋での拓郎の姿が出てきます。もう一度、拓郎のコンサートに行きたいです。

 

 


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