晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

'08北海道マラソン

2008-08-31 17:14:53 | Weblog
 昨日は、いつものように週末ランを20km、そんなに走ったら今日の本番に影響が?、否、影響は無いのです。今日は、苗穂の札幌ビール園近くの東8丁目通り(北光線)で、沿道からランナーに声援を送りました。

 当日が近づき、何人から「調子はどう?」「仕上がりは順調?」と声を掛けていただいたのですが、今年は、いくつかの理由があり、自重の年としました。

 思えば、近年は完走できなかった年もありますが、初めて参加したのが1993年、以来ずっと選手として参加していました。また、今から15年ほど前ですので、随分と若かったなあと思います。今でも、自分よりずっと先輩の方が走っていますので、そんなことを言うべきではありませんが。



 今年は初めて、北海道マラソンを外側から見ました。マスコミや警察やボランティア、沿道の観客・・迷惑を被っているドライバーと随分と大きなイベントだとあらためて思いました。

 先頭の集団は、実業団や学生の半プロみたいな選手ですので、軽快な走りですが、一般ランナーの群れになってくると、様々なフォームの選手がいたり、本当にきつそうに走る方もいます。おそらく、以前はこの位置あたりで自分が走っていたのだろうなんて思ったりしました。

 集団の最後の方は、関門の制限時間が気になり出すが、中々体が動かないといったところでしょうか。そんな時、沿道の知人・友人に声を掛けられると力がぐっと湧いたりした経験もあります。

 毎年ですが、涼しい日々が続いていても、なぜかこの日曜日は厳しい暑さになります。参加されたランナーの皆さん、大変お疲れ様でした。1年が北海道マラソンから始まり、北海道マラソンに終る、そんな毎年でしたが、SATETO、これからどうしようかな。

 

 



 
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『電車の運転』

2008-08-30 20:05:45 | Weblog
 『電車の運転 運転士が語る鉄道のしくみ』(宇田賢吉著 中公新書 2008年刊)

 鉄道ブームだと思います。退職した団塊世代が列島を旅して廻っています。にわか鉄ちゃん、鉄子さんも増えています。書店の鉄道コーナーには、旅に出かけたくなるような本がたくさん並んでいます。

 この本は、本物の鉄道の元運転手が、運転台の中からの鉄道を描きました。少々マニアックな内容です。

 電車の先頭車のデッキに乗る時があります。運転手さんの操作は、自動車のそれとは全く違って見えます。この本を読むと、操作の意味もわかるようになります。運転手さんの腕前や、運転で苦労しているポイントもわかります。

 しかし、好きな人だけが読めばいい類の本です。


 
 札幌・釧路間を結ぶ夜行列車の特急「まりも」が、利用客の減少で明日で廃止になります。昔は、急行だったと記憶しています。今は、釧路までの所要時間は7時間ほどですが、急行時代は8時間位だったと思います。

 学生時代、帰省に利用していたのは、普通列車の「からまつ」でした。夜、22時半くらいに札幌を出発、釧路には9時半到着、11時間の旅でした。1973年当時、料金は確か1460円だったと思います。特急料金も、寝台料金も不要でした。

 石勝線ができる前だったので、函館本線の滝川、根室本線の富良野を経由していました。食糧と飲み物を買い込んで、おしゃべりしながら、笑い転げながらの旅でした。登山道具を担いだ客や朝になると担ぎ屋のオバちゃんが途中から乗り込んで来ました。

 航空機では体験できない味が鉄道にはあります。

 

 
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『子どもが育つ条件』

2008-08-28 21:05:40 | Weblog
 温暖化と言われていますが、この夏は例年に無くとても涼しい夏だったような印象です。そこで、「ひとつ俳句でもひねって♪」みました。

 「秋風や サミットまでなの 温暖化」

 秋の夜長には、読書も嬉しい時間です。『子どもが育つ条件ー家族心理学から考える』(柏木惠子著 岩波新書 2008年刊)では、子育てについて私にとって新鮮な視点から述べられています。

 それは、例えば「子どもを育てる(親をする)営みの中で、育てる者、すなわち親自身の心や能力も鍛えられ成長・発達する。そのことが、子どもの育ちにとって重要である。」というものです。

 また、「育児は母親がすべき、というようなこの国の社会的な慣習が、父親の育児参加を極めて少なくし、そのことが母親の孤立感や不安を醸成している。」「母親は、一人の女性として生きたいと願う切実な心理を持っている。」というものです。


 さて、私自身の子育てを振り返ると、子どもが小さかった頃は、労働組合や市民運動ばかりやっていて、あまり家庭を省みない父親だったのではないかと思います。また、母親(妻)の気持ちに上記のような思いを至らす自分でもなかったような気がします。

 ただ、何の子育て理論も持ち合わせていなかったのですが、子どもの前で(仕方無く)父親を演じなければならない場面もあり、その積み重ねによって、自分自身が子どもに育てられたことは実感できます。

 私自身も成長・発達したのではないでしょうか。




 ブログ開始2年5ヶ月で400本到達、「自分で自分を褒めてやりたい」感じです。

 「僕は、少し変わったのさ♪」のノリで行きたいと思っています。
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拉致異論 その4                     

2008-08-24 14:49:49 | Weblog
 稚内で115年ぶりに8月の最低気温1.5℃を記録した。週末ランもこの気温なので汗も出ずスイスイと走れる。まるで、釧路の夏のようである。

 地球温暖化の話題はサミットまでだった。油も高騰しているし、暖かい方がいいんでないかい。



 北朝鮮政策については、これまで当ブログで、2007.11.15の「変わるか、北朝鮮政策」で、米国が2007.1の従軍慰安婦問題以降、安倍政権に見切りをつけたことが辞任につながり、新たな福田政権で北朝鮮政策に変更があるのだろうかと問うた
2008.6.18の「再び拉致異論」では、米国の北朝鮮政策転換と日朝交渉の再開、政府と家族会との意見の乖離、2008.6.20「再び拉致異論 その2」では、山崎拓の対北朝鮮への柔軟姿勢を「利権調査団」と罵倒した安倍晋三、そして政府による家族会切捨ての可能性について述べてきた。



 金曜日の夜、友人との議論の中から見えてきたことがある。それは、複雑に絡み合った糸を解いていく推理小説のような楽しい会話だった。

 話しの発端は、今週発売された「週刊文春」8月28日号での「酒豪でくわえ煙草の麻雀好き 中山恭子拉致担当相は姐御肌」の記事である。http://www.bunshun.co.jp/mag/shukanbunshun/thisweek/index.htmに全文が掲載されている。

 内容は、中山氏は、拉致問題強硬派の安倍前首相に引き立てられたが、実は官僚時代から福田派で、今回の入閣は、外務省が拉致問題再調査と引き換えに経済制裁解除を北朝鮮に約束したことについて、「一部新聞は『中山氏が抵抗した』と派手に報じたが、家族会の不満を代弁するガス抜き役。福田首相に反対なんてできっこない」(引用)というもの。

 私の引きずっていた疑問は、「拉致問題」解決のために日本とタッグを組まなければならない韓国に、教科書問題で、なぜ今「竹島」でケンかを売ったのかであった。外交姿勢が完全に矛盾しているように見えたからである。しかし、上の記事から、この国の拉致問題に対する姿勢の転換と政府による家族会切捨てが読み取れた。



 もうひとつの疑問は、なぜ、山崎拓が安倍前首相の対北朝鮮強硬策を一貫して批判しているのかである。

 保守政治家は、資本の意向を代弁する。資本にとって最貧国北朝鮮に魅力はあるのだろうか。私は、少子化で労働力不足が問題化するであろう、日韓の資本から見れば、北朝鮮の安価な労働力がほしいのだと思う。特に、韓国資本にとっては、同じ言葉を話すためコミュニケーションのとり易い労働力として。

 山拓の選挙区が福岡2区というのもなるほどという理由になる。彼は、オール九州資本の意向を受けている。今、九州と韓国では新幹線を建設している。日韓の海峡をトンネルで結ぶ計画もある。新幹線を北朝鮮まで繋げ、九州・半島経済圏域をつくる構想だってあるのではないか。

 資本は、容易に国境を超える。
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竹島とパブコメ

2008-08-21 20:53:59 | Weblog
 各省庁や自治体のホームページを見ると近年パブリックコメント募集中との記述が頻繁に見られる。為政者の側が一方的に政策を決定するのではなく、国民や住民の意見を良く聞いてから決めようとしていることが窺われ望ましい制度のように感じる。民主主義制度のひとつとして定着しつつあるのだろう。

 中学校新学習指導要領の解説書に「竹島」に関する記述が記載された経緯の中で、「文科省の背中を強く押したのが、パブリックコメント(パブコメ)=意見募集だった。」(SEKAI2008.9-24)との解説があった。

 民意を推し量る方法は、各級選挙、世論調査などがあり、これらについては、国民(住民)ひとりひとりが持つ権利は1票づつであり平等である。しかし、公聴会や住民説明会などでは、いわゆる「声の大きい人」「顔の広い人」などの意見が重視される傾向はないだろうか。また、マスコミが伝える世論も一定の意図が働いて形成されている可能性がある。

 パブコメに話しはもどる。パブコメは、個人意見の表出手段として適正なのであろうか。もし、私が、ある目的を持った団体をコントロールできる立場にあるとすれば、パブコメに大量に意見を送り込むことができる。その意見は、適正であっても、的外れであっても、無視されることはないであろうから。

 もっと悪いことを想像する。パブコメで意見を求める側が、一定の方向の結論に導くため、やらせパブコメを実施することも可能なのではないか。

 このように、パブコメなる手法には、大きな欠陥がある。その欠陥のある制度によって、政策決定がされていくとすれば、民意とは異なる結果になってしまう。そして、それが国の大きな方針になり、住民の生活を左右することになる。
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死刑制度

2008-08-20 22:31:22 | Weblog
 随分と日没が早くなりました。気温の低い日が続いています。今日の夕方、ランニングの時に、ジャージの上下を着ました。これでも「地球温暖化」なのでしょうか。間違いなく「冷夏」です。



 左下の友好ブログ「Retriever Legend's blog」(2008.6.28)から引用させていただきます。
 「僕は、国家による殺人は憲法違反と考えています。国家による殺人を認めることは、国家の命令による殺人を認めることが通底に横たわることになります。為政者は、自分が、親が、子供が、外国の民兵、正規軍等に意味も無く殺戮されることは想像できないようです。」至言です。


 死刑制度には、様々な問題が内在していると思います。上記では、国家による殺人を肯定していいのかという問題があります。「ひと一人の命は地球より重い」と言ったのは、福田首相の親父、福田赳夫ですが、死刑を認めることは、「ひと一人の命は地球より重いが、国家より軽い」ということになります。

  国家 ≧ 一人の命 ≧ 地球 です。

 国家をそれほど重要なものと捉えていいのでしょうか。「国家の廃絶」は究極の目標です。

 また、近年は被害者、殺人の場合は、被害者が亡くなっているので肉親などその関係者がマスコミに登場します。彼らは、当然のことながら「犯人を殺したいほど憎い」と言います。私は、その心情を肯定します。
 しかし、死刑をはじめとした刑罰の本質は、復讐心を満足させることではないと思います。国家の体制維持のためではないでしょうか。ここにも国家が登場します。

 一度罪を犯した人は二度と許されるべきではないのでしょうか。刑罰による犯罪の抑止効果は無いと言う言説は多々見られますが、刑罰による教育的効果の議論、更生の可能性についての議論はあまり聞かれません。
 毛沢東は、「すべての反革命分子にたいして、更生の機会が得られるよう生活の道をあたえるべきである。こうしたやり方は、人民の事業にとっても、国際的影響からみても有益である。」と語っています。(実際にやったことは、かなり違うが。)

 その他、冤罪の場合、死刑を執行してしまうと取り返しのつかない国家犯罪を実行してしまいます。また、犯罪の真の動機が永久に解明されないことになる可能性があります。

 最後に、これから導入されようとしている国民参加の裁判員制度に私は不安を覚えます。裁判員制度は、現在のマスコミ報道の情況では大衆によるリンチ、人民裁判化する可能性があります。
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『丘を越えて』

2008-08-16 19:36:41 | Weblog
 『丘を越えて』(高橋伴明監督 2008年作品)

 監督が高橋伴明ということで、シアターキノ本日封切り作品を観に行く。しかし、原作が猪瀬直樹だったことは見落としていた。伴明といえば、新東宝時代の暴力的な破壊力を持った映画がいまだに印象に残っている。また妻、高橋恵子による恐怖映画「DOOR]も傑作。

 余談だが、高橋恵子、旧姓関根恵子は釧路市出身で、高校時代の同級生に小学校の時、関根恵子と同級生だったというのがいた。

 キャストでは、文藝春秋社社長菊池寛を演じた西田敏行は無難な演技、池脇千鶴も好演技、台詞が凝っているのは、今野勉という脚本家が良かったから。昭和初期の時代考証はそれなりに再現されていた。

 B級映画とはこういう映画をいうのであろう。ストーリーも、色恋がテーマなのか、民族問題がテーマなのか、狙いがピンボケ。すべてがそれなりなのだ。残念ながら期待した、あの高橋伴明の切れ味はどこにも見られなかった。

 菊池寛生誕120年、没後60年記念作品、「文藝春秋社」を扱ったのだから、常識的になったのは必然なのだろうか。猪瀬原作を見抜けなかった私が悪い。
 


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『労農派マルクス主義』 その4

2008-08-15 14:59:52 | Weblog
 釧路米町公園 石川啄木歌碑 
 「しらしらと 氷かがやき 千鳥なく 釧路の海の 冬の月かな」

 『労農派マルクス主義』 その4

 物語は「第Ⅳ部 戦後激動期1945~1951年」から「1955年体制への過渡期」に入る。ここでの焦点は、多様な形で存在していた戦後労農派が、なぜ事実上、社会主義協会のみに収斂してしまったのであるかである。

 敗戦直後、山川均を初めとした旧労農派の中枢は、まずは労働組合と無産政党の再建、民主化の主体づくりに集中した。

 しかし、当時の労農派はバラバラで、山川均とその周辺グループ、鈴木茂三郎が1946年1月に設立した「社会主義政治経済研究所」に依拠した社会党左派の政策集団、48年に社会党から離れ労農党を旗揚げし再び社会党に復党した黒田寿男のグループ、高野実を中心とした労組活動家グループなどに分かれていた。

 1947年夏頃からは、向坂逸郎らによる平和革命論を廻る論争を経ながら、労農派の再結集の試みが続いた。労農派は、社会党が小ブルジョワ的で矛盾を内包した政党だったが、当面は民主主義の前進のために割り切ってその客観的役割を推し進める仕事に集中するか、社会党とは別に理論的に純化した社会主義政党を結成するかの間を揺れ動いたのであった。

 安保条約、三池闘争、社会党の分裂と統一、左派社会党・総評ブロックの形成などを経て、労農派の多くは高野実も含めて社会主義協会に結集した。
しかし、後に、高野派は協会から分離する。その他にも、清水慎三や市川誠に象徴される非共産党、非社会主義協会派の潮流(「労働情報」誌グループ1977年4月創刊)も別れるが、長い生命力を持った。


 これは、後で判明していくのであるが、この著書が読み進むに連れて、段々と「社会主義協会史」になってしまうのは、筆者の石河氏が、旧社会主義協会関係者であったこととも関係しているのだろう。

 さて、このあと時代は、高度経済成長、総評・社会党の解体へと進むが、展望が語られるであろうか。


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『偽善エコロジー』

2008-08-14 13:05:44 | Weblog
 『偽善エコロジー 「環境生活」が地球を破壊する』(武田邦彦著 幻冬社新書 2008年刊)

 この本、売れています。5月31日に第1刷が発行されていますが、購入したのは7月31日発行の第9刷です。洞爺湖サミットを頂点とした「エコ」ブームに何らかの違和や胡散臭さを感じている方が多いからではないのかと思います。

 この本を読むと、これまでの常識が覆ります。一生懸命「エコ」と思って努力していたことがアホらしくなります。そして、それをPRしてきた、マスコミや行政に対して腹立たしい感じになります。

 例えば、「エコ」な暮らしと思っていた、レジ袋を使わない、マイ箸の使用、バイオエタノール、冷房の28℃設定などは、全く意味の無いことが述べられます。

 ダイオキシンも狂牛病も恐ろしくありません。生ごみの堆肥化やプラスチックのリサイクルは危険です。石鹸の使用もよくありません。

 牛乳パックのリサイクルやごみの分別は無意味です。古紙やペットボトル、空き瓶、食品トレイのリサイクルは良くありません。

 なぜなのかという理由は、是非この本を読んでみて下さい。そこには、誰も反対しない、できない「エコ」という看板を掲げて、儲けている業界があります。税金を湯水の如く使うことに無神経になっている行政があります。

 私は、別の場所で、「常識だけに頼り切った安易な言説には、嘘があることを教えてくれます。」と書きました。エコは、その典型的な例です。

 ただ、惜しむらくは、著者の語り口が少し下品で、感情的になり過ぎています。チョット間違うと学者では無くクレーマーになってしまいます。もう少し冷静に、淡々と事実を表現した方が「世間」から注目を浴びると思います。
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『ムネオ流マラソン術』

2008-08-11 19:42:09 | Weblog
 先週の週末は雨で走れなかった。しかし、今週は快晴のうえ、気温も25℃位で真夏のこの時期にしては非常に涼しい天候であった。青空に誘われ、白石サイクリングロードをはずれ、厚別川の川岸の遊歩道を清田まで往復ランニング。



 ランナー待望の書? 『ムネオ流マラソン術 仕事人間でも走れる42.195km』(鈴木宗男著 講談社 2008年刊)を2時間一気読み。

 著者は、冒頭で「私は常々、人生とマラソンはよく似ているものだと思っています。」と述べる。

 ハウ・トゥ・マラソンの本は走りの専門家により巷にはあまた出版されている。ムネオ流というのは、そこに鈴木宗男氏の人生そのものが描かれているからである。

 タレントや政治家が、ホノルルマラソンや24時間テレビのために、売名行為で走ることはよくある。この本を読んで感動するのは、鈴木宗男氏が、本気で走っているからである。60歳という年齢、1年以上も拘置所に入れられ、胃がんの手術を受け、そして現在も寝る間も惜しんで走り回りながら、時間を作ってトレーニングしているそのポジティブな姿が心を打つのである。

 また、章ごとに、日本陸連「ランニングクリニック」鈴木彰講師のトレーニング・アドバイスも非常にいい。

 政治家鈴木宗男氏が、刑事被告人で判決次第では塀の内側の人になりかねない人であることは今も事実である。自民党の中枢で権力側にいた時にかなりのことをやっていたことは本人も認めている。

 ただ、バッシング以後のニュー鈴木宗男氏は、大衆政治家として一から生まれ変わったことも事実ではないか。コイズミ改革に真正面から抵抗した結果の犠牲者である。小泉改革の結果が、現在の格差社会であることからも、鈴木氏の主張には一定の正しさがあったと思う。



 北京五輪開幕。新聞紙面、テレビ番組はオリンピック一色。必然的に他の情報のスペースが減る。このようなときにもっと大事な事が水面下で進む傾向がある。ニュースの断片に気を付けようと思う。

 それにしても「ニッポン!、ニッポン!」の絶叫、連呼には初日から食傷してしまった。有名な人気選手に「これでもか、これでもか」とプレッシャーを与えているのは、まるでその選手があえて好成績を出さないように仕向けているようである。

 サッカーも谷も野口も、マスコミの犠牲として潰れていった。

 こつこつと努力を積重ねたあまり有名ではない選手が密かに好成績を収めることを期待したい。




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気鋭の論客 中島岳志 フォーラムその3              

2008-08-05 20:30:18 | Weblog
 釧路の南大通のある店舗の跡です。私の祖父が戦後ずっと商売をしていた所を訪ねました。建物は昔のままでしたが、人手に渡っており、もうお店屋さんではありませんでした。

 隣のお店は、現在も継続していて、店先にいたおばあちゃんと話をしたら、時々祖父のところに遊びに来ていた私(孫)のことを、かすかに覚えていたようでした。

 時間の経過ともに、故郷で生活した痕跡も無くなっていくのでしょう。



 『札幌時計台レッスン 政治を語る言葉』(山口二郎編 七つ森書館 2008年刊)第2章「アンチの論理を超えるために」(2008.8.15)(中島岳志)から

 フォーラムで、中島氏に語ってもらった山口二郎氏のねらいは、「保守―革新(進歩)というありきたりの対立軸を乗り越えて、新たな政治理念の座標軸をつくりだしたい。」という展望があったからである。

 中島氏は、現在のこの国では、「アンチ左翼」という程度の意味でしかない保守主義という言葉の再定義を提示する。変えることを常に拒否するのが保守ではなく、それは、反動や頑迷固陋である。保守の真骨頂は、人間の認識能力や計算能力の限界を悟る謙虚さであると述べる。

 中島氏は、保守主義の特徴を以下のように述べる。

 「変化を恐れる人間の普遍的感情」全般のこと。人間の不完全性を謙虚に受け止め、人間の能力の限界を直視する。急進的な社会改造や革命に反発する。極端なものを疑う。「熱狂」を嫌う。

 「自由」という観念の普遍性には懐疑的態度を示す。「規律ある自由」を擁護する。極端な「平等」志向へ反発する。人間の理性に対する過信を諫める保守主義者は、人智を超えた価値の体系である宗教を重視する。

 小泉構造改革は、単純な原理(新自由主義)で国全体をつくり変えられると信じる点で、保守主義の正反対に位置した。このような傲慢な改革に対決するためには、戦後民主主義や社会民主主義と保守主義の連携が必要である、と述べる。



 ここにも、初回でも書いた、山口二郎氏の脇の甘さを指摘したい。山口氏の対立軸を足して二で割るような中間や中庸の道を敢えて追求する理由が理解できない。

 私は、保守主義者が否定する「理性に依拠して構想される進歩主義」「設計主義的なユートピア幻想」を語り、信じたい。




 週末は悪天候で走れませんでした。その後遺症でしょうか、昨日は右臀部痛で座っているのが苦痛でした。それで、昨夕は、帰宅後早速ランニング、歩くのも辛かったのですが、無理してランニングをしたら、非常に動きが楽になりました。

 もはや、走らないではいられない体になってしまっているのでしょう。ラン中毒です。
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辛淑玉さんは、凄い フォーラムその2

2008-08-03 14:52:33 | Weblog
 拓郎さんの近況が伝わっています。昨日、母校広島修道大学の構内に拓郎の歌碑が建ったそうです。除幕式に現れた本人はご覧のとおりです。


 
 雨の週末、こってりと走りたいのですが、雨降り止まず。体がなまってしまう。



 『札幌時計台レッスン 政治を語る言葉』(山口二郎編 七つ森書館 2008年刊)第3章「マイノリティーから見た戦後日本の欠落」(2008.8.14)(辛淑玉)から

 辛淑玉さんは圧倒的に凄いと思う。この国は、在日にとって、「格差や不平等や貧困は昔から存在した。」ということは、以下の講演での発言(要約)からもわかる。

 「在日には選挙権がない。法律が変わり国民年金に入れるようになったのは、65歳になるまでに25年間以上納められる人だけだった。自分は、「憲法を守る」とは言わない。憲法の「国民」という枠の中からは、在日は排除されている。」

 「国民総背番号制(住基ネット)は、外国人登録証明書(外国人登録法)と同じ。日本人の「朝鮮人化」が始まった。教育基本法の枠に在日は入っていないので、小学校の入学案内は来ない。自衛隊に入れない。」

 「『護憲』『自衛隊派遣反対』と言っている人たちに何か空々しいものを感じる。どうも『護憲』と言うやつは金持ちじゃないかという気がしてきた。貧乏人は飯を食うために自衛隊へ行く。『自衛隊は出て行け』という言葉の裏に、飯が食えない者への思いはあるのか。」

 「在日の生き方は、今のフリーターそのもの。就職もできず、家も持てず。」

 「日本の人たちは、なぜ北朝鮮に『在日を返してくれ』と言わないのでしょうか。『返してほしい』というのが、どうして日本国籍を持つ者に限られるのでしょうか。北朝鮮政府によって拉致された(日本で生まれ、育ち、日本語しか使えない)在日は数え切れないほどいますが、そこに焦点が当たることはありません。それは、朝鮮人は北朝鮮に帰ることが幸せだ、という排除の思想があるからです。」


 
 私は、拉致問題にも差別構造が内包していた事実を初めて知った。辛さんのような方から、ラジカルに問われてしまうと、反論できる言葉もない。この国が過去に犯した犯罪、それが現在に到るまで解決されていない。

 この差別や排除の事実をつきつけられる時、私たちは論理的に反論できない、日本人であることを問われても変えようのない事実。まさにそこに、この国に今なお論理を超えた在日に対する差別や排除の根があるのではないか。
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拝啓 山口二郎様へ フォーラムその1

2008-08-01 19:59:13 | Weblog
 私は、「フォーラムIN札幌時計台」の第2シリーズに3月から通い始めたが、2007年8月からの第1シリーズの記録が、『札幌時計台レッスン 政治を語る言葉』(山口二郎編 七つ森書館 2008年刊)にまとめられた。

 第1章「岐路に立つ戦後日本」(2008.8.15)(山口二郎)から。
 山口氏は、アジア・太平洋戦争の総括を以下のようにしている。
①日本の侵略であり、誤った戦争である。
②戦後民主主義は戦争の犠牲者のうえに成立している。
③戦後民主主義を守り、育て、再び謝った路線に進まないようにすることこそ、戦争犠牲者に報いる道である。

 さらに、山口氏が提示する視点としては、
・上記の②について、敗戦を解放と規定する側にも、犠牲者に対する一定の敬意や悲しみの共有が必要だ。
・戦前と戦後の断絶のみを重視するのではなく、自由や民主主義の追求という理念が連続しているということを重視する必要がある。その連続性を強調することによって、ナショナリズムと戦後民主主義の接合を図りたい。


 上記の総括からは、常に山口氏に付きまとう脇の甘さ、お人好しぶりが窺える。氏は、対立するイデオロギーを何とか融和させようと努力し、その間に存在する容易に埋まりようのない溝を、何とか埋めようとする。偏りの無い、中立、中庸を探ろうとする。

 山口氏は、「戦争で亡くなった方は、非業の死、無念の死と思っている。」と述べる。それは、感情的次元の感傷であって、天皇制ファシズムの犠牲というような本質にせまった分析になっていない。なぜ、「天皇のために無駄死にした!」と言えないのか。そこには、反戦の志の欠片もない。

 また、氏は「戦争によって亡くなった人たちの追悼はいつまでも続けるべきだ。しかし、追悼の仕方が問題だ。一国の最高指導者が靖国神社に参拝することには反対だ。」と述べる。

 政治学者としては、靖国神社の歴史的な問題や戦争責任の所在など、もっと社会を重層的分析すべきではないか。

 氏は、若くして北海道大学に赴任し、確か33歳で教授に昇任、新進気鋭の学者として将来は大学者になるのではと嘱望されていたが、そのお人好しぶりから、政治情況の読み違えも多い。

 一番ひどかったのは、マスコミに露出、当時「政治改革」を声高に叫んでいたが、結果的に、老獪な保守政治家などに巧く利用されたあげく、小選挙区制導入の先導役を担ってしまったことである。

 象牙の塔に籠もらなくてもいい。旧社会党、現民主党の応援団として、現実政治にコミットしてもいいと思う。このフォーラムの主宰活動など私たちに学べる場を作っていただくのはとてもうれしい。

 しかし、政治学者として、このカオス的な情況を学問的に解明してほしいものだ。



 「ヤー、チャイカ!」(私は、カモメ!)
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