文字を持たなかったということ
つらつらと考えていることがある。私たちの生活の中で時として感じる、否、日々の生活の奥底を流れている「日本的なものとはなにか」という精神のことである。大陸から来た仏教でも儒教でも無く、明治になってから輸入した西欧合理主義でも無い、何とも表すのが難しい精神的なものの考え方ではないかと思う。
決定的なことはこの列島に住んでいた人々が、5世紀まで文字を持っていなかったことだ。日常生活は、話し言葉があればそれで何とかなったのだろうが、自分たちの歴史や考え方を文字として残していなかったことだ。
吉本隆明氏は、『南島論』で元々この列島に暮らしていた原日本人とでも言うべき人々が、他から渡ってきた人々によって南北に追いやられたということから、琉球の文化を研究することで、この列島に元々あった文化がどのような考え方を持っていたのかを探ることができる。そこにこの国の人々が持つ文化の基底があるのではないかと提起している。さらに、私たちは、北に追いやられたアイヌ民族も文字を持たないことを知っている。アイヌ文化は、口承によって継承されている。
この国の初源を辿ろうとすると、文字を持たなかったため記録が存在しないという壁にぶつかる。わずかながら他国(中国)の文献に書かれていることが唯一の記述であり、それらに出てくる卑弥呼も邪馬台国も断片的な記述で、この列島で起きていた全貌については未解明な部分が多い。
ようやく自前の記述が現れるのは、8世紀になってからの「古事記」「日本書記」である。これらは、確立しつつあった天皇制を後から根拠づけなければならないといった意図を持った後知恵の歴史にならざるをえなかった。そこには、事実がありのままに記述されているのではなく、修飾や脚色、改ざんがあることを想定しておかなければならない。
その後、仏教や儒教が伝わり、カタカナ、ひらがなといった自前の文字も生み出し、そして西欧合理主義などが入ってきたのだが、この国の人々は大変器用にそれらを巧みに取り入れ吸収してきた。しかし、その基底には何とも文字では表しにくい「日本的なもの」が岩盤のようにあるのではないか。
否、私が持っているイメージは、周辺部には外から取り入れた物事の考え方があるが、中心部は、「日本的なもの」という捉えどころのない、それは、空なるもの、虚なるもの、無なるものからできているのではないかと思っている。