晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

高橋源一郎 『丘の上のバカ ぼくらの民主主義なんだぜ2』

2017-01-27 17:03:51 | Weblog

 秋元札幌市長の対応が後手を踏んでいないか。日ハムのドーム使用問題では、最初は出たいなら出ていけ、次に経営上何とか使ってほしい、今は代替地を探している、と考えに一貫性が感じられない。小さな隣町に先手を打たれっぱなしだ。給食施設のアスベスト問題でも、他施設の調査、余力施設の活用による給食提供、給食費の返還まで随分と時間を要した。市長は市教委をコントロールできていないのではないか。12月の除雪対応もそうだ。市役所全体も久しぶりに身内出身の市長ということで、緩んでいるのではないか。僕が感じるのは、若作りは良いが年齢の割には顔つきが幼いことだ。修羅場をくぐり抜けてきたような隙の無さが見えない。

 追記:夕方のニュースで、スポーツ施設の入札問題で、2ヶ月前に市長は改善を指示したが、未だに全く変わってない旨のコメントがあった。東京都のように、首長が職員になめられ始めたのではないか。

 

『丘の上のバカ ぼくらの民主主義なんだぜ2』(高橋源一郎著 朝日新書 2016年刊)                

 本書は、読んでもらえる文章のポイントはどこにあるのかという問いに答える文章読本である。主語があり、書く人自身が文章の中に存在することが重要であると読み取れる。「私」、と「私たち」もしくは「主語なし」との違いである。「私たち」もしくは「主語なし」の文章は、いくら美しい言葉を並べても空々しさしか与えない。先日もここで述べた「学校だより」における校長の没個性文、地域に開かれた学校というねらいを持って町内会に対して回覧をしているのだろうが、そこに国語的には非の打ち所の無い文章であっても、校長自身が不在の文章であれば、紙と手間の無駄だと思う。

 本書で引用されているオバマ大統領のスピーチには、誰も否定することができないような美しく正しい言葉が散りばめられている。しかし、彼は決して「私」という主語を用いない。用いないことによって、自身の考えが表明されないようになっている。「私たち」という主語は使っているが、そこに「私」は不在であり、「私たち」では人類全体を代表としてというような一般論を語っているに過ぎない。

 一方、美智子皇后のことばは、皇族という政治的な発言を禁じられた制約の中で、あえて言葉で「私はこう思う」と表現しなくても、そこに「私」がいるような表現で、「私」の平和への強い想いが読み取ることができる。そこでは、「私たち」誰もが経験したような平凡な過去の思い出を話しながら、直接的な表現を避けながら訴えることができている。よく考え抜かれたスピーチだと思う。

 僕は、本書を以上のように読んだ。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

戦後左翼史 その37 1952年 中核自衛隊 山村工作隊 火炎瓶闘争

2017-01-21 15:13:47 | Weblog

米国大統領にトランプ氏が就任した。マスコミ報道は今後の政策に対して警戒感に溢れているが、最近のマスコミ予測は英国のEU離脱、米国大統領選挙と2つも大外れだったのだから、あまり期待できない。既得権を侵されたくない人たちは、変化を望まないだろうが、日米関係に何らかの変化が出てくる可能性など、興味深いことになるのではないか。

 

1952(昭和27)年 中核自衛隊 山村工作隊 火炎瓶闘争

(★印は日共関係)

*(れんだいこHPに学ぶ)主な日共による主な武装闘争事件(●印は以下本年表に掲載あり) 1951.12.2東京・柴又日共軍事スパイ事件 12.27練馬署警官惨殺事件 ●1952.1.21札幌白鳥警部射殺事件 ●2.21蒲田署警官襲撃事件 2.28荒川署警官襲撃事件 3.16鶴見川崎両税務署火炎瓶事件 ●3.29小河内村山村工作隊事件 4.6武蔵野署火炎瓶事件 4.20池上署矢口交番襲撃事件 東大内巡査暴行事件 ●5.1血のメーデー事件 ●5.8早大構内巡査吊し上げ事件 ●5.30新宿流血事件 板橋岩之坂交番襲撃事件 ●6.24大阪吹田警官襲撃事件 ●6.25新宿交番火炎瓶事件 6.28東芝府中工場火炎瓶事件 ●7.16名古屋大須警官襲撃事件 7.30山梨曙村山林地主襲撃事件  8.7埼玉県横川代議士宅襲撃事件

*(*は僕の考え)爆弾製造などの教科書は、秘密球根栽培法、さくら貝、栄養分析表、新しいビタミン療法、理化学辞典などの名称を付けられた。

★1.21 札幌で白鳥一雄警官射殺事件(白鳥事件)、共産党員村上国治を冤罪逮捕

*年表製作者の道場親信氏は冤罪としているが、疑問である。白鳥事件については、このブログで、2013.5.6にHBC開局60周年記念番組「インターが聴こえない~白鳥事件60年目の真実」(2011.3.27放送)、2013.5.19に『白鳥事件 偽りの冤罪』(渡部冨哉著 同時代社 2013年刊)、2014.12.25『私記 白鳥事件』(大石進著 日本評論社 2014年刊)について記した。

★1.23 共産党「中核自衛隊の組織と戦術」発表

*(れんだいこHP)毛沢東の「遊撃戦論」を下敷きにして戯画化したもの・・武装行動と抵抗自衛組織の思想は、労働組合・農民組合などあらゆる大衆団体の間に持ち込まれ宣伝された。

*日共は、革命戦術を直輸入し、この国の条件を無視して機械的に適用したが、この年の総選挙で議席がゼロになるなど大衆から見放された。結果的に、時機を逸した方針だったと考える。山村工作隊も、もし農地解放前の地主・小作制度の下であったなら、困窮する小作人の支持を獲得できたのではないか。この音痴ぶりは、後に連赤が繰り返すことになる。

2月 『毛沢東選集』(三一書房、全6巻、~53.6)

2.20 東大の学生劇団ポポロ座の公演に公安警察が潜入、学生に摘発され警察手帳を取り上げられる(東大ポポロ座事件)

★2.21 全国21か所で「反植民地闘争デー」集会

2.22 総評。「マーケット・バスケット」方式による賃金綱領草案発表

3.1 総評主催、弾圧法粉砕総決起大会

★3.29 武装警官100名、東京・小河内の共産党山村工作隊員を逮捕

 .10 総評・日教組、破防法反対文化人団体協議会開催

4.12 労働法規改悪反対闘争委員会(労闘)、破壊活動防止法反対第1波スト

*4.18第二波、6.7日第三波。

4.26 炭労第4回大会、執行部不信任動議可決

★5.1 皇居前広場でメーデー集会、警官隊と激突、2名射殺(血のメーデー事件)

★5.1 『アカハタ』復刊、北京から「自由日本放送」開始

*(れんだいこHP)4.28サンフランシスコ対日講和条約の発効により、発行禁止命令の法的根拠が失われた。自由日本放送は、毛沢東の指示により周恩来が準備し、北京機関(徳球、野坂、伊藤、高倉テル、聴涛克巳、土橋一吉、西沢、岡田文吾ら)による日共の地下放送。だが、北京機関内には既に徳球・伊藤対野坂・西沢(国内には宮本)の対立が内在していた。

★5.9 早大に警官隊突入、学生・教職員100名負傷(早大事件)

5.17 日教組・児童文学者協会など「日本子どもを守る会」結成

★5.30 各地で「5.30事件」記念集会、警官隊と激突

*(れんだいこHP)新宿駅事件、早大、東大、お茶大らの軍事組織によるはじめて火炎瓶闘争。

6.18 日教組、教師の倫理綱領決定

6.23 米空軍、北朝鮮の水豊ダム爆撃

★6.24 朝鮮戦争2周年記念集会、吹田・枚方事

*(れんだいこHP)日共の指令下、学生、労働者、朝鮮人約1,000人による大阪北部吹田操車場を舞台にした反戦闘争。大阪枚方の軍事工場襲撃事件、姫路事件、東京新宿駅での硫酸ビン事件。

★6.26 全学連第5回大会、共産党主流派(*玉井仁(京大)委員長、斉藤文治(書記長))のヘゲモニー、国際派(*武井昭夫、安東仁兵衛、吉田嘉清、津島薫、山中明ら)排除

7月 『スターリン全集』刊行(大月書店、全12巻、~53.4)

★7月 全学連、各地で農村調査工作活動、住民登録・徴兵反対闘争

7.4 破壊活動防止法(破防法)制定

*武装闘争路線を打ち出した日共への対処策。最近も新党大地の鈴木貴子衆議の質問主意書に、依然として日共は監視対象との政府回答があった。公安側から見ると武装闘争を捨てていないと言うことだが、今週行われた第27回党大会の写真を見ると、会場内はお年寄りが大半で、そのどこに武闘パワーがあるのか理解に苦しむ。

7.7 名古屋・大須でデモ隊と警官隊衝突、高校生1名射殺(大須事件)

7.15 国際自由労連タウンゼント代表訪日

7.19 新産別、総評脱退決定

7.22 総評第3回大会、国際自由労連一括加盟案を否決

8.19 自由労働者80万、健康保険獲得期成同盟結成

9.11 日本炭鉱主婦協議会結成

9.24 電産、電源スト開始、以後16次にわたってスト、12.18中止

10.9 炭労、賃金交渉決裂、10.17無期限スト

10月 大西巨人「俗情との結託」『新日本文学』

★10.1 総選挙、共産党議席ゼロに

10.13 労働者教育協会設立

11.25 全国医大連合インターン対策協議会、インターン制度廃止要求を決議

12.10 炭労、保安要員引揚闘争、12.17妥結

12.25 海員・全繊・全映演・日放労、総評批判の共同声明(4単産批判)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

戦後左翼史 その36 1951年 武装闘争路線 サンフランシスコ講和条約締結 

2017-01-15 14:28:57 | Weblog

時々、町内会の回覧に近くの学校便りが挟まります。巻頭言は校長先生に決まっているようで、最近の学校行事、保護者の協力への感謝、児童・生徒への指導など、「私」不在の文章が載ります。校長が変わっても気づくことはありません。自分の子ども時代のエピソードなどに触れると読ませる文章になると思いますが、個性は押し殺すものだということを暗に教えてくれているのだと納得しています。

 

1951(昭和26)年 

(★印は日共関係)

★1.15 共産党系団体、全面講和愛国運動協議会(全愛協)結成

1.19 社会党第7回大会、平和3原則と再軍備反対を決議

*(れんだいこHPに学ぶ)左派が主導。平和4原則(中立堅持、全面講和実現、再軍備反対、基地提供反対)を採択。鈴木茂三郎委員長。

1.25 日教組、新国歌制定、「教え子を再び戦場に送るな」方針決定

*(*は僕の考え)ここで言う新国歌とは、日教組が「君が代」に対抗して作った『緑の山河』のことだと思う。このことは、元中学教師から聞いた。僕は、国旗・国歌を論じる場合、「日の丸」・「君が代」に反対するのか、それとも国旗・国歌を定めること自体に反対するのかは天と地ほどの違いがあると思う。僕は、仮に左翼が(右翼でも同じだが)政権を握り、「緑の山河」(別の曲でもいい)を国歌として定めた場合に、どちらもが権力を以ってその使用を強制することが想像できるからである。国旗・国歌は慣習的な使用で良いのであり、国家が定め強制する必要はないと考える。

2.21 世界平和評議会第1回総会

*(れんだいこHP)ベルリンで開催。米・英・仏・ソ連・中国による「平和協定」締結を要求。対日単独講和反対。

★2.23 共産党第4回全国協議会(*徳田書記長)、武装闘争を決議

*(れんだいこHP)「当面の基本的闘争方針」(「51年綱領」)、「分派主義者に関する決議」と「新規約草案」を決定。周恩来から武装闘争の準備について、ソ連、中国両党の指示が伝えられる。軍事方針がきまり、所感派による非合法会議、国際派はその直後に空中分解し宮本らは全国統一会議を結成。

*この武装闘争方針が、朝鮮戦争(1950.6.25~1953.7)における北朝鮮支援のための後方支援が目的!とわかったのは、比較的最近のことである。

3.2 日本鉄鋼産業労組連合会(鉄鋼労連)結成

3.12 総評第2回大会、平和4原則(再軍備反対・全面講和・中立・軍事基地反対)を採択、事務局長に高野実。

3.24 マッカーサー、原爆による中国本土攻撃を提起

3.28 総同盟解散大会

★3.29 共産党川上貫一議員、衆議院追放決議

*(参考)代表質問で全面講和と再軍備反対を主張した際、革命を賞賛して議会政治を否認する発言を行ったとされた。懲罰委員会から本会議での陳謝を命じられたが、陳謝文の朗読を拒否。衆議院本会議で除名処分に。

4月 林達夫「共産主義的人間」(『文芸春秋』)

4.1 鉄鋼第1次合理化計画

5.4 日本青年団協議会(日青協)設立

5.5 日本民主青年団設立

5.23 国鉄機関車労組(機労)結成、のち国鉄動力車労組(動労)と改称

6月 『社会主義』創刊

6.1 総同盟再建大会

7.10 朝鮮休戦会談開始

7.28 総評、宗教者平和運動協議会などとともに平和推進国民会議(平推)結成

★8.14 コミンフォルム機関紙、日本共産党4全協決議掲載・支持、非主流派総崩れ

*(れんだいこHP)宮本ら国際派が分派活動として非難される。宮本自己批判。宮本の自己批判書は二度書き直しを要求されているが未公表。志田重男が保管したままと推測されている。全学連内部も不破の反省と復党意見、武井・力石の反論、安東・土本の中間意見に分かれた。

9月 竹内好『現代中国論』(河出市民文庫)

9.1 平推、靖国神社で単独講和反対平和国民大会開催

9.1 国労右派、国労民主化同盟(新生民同)結成

9.7 総評内民同右派を中心に民主労働運動研究会(民労研)結成 9.24民同左派を中心に労働者同志会結成

9.4~8 サンフランシスコ講和会議、9.8講和条約、日米安全保障条約調印、10.26衆議院、講和・安保両条約を批准、11.18参議院も批准

★10.6 共産党第5回全国協議会、新綱領制定

*(れんだいこHP)党中央派(徳田系)は、秘密裡に五全協を開催、新綱領を採択、武装闘争方針を具体化。アメリカ占領軍に対する「解放軍規定」の残滓と決別。革命の目標を民族解放民主革命と規定し暴力革命を盛り込んだ。臨中議長に小松雄一郎、軍事委員長に志田重男。小松の抜擢は、椎野以下19名がGHQの第3次弾圧で公職追放されたため。 志田は伊藤律に替わる軍事責任者として台頭。

10.24 社会党第8回臨時大会、講和・安保両条約への対応をめぐり左右に分裂

11.1 日教組、第1回教育研究集会(*日光にて)

11.12 京大同学会、天皇の京大巡幸に対し公開質問状提起

★12月 上田耕一郎『戦後革命論争史』上下(大月書店)

*同書については、このブログ2009.11.5、12.30に記した。

12.1 中国人民軍、チベット・ラサを占領

12.8 中国共産党、三反運動提起

12.12 民主社会主義同盟結成

12.18 全三越従組、解雇反対で48時間スト(三越争議)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高橋源一郎 『読んじゃいなよ!』 『僕らの民主主義なんだぜ』

2017-01-09 15:08:41 | Weblog

 ようやく新幹線が繋がったというのにJR北海道がピンチです。否、繋がったからピンチになったのではないでしょうか。新聞には特集記事が掲載されていて原因分析はなされていますが、肝心の解決策が見当たりません。いっそのこと隣接するJR東日本に吸収合併してはどうでしょうか。沿線自治体にだけ負担を求めると言うのはそもそも無理があります。道知事の他人事のようなコメントは批判されてしかるべきです。

 

『読んじゃいなよ! 明治学院大学国際学部高橋源一郎ゼミで岩波新書をよむ』(高橋源一郎著 岩波新書 2016年刊)                

 高橋源一郎氏を吉本隆明氏が激賞していたのは知っていたが、僕が氏に注目するようになったのは比較的最近のことで、通勤時間の少しの間だけ聞いているNHKラヂオ毎朝8時過ぎからの「すっぴん!」でその金曜日のレギュラーとしての源一郎氏であり、一昨年夏の療養中に、安保法制に係る国会論議をほとんど一日中視聴していたが、同時に読んでいたのが、氏の『僕らの民主主義なんだぜ』であった。

 本書は、氏が教鞭をとる大学のゼミにおいて、岩波新書を読んで考えるという講義の記録である。僕は、こんな講義を受けることができた学生をうらやましいとと思う。題材にした著作の著者自らが教室に来て、その人から生でお話を聞けると経験は、中々ないことであり、学生にとっては生涯の記憶に残る出来事ではないかと思う。

 ただ、書物としては、少し性格付けがあいまいだ。講師の考えを厳密に勉強しようと思うなら厳密さからも著作を直接読む方が良いと思う。従って、本書は3人の講師の紹介、入門講座ということになるのだろうか。しからば実験的な講義の実践記録なのだろうか。臨場感を出したのであろう質疑の部分は、生のやり取りの感じが出ているが、質問間の脈絡がないので断片的な印象しか残らない。結局、学生よ!岩波新書を読んで勉強しよう!という趣旨の紹介誌としてなら納得がいく。表現が話し言葉なので読みやすさはあるが、あえて読まなくても良い書である。

 

 追記(2015.9に読んだ時の読後感)

 『ぼくらの民主主義なんだぜ』(高橋源一郎著 朝日新書 2015年刊)は、東日本大震災、福島原発事故直後の2011年4月から2015年3月までの4年間にわたり、朝日新聞に掲載された論壇時評をまとめたもの。僕は北海道新聞の論壇時評を読み続けきているが、時評とは政治不信や社会問題をことさら取り上げる月刊誌や週刊誌などを素材に書かれていることから、世の中は多くの課題や矛盾を抱え、時代も重苦しい閉塞感に覆われていることから、その論調についてもとても暗く展望を持てないものという印象がある。

 しかし、高橋源一郎氏の時評は、批評の対象範囲を従来の月刊誌や週刊誌だけではなく、単行本、業界紙やネットまで拡げて論じており、また学者や評論家、専門家といわれる人たちの言説だけではなく、若者やマイノリティと思われる人たちのことばにも丁寧に目を向けている。そこに僕は、世の中少し変わってきているぞ、まんざら捨てたもんじゃないぞ、という著者の何とか明るい希望を見出そうする意図を感じる。

 本書を読むと、暗い顔をして護憲とか、9条を守れとか言ってきた人々やその次の手を持ち合わせていない人びと、僕も含めた旧来の左翼が、既に現実に乗り越えられていることがわかる。この国にはもっともっと柔軟でしなやかな感性を持った若者たちが生まれてきており。彼らが次の時代を切り開いていくのだと思う。この若者たちを場に導き、その姿を顕在化させたのは、反語的だがアへ政権の功績だと思う。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

戦後左翼史 その35 1950年 コミンフォルム批判 党分裂 地下潜行 北京機関 朝鮮戦争

2017-01-07 10:11:21 | Weblog

いいなあ!と思っている番組。「ブラタモリ」(NHK)、浦沢直樹の「漫勉」(NHK・Eテレ)、みうらじゅん、いとうせいこうの「新見仏記」(BS12)、不定期ながら宮沢章夫の「戦後サブカルチャー史」、コンサのサッカー、野球は千葉ロッテ戦。ラヂオは、毎朝通勤時間に聞く「すっぴん!」(NHK)。歌い手もタレントも知らず、ブームにも乗り遅れている自分を楽しんでいます。

 

◎1950(昭和25)年 「50年問題」 コミンフォルム批判 党分裂 地下潜行 北京機関 朝鮮戦争      

(★印は日共関係)

*(*は僕の考え)いわゆる日共「50年問題」は、1950.1.6コミンフォルム批判から始まり、1955.7.19六全協までの5年間であり、党史の「闇」となっている部分である。現在の党史では、正式な機関決定がないまま、分裂した一部の党員が党中央の活動を勝手に行ったとされており完全に抹殺している。都合の悪いことは無かったことになり、自己に都合の良いことだけを上書きするような歴史を本当の歴史というのだろうか。今からでも、当時何がどう考えられて、どのように行われたのか、真摯な問い直しをすべきと考える。

★1.6 コミンフォルム、日本共産党の平和革命路線(*野坂理論)を批判

★1.12 共産党、コミンフォルムへの「所感」を発表

*(れんだいこHPに学ぶ)党中央委員会政治局は「『日本の情勢について』に関する所感」を発表し、「野坂理論の欠点を認めるが、実践で克服ずみ」と反論。 コミンフォルム批判に対する反対派(所感派)は、徳田球一、伊藤律、野坂参三ら党中央執行部、批判受容派(国際派)は宮本顕治、志賀義雄。しかし、1.17人民日報はコミンフォルム支持を表明、1.19所感を撤回、野坂自己批判。

*当時は、本店が一枚岩(中ソ一体)にあって、支店の方針を批判したら、その権力の前に支店は従う以外の選択肢は無かったのだろう。ここには、平等や公平を旨とする社会主義の理念と、この党間のヒエラルキー構造の自己矛盾があった。

★2.9 京都市長選、社共共闘で高山義三当選

2.9 米上院議員マッカーシー、国務省内の共産主義者排撃を演説(「赤狩り」開始)

*(れんだいこHP)共和党のマッカーシーは、アメリカ国務省に57人の共産党員がいると演説。マッカーシー旋風が始まる。200余名追放処分。

2.14中ソ友好相互援助条約調印

*(れんだいこHP)中国側:周恩来首相兼外相、ソ連側:アンドレイ・ビシンスキー最高幹部会全権代表、中ソは蜜月時代にあった。

*日共の武装について合意していたとの説もある。

3.8 全学連、『祖国と学問のために』創刊

★3.16 参議院在外同胞引揚特別委、徳田球一の対ソ要請「反動は帰すな」(*抑留者の中で)をめぐり徳田喚問

★4月 竹内好「日本共産党に与う」(『展望』)、対馬忠行「スターリン主義の批判」(『朝日評論』)、『マルクス=エンゲルス選集』刊行(大月書店、全23巻、~52.3)

4.20 京都府知事に蜷川虎三当選(*以後連続7期当選)

4.21 日本炭鉱労働組合(炭労)結成

★5.1 共産党、50年テーゼ草案発表

*(れんだいこHP)徳田(所感派)は、「当来する任務は、国際独占資本の支配から民族を解放し、これと結合して従属的状態のもとに、軍国的帝国主義を復興しようとする日本の反動勢力を一掃して人民の民主政府を樹立し、社会主義の達成に前進することである。それを為し遂げるためには人民民主主義を通らなければならない」とした。打倒すべき権力として、天皇制、封建的土地所有制(地主)、独占資本をあげた。志賀、宮本、神山、蔵原、亀山幸三、袴田、春日庄次郎、遠坂良一等はテーゼに反対し排除された。この結果、党中央は事実上分裂。

5.2 東北大で大学レッドパージを説くイールズの講演会を阻止

★5.5 日本共産党、東大・早大の学生細胞解散を指令

*(れんだいこHP)分派活動、挑発的行動が解散処分の理由。5.6全学連書記局細胞にも解散指令。安東氏は、「戦後共産党私記」で、この時期(3,4月頃)力石と武井が宮本(反中央・国際派)と連絡を頻繁にとっていたことを明らかにしている。6.27党中央は、武井昭夫、安東仁兵衛など38名の学生党員を除名。(早大=10名=七俵、水野、鈴木雄、堀越、本間、猿渡、坂本尚、大金、今井、西山.東大=12名=戸塚、高沢、安東、木村、力石、武井、横瀬=堤)。

5.8 日立争議、5,555人解雇をめぐりスト

★6月 宮本顕治・百合子『十二年の手紙』(筑摩書房)

6月 反戦ビラ配布による検束者多数、反戦学生同盟結成

★6.6 マッカーサー、共産党中央委員24名(*全員)の追放を指示

*(れんだいこHP)徳球、野坂、志賀、伊藤律、春日正一、神山、春日庄次郎、袴田、長谷川浩、伊藤憲一、亀山幸三、紺野、岸本茂夫、蔵原、松本一三、松本三益、宮顕、佐藤次、志田、白川晴一、高倉テル、竹中恒三郎、遠坂寛、野坂龍の24名。さらにアカハタ編集委員17名(聴涛克巳主筆.高橋勝之編集局長等)を追加。追放を予見していた主流派9名の中央委員(徳球、野坂参三、志田重男、伊藤律、長谷川浩、紺野与次郎、春日正一、竹中恒三郎、松本三益)は地下に潜行。6.7椎野悦郎を議長とする(8名:輪田一造、杉本文雄、多田留治、鈴木市蔵、聴濤克巳、河田賢治、谷口善太郎)臨時中央指導部(臨中)を確立。伊藤律は、6月中旬小松雄一郎(2代目臨中議長)の手配で、東京・恵比寿の秘密アジトに潜行。8月に徳田、11月に野坂、12月に西沢、1951年10月に伊藤が中国に脱出し在外指導部「北京機関」を作る。

6.25 朝鮮戦争勃発 6.27国連安保理、武力攻撃撃退の国連軍派遣を決定(*韓国援助決議採択)

★6.26 マッカーサー、『アカハタ』の30日間停刊を指令、7.18無期限停刊

*(れんだいこHP)朝鮮戦争を南朝鮮の侵略行為(李承晩側の越境事件)として偽りの報道をしたという理由

*1970年代になってからも当時の平和委員会・民青は南が先に攻めたと言っていた。

★6.28 共産党民族対策部、祖国防衛委員会設置

*(れんだいこHP)朝鮮戦争に対応するため、祖国の防衛と組織の防衛強化を目的とする軍事活動機関(責任者慮在浩)。

7月 井上光晴「書かれざる一章」(『新日本文学』

7.3 全日土建鶴見支部の幹部、武器輸送を妨害したとして逮捕、三菱汽船の安芸浦丸でも朝鮮への出航拒否

7.11 日本労働組合総評議会(総評)結成、7.25総評緊急評議員会、北朝鮮武力侵攻反対・国連軍支持・戦争介入反対声明

*(れんだいこHP)組合内の「民同派」が中心になりGHQの指導の下、産別会議に対抗し結成。18組合、3,704,400名で発足。議長・武藤武雄(炭労)、副議長・長谷武麿(全逓)、松浦清一(海員)、事務局長・島上善五郎

★7.24 GHQ、新聞協会に共産主義者の追放を勧告

8月 スターリン「言語学におけるマルクス主義について」(『前衛』)

★8.30 全学連緊急中央執行委員会、大学レッドパージ反対闘争を宣言、10.5レッドパージ粉砕全学総決起大会

8.30 政府(*GHQ?)、全労連に解散命令

9.26 全逓全国大会、組織2分割(全逓、全電通)決定

10.1 日中友好協会設立

10.11 中国人民解放軍、チベットに向け進軍開始

10.25 中国人民義勇軍、朝鮮戦線に参戦

*(れんだいこHP)中国人民解放軍(林彪将軍)18万が「抗米援朝保衛祖国」のスローガンの下に参戦。中国軍は鴨緑江を渡り、戦局は逆転し、米軍は再び38度線の南に押し返された。

12月 宇野弘蔵『経済原論』上(下52.3)岩波書店

12.10 合成化学産業労連(合化労連)結成

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

加藤陽子 『戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗』 『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』

2017-01-02 14:28:06 | Weblog

このブログを読んでいただいている方、今年もよろしくお願いいたします。2006年4月に始めてから10年以上続いていることになります。僕にとってブログを書くことは、自分の考えをまとめ、それをどのように表現したら良いかということの訓練になっています。

2017年の目標を定めました。次第に老いるということを受け入れなければならないとわかっていますが、あらゆることで「2016年を超えること」としました。

 

今まで、書籍に挟まれている読書カード(ハガキ)を出版社に返送したことがなかったが何となく気が向いたので、以下の内容で送ってみた。でも、限られたスペースに想いを書くのは中々難しい。

 

『戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗』(加藤陽子著 朝日出版社 2016年刊)

歴史は過去と全く同じパターンで繰り返すことはないだろうが、本書には今を解く鍵が秘められている。筆者は、戦争への道を丁寧に紐解きながら、随所に現在の事象も取り上げ、応用問題を提起している。

若い人が、こんなに刺激に満ちた講義を受けることができたのは幸運である。僕らは、いったいどんな時代を生きているのだろうか、共に考えたいと思う。

 

『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子著 朝日出版社 2009年刊)

外交はサッカーだ。ボールが来たらトラップかダイレクトか。キープかパスか。パスも強くか優しくか。グラウンダーか浮き球か。

局面ごとの情況の中で、いくつかの選択肢から瞬時に判断しなければならない。その選択が常に問われている。本書から、歴史とは、その時々の判断の積み重なりなのだということがよくわかった。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする