熱海の土砂災害が発生してまもなく1カ月。森林の伐採、土砂の採取や盛土は法的な規制が緩いため、業者に厳しい指導ができない。この分野に関わる業者、産廃業者にも共通するが少しワルなのが多い(僕の主観)。報道はここまで。だが構造的な問題が潜在していることは伝えられない。例えば、大手デベロッパーの事業から発生する土砂の処理を劣悪な契約条件でチョイワル業者に下請けさせるという問題だ。また、どのような工事でどこから発生した土砂だったのかも明らかにする必要がある。
『歴史なき時代に 私たちが失ったもの 取り戻すもの』(与那覇潤著 朝日新書 2021年刊) その1
著者が語る歴史の意義は極めてまっとうだ。曰く、「歴史叙述の意義は『世界の見え方』を変えることにある。」(引用P88)、「現在から過去への問いかけがあって、初めて歴史が始まる。」(P66)、「歴史の存在感を前に、人間が互いに謙虚になり、共感を作り出していく。」(P78)。全く異議なしだ。
しかし、現在の歴史学者たちの活動を一括りにしての批判には少し無理を感じる。曰く、歴史学の現状は、古文書の解読という実証的な研究が中心になっていて、これは歴史学という学問とはいえない。「他者との共通の基盤を養うという使命が忘却されている。」(P7)、「時間というものが線の形をしていなく『いま』だけしかない。」(P26)
著者は現実に生起している具体的な問題にも言及している。「人文学者たちは、安倍政権の自粛要請(2020.春)に世論の反発を恐れて反対できなかった。その代償行動が香港の民主活動家周庭逮捕や学術会議任命拒否問題への抗議だった。」(P47)。僕は歴史学者たちも世論と同様に自粛要請に積極的ではないにせよ命を守るという点で支持していたと思う。全然別の問題を代償行動という括りで繋げることもできない。あの時点で、自由の束縛だなどという理念だけで発言する学者はいないと考える。
さらに、コロナ問題では、「理系の専門家の感染予防策(活動規制)は、特高警察レベル(予防拘禁)。」(P54)、「コロナは数十年に一回起こる、慣れれば忘れ去られる感染症に過ぎない。」(P60)となってくるともう首をかしげざるをえない。これらの言説に大衆が賛意を示すとは思わない。
与那覇氏には体調を崩して大学を辞めなければならなかった事情があり、現在は物書きとして生きていかなければならない情況におかれているようだ。言説一本で生きていくためには、誰も発言していない見解、他者と差異化した言説を生み出さなくてはならないのだろう。上記の大衆の認識とのズレは、どこか無理をしているように思われる。しかし、ぶれずに発し続けてほしいと思う。僕らが全く気付いていないことにハッとさせられることもあるだろうから。
一方、巻末に所収された浜崎洋介、大澤聡、先崎彰容、開沼博氏らとの4本の対談はいずれも面白いものになっている。氏は文章を単独で表すことよりも対談において相手から言葉を引き出すのがとても上手い。相手と真正面から対峙するのではなく少し引き気味な構えが対談者にはとても話しやすいのではないか。そこに氏のやさしさが出ている。