『私の昭和史・戦後篇(上・下)』(中村稔著 青土社 2008年刊)
上・下巻で800ページを超える大著であるが、3ヶ月くらいかかって寝床で読破。どこで読もうが勝手であるが、何パターンかある読書の場所のひとつが寝床。寝床で読むものは、問題意識のある刺激的なものではなく、ゆったりとした物語などがいい。
本書は、著者の1945年8月16日から1961年までの自伝である。著者は、詩人で弁護士、否、弁護士で詩人なのだろうか。1927年生まれであるから、親たちと同世代である。残念ながら詩の世界を知らない私は、中村稔なる人を知らない。
この自伝には、いくつかの物語が並存している。もちろん、その時々の政治的な動きに対する批判、旧制高校時代のエピソード、友人であり「ユリイカ」の編集長伊達得夫との思い出など著者20歳代から30歳代の生き方を廻る真摯な思考の軌跡が書き込まれている。
本書の特徴として、ひとつだけ今まで見たことの無い目次の表現が面白い。目次を読むだけで、あらすじがわかるようになっている。
例えば、第1章は、「昭和20年8月16日、私たち一家が父の任地、青森に向かって上野駅を発ったこと、8月末まで青森刑務所の職員倶楽部兼武道場に仮住まいし、9月、弘前の借家に転居したこと、戦後の一高の寮の食糧事情、弘前の生活、9月中旬、一高の寮に戻り、中野徹雄らと再会したが、間もなく弘前に帰省したこと、10月下旬、上京のさい、盛岡で途中下車し、盛岡刑務所で医師をつとめていた兄と会い、小雨ふるなか、北上川のほとりで話しこんだこと、その日の感慨を「陸中の国 盛岡よ」と結んだ4行詩に書いたこと、など。」となる。
上・下巻で800ページを超える大著であるが、3ヶ月くらいかかって寝床で読破。どこで読もうが勝手であるが、何パターンかある読書の場所のひとつが寝床。寝床で読むものは、問題意識のある刺激的なものではなく、ゆったりとした物語などがいい。
本書は、著者の1945年8月16日から1961年までの自伝である。著者は、詩人で弁護士、否、弁護士で詩人なのだろうか。1927年生まれであるから、親たちと同世代である。残念ながら詩の世界を知らない私は、中村稔なる人を知らない。
この自伝には、いくつかの物語が並存している。もちろん、その時々の政治的な動きに対する批判、旧制高校時代のエピソード、友人であり「ユリイカ」の編集長伊達得夫との思い出など著者20歳代から30歳代の生き方を廻る真摯な思考の軌跡が書き込まれている。
本書の特徴として、ひとつだけ今まで見たことの無い目次の表現が面白い。目次を読むだけで、あらすじがわかるようになっている。
例えば、第1章は、「昭和20年8月16日、私たち一家が父の任地、青森に向かって上野駅を発ったこと、8月末まで青森刑務所の職員倶楽部兼武道場に仮住まいし、9月、弘前の借家に転居したこと、戦後の一高の寮の食糧事情、弘前の生活、9月中旬、一高の寮に戻り、中野徹雄らと再会したが、間もなく弘前に帰省したこと、10月下旬、上京のさい、盛岡で途中下車し、盛岡刑務所で医師をつとめていた兄と会い、小雨ふるなか、北上川のほとりで話しこんだこと、その日の感慨を「陸中の国 盛岡よ」と結んだ4行詩に書いたこと、など。」となる。