晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

森の響フレンドコンサート 札響名曲シリーズ2018-2019〜愛を奏でるラフマニノフ〜

2019-02-27 10:31:49 | Weblog

良い言葉に出会ったのでメモする。「湖に浮かべたボートを漕ぐように、人は後ろ向きに未来へ入っていく」、「我々は未来に後戻りして進んでいく」(ポール・ヴァレリーだそうだ。)理系の僕が歴史や哲学を学ぶことの意味を教えてくれる。

 

森の響フレンドコンサート 札響名曲シリーズ2018-2019〜愛を奏でるラフマニノフ〜 2019.2.23       

友人からチケットをいただいたので、出来てから20年位経っていると思われる札幌コンサートホールKitaraに初めて足を踏み入れた。中島公園が近づくとなぜか気持ちが逸ってくるのは、僕にとってあの場所は音楽の聖地というよりも、かつては北海道マラソンの栄光のゴール地点だったからだ。事前に聞いていたとおり、前後の座席スペースが狭い。これは札幌ドームも同じ。立派なパイプオルガンはいつ使うの?

クラシック音楽の予備知識は全くなし。オーケストラをライブで聞いた経験なし。吉田拓郎、甲斐バンド、浜田省吾・・メロディではなく歌詞に共感する聞き方をしてきた。詩のない曲をどのように聞いたらいいのだろうか。

指揮者は尾高忠明、聞いたことがあるから凄い方なのだろう。

1曲目、芥川也寸志「弦楽のためのトリプティーク」 

この曲に対する印象は「トムとジェリー」。手渡されたパンフレットによると、芥川也寸志は1954年に当時国交の無かったソ連に密入国し、ショスタコーヴィチ、ハチャトゥリアンらから学んだという。1956年のスターリン批判前の社会主義リアリズム万能のソ連に憧れをもったという彼の人生に興味を持った。まだ理屈を考えながら演奏を聞いている。

2曲目、ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番ハ短調op.18」

松本清張「砂の器」のイメージ。ピアノの岡田奏さんの演奏は迫力があった。50人の楽団を圧倒していた。吹き出す汗をぬぐいながら全身を使ってピアノを叩く。鍛えられた腕の筋肉が凄い。ピアノって端から端までを使うと今まで聞いたことの無いような色々な音が出るものだ。

3曲目、ムソルグスキー「組曲 展覧会の絵」

これって超有名な曲、出だしのファンファーレが耳に残る。最初は漠然と舞台を見ていたが、徐々にこの音色はあの楽器が出しているのだなとわかる。指揮者は曲の進行よりワンテンポ先を振るのだな。指揮者の考えによって曲が変化するというのも少し理解できた。

アンコール、曲名聞き取れず。3曲目が終って客席から声がかかり拍手が続き、指揮者が退場と入場を繰り返し客席に挨拶をし、アンコールを終えて終演までの流れは、決まり事のようでとっても不自然。否、慣習も大事だ。

僕は50歳を過ぎてから各地の美術館に行くようになり、それまで全く興味を持てなかった絵画に少しだけだが感じることができるようになったと思っている。音楽も同様、たくさん聴くことによって耳が肥えてきて、感じることや比較もできるようになってくるのだろう。札響のレベルやその日の出来がわかるというのはずっと先のことだと思うが。今回の経験を経て、少し耳が変わったと思う。音楽が聞こえてくると、この音はどんな楽器からの音なのかなと自然に聞き分けようとしている自分に気づく。一時的に少し成長。

 

最近はまってしまっている音楽番組は、クラシックとは対極にあるが、BS12日曜日21時からの「ザ・カセットテープ・ミュージック」。

 

 

 

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夏目漱石 『草枕』(漱石全集第2巻 その3)

2019-02-24 09:51:16 | Weblog

国会中継を見ていると「委員長、速記を止めて下さい!」と叫ぶ野党。質問者の持ち時間が、質問と答弁の合計時間だから、政府側が聞かれてもいないことをダラダラと答弁しても時間を消費できる。解決は簡単だ。質問に要した時間のみを質問時間として計測すれば良いのである。答弁が長くても、審議が中断しようが質問時間はキープできる。小泉進次郎氏へ、国会改革です。

 

『草枕』「漱石全集第2巻 その3」(夏目漱石著 岩波書店 1965年刊) 

主人公の絵描きが何日か宿泊した旅先で体験したことが素材。僕からみれば、何気ない出会い、当たり前のような会話、所作・・凡人なら何も感じないようなことに対して、漱石の中では想像が想像を呼び、言葉が溢れるように湧きだしてくる。当時(明治39(1906)年9月1日発表)の文芸情況はわからないが、漱石のこの内面の表現は、とても斬新でその膨大な内省は大衆に強い衝撃をもたしたのではないかと思う。

では、実際の漱石という人はどのような人物なのだろうか。次から次へと繰り出す言葉、その語彙の豊富さ、流れるような文体。そこから連想するのは頭の回転が速く、饒舌、多弁、おしゃべりな人というイメージだが、頭の中の活動と表現内容、口での表現と文章での表現は全く次元が異なることなので、どういう人なのかはわからない。口数の少ない寡黙な方なのかも知れない。

知人の教師と議論になったことがある。学校における言葉活動とはどういうものかと問うと、コミュニケーションの手段に重きをおいた答えが返ってきた。書かれていることを理解し、自分の意志を的確に相手に伝える、そして集団を高めるという。僕の実感からも納得できた。教室の中では、よく発言する子ども、友人とうまくやれる子どもが優秀とされてきたから。

しかし、そこには軽んじられていることがあるのではないか。人間は言葉を用いて物事を考えているということである。それも基本的に母国語を使って。僕は頭の中で常に日本語(方言も含む)で考えている。

会社でもコミュニケーション能力ばかりが問われるが、ひとりになること、ひとりで深く考えることはとても重要なことだと思うし、孤独やひきこもる、付き合いが悪いなどということはちっとも良くないことだとは思わない。漱石を少しばかり読んでそう思った。

 

「漱石や鴎外も読まないで吉本隆明を読んでわかったなどと偉そうにしている奴がいる。」という言葉を噛みしめながら

 

 

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夏目漱石 『坊っちゃん』(漱石全集第2巻 その2)

2019-02-13 10:09:36 | Weblog

釧路の太平洋石炭販売輸送臨港線が6月にも廃止されるという。春採の選炭場から知人(しれと)間4km、春採湖の湖畔をとおり、千代ノ浦海岸のふちを行き、釧路港の知人まで、地元では「臨港鉄道」と呼ばれている。1963年まで旅客輸送も行っていたそうだ。今より路線も長かったはずで、こどもの頃、春採から南大通まで乗った記憶がある。アイスホッケーのクレインズも廃部されるなど故郷くしろからの寂しいニュースだ。

 

『坊っちゃん』「漱石全集第2巻 その2」(夏目漱石著 岩波書店 1965年刊) 

『坊っちゃん』は、日露戦争が終った直後の明治39(1906)年4月1日に書かれているから、今から100年以上も前のことだ。漱石が中学校教師として四国松山に赴任した時の体験を基にしたということだ。

主人公の坊っちゃんは、中学校の教師として初めて大人の世界に飛び込んだ。全く知らない田舎で、知らない人の中で生活を始める不安。しかし、坊っちゃんは都会の誇りを全面に掲げ、弱みを見せない。

自分が受けたその人に対する第一印象が果たして正しいのか。その人の言っている他人の評判をにわかに信じていいのか。関わりが深まる中で、徐々に人物を理解できるようになり、人間関係も次第にできあがってくる。自分にとって誰が信用できて、誰に用心しなければならないか。

これらは多くの人に共通する体験だと思う。入学、就職、転居・・人は人生の中で何回もその人を取り巻く情況が変わる。その度に坊っちゃんと同じように人の中で、自分のポジションを決めていく。生きていくうえで必須な動物的なカンというものだろう。

正義感の強い坊っちゃんは、ときどき周囲とぶつかるが、「いつでも辞めてやる」とどこかに逃げ道を用意している。これも僕らにはよくあることで、強がっていてもそうしないと今にも挫けてしまうからだ。そんな時、主人公は東京に残したお手伝いの清さんをなぜか母代わりのように思い出してしまう。ここがつっぱてるように見えるが坊ちゃんの坊ちゃんたる所以である。

登場人物たちはそれぞれのキャラが立っていて、100年前も今も素直に面白い青春小説だ。

 

「漱石や鴎外も読まないで吉本隆明を読んでわかったなどと偉そうにしている奴がいる。」という言葉を噛みしめながら

 

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追悼 岡留安則(元『噂の真相』編集長)  

2019-02-05 10:33:14 | Weblog

早朝、午前、午後、民法TV4局のワイドショーは、よくもこう同じ話題についてパネルを使ってシールをめくりながらの説明、コメンテーターたちがおしゃべりをするという独自性も工夫もない番組を垂れ流しているものだ。時間と電波の空費。TVでよく使われている「~かも知れません」、「~させていただきます」という言葉、僕は使いたくない。

 

追悼 岡留安則(元『噂の真相』編集長)    

僕のいい加減な部分というか精神の安定をもたらせてくれた雑誌は、『現代の眼』、『新雑誌X』、『噂の真相』だったのではないかと思う。

浪人をしていた1973年位から『現代の眼』を愛読していた。この雑誌は木島力也という総会屋がスポンサーのいわゆる総会屋系雑誌、編集長は丸山実、経営と編集は完全に分離されていて毎月多彩な特集を掲載していた。竹中労、松本健一、山川暁夫などの書き手を知った。しかし、1982年の商法改正で総会屋が締め出され1983年廃刊に追い込まれた。丸山はその年に後継雑誌『新雑誌X』を創刊、10年ほど続いた。

『噂の真相』は、1979年に創刊されていたが、『新雑誌X』廃刊後、彷徨っていた僕を救ってくれたのだと思う。毎月発売日が待ち遠しかった。『噂の真相』の魅力はどこにあったのだろうか。第一にタブーに挑戦していたことだ。皇室記事で右翼の殴り込みを受け、岡留氏が血だらけになったこともあった。森喜朗総理の学生時代売春防止法での検挙歴、当時はガードが高く扱うことができなかったジャニーズ事務所のスキャンダルも報じていた。ヤメ検という言葉を知ったのもこの雑誌だ。芸能人、政治家をはじめ著名人たちは岡留氏の情報ネットワークの広さが脅威だったと思う。残念ながら『噂の真相』は2004年に休刊。

その頃は、会社の仕事も忙しくなり多少の責任も背負う真面目な会社員にならざるを得なかった。片面つまらない人間をしていたのだと思う。2年前から無業者生活になり、あの頃のいい加減さを取り戻そうと書店を探し、現在は『紙の爆弾』に注目している。2005年創刊ということだから『噂の真相』の後、すぐに『紙の爆弾』へという道もあったのだと少し後悔している。現在はネット上でも様々な情報を得ることができるが、僕はやはり紙の方がいい。

 

 

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