晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

『マイバックページ』

2011-05-28 19:49:46 | Weblog

 『マイバックページ』(山下敦弘監督 2011年作品)

 本日、封切り、JRタワー、サッポロシネマフロンティア、2回目上映、観客10数人、妻夫木聡、松山ケンイチ主演なのに、このストーリーでは、かなりマニアックな人種しか興味を示さないであろう。

 

 時代は、1969年から1972年、朝日ジャーナル記者と活動家のある事件を通した関係を描く。「マイバックページ」の原作者川本三郎は、主人公である記者その人(妻夫木聡)。

 

 作品では、登場人物の名前などを仮名としているが、実話をもとに構成されているので大体推測が成り立つ。東大全共闘議長で潜行中の山本義隆、もうひとりの主人公(松山ケンイチ)の組織は赤衛軍、事件は、自衛隊朝霞駐屯地自衛官殺害事件、それを教唆したとされるのが、京大助手滝田修。

 

 主人公の活動家は、学生運動の高揚期に遅れてきて、ただ功名心から闘争を夢想し手段としてマスコミを使う。彼は、世界を変えたいと主張するが、何のためにとの問いに対する答えは無い。彼の赤衛軍自体の実態も実は無く、滝田の関与も作り話の疑いが強い。しかし、一方の川本記者もスクープという功名心を密かに抱く。

 

 この作品を手がけた若い監督は、その時代の熱さを描こうとしているが、現在には伝わらず、団塊の世代の懐メロ的な回顧に終始してしまった。

 

 見終わって気になったのが、作中に登場した「週刊東都」(「週刊朝日」)表紙モデル。数年後21歳で亡くなったとの終わりのナレーション。  1970.1.2号から1971.12.31号でモデルを務めたのは、保倉幸恵(やすくらさちえ)、1975.7.8死亡、彼女の画像は見つからなかった。

 

 

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大阪駅がリニューアル

2011-05-21 21:06:38 | Weblog

 大阪駅はGWにリニューアルして最初の土曜日でした。駅ホームの上に巨大な屋根が架かり広場が現出しました。南へ出ても、北へ行っても人、人、人でした。

 駅周辺の開発も進行中で、大阪の顔がもっともっと変わりそうです。

 原発事故以降、何となく東京は精彩を欠いているような印象を持っています。一方、関西は京都も大阪も元気に見えます。

 もしかしたら、お金持ちの方々は既に関西以西に移動しているのではないでしょうか。「さる高貴なご一家」も放射能汚染の可能性が高い江戸を棄て、京都御所に150年振りにお戻りになられたらどうでしょうか。

 

 知人から福島第1原発の情況については、小出裕章氏(京都大学原子炉実験所助教)の言説が当初から現在を正確に捉えているよ!と教えていただきました。(「阿修羅」から探せます。)

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近江の国 彦根城へ

2011-05-17 17:19:15 | Weblog

 所用があり京都へ。京都から琵琶湖の東岸沿いを各駅停車の電車で1時間。彦根城は現存する数少ないお城のひとつであり保存状態も良い。従って、エレベータもなく、天守閣を登るには急な梯子のような階段をヒーこらヒーこら登らねばならない。

 彦根藩は代々伊井家が統治、安政の大獄、その後桜田門外で刺殺された幕末の大老井伊直弼もここで生まれる。今年のNHK大河ドラマ「江」の舞台は戦国時代の近江の国。

 今自分が立っている同じ土地の上で過去から様々な事象が生じ、それらの積み重ねが今を作っていると感じると、たかだか100年余の北海道の歴史とは時間の厚みが違うと実感する。

 

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『哲学で解くニッポンの難問』

2011-05-08 13:29:28 | Weblog

『哲学で解くニッポンの難問』(三田誠広著 講談社 2011年刊)

 

 友人の「三田誠広って、結構深いよ!」という言葉を書店の棚の前で思い出して購入。

 

 三田と言えば、30数年前に芥川賞受賞作の『僕って何』を読んだが、ストーリーはあまり記憶に残ってなく、やわな全共闘青春小説といった印象しかない。でも今思えば、『僕って何』というテーマ、自分とは何か、私とは何者か、を問うことは、とても深い哲学的な難題を掲げたものだと驚く。

 

 さて、本書は、定年退職前のポスト団塊世代にとって必読書といっても良いだろう。ただ、団塊世代には少し手遅れ気味である。

 

 現実、定年、夫婦、老いなど7つのジャンル毎に、人生相談のような一問一答形式で書かれており、三田氏によるひとつひとつの答えは常識的で凡庸な感じなのだが、読み通すと人生観が変わるほどのインパクトがある。そこには、本書を貫く著者の哲学と広い教養というバックグラウンドを感じた。

 

 例えば、Q&Aはこんな調子である。

 

 Q:老後に向かい、お金がなくて困っています。(57歳・主婦)

 A:何にお金が必要なのか、やりたいことを十個書き出してください。

 

 Q:ボランティア活動で、皆から嫌われた。なぜなんだ。(63歳・無職)

 A:「元部長」ではなく、二十歳の若者の気持ちで女性に接してください。

 

 Q:わたしは家事が得意だ。それなのに妻はいい顔をしない。(62歳・NPO職員)

 A:ソバ打ちが自慢、料理が得意な夫ほど迷惑な存在はない。

 

 Q:いまは元気ですが病気になるのが心配です。(60歳・主婦)

 A:老いと病は避けられません。

 

 私は、元旦のこのブログに、

極私的今年の目標を表明すれば、もうひとつのご飯の食べ方を模索する1年にと考えています。この会社にぶら下がっていられるのも最大であと4,5年、生きている限りは「ご飯を食べる」ためは何かをしていかなければならないので、今とは別の収入を得る方法の手がかりを本気で考えようと思っています。

 私たちの世代は、団塊の世代が大量に退職したあとを追いかけて行っているのですが、彼らは今までもそうですが、社会を徹底的に食い荒らしていくので、その後に残ったスキマを見つけていかなければならないと思っています。」と書いた。

本書を読んで、会社に勤めている間は、なんだかんだと言ってもこれまでとそれほど大きく変える必要もなく、ひとつの流れの中で振舞っていけば良いので、あれこれ考える必要がないというぬるま湯の中にいるということがあらためてわかった。

 

 著者の言う定年後の産業廃棄物化する前に本書に出会えて良かったと思う。

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日刊スポーツ豊平川マラソン

2011-05-05 16:43:48 | Weblog

 ハーフマラソン完走のあとは、寿司とラーメンのセットをガツンと食べました。(さんぱちタイガー真駒内店 南区真駒内上町5丁目4)

 記録は・・・、というレベルではありませんが、完走証を見てビックリ、昨年と比べて3秒遅れ、21.0975km走って3秒違いをどう解釈したらよいでしょうか。気温も風速も年齢も準備状況も体調も違って3秒の差。偶然というのが妥当な解釈でしょうが、それなりに体内にリズム感ができあがっていて、手抜きをせず刻んでいけば、それほど大きな違いがない結果になるということでしょうか。

 身体が習得したものは、ランニング以外にも起床時間や腹時計をはじめ日常的に様々あると思います。

 今日は、いつもと違う準備をしました。いつもは、当日の朝は、餅を3~4個お汁粉として食べるのが習慣だったのですが、今回は昨夜いなり寿司8個?(確かな数がわからない)、今朝は、6個、そして競技場についてアップ後に何と柏餅を4個食べてスタートしました。案の定、最初はお腹が重くて大変だったのですが、途中でガス欠(エネルギーの欠乏→足が前に出ない症候群)という事態にはなりませんでした。

 マラソン屋さんにおいて、このような試行錯誤は秘法を編み出すまで今後も続きます。 

 

 福島原発から放出されている放射能についての正確な情報が伝わりませんが、この国から屋外競技が失われる日が来るような嫌な予感がしています。

 

 

 

  

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コンサドーレ札幌今季初勝利

2011-05-04 20:33:01 | Weblog

 ゴンちゃんは、おそらく膝でしょうが調子を崩しているようで、ベンチにも入っていません。先週の宮の沢では、膝を気にしてあまり動くことが出来ていませんでした。

 

 明日のスポーツ欄の見出しは、「コンサドーレ札幌、今季初勝利、後半ロスタイムに執念のゴール!」というところですか。札幌ドームから帰宅しましたが、声がかすれて出ません。無意識に大きな声を出していたのでしょう。

 ドームの無い時代なら、5月の試合は厚別競技場でしたから、今日なら雪の中の観戦になっていたでしょう。

 前半の45分、後半も40分位まではゴールの臭いもしない試合でした。今日も得点無しかと諦めかけていたのですが、砂川、岡本、そしてチアゴの投入により相手ゴール前でゲームが出来るようになりました。

 先週、宮の沢の練習を見に行った時の印象で、チアゴの身体が絞れていて、非常に調子が上がっているように感じていましたので、本職のDFではなく、高さを生かすためFW(いわゆる電柱として)に起用というのは有効だと思っていました。

 最後の最後に結果が出て、ようやく今季少し闘える希望が見えたというところでしょうか。しかし、皮肉なもので、コンサの目指すパスを繋いで相手を崩して得点を!という形からではありません。

 

 休日の一日をスポーツ観戦というのは、何とも贅沢な過ごし方と思っています。明日5日は、豊平川ハーフマラソンに参戦、もっと贅沢な過ごし方として自分の身体を使って挑戦するスポーツの一日にしようと思っています。

 

 

 

 

 

 

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『新たなグローバリゼーションの時代を生きて』

2011-05-02 20:45:04 | Weblog

2日続けてシブシブの雨、本日2日は営業日だったが、こんな夜は、雨読に限る。明日、天気が回復したら、晴走しよう。

 

 

 『新たなグローバリゼーションの時代を生きて』(太田昌国著 河合ブックレット36 河合文化教育研究所 2011年刊)

 

 河合塾の予備校生向け講演会をブックレットにしたものだが、学ぶべき考え方があったので記す。太田氏の話は、大学受験には全く役立たないと思うが、その後の思想形成のきっかけ位にはなるだろう。しかし、受験を前にしてそのような余裕があるのだろうかと心配。

 

 河合塾自体は受験産業そのものだが、ポリシーがあるからか、罪滅ぼし的にかはわからないが、研究所を持っていてユニークな研究者を抱えている。以前は、亡くなった作家の小田実も所属していた。

 

 ずっと釧路出身の太田昌国を追いかけている。氏の著作には、『「ペルー人質事件」解読のための21章』『ゲバラを脱神話化する』『日本ナショナリズム解体新書』『「国家と戦争」異説』『「拉致」異論』『暴力批判論』『拉致対論』などがあり、氏は一貫して第三世界に視座を定め、この国の現状を批判する。なぜか、釧路と第三世界論に通底するものを感じるのは、私も釧路という土地で育ったためか。

 

 本書は、もし今、チェ・ゲバラが生きていたら、グローバリゼーションの現状にどのようなコメントをするだろうか、と問い、ゲバラは1959年に来日した時と同じく徹底的な米国批判の後、この国に対しては、米国の従属(ポチ状態)を一刻も早く断ち切るべきだと言うであろう、と答える。

 

 太田氏の「国家の悲観主義(ペシミズム)、人民の(楽観主義)オプチミズム」という言葉が印象に残ったが、これは、ロマン・ロランの「知性のペシミズム、意思のオプチミズム」から来ているのではなかろうか。

 

 国家を論じることのペシミズム、それは、国家権力の打倒、その後握った権力の悲惨の歴史を我々は学んでいるからだ。国民国家は黄昏を迎えている。国家に拘泥してはいけない。楽観主義で行こう。

 

 もうひとつ太田氏の「自分の悩めることだけに悩んでいる、悲しめることだけに悲しんでいる」ことから「ちょっとはみだして、悩めないことを悩んでみる。悲しめないことを悲しんでみる。その一歩踏み出す。」という言葉。それは、国家に同一化している自分自身から自分を取り戻す言葉のようだ。

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『権力を取らずに世界を変える』 その1

2011-05-01 15:06:50 | Weblog

『権力を取らずに世界を変える』(ジョン・ホロウェイ著 大窪一志・四茂野修訳 同時代社 2009年刊)

 

2年前に購入した540ページほどの書であるが、何回かチャレンジしているが中途で挫折を繰り返している書である。しかし、この「権力を取らずに世界を変える」というメッセージは、その後、自由のことを考えたり、無政府主義的なことを考えたりしている中でも、常に頭の中で気になるフレーズなのである。

 

ホロウェイの問題意識は、最初の「日本の読者のみなさんへ」で端的に表明されている。(以下、「 」は要約引用)

 

「資本主義が人類にとって破局をもたらすものであることが明らかになってきた。では、どのように資本主義を倒す革命を起こせばいいのか。20世紀の革命は失敗に終った。それも、多くの災厄を招き寄せながら。

 

本書の狙いは、革命が21世紀にもっている意味をめぐる論議の扉を開くことにある。ラディカルな社会変革の可能性について語ることができるようになるためには、20世紀において一般に受け入れられていた、革命の中心課題は国家権力を獲得することにあるという考え方を問い直さなければならない。

 

権力を取らずに世界を変えることが必要だ。それは、どうやったらできるのだろうか。そんな不合理なことを追求した本である。」

 

1 叫び

本書は、「初めに叫びがある。われわれは叫ぶ」というフレーズから始まる。「怒りからこそ、思想が生まれ出る」

 

「私たちの出発点は、私たちがまちがっていると感じている世界を拒絶すること。否定的なものだと感じている世界を否定すること。これが、私たちが握って放すべきではない観点だ。」

 

「私たちっていったいだれ?」「私たちは、純粋なものではなく、雑然とした存在であり、対立した社会から生まれ出てきた対立をはらんだ存在である。感情をわきにおいて、客観性を重んじることから出発してはいけない。」

 

「私たちの叫びは単なる恐怖の叫びではない。自由になることを夢見ているから叫ぶのだ。」

 

「この本の狙いは否定性を強めることだ。」「否定の思想のうちで最も強力な潮流はマルクス主義だが、否定の思想を「イズム」に変形したため、否定の力を狭めてしまった。」

 

「私たちは、平穏な生活を守るため、飢餓や暴力や不平等に対する嫌悪や違和感を意識的もしくは無意識的に抑えている。」

 

*ホロウェイが述べていることは、例として、子どもたちの中(社会)で、いじめ(理不尽)が存在する時、アンケート調査や道徳(理論)を説いても問題の解決にはならない。必要なのは、自分で加害の相手を裏庭にでも呼び出して、渾身の一撃を食らわすこと(叫び!から)にしか打開の道はないのではないかという提起である。

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