晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

寺脇 研 フォーラムin札幌時計台

2009-05-15 20:31:31 | Weblog
寺脇 研 フォーラムin札幌時計台(2009.5.14)

 講師の寺脇氏は、元文部科学省大臣官房審議官、ゆとり教育の旗振り役をやり、「ミスターゆとり教育」と言われた元官僚。

 この方、あまり品性よろしく見えない人物、このような方が、教育制度を立案し、全国の青少年がその制度の下で学習するとは、恐ろしい感じを持った。

 講演では、この国とアジアの間の分断、世代間の分断の問題について、氏の現在の取り組みを紹介するものであった。コリア国際学園の設立による朝鮮半島との交流実践、文化庁時代に韓国で日本映画が解禁された時日本人も泣くのだと感想を話した韓国のひとの話し、これらの文化交流が安全保障に繋がるという主張であった。

 今は亡き「ゆとり教育」の理念について寺脇氏が語った最後の質疑が面白かった。「ゆとり教育」の発想は、氏が大学で読んだ1970年にローマクラブが発表した「成長の限界」が発端であり、右肩上がりの社会はいつか限界にぶつかる。それを乗り越えるには、自分で選び決めることができる人間をつくらなければならないという思いから生まれたのだそうだ。

 評論家の斉藤貴男が「ゆとり教育」を批判して、エリートはゆとり教育の他に教育機会に恵まれるが、非エリートは低いレベルの教育しか受けることができず格差社会をもたらすと批判した。作家の三浦朱門は、全員が同じ事を学ぶ必要は無く、社会の中で果たすべき役割もそれぞれ違っていいという考えを批判してのものである。

 詰め込み教育が求められていたのは、成長社会においてであり、軍隊や産業に労働力として供給することが求められていた時代だからである。寺脇氏は、斎藤氏、三浦氏をまとめて近代主義と一刀両断に批判した。

 皮肉にもこの国で「ゆとり教育」を見直した直後、2008年秋、ついに成長の限界に達し、右肩下がりの社会がスタートした。

 私が「ゆとり教育」として浮かぶのは、総合学習での子どもたちの姿である。様々なテーマを持って学校を出て実地の勉強をしていた。お店を訪ねたり、レストランでコックさんの話を聞いたりしていたが、果たしてこれが何の役に立つのだろうと思ったものだ。

 「ゆとり教育=反近代」という思想が横たわっていたことなど思いもよらなかった。

 
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