晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

安彦良和 斉藤光政 『原点 THE ORIGIN―戦争を描く、人間を描く』

2017-04-30 09:32:04 | Weblog

久々の京都小旅行、ふらりと入ったのが老舗喫茶店「スマート」、入り口付近に置かれた年季の入ったドイツ製の焙煎器で煎られた酸味の効いたコーヒー、ホットケーキとともにいただく。珠玉の一杯。

 

『原点 THE ORIGIN―戦争を描く、人間を描く』(安彦良和 斉藤光政著 岩波書店 2017年刊)     

NHKのEテレで『浦沢直樹の慢勉』という不定期の番組があり、漫画家の作業部屋に定点カメラを持ち込み、作品が仕上がっていく様子を捉え、その作者と浦沢氏が語り合う内容だ。一本の線の引き方、作者のこだわりというか勝負所で絵の表情がこれほどまでに変わるものかといつも驚く。1シーンにここまで時間と知力を注ぎ込んでいるのか。ただ、どちらかと言うと作画のテクニックを重視している番組である。

そうであれば、作者がなぜこの作品を書いたのか、そこで何を表現したかったのか、という視点も気になってくる。本書は、それに答える。漫画家安彦氏の思想の原点を、斉藤氏が他者としての安彦思想を追及する部分と、安彦氏本人が自分を語る部分とが交互に繰り返され、複合的に描こうとしている。

安彦氏の歴史観、社会感の原点は、弘前大学時代の学生運動にあると言うのが両者の一致した結論なのだが、そうなのかなあと疑問が残る。氏の生まれは、北海道遠軽だが、そこで18歳まで育ったことで形成されたもの、社会に出たあとで様々な経験から獲得したものが、もっともっとあるのではないか。全共闘運動が生んだ英雄物語に矮小化され過ぎていて、複合的な視点の効果が出ていないと感じた。

なお、安彦氏の作品については、このブログ2012.10.16に『虹色のトロツキー』について、2013.1.6に『古事記 ナムジ 大國主』で感じたことを書いた。

 

 

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高橋源一郎 『恋する原発』

2017-04-18 16:14:03 | Weblog

『恋する原発』(高橋源一郎著 講談社 2011年刊)

えっ、まさか!小学校の保護者会の会長で、登下校の見守りしているような人が・・なぜ?

もし、マスコミからインタビューを求められたら「何とも信じられませんね」と発するのが無難なコメントだろう。僕は、吉本(隆明)さんならどんな風に考えるだろうかと思った。「人間は、自分が良いことをしていると思った時点で、大体ダメなんだよ」と言うに違いない。(現在は、被疑者は逮捕されたが容疑の段階で刑は確定していない。)

世間には、見守り活動をはじめ、ボランティア活動、災生時の募金活動を率先する人など、善い行いをしている人が多数いる。しかし、善いことをしているということと、悪いことをするということには、何の相関関係もないということなど皆が百も承知のことである。

本書が刊行された2011年は、3月11日に東日本大震災が起き、福島第1原発のメルトダウン、世の中が騒然とし、ヒサイチ、シエン、ガンバレ、セツデンなどの言葉が飛び交っていた。本書が書かれたのは、著者にとってこのような社会全般の雰囲気が異様に感じられたからだと思う。

登場人物たちが試みるのは、チャリティーAV制作による被災地支援募金という方法。非常識で不謹慎と罵声を浴びせられることで、現状に対する違和感をわかってほしいという著者の狙い。この国は、全員がどこか一方方向に行ってしまう危うさを常に持つことへの警告。(ちなみに、AV制作現場の描写なら『全裸監督 村西とおる伝』「本橋信宏著 太田出版 2016年刊」の方がリアリティに富んでいる)

本書で著者は、善いことをしているということと悪いと言われていることの間には、少しの差も無いということを言いたいのだと思う。

 

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ホロウェイ 『権力を取らずに世界を変える』

2017-04-10 19:20:41 | Weblog

久々にTVのワイドショーを見たら、まさに朝鮮戦争開戦前夜のようです。自衛隊の南スーダンからの撤収、そして朝鮮半島への出兵が正夢にならないといいのですが。おそらくテレビ出演しているような人たちには、肉親や友人に自衛隊関係者がいないと思われ、戦争を他人事のように語っています。僕は、こんな暴論を夢想しました。いっそのこと、富裕層も政治家の子弟などにも機会平等な徴兵制度にした方が「反戦」に繋がるのではないかと。

 

『権力を取らずに世界を変える』(ジョン・ホロウェイ著 大窪一志・四茂野修訳 同時代社 2009年刊)

『権力を取らずに世界を変える』とは、何て!魅力的なスローガンなのではないか。このブログ「2011.5.1『権力を取らずに世界を変える』その1」で僕はこう記した。「2年前に購入した540ページほどの書であるが、何回かチャレンジしているが中途で挫折を繰り返している書である。しかし、この『権力を取らずに世界を変える』というメッセージは、その後、自由のことを考えたり、無政府主義的なことを考えたりしている中でも、常に頭の中で気になるフレーズなのである。」と。

その後の6年ほどの間にも何回か挑戦、そして挫折を繰り返してきた。書棚の中で、俺を読破せよ!と主張し続けている本書を、4月からの無業者生活のおかげでようやく曲がりなりにも読み終えることができた。何故か安堵!

現在、僕はこのブログで「戦後左翼史」と題して古新聞の切り抜きを素材に、左翼の病理について自省を込めながら考えている。ホロウェイの主張は共感するとともに非常に参考になった。

周知のように、従来からの左翼の常識では、『世界を変えるために権力を取る』というものである。これまでの社会主義国家での現実、それは国家権力を握った党派が国内政治において労働者国家を謳いながら、労働者に対して極めて権力的な振る舞いを行い、抑圧的な体制を築いたという歴史だ。それをスターリニズムとして批判したまでは良いが、反スタの看板を掲げた党派もまた党内政治において異論を許さず、抑圧体制を敷いた。そこにはもはや原理的な誤りがあると考えざるを得ない。要するに、レーニン主義、前衛党、外部注入論、民主集中制・・はダメだということである。

『世界を変えるために権力を取る』のアンチテーゼとしての『権力を取らずに世界を変える』はいかにも魅力的なスローガンだと思う。しかし、ホロウェイは、そのためにどうしたらいいのか、日常における小さくても具体的な行動の積み重ねが重要と語るが、世界を変える道筋は示さない。否、示すことができない。各自で内発的に考えることが重要とだけ言う。

古くはアナーキズムとボルシェビズムの論争があった。僕は、アナーキズムは言説が情緒的であり、ホロウェイも同じ匂いがするが、そこからは全く次元の違う政治段階での展望は開けない。ロシア革命の失敗は、国家権力獲得後に国家の廃絶を放棄したところにあると考える。ホロウェイはそこまで語っていないが、僕は国家を開いていく方向、国家から権力を奪っていく方向があらゆる判断の基準となると考える。具体的には、国家の持つ徴税権を奪うこと、国家による徴税を否認することが、国家権力を弱めることに繋がる第一歩と夢想している。

 

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2006年4月6日

2017-04-07 19:07:58 | Weblog

ご無沙汰でした。4月から「自由人」生活が始まりました。

自由の定義がされていないので正確には、賃金を得るための仕事をしていない状態です。

まさに理想の「晴走雨読」生活です。午前中はランニング、午後からは近くの図書館に居場所を見つけました。受験生らしき若者に混じって、読み書きをしています。

会社に通っていた時よりも一日の中身がグッと濃い感じがしています。第2の職場は、濃密さが少し不足していました。その2年間の空虚感を埋めるべく時間を大事に使おうと思っています。

このブログは、2006年4月6日に「断絶」でスタートしてから11年が経過しました。立ち寄っていただきましてありがとうございます。

 断絶(2006.4.6)

 週刊誌の見出しを見ると、芸能人並みの扱い
 関係者談なら何でもありの情況
 
 吉田孝「歴史のなかの天皇」(岩波新書)
 東アジアという地理上の位置関係、中国、韓国との関係
の中、日本の天皇の役割。
 千数百年の歴史の中で、何度も連続性の危機を迎え、否
不連続の事実。養子、側室、女帝、溯って別家を正統と
するなどの方法を駆使してきた歴史を分析。
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