晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

戦後左翼史 その34 1949年② 『下山・三鷹・松川事件と日本共産党』

2016-12-29 08:40:18 | Weblog

このブログ2016.7.31に、夫馬信一『幻の東京五輪・万博1940』を記したが、本当に幻になるのではないかと思う。シンボルマークの盗作、国立競技場の再設計、各競技場の場所と建設費用、そして費用負担ともめ事が続いている。皆が開催に消極的なのだったらいっそのこと中止を宣言すればいいと思うが、そんな勇気のある政治家もいないのだろう。否、本質は利権漁りにあると考えれば合点がいく。鼻の利く小池知事からもプンプンと臭って来るぞ。

 

戦後左翼史その34 1949年② 『下山・三鷹・松川事件と日本共産党』

『下山・三鷹・松川事件と日本共産党』(佐藤一著 三一書房 1981年刊)を35年ぶりに再読。著者は、東芝労組の幹部で日共党員。松川事件では20名の被告メンバーの一人とされ、1審、2審で死刑、3審でアリバイが成立し無罪となった。獄中にあって怒りと極限の苦しみに耐え抜いた人と思える。

あらためてこの3大事件の背景を振り返る。1948年1月、米陸軍長官ロイヤル、「日本を共産主義に対する防壁にする」と演説、12月、GHQは経済安定9原則(*内容は大合理化方針)を発表。12月19日、日共は9原則に支持を表明(*何を根拠にこのような判断に至ったのか?)

1949年1月、第2回衆議選で社党の分裂による敵失ながら日共35議席を獲得。ここから吉田内閣打倒、民主人民政府の樹立すなわち9月革命と呼ばれる幻想に日共は取りつかれる。国鉄をはじめ各企業における合理化提案に対して、労組の闘いが先鋭化する。6月5日付け『アカハタ』、国鉄におけるストライキは止めろ!社会党・民同派のスト挑発に乗るなと主張。(*1964.4.17ストを敵の挑発に乗るなと中止に導いた構造と全く同じ)

1949.7.5、下山事件発生。著者は、現場の情況や周辺の目撃情報などから自殺説をとる。しかし、政府、公安警察、東大法医学教室などは他殺説を唱え、背後に政治団体の存在があると匂わせる。朝日・読売は他殺説を報道する中、毎日だけが自殺説をとる。明らかに、ターゲットは合理化に反対する国鉄労組、日共であり、弾圧の口実にしたいのだ。現在では、時効が成立し未解決事件に。

1949.7.15、三鷹事件発生。国鉄の労組員10名が逮捕される。1950年8月、東京地裁は、被告9名に細胞会議への出席というアリバイが成立し無罪判決。ひとりだけ日共党員でなかった竹内景助氏の単独犯行として無期懲役判決。高裁で死刑判決。最高裁上告棄却、死刑確定。再審請求もかなわず、1967年1月18日東京拘置所で獄死。これを良いことに、日共は関与していないとして竹内単独犯行を大宣伝!非党員の竹内を切り捨てた。

1949.8.17、松川事件発生。読売は事件後、東芝労組幹部が行方不明と記事を捏造。国労赤間勝美氏の自白により、国労10名(全員日共党員)、東芝労組員10名(8名が党員)が逮捕される。1950年12月6日、1審では全員有罪、うち死刑5名(著者も含まれる)、無期懲役5名、有期懲役10名合計で95年6か月。1953年12月22日2審、死刑4名(著者も含まれる)、無期2名、有期84年、無罪3名。新証拠のメモ発見、1959年8月10日、原判決破棄、差し戻し、1961年8月8日、高裁、全員無罪。現在では、時効が成立し未解決事件。

*(*は僕の考え)以上のことから、日共は、労働者全体の利益のために活動しているのではなく、党員のための組織であることがわかる。では、あくまで党員の利益を優先すると考えていいだろうか。僕は、違うと思う。その後起こる白鳥事件などの例からも、党組織の防衛が第一であることがわかる。たとえ党員であっても組織防衛のためには理不尽であっても切り捨てることを厭わない。まして、党を支持しない一般労働者のことなど歯牙にもかけないのだ。このような狭い度量を以って、社会を変えるとは一体どのような社会のありようを展望しているのか。

*人気作家で社会派と言われていた松本清張氏の『日本の黒い霧 下山国鉄総裁謀殺論』(1960.1文芸春秋)は、GHQ謀略説を唱え、世の中にかなりのインパクトをもたらした。この説によると、日共も被害者となることから日共にとっても都合の良い理論であった。後に、清張氏は日共のイデオローグということが明らかになっている。作家の作品が、特に清張氏は推理作家でもあり、読み物としての創作なのか、真実の解明作業なのか不明確である。著者の佐藤氏は清張氏の説を否定している。なお、『日本の黒い霧』で伊藤律氏を「官憲のスパイ」としているが、現在、出版元の文藝春秋社は、伊藤の証言の引用とスパイ説を否定する文献への参照を促す注釈を入れている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

戦後左翼史 その33 1949年① 国際情勢の緊迫化 国鉄合理化(下山事件 三鷹事件 松川事件) 『伊藤律回想録』

2016-12-18 09:07:32 | Weblog

日ロを隔てるベルリンのような物理的な障壁は存在しない。そこにあるのは国家という共同幻想だ。僕らの観念の中に、領土、領海、国境、国益などがあるから自由な往来ができない。アへが頑張ったか、プーチンは頑なだったかには興味が無い。国家を開く方向に進んでいるかが問題だ。究極には、国家は廃絶されるべきと考える。

真夜中にカラスの鳴き声を聞いた。この一週間で2回、昨日は23時ころにカアー、カアーと。天変地異の前触れだろうか。

 

◎1949(昭和24)年

『伊藤律回想録―北京幽閉二七年』(伊藤律著 文芸春秋 1993年刊)を20数年ぶりに再読。1980年9月、伊藤律が帰国したときに驚いたことを覚えている。僕が生まれる(1954年)前の1951年9月に北京に密航し、野坂参三らによる査問、徳田球一委員長の病死を機とした伊藤の除名(スパイ容疑)、投獄された以降の消息は不明。野坂は、「中国の関係者から伊藤は死んだと聞いた」と流布していた。伊藤の生存を一番やっかいなことになったと思ったのは、野坂と党中央を簒奪していた宮本顕治だろう。たとえ党内の権力闘争であっても、公開での弁明機会も与えず、政敵を27年間幽閉するという論理と倫理は説明のつくものなのだろうか。彼らが目標にする社会は、この事実とどのように整合性をとるのであろうか。

 (★は日共、Θ印は労働運動、●印は国際関係)

*1949年、経済相互援助会議(コメコン)設置、北大西洋条約機構(NATO)結成、東西両ドイツ・中華人民共和国の建国、ソ連の原爆保有などにより国際情勢は緊迫化。その影響で国内の労働運動も分裂。

1.6 国連総会、中国内戦不介入を決議

Θ1.17 西欧の労組、世界労連執行局を脱退、11.28国際自由労連結成

●1.25 ソ連・東欧5か国経済相互援助委員会(コメコン)設置

Θ1.31 全労連、世界労連加盟

Θ2.22 国鉄民同(民主化同盟)の星加要ら社会党に入党、この後民同派幹部の入党続く

*(参考)星加要:1909-1989労働運動家。1947年国鉄反共連盟(のちの国鉄民主化同盟)結成。1950年3度目の国鉄労組書記長。1951年新潟大会で愛国労働運動をもとめる星加案が左派の反対により否決され退陣。

Θ3.7 炭労、全労連を脱退、以下脱退相次ぐ

4.20 第1回平和擁護世界大会開催(パリ、プラハ)

4.25 平和擁護日本大会、日本平和を守る会結成を決議

5.3 全学連、国立大学設置法・教育職員免許法に反対して全国130校でスト

●5.6 ドイツ連邦共和国臨時政府(西ドイツ)成立 10.7 ドイツ民主共和国(東ドイツ)成立

5.30 東京都議会に向けた公安条例反対デモが警官隊と衝突、橋本金二(東交労働者柳橋支部)死亡(5.30事件)

Θ6.9 国鉄、定員法に反対してストライキ(東神奈川車掌区、組合幹部19名の懲戒免職)、神奈川で人民電車(京浜東北線・横浜線、労働組合管理で運転)

★6.30 福島県平市で労働者・市民(共産党員、朝鮮人連盟員)が警官隊と衝突、警察署を占拠(平事件)

Θ7.4 国鉄、定員法に基づく37,000人の第1次人員整理通告、7.12第2次整理63,000人通告

Θ7.5 国鉄総裁下山貞則、行方不明になり轢断死体で発見(下山事件、常磐線)(*未解明)

Θ7.15 国鉄三鷹駅で無人電車が暴走、6名死亡(三鷹事件、中央線)(*謀略)

Θ8.17 国鉄東北本線金谷川・松川間で列車の脱線・転覆事故、3名死亡(松川事件)(*謀略)

*日共党員労働組合員の所業に見せかけた謀略事件と判明しているが、当時は日共の仕業と宣伝された。これらの事件を境に労働運動が逆流に転じた。現在、『下山・三鷹・松川事件と日本共産党』(佐藤一著 三一書房 1981年刊)を35年ぶりに再読中。佐藤氏は松川事件容疑者(無罪)。

9月 『改造』特集「日本共産党批判」

9.3 国際自由労連加盟促進第1回懇談会

9.8 団体等規制令(第4条)に基づき朝連(在日本朝鮮人連盟)ほか4朝鮮人団体(在日本朝鮮民主青年同盟ほか)解散命令(金天海ら朝連幹部多数が公職追放)

*(参考)4.4団体等規制令(政令64号)公布、即日施行、1952破壊活動防止法と公安調査庁の前身

●9.24 ソ連、原爆保有を公表(タス通信)

●10.1 中華人民共和国建国宣言(毛沢東主席)

10.22 全国大学教授連合、レッドパージ反対声明

Θ10.22 全逓大会(再建同盟主導、~24)、産別会議脱退を決議

Θ10.29 三鷹・松川事件対策本部設置

11.30 対共産圏輸出統制委員会(ココム)設立

12月 小田切秀雄「共産主義的人間」『人間』

Θ12.5 日本官公庁労働組合協議会(官公労)結成

Θ12.10 全国産業別労働組合連合(新産別)結成(委員長金山敏、ファシズム及び共産党の独裁政権に反対)

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

戦後左翼史 その32 1948年 GHQ占領政策の転換 『戦後日本共産党私記』  

2016-12-11 09:45:44 | Weblog

美国の次期大統領トランプに対する戸惑いが広がっていて、知りたいと言う欲求が湧いてきます。選挙予想はマスコミを含めたエスタブリッシュメント側からの情報に偏り過ぎたため、大外れだったのでしょう。資本は国境を越えグローバル化を望みますが、一例はTPP、米国の中にはドメスティックにやって行こう、米国得意のモンロー主義! と言う動きが出てきているのでしょう。いずれにしても、僕は、国家は解体されるべきと考えています。

 

1948(昭和23)年    

『戦後日本共産党私記』(1976年刊)・『続・戦後日本共産党私記』(1980年刊)(安東仁兵衛著 現代の理論社)を40年ぶりに再読。本書は、戦後日共東大細胞の青春記であるが、著者はその後構造改革派として除名され、『現代の理論』を主宰した。本書の中で、僕が最も印象に残ったのは、1952年当時「所感派」と「国際派」に分裂していた日共東大細胞において、「国際派」だった不破哲三らに対して、全学連武井昭夫グループが「警察のスパイ」の疑いで「査問」を行ったとされるシーンだ。「査問」は実質的には激しいリンチとなり、武井自らが先頭きって暴行し、あの不破が顔の形が変わるくらいぶん殴られたと書かれている。痛快だ!

(★印は日共関係)

1.6 米陸軍長官ロイヤル、「日本を共産主義に対する防壁にする」と演説(サンフランシスコ・コモンウェルスクラブにて)

★1.13 総同盟、組合民主化運動を提唱

*(*は僕の考え)第2次世界大戦が終わり、戦後世界の構造において資本主義陣営と社会主義陣営との対立構造が明確になるに伴って、占領軍による戦後民主主義政策も転換された。労働運動においても組合民主化(民同)と言う名の非「日共」の動きが顕在化する。ただし、僕はこの動きを「反共」とは考えない。日共による、組合組織の引き回しにたいする自立の動きと捉えたい。それは、2.1ゼネストの際顕著だった。組織引き回しは、この後も何回にもわたって繰り返される、この党の体質だ。

1.17 都教組婦人部、男女同一賃金獲得

★2.6 日本共産党第9回中央委員会、民主民族戦線方針決定

*日共は、徳球-志賀-野坂体制を確立し、3.15民主民族戦線の結成を社会党、大衆団体に申し入れるが、3.17社会党に拒否される。その後も統一戦線の結成という課題は、現在の日共による民進党への野党共闘の呼びかけまで続いており、構造は全く同じ。一見、日共から他党へ共闘を呼びかけているように見えるが、この後平和運動をはじめ様々な分野で超えることのできないハードルを設けて分裂策動をするのは日共である。日共は、常に統一戦線の構築ができないのは他党が誤っているからと主張するが、自身の論理や体質に問題があるのではないのかという自省はしない。反共と反日共とには、大きな違いがある。

2.7 南朝鮮、南労党指導下に単独選挙反対のゼネスト、200万人参加

2.10 片山内閣総辞職(社会党の左右両派の対立)、3.10芦田均連立内閣成立(民主・社会・国民協同)

★2.13 産別民主化同盟結成(有志60名)、6.12第1回産別民同大会

*日共の労組支配に反対した細谷松太(日共党員)が指導。党は細谷を除名処分にする。(参考)細谷松太:1900-1990 1921年日本海員組合、1924年日本労働総同盟に参加。1928年日本共産党に入党。出入獄をくりかえす。戦後1946年産別会議事務局次長。1947年二・一スト後、党の組合介入に反対し共産党を脱党。1948年新産別(全国産業別労働組合連合)を結成。組合民主化運動を主導(民同運動)

2.25 大阪中央郵便局で24時間スト、以後「3月闘争」展開(全逓)

3.2 日本放送労働組合(日放労)結成

4.1 ソ連、ベルリンの陸上輸送規制強化(ベルリン封鎖、49.5.12)

4.3 南朝鮮・済州島で単独選挙反対の武装蜂起(4.3事件)

4.4 日農主体性確立同盟結成

4.16 東宝争議始まる(270名の解雇通告)、8.19東京地裁、争議中の東宝砧(きぬた)撮影所に仮処分執行(「来なかったのは軍艦だけ」)

4.19 日本民主婦人協議会(民婦協)結成(会長松岡洋子)

5.10 国連朝鮮監視委員会、米軍護衛の下で南朝鮮制憲議会単独選挙実施

6.28 コミンフォルム、ユーゴスラビア(チトー大統領)の除名を発表

*チトーは、ソ連に依存せずに独力で人民政権を樹立。ユーゴの除名以降、東欧各国の共産党幹部が次々と「チトー主義者」の烙印を押され、秘密警察によって投獄・処刑された。社会主義とは何なのか。何のための人民政権か。なぜ、掲げた理想とは全く逆の社会が出来上がってしまうのか。なぜ、このような転倒が起きるのか。

★6.28 総同盟、全労連脱退を声明(共産党系の産別対民同・総同盟→総評へ)

★7月 森田草平「共産党に入るの弁」『前衛』

*(参考)森田草平:1881~1949、小説家・翻訳家。本名米松。東大英文科卒。在学中より夏目漱石の門下生。平塚らいてうとの心中未遂事件、漱石の庇護でその体験を1909年『煤煙』として発表、晩年日本共産党に入党して話題となる。昭和24年(1949)歿。

7.31 (マッカーサー書簡に基づき)政令201号公布、公務員の争議権を制限

★8月 『前衛』特集「近代主義批判」

8.5 政令201号に反対して各地の国鉄労働者(国労新得機関区分会が端緒)、職場離脱闘争、9.7国鉄中闘、中止決定

8.15 大韓民国樹立(李承晩(イ・スンマン) 大統領) 9.9 朝鮮民主主義人民共和国樹立(金日成(キム・イルソン) 首相)

8.25 ポーランド・ウロクラウで平和擁護世界知識人大会開催

★9.18 全日本学生自治会総連合(全学連)結成(委員長日共武井昭夫)

9.28 ソ連帰還者生活擁護同盟、皇居前広場で全国留守家族大会開催

10月下旬 電産、地域人民闘争で停電スト拡大

11月 中野重治・石母田正・藤間生大「座談会・民族文化の問題」『展望』

11.16 日鉄八幡製鉄所争議

12.2 労働者農民党結成(主席黒田寿男)

12.12 『世界』編集部、安倍能成ら知識人の平和問題討議会を開催

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする