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戦後左翼史 その18 1963年④ 日共トラック部隊 中共支持

2016-04-15 19:53:22 | Weblog

 4月になって少し暖かくなり、日没も遅くなってきました。リハビリも本番です。100%依然のように戻すのは難しいかも知れませんが、きついのを耐えながら身体を動かすことも楽しみになっています。夏ごろまでにどの位できるようになるのだろうか。

 

戦後左翼史 その18 1963年④ 日共トラック部隊 中共支持

以下、★印は中ソ論争関係、◎は原水協、核停関係

★1963.9.1道新夕刊 中国 再びソ連攻撃

★1963.9.6道新 「人民日報」「紅旗」が重大事実スッパ抜く ソ連、国境紛争も起こす 対立の発端は第20回大会 中ソ分裂の瀬戸際へ 1962.4~4月ソ連、大規模な転覆活動 新疆イリ地区数万人連れ去る

★1963.9.7道新夕刊 モスクワの西側筋語る 中国回教徒難民、ソ連へ約5万人流れ込む

★1963.9.7道新夕刊 モスクワ放送:人民日報に反論 180度転換は中共 「紅旗」:フ首相非難の論文 “米帝の宣伝員”

★1963.9.13道新 中国が手を焼く新疆省の回教徒 “改革”に強く反発 混血も避け独自の文化保つ

★1963.9.13道新 ソ連 ナウシキ駅事件(中国人座り込み)に慎重な態度 中国の暴露戦術を警戒 挑発?にのらぬ

★1963.9.13道新夕刊 「紅旗」と「人民日報」 スターリン問題でソ連批判 正当な評価欠く 自分のあやまち押しつけ

★1963.9.13道新夕刊 モスクワ放送 中国批判 民族解放策で変節

★1963.9.16道新夕刊 劉中国主席 金日成首相と会談(平壌) 中国政府 スターリンの肖像画を飾るよう指令

★1963.9.18道新 中国共産党の工作活発化 第4インターと接近 仏、伊など重点に 共産運動の分裂必至

1963.9.20道新夕刊 日共トラック部隊に有罪判決 7被告全員 1957年党地下組織“秘密財政部”中小企業から数億円の党資金を不正にかき集め 大村英之助(芸術映画局長)、大江直一、立花栄、安場善三、谷口清、佐藤俊男、富田晴彦

*(*は僕の考え)唐牛健太郎ら全学連が田中清玄から資金供与を受けていたことを日共は現在まで批判し続けている。僕は、トラック部隊こそ日共の暗部だと思うが、正確な事実が公表されていないため実態がよくわからない。白鳥事件も同じだが、党の方針に従った違法活動(党内論理では違法とは認めないであろうが)で結果的に司法の裁きを受けた党員を救ってきたのか、切り捨ててきたのか、そこに関心がある。僕は、この党が権力に関与した場合、これまで党内でのみ通用していた論理が必ず国民にも及ぼすことになると考える。

★1963.9.22道新夕刊 ソ連政府 中共声明に反論 5千回も国境を侵犯 経済不振は指導者の責任

★1963.9.23道新夕刊 チェコ大統領(ノボトミー) 内閣改造で演説 レーニン主義貫く

1963.9.26道新 プラウダが示唆 世界共産党大会の開催 戦術を大きく転換

★1963.9.26道新夕刊 中国 3回目の対ソ反論 資本主義が復活 ユーゴ 米帝国主義の従属国

1963.10.1道新 国慶節(建国14回目)を迎える北京 “自力更生”への自信 農作も好転 明るい表情

1963.10.1道新夕刊 国慶節祝賀宴 周恩来首相が演説 米帝国主義と戦う

1963.10.2道新夕刊 政務事務次官会議で検討 地方自治体の日共党員対策 アカハタ日曜版50万部 公務員の中の日共党員24,300人 うち官公庁14,900人(官庁、裁判所2,500人、地方自治体5,400人、教職員7,000人)、公共企業体9,400人(国鉄4,300人、電電2,600人、郵政現業2,250人、専売250人)、その他重要産業内に16,000人

1963.10.7道新夕刊 日共が5大政策発表(総選挙にのぞむ) 18、19全国活動者会議

(参考)(れんだいこ氏HPに学ぶ)10.15~18第7回中総。5中総決議を補足訂正した「国際共産主義運動に関する諸問題についての決定」(7中総決議)を採択。党中央は、中共路線支持を表明。志賀・鈴木・中野・神山ら反対意見、内野竹千代・砂間一良らが反対または保留したが賛成多数で採択。この決定が、アカハタに発表されたのは1964.11.6。志賀・鈴木・中野・神山らの除名完了、第9回党大会直前だった。 

1963.10.8道新夕刊 ソ連 近く党大会招集か

★1963.10.10道新 周首相 石橋湛山日工展総裁に語る 中ソ断交ありえぬ

1963.10.11道新 米の対ソ小麦輸出 国際的に大きな影響 自由諸国の貿易拡大阻止しにくくなる 自らくずした制限

1963.10.11道新 核兵器打ち上げ禁止 フ首相提案に軍部が挑戦 国防相機関紙「赤い星」 “軍事利用”を強調 マリノフスキー国防相、ソコロフスキー元帥 米の研究無視できぬ

★1963.10.14道新夕刊 中ソ論争で周首相言明 国家関係に影響せず

1963.10.14道新夕刊 世界共産党会議 11月開催か

★1963.10.19道新夕刊 仏紙記者が分析 中ソ対立軟化せず ソ連の攻撃は連日 穏やかな周首相 悪化を避ける意図

★1963.10.22道新 中共またソ連批判論文

★1963.10.22道新夕刊 中共のソ連批判論文要旨 ソ連は再び白人と黒人、欧州人とアジア人の間の人種主義のカベつくる スターリンはレーニン主義がカベを打ち壊したと正しくいっている

★1963.10.27道新 フ首相 中ソ論争停止を呼びかけ 成否は“時”が解決 米の小麦条件付きなら買わぬ

★1963.1024道新夕刊 ソ連機関紙 中国路線阻止せよ またも強く批判 レーニン主義を“毛沢東主義”にすり替え

1963.10.29道新 陳毅中国外相 日本人記者団に言明 原爆実験は必ずやる(数年は要する) 国交回復 障害は日本側に

★1963.10.29道新 チェコノボトニー大統領への反対高まる 共産党内のスターリン主義一掃 追放は時間の問題

★1963.1029道新夕刊 北朝鮮 ソ連を強く非難 援助の代償に支配を企てる

★1963.11.1道新 ゆらぐインド共産党 中ソ対立のあおりを食う 深刻な内部抗争

★1963.11.2道新 人民日報 中印問題でソ連非難

1963.11.2道新 ソ連 注目あびる化学工業優先策 くすぶる内部批判 フ首相 攻撃に転ずるか(工業部門の発展をおさえ農業危機解消)

★1963.11.6道新 世界党大会での中国締め出し ソ連の試み失敗か イタリア共産党 早期召集に反対

1963.11.16道新 国連政治委 米ソの妥協成立 完全軍縮決議案を採択

★1963.11.19道新 中国 5回目のソ連非難 “戦争と平和”で反論

★1963.11.19道新夕刊 中国のソ連非難論文の内容 核兵器盲信は誤り 依然世界戦争の危機

1963.11.23道新 総選挙 自民党283(解散時286)、社会144(137)、民社23(14)、共5(3)、無所属12(2)、日共は、大阪1区志賀義雄.大阪2区川上貫一.京都1区谷口善太郎.長野3区林百郎.愛知1区加藤進の5名が当選。

1963.12.2道新 社党 主導権争い激化か “構造改革路線”に批判 再出発めぐり議論沸騰 河上委員長 成田書記長

★1963.12.3道新夕刊 中ソ和解 打診工作は失敗? 世界党大会開催も不能

★1963.12.4道新夕刊 中国人民代表大会終わる ソ連への負債 大部分が返済すみ 自己の努力にたよる

★1963.12.4道新夕刊 対ソ強硬態度を維持 経済面でも自力更生協調

★1963.12.5道新夕刊 人民日報が大会記念社説 経済再建後に大躍進

1963.12.6道新 クリコフ元帥論文にみる ソ連戦略再転換 核ミサイル依存へ 妥協方式からの後退示唆

★1963.12.7道新 ソ連共産党 反党に回状 中国の浸透工作警戒

★1963.12.7道新 プラウダが論文 中ソ論争停止へ 態度を再確認

★1963.12.7道新夕刊 プラウダ論文 影ひそめた中共攻撃 “共存路線”を再確認

1963.12.9道新夕刊 モスクワで首脳異動説 フ首相 党務に専念か 

1963.12.10道新夕刊 フ首相 (中央委にて)基調演説の内容 大規模な資本投下 国民経済の“化学化”促進

1963.12.10道新夕刊 フルシチョフ提案の意味 ソ連経済根本的な体質改善 化学工業を優先

★1963.12.12道新夕刊 人民日報 ソ連公開状を6度批判 “平和共存”を主題に

★1963.12.12道新夕刊 中共の対ソ反論要旨 米帝国主義に迎合 “共存路線”は放棄せよ

1963.12.15道新 フ首相 党中央委総会で決定 重ねて軍縮呼びかけ 侵略阻止手段充分持つ 兵力削減を検討中 キューバ再び悪化のきざし

1963.12.20道新 曲がり角に立つ各国指導者 中国毛沢東主席 既定路線を着実に “孤立化の失敗”に強い自信

★1963.12.21道新夕刊 周首相協調 中ソ同盟(1950.2友好同盟援助条約)は存在 台湾海峡武力行使しない

1963.12.22道新夕刊 中国・アラブ連合共同コミュニケ 新旧植民地主義 依然活発

1963.12.23道新 周・ナセル会談 実質的成果は認められず

1963.12.31道新 フ首相 来年の展望語る 幅広く東西合意

 

 

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戦後左翼史 その17 1963年③ 中ソ論争 部分的核実験停止条約

2016-04-09 09:15:50 | Weblog

 北海道5区選挙で、新党大地(鈴木宗男)が自民党に取り込まれたのみならず、なんの弱みを握られたのか権力の走狗と化しています。鈴木貴子衆議は、質問主意書で公安調査庁の日共に対する認識を問い、政府の見解として、公安は現在も破防法の調査対象団体としているとの認識を引き出しました。何を今さらという内容だが、これには日共にも責任があり過去の歴史をきちんと総括していないところにこの党の最大の弱点があると考えます。『試される大地』のスローガンはもはや賞味期限が切れました。

 

 戦後左翼史 その17 1963年③ 中ソ論争 部分的核実験停止条約

以下、★印は中ソ論争関係、◎は原水協、部分核停関係

*(*は僕の考え)中ソ論争におけるソ連と中国の情況認識の違い、また部分核実験停止条約をめぐる総評・社会党と日共(中国寄り)の評価の違いは、戦後左翼史その11(2016.3.3)で述べたように、主観と客観の転倒から来ている。精神主義と現実主義の差と言ってもいいだろう。彼我の力量を客観的に比較することなく、敵は死を恐れているのだから、こちらが死を覚悟すれば怖いものは無いという主観的な願望を軸に据えた認識論は、当時の中国共産党と日共、戦前の日本、そして今の北朝鮮に共通するものと考える。

古い新聞を注意深く読むことによって、現在が見えてくることもある。アへ首相の認識論も主観的願望に傾く傾向があり、大衆から見てそこに彼の危険性を感じる。

1963.6.5道新 中国機関紙「紅旗」総合物価政策を提唱 ヤミ値の存在認める

★1963.6.9道新 中国人民代表大会 中ソ会談待ち 基本政策なお未定 首脳部含む人事も予測

★1963.6.12道新 核停高級会談の背景と前途 三者三様の思惑 米国:中国へのけん制 ソ連:平和共存の自信誇示 英国:黒星続きの現政権にカンフル

★1963.6.15道新夕刊 中共 ソ連再提案に同意 中ソ会談は7月5日

★1963.6.16道新 中ソ会談のソ連代表 スースロフ氏か

★1963.6.16道新夕刊 中ソ両党会談 ソ連主席にはスースロフ氏

★1963.6.17道新 中共中央委 中ソ会談で親書 総路線めぐり見解

★1963.6.17道新夕刊 中共の返書 アジアの支持背景にフ路線と対決

1963.6.19道新 ソ連共産党中央委開く イリチョフ書記 官僚主義を批判

★1963.6.19道新夕刊 ソ連党中央委声明 中共書簡公表せず モスクワ宣言わい曲

◎1963.6.19道新夕刊 盛り上がる原水協の再建機運 社共が精力的折衝 強い下部組織の突き上げ 焦点“いかなる国の核実験”にも反対

★1963.6.22道新 “論争”めぐる諸国共産党の動向 中ソ懸命の票読み 欧州はソ連支持 アジアは中国?

◎1963.6.22道新夕刊 原水協の統一再建なる 8月に世界大会

★1963.6.22道新夕刊 ソ連共産党中央委総会終わる 強硬な決議を採択 中共の挑戦受ける 党中央委書記に任命 ブレジネフ ポドゴルヌイ

★1963.6.23道新 ソ連党中央委総会の決議 中ソ論争 非公開守れ

★1963.6.23道新国際レポート 冷戦緩和へ米ソ歓迎ムード 中国激しい非難 中ソ会談も成果望めぬ

★1963.6.24道新夕刊 中国・北朝鮮が共同声明発表 国際代表者会議で内部対立 話し合い通じて解消 日本の軍国主義復活―東南アジア侵略を企図

★1963.6.25道新 プラウダ 中共の書簡を攻撃 公開論争停止に違反

★1963.6.29、30、7.2道新 近づく中ソ会談 背景にモスクワ会談 “社会主義の道”で食い違う 高姿勢で臨む中国 論争―泥仕合の恐れも

★1963.6.29道新 党中央委総会での演説 プラウダ紙掲載 フ首相 再び平和共存強調 “ケネディ演説”評価 中共とスターリンを非難

★1963.6.30道新 ソ連 中国大使館員ら5人 退去を要求

1963.6.30道新 米 フ首相の動きに注目 東ベルリン 東欧圏首脳の集結で重大決定ありうる

★1963.6.30道新夕刊 モスクワで中国 新文書を配布か 論争の全容盛る

★1963.7.1道新 中ソ会談 中共声明で発表 団長は総書記

1963.7.1道新 世界婦人会議終わる 中国代表は決議に反対

◎1963.7.4道新夕刊 フ首相 東ベルリンで演説 地下除く核停協定を提案 国際緊張を緩和 ワルシャワ・NATOで不可侵条約結ぼう

◎1963.7.5道新 ミコヤンソ連副首相 核停と不可侵 “抱き合わせ”示唆

★1963.7.5道新 中共中央委 ソ連声明に反論 中ソ会談前に激しく応酬 非難に同意できず 会談に出席して答える 大使館員らの召喚 ソ連が覚え書き 中国事実をわい曲 会談今日開始(プラウダ発表) 会談事実上決裂か収拾つかぬ事態も予想

1963.7.6道新 フ首相東独訪問の成果 立場堅持に自信 対米 緊張激化は避ける

★1963.7.6道新 中ソ会談 きょうから本格討議 迎賓館で初顔合わせ 冷たいソ連の態度

1963.7.7道新 また流れたILO案件 修正案に強い抵抗 自民党内の強行派

★1963.7.8道新夕刊 米有力紙が報道 ソ連の外交政策 西側との了解希望

★1963.7.10道新夕刊 中共側 対ソ会談で提案か “世界党会議開け”

★1963.7.13道新 人民日報が社説 中ソ会談分裂望まず 何回でも話したい 忍耐強く対立を克服 会談“中断”寸前か 一歩も譲らぬ中国側 

★1963.7.14道新 ソ連、中共非難の公開状発表 中ソ会談事実上決裂か 対立全責任負え モスクワ宣言勝手に解釈 人民日報論評 米帝は平和を認めず 両党の分裂工作 核戦争みくびるな

★1963.7.15道新夕刊 人民日報オブザーバー論文 ユーゴが中ソ会談破壊

★1963.7.16道新 今後の中ソ両国の方向 国際共産運動内でさらに分裂化しよう 

★1963.7.17道新 中ソ決裂 東南アの表情複雑 中国圧力強めよう インドも指導権争いへ

★1963.7.21道新 中ソ会談成果なく終わる 中共代表団引き揚げ 党関係は断絶同様 共産圏内に新たな冷戦 ソ連、中国にほのめかす?“同盟条約を解消”

◎1963.7.22道新 来月開かれる原水禁会議大会 社共の対立が再燃 また混乱も懸念される

★1963.7.22道新夕刊 中ソ会談 中共コミュニケ公表 一停停止し続開

◎1963.7.24道新 北京各紙が大々的にアカハタ論文を掲載 7.9、10上田耕一郎「核戦争防止と修正主義理論」中共を支持 袴田里見(中共派)が主導か

★1963.7.24道新 ザ・ガーディアン紙特約(ビクトル・ゾルザ記者) 中ソ論争の底にあるもの 相反す経済的利益 自力建設は好まぬ 特権確保図るソ連

◎1963.7.26道新 米英ソ核停条約で共同コミュニケ 緊張緩和へ重要な第一歩 “不可侵”は討議継続 平和強化へ進展期待 目標は完全軍縮 他国の実験援助しない 拡散防止に重点(名は米が、実はソ連がとる)

(参考)(れんだいこ氏HPに学ぶ)1963.7.15、米.ソ.英で部分的核実験停止条約調印。大気圏内での核実験が「人類に悪影響をおよぼす」として、今後大気圏での実験を禁止するもの。遅れて核を持とうとしている中国は「超大国の核独占だ」と反発。この条約を廻ってソ連共産党と日共が対立へ。ソ連共産党が条約賛成を各国共産党に要求し、日共はこれに反発。原水爆禁止運動も紛糾へ。(日共は中共寄り)

◎1963.7.29道新 部分核停成立で安井原水協理事長声明 原水禁運動の勝利 日共声明(7.29アカハタ主張)―核戦争の危険去らず

◎1963.7.29道新夕刊 人民日報 “注”つきで核停条約発表 米の核独占を強化

◎1963.7.31道新夕刊 中国反対声明 全面禁止世界会議開け 米帝国主義に屈したソ連

◎1963.7.31道新夕刊 原水禁世界大会 社共の話し合い決裂 広島原水協中心で開催か

◎1963.8.1道新 原水禁問題 あす広島で3者(社、共、総評)会談 舞台は現地にうつる 「いかなる」反対 「部分核停評価」

◎1963.8.1道新夕刊 中国の核停非難と世界首脳会議提唱 大国の核独占に疑惑 国際政局に発言権要求

参考)1963.8.2~7第9回原水爆禁止世界大会開催

◎1963.8.6道新 原水禁大会 分裂状態で閉会 社、総評がボイコット

1963.8.6道新 フ首相 日本新聞人の質問に回答 平和条約 日本に用意がなければ条件熟するまで待とう 経済協力 数年内に著増

◎1963.8.7道新 原水禁国際会議 中ソ代表 対立むき出し

◎1963.8.8道新 波乱の原水禁大会終わる “宣言”は行わず 社会、総評、13団体を中心に新組織結成へ

◎1963.8.8道新 部分核停条約に各国参加―両首都で今夜調印 ワシントン:イタリアなど26か国 モスクワ:東独、モンゴル

◎1963.8.10道新 原水禁分裂の波紋 平和運動停滞しよう 社会、共産両党内にも抗争?

(参考)部分核停条約をめぐり日共は初めて中国寄りの姿勢を表明した。社会党、総評は反発、原水禁大会から退場、脱退。

★1963.8.13道新 中ソ論争 社党が初の統一見解 不介入の方針確認

★1963.8.15道新夕刊 中国声明で明るみに ソ連、中国への原爆提供拒否 中国、ソ連指導者を攻撃 核停条約は“降伏”

★1963.8.16道新夕刊 中ソ新国防協定(1959.6)の破棄(ソ連) 1959.8中国軍の金門島砲撃が発端か フ首相の反対押し切る

1963.8.17道新 近づくソ連、ユーゴ(チトー大統領)首脳会談 ユーゴの影響力を利用 東欧国への足固め

★1963.8.17道新夕刊 ソ連、プラウダ紙で反論 中国に原爆は不用

◎1963.8.24道新 転機に立つ道内の平和運動 社党、共産党と絶縁 新しい組織結成も考慮

1963.8.26道新 ユーゴ、コメコン連携 フ首相、実現を示唆

1963.8.26道新 社党理論委まとめる 日本資本主義の現状 国家独占の段階 対米関係は“従属”ではなく“強い依存”

1963.8.26、27道新 ユーゴスラビアの経済と文化 文化の潮流をさぐる 労働者の自主的管理で運営―企業は社会の所有 生産力はきわめて低い 長い“異民族の支配”―いたるところに抵抗の跡 野々村一雄(一橋大教授)

★1963.8.28道新 第三期症状寸前の中ソ関係 ジリ貧的“共存”へ 対立、大衆路線まで広がる

 

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戦後左翼史 その16 1963年② 田中清玄 唐牛健太郎 

2016-04-03 10:30:10 | Weblog

 日曜日の朝、外はしぶしぶと雨が降っています。ようやく雪が解けて、気温が上がり、外で汗を流したいのですが、ジッと我慢です。2007年4月から始めたこのブログも10年を経過しました。この10年間で様々なことがありましたが、僕自身は、衰えた部分もあるし、成長している部分もあると感じています。心がけているのは、借りてきた言葉ではなく、自分の言葉で語りたいということです。とかく、本読みは他人の言葉のパクリが多いですから。

 

 戦後左翼史 その16 1963年② 田中清玄 唐牛健太郎 

以下、★印は中ソ論争関係、◎は原水協関係

★1963.3.1道新夕刊 中国 再びトリアッチ批判 “人民に判断させよ”

◎1963.3.1道新夕刊 安井理事長ら辞意「統一声明」で対立 原水協(原水爆禁止日本協議会)再び分裂か 3.1ビキニ被災9周年焼津集会流会

★1963.3.2道新 モスクワ筋の見方 人民日報社説に“遠い話し合いへの道”

★1963.3.2毎日 中共 トリアッチ理論を攻撃 再び“構造改革”批判

★1963.3.3道新 ロンドン筋の見方 強硬な中国の対ソ路線 先進国共産党の支持で理論闘争に自信

★1963.3.3道新夕刊 中共 国際理論誌「平和と社会主義の諸問題」(1958~プラハに編集部)から脱退 日本語版は「構造改革論」を避けながらも日共も寄稿している

1963.3.4道新 イタリア共産党 戦後最大の追放か 脱党者あいつぐ

1963.3.6道新夕刊 イタリア共産党若返りを計画

★1963.3.7~17道新 焦点に立つ中国 斎藤孝(東大助教授) ①国際社会での立場 対米敵視の外交 国連の門戸閉ざされる ②中ソ論争(上) 食い違う時代認識 革命・解放戦に固執する ③(下) 1959年から対立表面化 “国内団結”の必要からも ④その現状 重工業優先改める 好転だが食糧不足は続く 7億人 1963~第3次5か年計画 ⑤米国はこうみる 敵視 封じ込め一本 ソ連と対立―前衛化懸念 ⑥ソ連はこうみる “特殊事情”を理解 経済上の利害対立はない ⑦英国はこうみる 米国よりは弾力的 毛主席の老練さを買う ⑧国連からみて 理論的足場弱まる 米国政府 中国の加盟阻止で ⑨私はこう思う “怪物扱い”当をえない 真の苦悩直面は中国とともに日本にも 

1963.3.8道新夕刊 人民日報 米共産党に反論

★1963.3.9道新 人民日報 香港、マカオ問題 “期待持ち平和交渉” プラウダ論文 レーニンは平和共存を支持

1963.3.9道新 人民日報 キューバ問題 冒険主義はとらぬ 米共産党に反論

1963.3.10道新夕刊 文化人との会議で作家のエレンブルグに党側から激しい批判 フ首相 “芸術論争”に公式見解 イデオロギーに平和共存なし

1963.3.10道新夕刊 全学連に意外なスポンサー 反共活動家の田中清玄氏 500万円を援助 卒業後も引き続き世話 1960.1.18東原吉伸全学連書記次長兼財政部長 小島弘共闘部長 小泉修吉中執と会談(安保闘争の真っ最中) 唐牛健太郎元委員長は、田中技術開発研究所にいる。田中氏は、佐郷屋留雄(浜口首相暗殺犯)を通じて右翼に全学連は反共のために闘っていると語った。

(参考)この事実が公表されるや日共は、鬼の首を取ったように全学連批判キャンペーンを行った。現在でも新左翼批判に使う。しかし、それでは日共自身はどれほどきれいな身体なのか。(以下、れんだいこ氏HPに学ぶ) 1957.2.5日系二世とみられるベン・スエチカCIC特別スタッフ「IV602」の情報。

「日本共産党の野坂参三第一書記と春日正一統制委員会委員長の会話を耳にした。内容の中心部分は次の通り。野坂:中国共産党から日本円で2,200万円を2月17日付で香港の繊維会社の名義に送金する手はずが整ったとの通知を受けた。日共党大会の開催経費に使用するのが目的だ。中国側は受領のため、だれかを派遣するよう求めている。この資金は党財務部を通さないようにしたい。春日:銀行からオータニを派遺できる。そうすれば、だれにも知られなくて済む」これに対する日共の見解は、「内容は見ていないが、わが党は外国からどのような形であれ、資金援助を受けたことは一切ない」としている。

また、ソ連からの秘密資金では、日共も独自調査を行い、1993年に志位和夫書記局長名で談話を発表。「党としてソ連共産党に資金を要請したことはないし、党財政に資金が流入した事実はない。ソ連公文書では、1955年に25万ドルが党に拠出されたことになっているが、仮にそうした資金の流れがあったとしても、党として要請したり、受け取ったりしたものではない。受け取りの対象となったのは、党に隠れてソ連と内通した野坂参三や袴田里見らであり、それはわが党への干渉、破壊の意図と結ぴ付いている」と。

*(*は僕の考え)日共の弁明の方法はいつも同じパターン。党内にいた一部の者たちが、党外に通じたスパイが行ったことと切り捨てる。野坂も袴田も後に除名されているが、いずれも当時は党内の中枢中の中枢部におり、党の意思決定に十分影響力を持っていたはずである。無傷で残るのは宮本顕治に忠誠を誓った者だけだ。日共は「結党以来一貫して・・」と党史を自慢するが、戦前からの歴史の中では、銀行襲撃、同志への査問リンチ、ハウスキーパー、ヤバいことだらけだ。

★1963.3.11道新 中ソ両党中央委で書簡交換 会談の必要を確認 話し合いに糸口 急進展は望み薄 折衝にかなりの時間 フ首相芸術家会議で演説 スターリンの功績も正しく評価せよ

★1963.3.11道新夕刊 イタリア共産党 中共に再び会談を呼びかけ

★1963.3.12道新夕刊 イズべスチア紙が報道 中ソ論争 中国話し合いに同意

★1963.3.13道新 フランス共産党機関紙「ユマニテ」 中共の二党会談受諾歓迎

★1963.3.13道新 モスクワ西側観測筋 中ソ論争休戦へ 両党会談 妥協には時間かかる

1963.3.13道新 「最近の国際共産主義運動」(公安調査庁)で中垣法相が報告 西側の団結破壊工作で日本が重点目標 日共に対し「反米反独占の民族民主革命」の方向を求め、西独と並べて二大闘争目標としている 日共もとかく急進的な中共路線を支持する傾向があり注意する必要がある

★1963.3.14道新夕刊 毛主席交換書簡で提案 北京で中ソ会談を フ首相の訪問呼びかけ

★1963.3.15道新 中ソ論争 今や完全に“北京ペース” 巧妙な毛沢東戦術 強い自信示す訪中要請

★1963.3.15道新社説 カンボジア大使が言明 フ首相の訪問は未定 両党会議に持ち込まれた中ソ論争

1963.3.15道新夕刊 ILO条約批准 5年越しの課題 なぜこれほどこじれたのか 矢加部勝美(評論家)

★1963.3.17道新 世界共産党大会 微妙な中ソの主張 ソ連―両党間談が先決 中共―フ首相の“約束”要求か

1963.3.21道新 ソ連に新スターリン主義? 関心集めるフ首相演説 権威も“部分復活”

★1963.4.3道新 ソ連共産党中央委 毛主席の訪ソを招請 “平和共存”など討議 モスクワで5月15日頃

1963.4.5、6道新 深刻なソ連の芸術論争 社会問題に発展 人生に懐疑的な若い世代 “積極的な遺産”守る 党強引にイデオロギー指導

1963.4.17道新 ソ連共産党中央委のねらい 若い世代にタヅナ 指導イデオロギー確立へ

1963.4.22道新 フ首相 伊紙編集長と会見 キューバ危機後の米の態度に失望 国際共産主義何より“統一”が優先

1963.4.22道新 劉少奇国家主席インドネシア訪問の成果 反帝闘争のテコ入れ チトー大統領 米に書簡 ユーゴの中立政策不変

1963.4.25道新夕刊 前田日経連専務理事 労使休戦を提唱 日本的労務管理も要請

1963.4.26道新 クレムリンで演説 フ首相引退を示唆か いつかはありえる 国家経済最高会議議長にウスチノフ氏任命

1963.4.26道新 あすイタリア総選挙 中道左派政権に審判

★1963.4.30道新 フ首相辞任説はどこへやら 活発に動き出す 平和共存策に強い自信 対西欧に柔軟性

1963.5.2道新 米 コズロフ書記の動向に注目

★1963.5.4道新 ソ連 伊共産党進出を重視 中ソ論争に好材料

1963.5.3道新 次代のソ連指導者 筆頭にコズロフ(党幹部会員兼書記)⇒脳出血で倒れる スースロフ(同)はフ首相の“友人” “革命の子”らも働き盛り ポリャンスキー(副首相) コスイギン(第一副首相)

◎1963.5.9道新 社党中執委で了承 原水禁の大同団結 社党・総評系13団体 核禁会議にこたえ原水禁運動を再編(核兵器禁止平和建設国民会議松下正寿議長) 共産系に呼びかけ

◎1963.5.9道新社説 原水禁運動の統一条件は何か

1963.5.10道新 フルシチョフ首相の後継者 ポリャンスキー副首相 若さ、血脈、別格の地位

★1963.5.10道新夕刊 中ソ両党の幹部会議 周中共副主席が提案 来月中旬モスクワで 代表に小平総書記 膨真政治局員

★1963.5.11道新 モスクワ外交筋 中国の回答を好感 人選、時期とも妥当

★1963.5.11道新国際レポート 注目される中ソ会談 核停対立 米ソ実験再開の懸念

1963.5.17道新夕刊 コメコン(東欧経済相互援助会議)内部対立で散会か 強硬なルーマニア ソ連に反対 工業化で調整つかず

★1963.5.18道新 北ベトナム 中ソ論争で中国支持 核優位を確立せよ ユーゴ修正主義は“敵”

◎1963.5.19道新 総評評議員会「秋闘共闘委」おく 原水禁統一に5原則

1963.5.20道新 ソ連文学の芸術論争にケリ トワルドフスキー「新世界」編集長が擁護論 「イワン・デニソビッチの一日」ソルジェニティンなどは正しい

★1963.5.21道新 中ソ会談 中共正面から対決の構え 理論の純潔を重視 ソ連側に妥協の可能性

★1963.5.21道新夕刊 中ソ和解はむずかしい 入江啓四郎(成蹊大教授) 

1963.5.23道新 東欧に“雪解け”のきざし ハンガリー:ミンゼンティ枢機卿釈放か ルーマニア:経済統合でソ連に反対

★1963.5.24道新 フ首相 中ソ両党会談で言明 団結強化に努力

1963.5.24道新夕刊 フ首相演説 キューバ 米約束守らねばいつでも救援に

◎1963.5.26道新夕刊 原水協 世界大会の開催へ 3か月ぶりに活動再開

 

 

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