晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

文字を持たなかったということ

2014-12-30 19:02:48 | Weblog

 文字を持たなかったということ

 つらつらと考えていることがある。私たちの生活の中で時として感じる、否、日々の生活の奥底を流れている「日本的なものとはなにか」という精神のことである。大陸から来た仏教でも儒教でも無く、明治になってから輸入した西欧合理主義でも無い、何とも表すのが難しい精神的なものの考え方ではないかと思う。

 決定的なことはこの列島に住んでいた人々が、5世紀まで文字を持っていなかったことだ。日常生活は、話し言葉があればそれで何とかなったのだろうが、自分たちの歴史や考え方を文字として残していなかったことだ。

 吉本隆明氏は、『南島論』で元々この列島に暮らしていた原日本人とでも言うべき人々が、他から渡ってきた人々によって南北に追いやられたということから、琉球の文化を研究することで、この列島に元々あった文化がどのような考え方を持っていたのかを探ることができる。そこにこの国の人々が持つ文化の基底があるのではないかと提起している。さらに、私たちは、北に追いやられたアイヌ民族も文字を持たないことを知っている。アイヌ文化は、口承によって継承されている。

 この国の初源を辿ろうとすると、文字を持たなかったため記録が存在しないという壁にぶつかる。わずかながら他国(中国)の文献に書かれていることが唯一の記述であり、それらに出てくる卑弥呼も邪馬台国も断片的な記述で、この列島で起きていた全貌については未解明な部分が多い。

 ようやく自前の記述が現れるのは、8世紀になってからの「古事記」「日本書記」である。これらは、確立しつつあった天皇制を後から根拠づけなければならないといった意図を持った後知恵の歴史にならざるをえなかった。そこには、事実がありのままに記述されているのではなく、修飾や脚色、改ざんがあることを想定しておかなければならない。

 その後、仏教や儒教が伝わり、カタカナ、ひらがなといった自前の文字も生み出し、そして西欧合理主義などが入ってきたのだが、この国の人々は大変器用にそれらを巧みに取り入れ吸収してきた。しかし、その基底には何とも文字では表しにくい「日本的なもの」が岩盤のようにあるのではないか。

 否、私が持っているイメージは、周辺部には外から取り入れた物事の考え方があるが、中心部は、「日本的なもの」という捉えどころのない、それは、空なるもの、虚なるもの、無なるものからできているのではないかと思っている。

 

 

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大石進 『私記 白鳥事件』

2014-12-25 19:30:22 | Weblog

 大丸デパート札幌店、イノダコーヒーのクリスマスパンケーキセット。昼食時間帯が終って15時のおやつ前の時間帯、14時30分くらいが空いています。

 10日以上前、仕事中に椅子から立ち上がった瞬間から始まった右の臀部の激痛に悩まされていてランニングはおろか、車からの乗降車もままになりません。ぎっくり腰とは違いますが、湿布を貼っても、風呂で温めても中々良くなりません。今までの経験からは、こういう時はいきなりガッツリ走るなどの荒療治が効く場合があります。

 

 『私記 白鳥事件』(大石進著 日本評論社 2014年刊)

 今回の総選挙で日本共産党は議席を増やし、国民の支持を集めたと自画自賛している。国民に対するサービスは最大を、国民の負担は最小に、原発ゼロ、消費税反対など口当たりの良い政策を並べた。平和を愛し、弱者の味方として。

 白鳥事件は、日本共産党の本質を知るうえで重要な事件だと思う。私は、このブログで2013.5.6にHBC開局60周年記念番組「インターが聴こえない~白鳥事件60年目の真実」(2011.3.27放送)を、2013.5.19に『白鳥事件 偽りの冤罪』(渡部冨哉著 同時代社 2013年刊)について書いた。この事件も吉本の札幌での講演と同様にしつこく追いかけているテーマである。

 そしてこの度、また新たな観点からの書物が出版された。著者は日本評論社の元社長、長く法律関係の出版に携わってきた司法の専門家である。この事件の再審をめぐる刑事訴訟法上の解釈などはこれまで無かった視点である。一方で、著者は渡部冨哉と同じく日共冤罪説はとらない。ただし、事件後に発行された二種類の天誅ビラについて、渡辺氏はそのうちの一つは警察によるねつ造としているが、大石氏は印刷の専門知識からみると両方とも機関紙協同印刷所で印刷されたものとしている。

 白鳥事件は、時代こそ違うが、札幌を舞台とした事件で、かつ私の友人が住んでいた秋田北盟寮が日共の拠点だったなど身近に感じる出来事なのである。

 この事件が代表するように日共は、これまで、革命という大義のもと不幸を強いられた党員、シンパに対し真摯な総括をしていない。党が分裂していた時代の一部の分派がやったことと党史にも記載されず、歴史の証人になりえる関係者は中国に追っ払って口を封じ、彼らの帰国後も知らん顔を決め込んでいる。党員の人権すら大事にできない党が、国民の人権についてどのような顔をして議論できるのであろうか。戦後の日共史上の白鳥事件、また伊藤律事件などの総括無しに、日共は政権も獲れないし、政権に近づくことも許されないと思う。

 現在、この国には、日共と合わせ鏡のような人権感覚の持ち主がいる。それは、アへ首相だ。アへは、人権感覚など全く持ち合わせず、自分と異論を唱えれば、朝日新聞にように叩き潰す。私は、アへが朝日のあとは、日共に謀略を仕掛けるのではないかと思う。ヒトラーがドイツ共産党を陥れたように。日共は、勝利に浮かれることなく、脇を固めるべき時と考える。

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ついに、再会を果たす

2014-12-24 21:08:38 | Weblog

 ついに、再会を果たす

 注文していた古書が届いた。『作家の世界 埴谷雄高』(編者 秋山駿 番町書房 1977年刊)P22からP31に「『死霊』について」と題して、1976年5月10日、北海道大学クラーク会館にて行われた吉本隆明の講演が掲載されている。

 覚えているものだ。一読して、確かにあの時あの場所で吉本氏が話したことを思い出す。講演の前半は、『死霊』についての吉本氏の解説的なものだが、『死霊』を読んでいない私には少し取っ付きが悪いものであった。

 しかし、後半の(P27引用)「現在というものを見てゆく場合、過去の歴史を検討して、そして現在の問題を捉えてゆくという捉え方が一般的になされている捉え方だとすれば、それとは全く逆に、いわば非常に極端な未来から現在を照らしてみた時に出てくる問題がなにかというような、そういう照らし方をした時に浮かび上がってくる問題というものが現在非常に重要な意味合いを持っているというふうに思います。」とした『死霊』の方法論に対して、吉本氏は大変意義深いことだと絶賛したのであった。

 講演後の会場からの質疑に対する吉本氏の応答は活字になっていないが、聴衆のひとり(知人)から、「講演で話されたことは、日頃から吉本氏が著作の中で言っていることとは違うのではないか」といった異議申し立てがあった。それは、今になってようやくわかったが、吉本氏の「先端と初源」の考え方とは違うという意味だと思う。先端、すなわち未来の方向性を捉えようとする場合、その初源、物事の成り立ちを探ることが必要である、という吉本氏の方法論とは違うのではないかということなのだろう。

 それに対する吉本氏の応答は、あなたの言われたとおりで、今日は埴谷氏の『死霊』についての話しをしたのであり、自分の考えは埴谷氏のそれとは全く違うと切り返したことはこのブログのどこかに書いた。

 ついに再開を果たすことができ、40年ぶりに再開した彼女は、当時の面影を残していて自分の記憶の中の彼女そのままだった。そして、あの時、彼女の言った言葉の意味が今ようやくわかるようになった。

 

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『吉本隆明〈未収録〉講演集』

2014-12-14 21:13:49 | Weblog

 総選挙の開票番組が流れている。開票作業が全く進んでいないにもかかわらず、自民党の圧勝が報道されている。アへ首相は、これで憲法改定までもっていけると思っているだろう。

 この国を含めて東アジアの国々がナショナリズムに傾斜している。野党が自らの閉塞状況を打開する道は、外交だと思う。独自の外交戦略を持って、外交ルートを作って、平和外交を進めるべきと考える。国民国家の黄昏情況の中では、国家を廃絶する方向性を見出すチャンスである。

 

  ♬まだ見ぬ朝が来る

 それぞれの風が吹く

 あの場所でもう一度会いたいネ

 あの場所でもう一度会いたいネ

 これからの新しい関係で    by吉田拓郎 「まだ見ぬ朝」より

 

 私には未練たらしく追いかけていることがある。このブログ、2012.4.29『吉本隆明が語る最後の親鸞 その2』、2012.2.12『1976(昭和51)年5月10日』でも書いた。最初で最後、唯一吉本の肉声を聞き、その姿を見た日のことである。

 筑摩書房から『吉本隆明〈未収録〉講演集』全12巻の発行が始まった。その第1巻は『日本的なものとは何か』で、「吉本隆明全講演リスト」が附録として付いている。

 このリストによると、1956年11月の初めての講演から、2009年9月の最後まで351回の講演を行っている。その第130回目、1976年5月10日、北海道大学作家講演会実行委員会の主催で、タイトルは「『死霊』について1」となっている。そして、掲載書誌は『作家の世界・埴谷雄高』(番町書房 1977年刊)となっている。

 この筑摩の講演集でも第9巻「物語とメタファー 作家論・作品論〈戦後編〉」に掲載予定となっているが、早速古書店に注文をした。

 昔、可愛かった女性と数十年ぶりに会うような感じかな。久しぶりに再会したが変わらないなあ、と思うか、やっぱり会わない方が良かったな、となるか。

 

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『鴎外の怪談』

2014-12-11 20:50:11 | Weblog

 『鴎外の怪談』(二兎社公演 永井愛作・演出)

 2014.12.9 北広島市芸術文化ホール 19:00開演、21:45終演 15分休憩あり

 この芝居は、有名作家としての森鴎外、本名森林太郎は陸軍軍医総監。幸徳秋水ら無政府主義者、社会主義者がフレームアップされたと言われている大逆事件に際し、軍人のトップとしての職責と表現者としての鴎外の間で悩む姿を描く。

 登場人物たちが導入部でゴツゴツとした長台詞を並べる。聞き逃すまいとするが、耳が慣れてくるまで随分と疲れる。笑う場面ひとつない生真面目なやり取り。作者は特定秘密保護法を意識しているのではないか。この時代に危機を告げようとするストレートなメッセージ。

 私は、新劇と言うべきか、正統派演劇と言うべきか、このように硬派な芝居をこれまで観たことが無かった。そう、ずーっとアングラ、それもテントものばかりでしたから。笑いを交えて、ダジャレを言って、舞台全体で身体を使って動き回って、世の中に対しては真正面から向き合うというよりも斜に構えて、世の中に正しいことなどどこにも無いよと。

 この芝居を観ながら、私も含めて観客は我が内なる森林太郎と内なる森鴎外を感じたであろう。会社や組織の中で役割を演じなければならない自分と、本当の自分はもっと違う自分がいるのだと思う自分である。そんなの当たり前のことだろうと思った人もいたと思う。

 嫁と姑、友情、立身出世、人生観など様々なテーマが織り込まれていたが、私は、作者が若かりし永井荷風に言わせた、「西洋から様々な思想が入ってきたが、この国の人々の中にある考え方は変わらないのさ」というセリフが最も印象に残った。明治のこの国の人々の考え方も、現代のこの国の人々のありようも変わらない連綿と続く何かをもう少し掘り下げてほしかった。

 金田明夫氏をはじめ、力のある役者さんばかりだったので、舞台としてのまとまり具合は素晴らしかったと思うが、訴えかけられる観客はそんなに素直なひとばかりでは無いよというところをもう少し意識してほしかった。見終って、どっと疲れが・・・

 

 

 

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国民国家の黄昏の中で総選挙を考える   

2014-12-07 20:13:39 | Weblog

 今週末は、所用と降雪と寒さを言い訳にしたランニングをさぼりました。私の心と体理論では、身体のリフレッシュを怠ると心も連動して優れないということになるが、さてどうなるだろうか。これまでの実感では、身体をいじめないと特に集中力が続かないと感じている。しかし過度に身体が疲れすぎると集中力が出ないことも多い。

 

 国民国家の黄昏の中で総選挙を考える

 秋田の友達からリンゴが贈られてきたので礼状を書いた。季節のことや近況などを書いているうちに、話題が政治のことに移った。

 今どきの議員は、国でも地方でもどうしてこんなに低劣な人種の人しかならない、選挙に出ないのだろうか。社会経験の乏しい世襲議員、外の社会を知らない労組や政党に忠誠を尽くしているだけの専従職員、政治家として何かをしたいのではなく政治家になりたいだけの輩、そんな人間ばかりだ。以前はもう少し娑婆の空気を吸ってきた人格のある知恵者たちがいたと思う。

 これは小選挙区制の弊害なのだ。党の公認を得るためには、党の中央に異論を唱えることができなくなっている。そのため、どの政党も党内論議が低調である。以前なら今のようなアへ首相の暴走状態に対しては、自民党内からも公然と批判があがり、野党よりも党内のチェック機能の方が強かったと思う。

 今回は、アへ首相の政権の延命のための抜き打ち解散で、完全に野党は不意を突かれて準備不足状態である。それにしてもこの2年間、野党は何をしていたのだろうか。民主党政権の失敗による虚脱状態だったのだろうか。従って、アへ首相の暴走を止めようにも各選挙区において選択肢が用意されていない。結果はおそらく、自公で前回並みの議席を取るであろう。こんな選挙が終って残るのは、きっと何とも言えない絶望感だけなのであろう。

 人々は、国民であるという意識が薄れ、国家への期待も裏切られ、当面続いている私生活における小さな満足に埋没する以外、夢や希望を見出せなくなった近頃。こんな世の中を背景にして、未だ正体は不明であるが、「イスラム国」のようなアソシエーションが形を変えて出現してくるのではないかと思う。国民国家のような領土も無く、国家への帰属意識も薄い集団が、様々な地域で出現するのではないかと考える。

 私は、国民国家の黄昏情況の中で、人が人に対して強権(権力)を及ぼすことのない社会を模索したいと思う。前回の総選挙直前、2012.12.8のこのブログと同じ題名にした。

 選挙なんかで世の中が変わるか!

 

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追悼 高倉健 そして菅原文太 

2014-12-01 20:56:23 | Weblog

 追悼 高倉健 そして菅原文太

 今日、12月1日は映画の日だったと思う。1年に1度だけ料金が半額。

 高倉健、菅原文太と昭和を代表する俳優が亡くなった。どちらもヤクザ役だったが、高倉は義理と人情の正統派任侠ヤクザを、菅原は義理も人情も廃れた仁義なきヤクザ世界を演じた。

 私は、高倉の「網走番外地」を同時代では観ていない。世代的にはもう少し後に属する。「幸福の黄色いハンカチ」の高倉はいい人過ぎて彼の本質からは遠い演技だったと思う。

 やはり、私の世代は菅原文太だ。封切館の東映でも観たと思うが、何故か狸小路の「日活館」という2番館でも観たような記憶がある。土曜日の夜はオールナイト上映で、観終って映画館を出ると空は明るかった。紫煙でスクリーンが霞む「仁義なき戦い」は、深作欣二監督が得意とした実録タッチ、ハンディカメラが揺れる臨場感も新鮮であった。

 文太が少し鼻にかかった野太い声で、この世の中には、義理も人情も無い。これこそはと信じられるものなんか無いのだ。力と力の闘いあるのみ。知恵を使って儲けた方が勝つのだ。と私たちポスト全共闘世代にはズシンとくるメッセージが伝わった。そして、シリーズの最終回で主人公の文太が死んでしまうのもリアルだった。

 1970年代が遠くなっていく。菅原文太の広島弁がもう聞けない。

 

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