晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

『昭和の読書』

2011-10-29 17:55:11 | Weblog

『昭和の読書』(荒川洋治著 幻戯書房 2011年刊)

 

 詩人の荒川洋治氏の詩は難しい。毎週火曜日の朝8時からTBSラジオで森本毅郎との対談番組があり聴くことがある。エッセイ集を買ってみた。

 

 書名から「昭和」をイメージした。私は昭和29年生まれなので、昭和60余年間の丁度中間に生まれたことになる。前半は、戦争に至る道、敗戦、その後の復興、後半は、経済の成長と特徴づけられよう。川西政明氏が『新・日本文壇史』全10巻を刊行中で、戦前部分の第1巻『漱石の死』から第6巻『文士の戦争、日本とアジア』までが既に刊行されている。平成も既に23年となった。昭和に比するなら、平成においては何があったか。戦後(震災)復興の真っ最中ということか。

 

最近のラジオで、荒川氏は中学校の頃、学校図書館にあったこの国の作家26人の作品を全部読破して、作家ごとに26冊の読書ノオトを作り、その内容は、小説のあらすじと感想、そして何かポイントをメモしたとそうだ。早熟だと思う。氏は稀代の読書家である。本書から氏が名作とか全集を本当によく読んでいることがわかる。言葉遣いも繊細で語彙も多い。

 

しかし、役に立つか、立たないかの視点からは、本をたくさん読んだからといって生活や仕事の上では何の役にも立たないと思う。実生活上で読まなければならない文章は、論旨を読み取る能力さえあれば充分に読みこなせる。「読み書き算盤」と会話能力が身についていれば良いと思う。公教育はこれをしっかりやるだけでいいと思う。

 

本当に必要なのは、相手の表情やしぐさなどから内心を読み取る能力や、動物的な危機察知能力、加えて手先の器用さや体力だと思う。

 

現在のテレビ、ラジオ、新聞などのマスコミは、言論統制、言葉狩り情況に置かれている。ネット社会も匿名性の中で同様のバッシングが簡単に起こる。いわゆる炎上である。3.11以降、ますすその度合いが酷くなっていると感じる。このような中で、読書のメリットは、かろうじて書物の世界のおいては表現の幅が何とか保たれていることから、読書によって拡がりを持って物事を考えることができることにある。

 

学校教育で普及し始めている毎朝10分ほどの朝読書活動は、本などは1日に10分も読めば充分であり、それ以上読んであまり本質的に物事を考える人間は必要が無いという意図にも見える。考える人間よりも、直ぐ動く人間の方が世のため人のためになるから。

 

幻戯書房は、先ごろ亡くなった作家の辺見じゅん氏が主宰している出版社だが、荒川氏との接点は何なのであろうか。

 

 

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『資本論<入門>』 その3

2011-10-23 13:14:06 | Weblog

 

*世界経済の現局面

 1971.8.15ニクソンショック(金・ドル交換停止)から40年が経つ20118月、ドル基軸通貨体制がいよいよ危機に直面している。この夏米国は、現行法による連邦債務残高の法廷上限14.3兆ドルが5.16に上限に達し、8.2を過ぎても引き上げが認められないと、あと1日で連邦政府機関が閉鎖され、退職年金、社会保険、医療保険、失業保険、税還付などの支払いが停止する「連邦政府のデフォルト」の危機だった。かろうじて債務上限を2.1兆ドル引き上げるとともに、その条件として今後10年間で2.6兆ドルの財政赤字を削減するとの暫定合意で危機を逃れたが、米国国債の格下げ、世界同時株安、円高(本日の1ドル=75円は戦後最高!)の情況を招いている。

 米国の衰退は、アフガニスタン、イラクからの撤退、ヨーロッパによるリビア介入、中東・イスラエルでの軍事的政治的支配力の低下において顕著である。

 

 今後の見通しとしては、基軸通貨ドルの凋落が続くであろうが、第1次世界大戦後にそれまでの基軸通貨ポンドに替わってドルが台頭したように、今後、ユーロ、円、元が基軸通貨になることは難しいであろう。

 その場合、世界経済は、基軸通貨無き時代へ突入することになるであろう。それは、EUに代表されるように地域的経済統合が進み、地域基軸通貨の時代に向かうことなのか、グローバル経済はどうなるのか、多国籍企業の経済活動はどうなるのか。20世紀初頭、レーニンが「帝国主義論」で分析したように、世界経済が再びブロック化し、世界市場を巡り帝国主義国家間による世界戦争の時代になるのであろうか。

 

 

第4節 商品の物神性とその秘密

労働生産物が商品形態を帯びるやいなや、人間と人間との関係が、物と物との関係となって見えてくる。(商品の物神的性格)

 

私たちは、誰がどのようにして作ったのかがわからない物を商店から買って食べている社会に生きている。

これに対する異議申し立てが、「フェアトレード」運動、地産地消運動、産地直送運動などである。

 

 資本主義は、歴史的構築物であって自然物ではないのであるが、マルクス以外の経済学は、スーパーマーケットで商品の価格を見て、それが全てであると認識し、本質論をしないで需要と供給、価格運動の検討に留まる。

 

マルクスは、商品の物神性が消滅した世界、資本主義社会に対するオルタナティブを示唆している。それは、「自由な人々の共同体」として組織される社会的関係、「人々が彼らの労働や労働生産物に対してもつ社会関係が、生産においても分配においても透明で単純な社会であるという。

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絆(きずな)

2011-10-22 10:09:12 | Weblog

 毎年12月に京都清水寺の住職が大きな字で、今年の漢字を発表します。(これは、財団法人日本漢字能力検定協会が11月から公募によって決めているのだそうです。)

 

 今年の漢字は、「絆」でしょう。3.11以降、この国は「絆」一色の情況におけれています。

 

 あなたとわたしの絆、家族の絆、夫婦の絆、親子の絆、きょうだいの絆、仲間の絆、友だち同士の絆、クラスメイトの絆、隣近所の絆、地域の絆

 

 社員同士の絆、職場の絆、会社の絆、組織の絆、同志の絆、ファンとの絆、読者との絆、視聴者との絆

 

 隣人との絆、社会の絆、日本人としての絆、隣国とに絆、国と国との絆、国際社会の絆

 

 被災地との絆

 

 動物との絆、自然との絆、飼い犬との絆、部下と上司の絆、生徒と教師の絆、健常者と障害者との絆、アメリカとの絆、北朝鮮との絆、他国との絆、為政者との絆、政治家との絆

 

 そこで本当は何が起こっているのか。

 

 僕は、ひとりを噛みしめることから始めたい。

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『どのような教育が「よい」教育か』

2011-10-18 20:56:15 | Weblog

『どのような教育が「よい」教育か』(苫野一徳著 講談社選書メチエ 2011年刊)

 

本書は、1980年生まれの若い著者による意欲作である。私は、教育をテーマとした本を最近多少読んでいるが、教育について誰でもがそれなりに何とでも語ることができる、それは原理原則がはっきりしないことではないか、というもどかしさを感じていた。著者は、そこに哲学を持ち込むことを試みている。それもヘーゲルである。そして、教育とは何か、それはどのようにあれば「よい」教育といいうるのかと問う。

 

著者は、ヘーゲルの論理に依拠する。人間は<自由>を求めている。その<自由>を実感できるためには、各自が互いに<自由>を認め合うことが必要である。その<自由の相互承認>を保障するためには、<法>と、これを設定する<権力>が必要である。また、各自の一定の「教養=力能」が無ければ<自由の相互承認>を実質化できない。そのために「教育」を整備する必要がある。

 

このことから著者は、(公)教育の本質を「各自の<自由>および社会における<自由の相互承認>の<教養=力能>を通した実質化」と定式化する。従って、「よい」教育とは、<自由>および<自由の相互承認>が実質化されていることである。ここで、ようやく根本的な基準原理が著者によって明らかにされた。

 

*さて、ここまでの立論には様々な疑問が浮かぶ。著者が、数多いる哲学者の中で、なぜヘーゲルの論理に依拠したのか、それが定かではない。ヘーゲルは、「自由とは必然性の認識であり、必然性とは絶対精神(神及び神のような存在)の下で諸々が動くことである。」という。(余談だが、この絶対精神の存在をぶっ壊したのがマルクスである。)

また、本書においては、ヘーゲルのいう絶対精神(神)には触れていない。これを論理に取り込むと、教育とは自由の実質化、すなわち絶対精神(神)の意志に従うこととなってしまい、カルト化してしまうからである。著者にとって、都合の良い方法論のみヘーゲルから切り出して使ったのではないか。

 

そもそも、「よい」教育とは何か、という問いそのものが妥当な問いなのであろうか。「よい」「悪い」とはどういうことか。ということまで射程に入れて論ずべきであると考える。

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『釧路文学運動史(昭和編)』

2011-10-14 20:11:48 | Weblog

 

16日は北海道ロードレース、ハーフマラソンに参加予定。ただ、天候が心配。大雨で豊平川が溢水したため、コースが大幅に変更された。

 

 

 

 

『釧路文学運動史(昭和編)』(鳥居省三著 釧路市 1969年刊)

 

 自分の生まれ育った土地の風土が、その人の感性や物事の考え方に与える影響について。

 

 9月の終わりに釧路へ行った。人通りの絶えて久しい北大通に豊文堂書店という古本屋がある。

 「釧路関係の本はどこにありますか?」

 「この辺りです。」

 

 本書は、釧路市が1960年から発刊している「釧路叢書」の第十巻目、当時市長だった山口哲夫が序を書いている。著者の鳥居氏は、釧路を代表する文化人、編纂事務局には富永巌、大道寺博、佐藤尚らの名前が見られる。

 

 昭和の初めから敗戦までの20年間の文学史だが、詩作の他それほど盛んなものは無い。「文学不毛の地」といってもいいだろう。思えば、米も採れず、作物の生育も悪い冷涼な気候、人々は文学などにかぶれる余裕など無く、ただひたすら今日のために稼ぐ。炭鉱、水産・・明日の命の保障はない暮らし。

 

 子どもの頃、「いいふりこき」という言葉を良く聞いた。カッコウを付けること、気取った言葉を使うこと、まして文学などこの地では。

 

 戦前に活動した著名人では更科源蔵くらいか、戦争末期の大政翼賛会の頃には、子ども心にわずかに知った名前が出てくる。作熊宏平(市助役)、栗林定四郎(釧路栗林運輸会社社長)、船戸秀一(釧路郵便局長)、阿部力蔵(漁業)、菅原覚也(本行寺住職)、山本武雄(市職員、のちに市長)など。

 

 秀逸なのは、著者がまとめた巻末の年表である。昭和21927)年315日台風のため漁船に被害、同じく424日雌阿寒鳴動を開始、915日釧網線釧路標茶開通とある。昭和31928)年26日八千代座でトーキー上映、228日秩父宮来釧、昭和51930)年7月丸三鶴屋デパート開業、昭和71932年)81日市制実施10周年記念式典、9,522戸、51,586人・・昭和111936)年927,28日天皇行幸・・昭和201945)年714,15日空襲を受ける、罹災1,600戸、6,000名、死者177名、重軽傷者143名とある。

 

 

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『<資本論>入門』 その2

2011-10-12 20:52:14 | Weblog

 私は、財布というものを使ったことがありません。

 いつもズボンの左ポケットにお金を入れています。

 お金は様々な人が触るものですから汚いものです。

 

 

 

第3節        価値形態または交換価値

 

 この節でのマルクスの目標は、貨幣形態の起源(貨幣の謎)を説明することである。

 

・交換行為は常に二重の性格―相対的価値形態と等価形態―を持ち、その中で等価商品は「抽象的人間労働の具体化」として現れる。

・交換関係の複雑性が増大することによって、価値の「展開された形態」、さらに「一般的形態」へ発展する。究極的に「一般的等価物」、つまり排他的役割を演じるひとつの商品(貨幣商品)のうちに結晶化される。

1960年代末、主要な金産出国は南アフリカとソ連(ロシア)、1970年代初頭の金ドル交換停止=変動相場制移行は金産出国を弱体化させた。

 

*「資本論」の中で何度も持ち上がる問題であるが、それは、マルクスが歴史的な記述をしているのか、論理的な記述をしているのかである。貨幣がマルクスの論理的記述のとおり出現したわけではないことは、様々な歴史的資料から証明されてきている。だからといって、それをもってマルクスの論理が誤りだと言うことにもならないと考える。

 

*現在の通貨は、糸の切れた凧状態である。金本位制(銀本位制も同じ)の時代(この国では昭和の初めまで)は、通幣はいつでも価値物たる金と交換することができた。金本位制廃止後は、各国通貨(この国の場合は円)は、国際的な基軸通貨(ポンドの時代、その後のドルの時代と変遷)と交換可能であり、ドルが価値物である金と交換可能であった。

しかし、1971年、金とドルの交換が停止(ドルショック)されて以降は、米国の国力のみ信用の裏付けであり、ただの紙切れにすぎないドル紙幣と各国通貨が繫がっている「糸の切れた凧」状態状態が続いている。国際的な経済競争に勝つため、汗水たらして働いた結果が、この国が溜め込んでいるドルという紙くずなのである。

 ただ、この国や中国が米国と決定的な対立関係になり、溜め込んだドルを市場にぶちまけた時(自爆テロ)、ドルの信用は崩壊し、それは世界経済を根底から破壊する武器になるということでもある。

 

 

 

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『<資本論>入門』 その1

2011-10-10 14:53:50 | Weblog

家の横にある白樺の木が大きくなりすぎ、根が道路や家の下まで張ってきたので、掘り返して根を切る作業を始めましたが、中々手強い相手に難儀しています。

 

 

『<資本論>入門』(デヴィット・ハーヴェイ著 作品社 2011年刊)

 

(以下、*印は私のコメント部分)

*「資本論」については、2009.8.17から2009.10.3まで8回にわたってこのブログに、第1章「商品」の第3節「商品の物神的性格とその秘密」までを、『誰もが読める「資本論」 起て飢えたる者よ!』(咲木英和著 新生出版 2009年刊)を傍らに読む試みをノオトした。その後、身内に不幸などがあり中断していたが、デヴィット・ハーヴェイ(これもかつてここでとりあげた『新自由主義』の著者)が『<資本論>入門』を出版したことから、再度読み進めたいと思っている。

 

 マルクスの研究方法と叙述方法:(下向法)直接的な現実から出発し、この現実にとって根本的な諸概念にたどりつく。次に、(上向法)根本的な概念をたずさえて、表層に向けて戻っていくことができる。

 

*作家の江國香織氏の講演を聞いたことがある。文脈は忘れたがそこでは絵本の紹介をしていた。赤いギザギザが、次のページではニワトリのトサカ、次のページではそれを見ている少年、それが、少年とニワトリの絵、その絵を飾っている部屋、家、街角、地域、・・・ニワトリのトサカは何からできているか、細胞、分子、原子・・・Googleマップの縮尺のように。これは、上向、下向を原子物理学から宇宙物理学で私がイメージしたことと似ている。

 

第1章 商品

第1節        使用価値と価値

・マルクスは、資本主義的生産様式の運動法則を発見することが自分の目的であると宣言する。

・商品から分析を始め、使用価値と交換価値という二重の性格を明らかにする。

・「使用価値」は資本主義の特殊性を教えてくれない。商品の交換行為に人間労働の生産物という共通性がある。

・商品は、一定の労働生産性のもとで生産するのに必要な平均的労働時間として定義される「価値」を自己の内に合体している。

 

・三つの概念:使用価値(物質的な質と量、異質的)、交換価値(量的、同質的)、価値(非物質的で関係的、「社会的必要労働時間」)

 

 

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あなたは偶然の産物か、神の作品か?     

2011-10-09 16:42:49 | Weblog

 今日という日常の中で心にとまったことをメモします。

 

 郵便受けに近所の教会からリーフレットが入っていました。何気なく読んでみると進化論を否定することが縷々書かれています。私は宗教には全く疎いので最初は何を言わんとしているのかピンと来ませんでした。読み進めると、なるほど、人間は進化を繰り返す中でできたのではなく、神が創ったと言うことを言いたかったのです。ネットを見ると、この話題には様々な観点から論争になっていることがわかりました。学校の授業で進化論を習ったように記憶しています。

 

 土日の営業が続いたり、天候が悪かったり2週間ばかりランニングが出来ていませんでしたが、今日は最高の日和でしたので、朝から白石サイクリングロードに繰り出しました。気付いたのは、手を繋いでいるカップルが多い事です。老夫婦と思われる二人は、お互い足元が覚束なくなってきているからでしょうか、お互いをしっかりと支えあっています。仲の良さそうな中年の二人は、男性が少し恥ずかしそうに、女性の手の添え方がそれぞれに特徴があり、何とも微笑ましく思いました。

 

 走っている時は複雑な思考は出来ませんが、日頃の雑務を忘れ思考が浄化されるというか、無駄なデータが消去されるといったらよいか、心地よい疲労とともに、ふと断片的な欠片を拾うことがあります。今日拾ったのは、原子力村、議会村、司法村・・国民国家の黄昏はひとつひとつの村の解体とともにやってくるイメージです。

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『福島原発でいま起きている本当のこと』

2011-10-04 20:13:29 | Weblog

7.24地デジの日の二日前にギリギリであったがTVを入れ替えた。TVなど見られなくなってもいいかな位に思っていたのだが、BSがいい。特に、鉄道の旅番組が週2回位あって楽しみにしている。

 

10.1からBSのチャンネルが増えた。放送大学が見れることになった。早速、放送大学の事務所に行って説明を受けたが、300科目ほどあるという。興味は文系的なところにあるが、何せ理系出身で文系の基礎を学んだことがないので、真剣に受講を考えている。

 

 

 

『福島原発でいま起きている本当のこと』(淺川凌著 宝島社 2011年刊)

 

 本書が売れている。皆が知りたいのは、表題のとおり「いま起きている本当のこと」である。マスコミから垂れ流されている情報が、除染、帰宅などと楽観ムードであるが、誰もそれが「本当のこと」とは思っていないからである。

 

 著者は、福島第一原発で働いた経験のある元主任技術者であり、本書でリアルに現場のことを語っている。とりわけ本書の中で、これまで学会の異端児として反原発を貫いてきた研究者である小出裕章氏(3.11以降の彼の予測はほぼ当たっているほど優れた研究者であると思う。)の見解をも机上論と批判している点など嚆矢である。

 

 私は、「福島原発でいま起きている本当のこと」を知っているのは、東京電力、その下請け会社(関連会社という言い方に違和感を持つ。)において実際に現場で働いている労働者、技術者だと思う。おそらく緘口令が出されているであろうが、メディアは、使い捨てのような使われ方をしている下請けの労働者の声を取材し伝えるべきであると考える。

 

 おそらく「いま起きている本当のこと」は、我々の想像を超えるほど悲観的な情況なのではないか。根本的な解決策などは無く、とりあえず対処療法を実施しているだけなのであろう。この遠くなるほどの超長期戦の緒に付いたばかりなのではないか。

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