年度末、会社内外の飲み会が続いた。先週4回、今週4回、明日から新しい年度、歓迎会などまた飲み会があるのだろう。
今日は、午前中に時間がとれたので、久しぶりに屋外を走る。気温は、2℃くらいで寒かったが、太陽が出ると日差しが強くなってきたのを実感できた。自転車道で併走する人もいて、10km余りをかなり追い込んで走ることができた。もっともっと距離を走りたいと思う。
とりあえずの目標は、GWの豊平川ハーフ、6月のJAL千歳ハーフで昨年よりタイムを良くしたいと思っている。
『滝山コミューン一九七四』(原武史著 講談社 2007年刊)
本書は、福井紳一著『戦後史をよみなおす』(講談社 2011年刊)で引用されていたことが購読のきっかけである。
著者は、自身が通った首都圏近郊滝山団地の小学校での体験をもとに、集団主義的な教育方法を批判する。
原氏は、『自らの教育行為そのものが、実はその理想に反して、近代天皇制やナチス・ドイツにも通じる権威主義をはらんでいることに対して、何らの自覚ももたないまま、「民主主義」の名のもとに、「異質なものは排除ないし絶滅」がなぜ公然と行なわれたのかである。』と問う。(P212引用)
原氏は、ある若手の教師が導入した全国生活指導研究協議会(全生研)なる団体が提唱する学級集団づくり、個人の自由を認めず集団の力を競わせ、規律違反(者)は、全体から排除される相互監視制度を批判する。1970年代は、今だ社会主義的な思想の全盛期、その中で、1974年当時その小学校に在籍していた原氏は、そこで実践された教育に違和感を抱く。
しかし、本書の意図は、必ずしも明解ではない。未だに民主集中制を組織原理としている日共を批判するわけでもなく、1970年代には実際にこのような教育が行なわれていたという事実を描写したかっただけなのだろうか。今さら、社会主義原理を批判してもしょうがないのに。
私が興味をもったのは、本書の中で全生研がもたらした集団づくりと同様に批判されている「水道方式」という算数の指導方法を編み出した遠山啓(東工大)教授である。遠山氏については、吉本隆明氏が、『遠山啓さんのこと』(「海」昭和54年11月号、『初源への言葉』1979年に所収)で、戦後まもなく茫然自失状態にあった吉本氏が、東工大で「量子論の数学的基礎」という遠山氏の講義を聞き、学問に目覚めさせてくれた恩師として感謝の言葉を書いている。
吉本を評価する福井氏の著作で紹介された原氏が批判した遠山氏が、吉本の恩師だったという関係に何かしらの因果があることに驚いている。また、初めて聞いた「水道方式」という指導とはどのような方法なのだろうか。こちらにも興味が湧いてきた。