晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

退職挨拶の葉書

2015-05-30 08:43:34 | Weblog

 退職挨拶の葉書

 ヘトヘトに疲れながらようやく定年退職にたどり着いた、とりわけ最後の一年間は長く辛く感じました。辞めてから2か月が経ち、リハビリで心と体に少し元気が戻ったと思います。5月になってから職場の先輩、同僚、知人、友人などに退職挨拶の葉書を出しました。

 謹啓 暖冬と少雪の影響で北海道の桜も例年より早く咲きましたが、皆様にはお元気でお過ごしのこととお慶び申し上げます。

                                                 さて 私こと

 このたび、三月三十一日をもちまして、○○部を最後に、●●会社を定年退職いたしました。1980年に勤めて以来、様々なことを学んだ三十五年間でした。この間、公私ともに多くの皆様から温かいご指導をいただきましたことに厚くお礼を申し上げます。

 四月からは、新たに勤務することになりました○○会社では、初心に帰って努力してまいりたいと考えております。

 末筆ながら、皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げ、お礼のご挨拶とさせていただきます。

                                                   敬 具

 

 現職の時は、土日の営業が続いていても「今が花だな!」と自分を納得させたり、このドタバタの煩わしさから早く逃れたいと思ったり、気持ちが揺れ動きましたが何だかんだと言っても終わりの見えていることでした。

 今は、第二の職場に勤めていますが、僕たちの世代は、61歳になるまで年金が出ない、65歳までは満額にならないので、生活上働かざるを得ない人が多いと思います。しかし、仕事をリタイヤして時間ができたら、今までできなかったことをやりたいと思っている人も多いです。これまでの人たちと異なり、これからの人たちは、中々スタンスの決まらない情況に追い込まれ始めています。僕も同じです。

 

 

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アイヌ民族博物館とカイ君 

2015-05-24 16:59:29 | Weblog

 5日の豊平川ハーフマラソンでの大ブレーキの反省から、週末ランを中心に距離と強度を強めて走っていますが、今日は午前中の7.5km走×2回で少しやり過ぎてしまい、昼食は吐き気が酷く喉を通らず、1時間ほど倒れていました。こんなのは、久しぶりのことです。こんな情況なので、6月末のきたひろロードレースは、30kmにするか、15kmにするか迷いましたが、15kmにしました。

 アイヌ民族博物館とカイ君

 機会があって白老町にあるアイヌ民族博物館に行った。そこに、ソフトバンクのCMで有名になったお父さん犬・カイ君の子孫がいた。毛が白く、顔も良く似ていて、ただ気質はとてもフレンドリーであった。表示はアイヌ犬ではなく北海道犬であった。

 博物館などの施設内では、コタンの説明や古式舞踏の演舞、ムックリの演奏、展示物などを見ることができる。それぞれのコーナーで担当の方から解説をいただいたが、アイヌ民族のアイデンティティをしっかりと述べていたのが印象的であった。

 解説では、アイヌは、川の支流が海に注ぎ込む地点に数戸ずつ集落を作り、ずーっと北海道全体で3~4万人が増えもせず減りもせず暮らしていた。この数は、農耕をしない狩猟民族なので、その土地の生産力に見合う数、これ以上を養うことができないという数なのだろう。そこに突然、明治時代になりロシアの南下政策に国防上の危機感を覚えた時の政府による「北海道」開拓が始まった。その結果、それまでのアイヌの土地が奪われ、彼らの生活手段が失われた。彼らがいうには、仮にロシアの支配下になったとしても同様であったのではないか。その後、様々な差別を受けたことから、現在は多民族の共生をめざしているということである。

 *(*印は僕の感想)僕は説明員の方に「アイヌと沖縄で言葉や習俗などに共通点はありますか?」と質問した。元々、この国には原日本人とも言うべき狩猟民族が暮らしていて、おそらくアイヌ民族のような暮らしがあったのだろうが、そこに稲作を中心とした農耕民族の「和人」が入ってきて、原日本人は東北・北海道と九州・沖縄など南北に追いやられた。その和人の中で力を持ったのが天皇であり、天皇制は農耕社会を象徴している儀礼を今に伝えている。記紀神話は、天皇制の成立とともに、それ以前の歴史をデフォルメしたものだが、神話時代にある八百万の神の考え方などはアイヌ民族の持つカムイの考え方と類似していると思う。

 *天皇制に起源があるとすれば終わりもあるということになる。天皇制が、この国の農耕文化を象徴しているとすれば、現在の稲作の縮小傾向は天皇制を弱体化することに繋がっている。また、アイヌ民族のいう多民族共生社会は、理屈の上では天皇性と両立できないと思う。在日米軍の8割が本土にではなく沖縄に存在しているという情況も、この国の根柢にアイヌ民族がいうような同一の差別構造が存在するということになる。

 *カイ君を北海道犬と称するのは、本意なのだろうか。

 

 

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「1976(昭和51)年5月10日のこと」 

2015-05-16 17:31:39 | Weblog

 アへ首相の安保法制への前のめりの姿勢にまともに反対しているのは、社民と日共だが、戦地に赴く当事者の自衛官の内心はどうなのだろうか。一つだけ言えるのは、社民と日共にこちらからは誰も心配してくれと頼んではいないよ、と。でも最悪は、米軍の一部に組み込まれて、有色人種は一番危険な最前線に送り込まれるという事態だ。

 

 「1976(昭和51)年5月10日のこと」

 「1976年5月10日のこと」は、何回かこのブログに書いた。(2014.12.24、2012.2.12ほか)僕21歳、大学3年目、札幌で行われた吉本隆明の講演会。

 『吉本隆明の逆襲 一九七〇年代、一つの潮目』(渡辺和靖著 ぺりかん社 2015年刊)が、「第十章 党派(セクト)の争い Ⅰ高橋和己を偲び埴谷雄高『死霊』刊行を祝う集会 北海道大学で」の稿で、その様子に触れている。

 (以下P125引用)「講演では、集会参加の唯一の趣意である『死霊』の思想的解説と現代性を客観的に述べることに意を用いた。」(渡辺氏の表現)

 「しかし会場からわたしへの〈質問〉なるものは『死霊』にかかわるというよりも、わたしに直接あてられたものであった。わたしは当惑と矛盾を覚え、そもそもこの集会に参加したこと自体が、場ちがいなのではないかという疑念をもつようになり、この内部矛盾は、北海道から東北へ、東北から京都へと拡大するばかりだったのである。」(渡辺氏の引用)

 

 人生には忘れられない日というものが幾日かあるが、何年も経過してからそういえばあの日は、とその日、その時間の記憶の比重が段々と上がっていくことがあると思う。21歳の僕は、自分からというより周りから連れられて講演に参加したように思える。当時の僕は、吉本氏に対する特別な思い入れもなかったが、戦後思想界の巨人が札幌に来るということで、どちらかというと野次馬的に参加したと思う。しかし、まだ脳みその方は若かったので、講演の様子については記憶に残っていたのである。会場は満員で、客席の間の通路や演壇の上の講師の周りまで学生で埋められていて、メットがゴロゴロと転がっていて、あの空間には未だ熱かった時代の余韻が漂っていたのだと記憶する。

 2011年の正月休みに、『完本 情況への発言』(吉本隆明著 洋泉社 2011年刊)を読みながら、そこには、『試行』1976年9月号「状況への発言」に吉本氏の講演についての報告が掲載されているのだが、改めて気合を入れて吉本氏の著作を読んでみようと思うようになり、それから4年あまり経つが、思想には突き放している部分もあるが、古書を中心に漁って読んでいる。その中で、僕の唯一の吉本経験、「1976年5月10日のこと」の比重が増している。

 『吉本隆明の逆襲』については、記述の中で、吉本氏からの引用部分と、渡辺氏の評論部分の区別があいまいで、というより渡辺氏が全面的に吉本氏の考え方に拠っているため、吉本思想の解説書にはなっているが、渡辺氏の吉本思想を通じた批評が成立していないというもの足りなさがある。吉本が、自身はマルクス者ではあるが、マルクス主義者ではないと言っているが、渡辺氏は吉本主義者に堕していると考える。

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翁長沖縄県知事を孤立させるな! 

2015-05-12 20:56:39 | Weblog

 翁長沖縄県知事を孤立させるな!

 普天間基地の辺野古移設について、菅官房長官、アへ首相、中谷元防衛相と差しで会談をしたが平行線に終わったため、翁長沖縄県知事は、今月(5月)27日から6月5日まで訪米し、米政府(国防総省、国務省の次官補級)、議会、シンクタンク関係者に直接に沖縄県民の意思をぶつけるという。

 僕は、2015.2.6にこのブログで「野党は外交で活路を開け」と述べた。アへの弱点は外交にあり、野党はいくら内政で頑張っても差別化はできない、今は外国とのパイプを構築し外交力をつける時だと述べた。翁長知事訪米の調整は、なんと沖縄県ワシントン事務所(2名の担当者)が担っていると報道されている。知事選挙で翁長氏を支援した、日共、社民、生活、社会大衆党、自民党除名議員などは何をしているのだろうか。民主党は自主投票だったが民意を受けて岡田代表が率先して同行するなり、日共志位委員長も知事を孤立させることなく全面的に支援すべきと考える。               

 雑誌『世界』2015年5月号で「沖縄・辺野古からアジアの平和構築を」と題して、翁長知事と寺島実郎氏が対談している。その中で、米国の意思がアへ首相をはじめ現日本政府が依拠している考え方だけしかないのか、否、別の考え方もあるという可能性が示されている。

 「尖閣問題を起点にして、日米中トライアングルの中で、日本と中国の領土紛争に巻き込まれて米中戦争になることは絶対に避けたいというアメリカの意思」

 「グアム、オーストラリアまでアメリカは下がって、リスクの高い東アジアから主体的に引き上げるかもしれない可能性」

 「沖縄は、あまりにも中国が近すぎて、ミサイル数発で普天間と嘉手納は吹っ飛んでしまう。中国との関係がややこしくなってきたら、いつの日か突然、沖縄から出ていくのではないか」

 「米国内では海兵隊の存在意義そのものが問われている」

 「かつて米政府が沖縄からの海兵隊撤退を検討したが、駐留を望む日本政府が引き留めた」

 翁長知事訪米には、これからの日米関係、アジア情勢、そしてこの国の方向性がかかっていると考える。また、集団的自衛権行使を可能にする安保法制論議にも影響がある。物事には勝負どころというものがあるが、護憲、9条、平和憲法など綺麗ごとを並べて、結局アへ首相に寄り切られましたと言い訳をする前に、米国と差しで勝負しようとしている翁長知事を全面的に支援すべきと考える。

 

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エコロジスト論 吉本隆明ノオト その5

2015-05-06 16:18:54 | Weblog

 GW最終日、南郷通り万生公園の桜を見てきました。例年は中旬にならないと咲かない八重桜が咲いていました。毎年僕の花見は近間でこの程度です。

 エコロジスト論

 吉本は、エコロジストを一貫して非難してきた。農業を守れ、緑を守れ、健康に悪影響などを主張し、近年では脱原発などを掲げる人々に氏は妥協しない。

 エコロジストの提起する「死につつある自然」という概念は、「生きている自然」という概念なしには存在しない。「死につつある自然」が理念や運動となるのは、「不死なる自然」が目指されている目標であることを意味する。

 「死につつある自然」という命題の立て方は、民衆に心理的な脅迫と強要を押し付け、大衆の日常生活を圧迫する。それを運動の理念にすれば、社会ファシストと農村ファシストの跳梁になってしまうことは半世紀前(戦前)に体験済なのだ。

 *(*印は僕の感想部分)誰しも安心で安全な日常生活を送りたいと願っている。巷は誰にも反対のできないスローガンが満ち溢れている。交通安全、健康、長生き、若さの維持、禁煙、清潔、景観、自然保護、自然食・・・これら見かけ上の正しさを否定するのは相当な困難を伴う。しかし、水戸黄門の印籠と同様に面前に掲げられると皆がひざまずく様な権力性を帯びた言葉である。

 吉本は、これらと闘うことができなければファシズムやスターリニズムとは戦えないと言う。私たちは、理念として自由、平等、公平、友愛、公正、ヒューマニズムなどを掲げて理想社会を目指す運動が実際には変質し、グロテスクな社会を作ってしまった歴史を経験している。

 エコロジストたちは、一方で文明を批判しながら、その果実は享受し、拒否しないという一貫性に欠ける行動をとっている。吉本は、なぜ過疎地域や山岳地帯、砂漠地帯に彼らが理想と考える人工都市や農村を作って見せるという発想をとらないか不思議だと言う。

 *エコロジストが反動だというのは、僕には中々ストンと落ちなかったのだが、ある金曜日の夜に道庁前で行われていた脱原発行動での法華の団扇太鼓を見た瞬間から、非常な違和を感じたと同時にこれは理念に基づくものでは無く祈りだと感じた。

 

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子どもの頃、僕は(大人の約束)

2015-05-04 17:47:28 | Weblog

 子どもの頃、僕は(大人の約束) 

 明日は子どもの日。突然、思い出したことがある。僕が大人扱いをされた初めての出来事だったように感じる。

 僕の中学校は安全面から自転車通学を禁じていた。僕の家は学校から4kmほど離れていて徒歩では片道40分かかる。僕は、毎日、毎日生き返り1時間20分も歩くのが嫌になって一計を案じた。自転車に乗って学校近くの友人の家に預かってもらうのである。友人の親の了解も取り付けた。

 何日か通っていたら、ある日担任から職員室へ呼び出しが。誰かがチクったことは明らかだ。決まりを守れと説教を食らうのは必至だった。

 僕は理論武装して対峙しようと思った。

①   通っている道は、炭鉱構内の外周にある自動車の通らない道路であり交通事故の危険性は極めて低い。

②   帰宅してからは、中学校周辺も含めて自転車で走り回っている。学校の通学時間だけ禁止すると言うのは教師の責任逃れだ。

③   万一、事故にあっても学校には迷惑をかけない。親の理解も得ている。

 そして、職員室へ。担任の方が一枚上手だった。しっかりと僕の性格は掴まれていた。頭ごなしにルールを守れとも言わず、「そうだな、お前の言うとおりだ」「でも、俺の顔も立ててくれよ」というものだった。

 一瞬のことだった。ガキ扱いされると思ったのに、何かこれが大人の解決というものか、妙に自分が認められたような、大勢の中での建前的な指導とは全然違って、一対一の約束とはこういうものなのか、と。

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農業論 吉本隆明ノオト その4

2015-05-02 13:31:14 | Weblog

 近所の喫茶店で「焼きナポリタン」

 占領下に米国によって押し付けられた憲法を改正したいというアへの悲願と、今訪米して米国の言いなりで、さらに従属を深めているアへは、自らの姿をどう感じているのだろうか。

 TPP交渉で何がどのように主張されて、どこに隔たりがあるのか、その内実がちっとも報道されない。政府に遠慮した報道機関の怠慢ではないか。交渉の既成事実だけが積み上がって、公表された時は全て合意に達したということになるのではないか。

 農業論

 吉本隆明は変わらない。吉本は、論争の人である。初期の頃、「ぼくが真実を口にするとほとんど全世界を凍らせる」(廃人の歌)と謳った。氏は、今になってもエコロジストはもちろん農業者全てを凍らせるようなことをあえて発言する。

 産業が高度化するほど1次産業は衰退する。従って、農業が衰退するのは不可避だ。コメの自由化は必然だ。自由化反対を主張することは歴史に逆らうことである。進歩政党(講演時は社共)は、農業を守もれなどといい恰好をしているが、それよりも農業から他産業への移行費用を補償させる要求をすべきだ。

 日本農業をつぶすなという議論を進めていくと、国家主義になる。貿易摩擦の議論も突き詰めていくと国家主義、民族主義につながる。究極的には、国家は開いていって、歴史の過程で無くなった方が良い。

 農業は生産性が低く、労多くして益少ない、しかるに衰退するのは必然である。農業を継続するためには、共同経営にして生産性を上げ国際競争に挑むか、高次産業と結び付けなければいけない。農業以外の者が一国的な自給自足や地産池消を一方的に唱え、緑の保全などを主張するのは不見識だ。

 *(*印は僕の感想部分)吉本氏は、農業者が聞いたら激怒するようなことを敢えて発言する。また、僕は、以前このブログで、TPP反対者の方の論理からは、ナショナリズム、国家主義的な臭いが感じられてきてとても歩調を合わせることはできないと書いた。

 *吉本の全世界を凍らせる議論の射程は、歴史の方向性を踏まえた、国家の廃絶と言う究極の姿を視野に入れた議論であるのに対して、現実の情況の中での議論とは自ずと食い違うのは当然だと思う。

 

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