なぜ今ごろになって桜が咲くのか?この間の大きな変化は、この国の宗主国である米国でバイデン政権への移行が始まったこと、そしてその意向が検察を動かしていると推察する。米国では、アへ(スカ)=トランプの関係の見直しに着手し始めたのだろう。では、バイでンは誰を選ぶのだろうか。僕は、先週の羽鳥慎一モーニングショーでテレ朝社員の玉川徹氏が「検察に期待したい」と発言したときにピンときた。検察の本質は正義の具現者などではなく、所詮岡っ引きなのに。
『戦争の日々―天皇から娼婦まで、戦時下日本の実況ドキュメントー(上・下巻)』(朝倉喬司著 現代書館 2009年刊) その3 厚生省の起源
スカ首相が宣う「国民の命と暮らしを守る」。僕は、国民の健康を増進するのが厚生労働省の役割と思っていたのだが、そもそも(旧)厚生省なる役所は、良い兵士の生産という目的からスタートしていた。
(上巻88Pから要約引用)「厚生省は、陸軍が内閣に提案して1938(昭和13)年に体力局、衛生局、予防局、社会局、労働局の5局をもって創設された。その中で最も重視されたのは『国民体力の増強』を目指した体力局だ。同省は、1939(昭和14)年に『国民体力法』を制定し、翌40年に17歳から19歳の男子に、身長、体重、胸囲、精神知能検査、疾病検査(花柳病、結核等)、体質、畸形、不具などの項目の体力検査を実施した。その結果、病気や劣等性ありと認められた者には、治療、矯正のための施設利用が命じられた。」
当時は、兵隊として有用かどうかの一点で人を評価していた。徴兵検査(20歳)前の男子の体力を検査する目的は、兵士の予備軍をいかに鍛え上げるかだったのだろう。しかし当時は欧米人と比較するとあまりにも体格が貧弱だったのは明白だ。さる高貴な御方とマックアーサー氏の並んだ写真が如実に語る。そうなると残された強みは、大和魂、武士道精神を持ってすれば必ず勝てるという根拠もない精神力だった。
(上巻90P)「同じく1939年には、厚生省は『国民職業能力申告令』、『国民徴用令』を公布した。前者は、鉱工業や輸送業に関わる専門技能を持つ国民を登録し一朝有事が発生した場合に動員するために予めデータベースを準備したのだ。後者は、国の行う総動員業務に対し、厚生大臣が就労を命じることができるというものであった。召集令状の労働版だった。」
さらに、「1940(昭和15)年には『国民優生法』が公布された。悪質の遺伝性精神病者、同精神薄弱者、同病的生格者、同身体疾患者、同畸形者の本人、両親、配偶者などから優生手術の申請があった場合、妥当性を判断し知事の名において必要なものは断種を行うとした。」
さきに書いた「赤紙」のシステムを効率よく動かすためには、予め国民に係る個人情報を収集しておき、即座に国家が召集(軍、労働)を命じることができる体制を作ったのだ。そこには弱者の保護や差別を排除するという視点はなかった。