「『資本論』の中におけるマルクスの心情」 その7
『資本論 第一巻 ㊤・㊦』(今村仁司・三島憲一・鈴木直訳、筑摩書房マルクス・コレクションⅣ・Ⅴ 2005年刊)を使用しており、今回から㊦巻に入る。
マルクスの分析は、第13章「機械類と大工業」に進む。第3節「機械経営が労働者に及ぼす直接的影響」、「a資本による補助的労働力の取得。婦人労働と児童労働」で、マルクスは、(P38)「機械類は筋肉の力を不要なものにする。」「労働者家族の全メンバーを性と年齢に関係なく資本の直接の命令下に編入しそれによって賃金労働者の数を増加させる一つの手段と化した。資本家の強制労働によって、子供の遊び場が奪われたのみならず、良識の枠内で家族自身のために家庭で営まれていた自由な労働の場もまた奪われた。」
機械性大工業の発達とともに、成人男性に限定されていた労働者が、女性と子どもにまで拡大され、労働現場に動員される。
(P40)(註121)「子供の世話や授乳といった、ある種の家族機能は完全にやめるわけにはいかないので、資本に取り込まれた家庭の母親たちは、多かれ少なかれ代わりの人を雇わねばならない。また家庭生活に必要とされる縫い物や繕い物などの仕事は、既製品を買うことで間に合わせるほかない。こうして家事労働の支出が減るのに対応して貨幣出費が増える。その結果、労働者家族の生産コストが増大し、収入増加分を相殺してしまう。そのうえ、生活手段を利用したり調達したりするさいに節約したり、無駄を省いたりすることができなくなる。」
ここで述べられていることは、百数十年後の現在も基本的に変わっていないと思う。母親が働くために、子どもを保育園に預ける。家事労働は、既製服の購入、洗濯の外注、加工食品の利用、外食・・に代替され、収入が増える分、支出も増屋さざるを得ない。働けど働けど生活は楽にならずは、共稼ぎ世帯での実感。
ただし、女性の社会進出についてのマルクスの認識については、1世紀以上も前ということで当然に時代的制約がある。