晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

『戦後史をよみなおす』ノオト① その3 

2013-02-28 20:15:48 | Weblog

 腹ペコで食べると何でも美味しく感じる。腹ペコ状態にするには、食べないようにするか、食べても運動をしてエネルギーを消費しないといけない。食べることをガマンすることは苦手だ。美味しく食べたいから私は走る。走っているときの辛さなら苦にならない。走る他に方法はない。でみ、走ることが楽しい状態にしたい。そのためには、もっと走って身体を走ることができる状態にしなければならない。

 

 『戦後史をよみなおす 駿台予備学校「戦後日本史」講義録』(福井紳一著 講談社 2011年刊)

 私の脳髄が疼いた著者の表現を抜き出してみた。(以下、要約引用)

 66年前に核兵器を2発も食らった国(P15)

 戦争で日本が負けたのは連合国、事実上は米国と中国に負けた。中国に負けたという意識が日本人には薄い。(P36)

 一億総懺悔とは、「全日本人は敗戦の責任を感じ、昭和天皇に対して総懺悔せよ」という含みがあったと解釈できる。(P40)

 昨日までは天皇陛下万歳といわせ、今日からは墨を塗らせる。なおかつ教師はそのことに対する子どもたちの解放感に気付かない。実はこうしたことが戦後民主教育の初めの躓きなのだ。(山中恒著「子どもたちの太平洋戦争」岩波新書から著者が引用)(P60)

 1946年1月1日、天皇の人間宣言(新日本建設に関する詔書)に、昭和天皇自身が命じて「五箇条の誓文」を付け加えさせた。天皇は、誓文は民主的性格を持っているとし、民主主義は決してGHQから押し付けられたものではない、民主主義を採用したのは明治天皇である、と示したかったようだ。逆に言えば、昭和天皇の考える「民主主義」とは、「五箇条の誓文」レベルのものだったともいえる。(P75)

 「特需」は軍需のごまかし言葉だ。(P183)

 10年にわたる文化大革命で、数十万人が殺されたといわれている。当時は情報が伝わらず日本の左派的知識人のなかには、文革を支持する人たちが多くいた。しかし、吉本隆明は、当時から「血のしたたる茶番」として冷徹に事態を把握していた。(P209)

 東大出身の山田洋次監督の「大衆」には旧左翼の価値観が張り付いている。一方、京大出身で六全協世代の森崎東には、新左翼の感性が作品にそっとにじんでいる。(P250)

 誰でも反対しにくい「いいこと」がいわれたときは、とりあえず眉につばをつけてみるのが、日本社会で生きる知恵である。(P265)

 

 

 

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『吉田拓郎 LIVE 2012』

2013-02-22 21:51:53 | Weblog

 ついに復活した拓郎が首都圏4ヵ所限定で決行した公演のうち、2012.11.6 NHK HALEでのライブがDVDとCDになりました。

 最後の全国ツアーといわれた「Have Nice Day LIVE 2009」は途中で拓郎の体調不良のため中止になりました。チケットを手にしていた僕にとっても幻の2009.8.3NHKホール。

 2012の拓郎は、66歳とは思えぬほど元気でした。ここ数年間に出した比較的新しい曲を中心に唄っていました。まだまだ俺は懐メロ歌手ではないよ、現役で勝負するよ、という強い意志を感じました。

 それらの曲の中に、過去の自分でもない、これからの自分でもない、ありのままの「今、ここ」が表現されています。拓郎の今の心情がよくわかるようになっています。

 数は少ないですが、僕にも僕を励ましてくれたり、応援したりしてくれる人がいます。拓郎さんも古くからのその一人です。何年か前には、会社や日常で制約の多い生活から日々感じることと、どこかしら自由過ぎる拓郎の詩との間に違和感を覚える時期もありました。

 僕も会社にしがみついていられるのもあと2年程になり、また人生も折り返し点を過ぎてからしばらく経ち、何かしら自分では気付かなかった真情の変化があるのでしょう。今の拓郎を聞いて、近い人に思えました。

 でも、誰が何と言おうと、ファンとして何より拓郎が再びステージに上がって唄う姿を見ることができたことで嬉しさ一杯です。

 

 

 

 

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『戦後史をよみなおす』 その2

2013-02-20 20:47:08 | Weblog

 著者の福井紳一氏は駿台予備学校の講師、本書はその人気講義を記録したものだ。人気の理由は、有名校の受験に強いからというだけではないと思う。氏の思想に対して生徒の中に肯定、否定の評価はあるだろうが、そこに貫かれている歴史観が脳髄を直撃するからであろう。

 駿台予備学校には、山本義隆氏(元東大全共闘議長)がいる。氏は、3.11についての『福島の原発事故をめぐって』では陳腐な評論を行なったが、『磁力と重力の発見』『十六世紀文化革命』など科学史の分野では素晴らしい仕事をしている。

 また、代々木ゼミナールの人気講師である八柏龍紀氏は、『戦後史を歩く』などを出版している。現在の大学の情況はわからないが、今もっとも面白く真剣勝負の講義をしているのは、予備校ではないだろうか。彼らは、研究所の研究員や大学の先生のように、必ずしも研究に没頭できる環境にはないのだろうが、自分の中で時間をやりくりして、がんばっていることがわかる。

 古代史の室伏志畔氏も大阪府立隔週定時制高校の教師をしながら研究成果を発表している。思えば、吉本隆明氏もある年齢までは特許事務所に勤めながらの仕事であった。

 こんなことを書いているうちに浪人時代(今は無くなったが、札幌には桑園予備校があった。)を思い出した。当時の予備校の授業も道東から出てきた田舎者にとっては、レベルの高い授業で、解法テクニックなどこんなものがあるのかと驚いたものだ。

 旺文社のラジオ講座も聞いた。そして講師の先生に励まされたものだ。数学の勝浦捨蔵先生、鉄則ゼミの寺田文行先生、英語の西尾先生、物理の竹内均先生など名前が出てくる。都会の誘惑に負けながらも(!)がんばった日々が思い出される。

 

 

 

 

 

 

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『戦後史をよみなおす』 その1

2013-02-17 17:20:47 | Weblog

 戸外を走ろうと思ったが外気温-5℃では少し過酷、近くの体育館でラン、インフル後遺症でまだまだ身体が動きません。少しずつ距離を延ばして、スピードを上げてと思っていますが、中々ゆるくないんだわ。

 

 『戦後史をよみなおす 駿台予備学校「戦後日本史」講義録』(福井紳一著 講談社 2011年刊)          

 本書は、是非、安倍晋三総理に読んでほしい。安倍は、「戦後体制の打破」「レジーム・チェンジ」をおちょぼ口から勇ましく叫ぶ。氏の頭の中には、憲法改正、自衛隊を国防軍に改組、核武装、徴兵制、基本的人権の制限といったプログラムがある。国家を守るためには国民の生活を犠牲にしてもかまわない。まして自衛隊員の命など消耗品のようにしか考えていないのだろう。自らは、戦地に赴く可能性はないのだから言うだけタダ。

 話題は横道に逸れるが、先週の国会の委員会で残り3分ほどの時間を待てないで、安倍氏がトイレに駆け込んだという記事が掲載されていた。(日刊ゲンダイ)また、委員会で用意した氷入りの水は飲まず、マイボトルの飲み水を用意している。また、点滴をしている、といった報道(北海道新聞本日朝刊)も出てきている。画期的新薬も効かなくなってきたかな。

 著者は、安倍氏が嫌う戦後体制の成り立ちを丁寧に説明する。敗戦とGHQによる占領、種々の戦後改革の経緯とそれらの考え方を詳しく重点を置いて説明をする。ここを理解できると、その後の占領政策の転換、日米安保体制、高度経済成長、そして冷戦後、ポスト55年体制としての現在については、その延長線上として自然と理解できるようになっている。

 著者は予備校の講師である。大学受験という目標の明確な受験生に対し、毎日が真剣勝負なのであろう。勤務評価は、生徒の出席率と入試の合否で明らかにされる。入試問題は、これ位の知識は持っていてほしい、この程度の事を考えることのできる訓練をしてきてほしいという各大学が求める学生の知的レベルを問うものである。歴史は「暗記」と言われるが、講義では、羅列した知識を覚えてもダメであろう、印象に残るエピソードや講師の歴史観をきちんと述べるなど、インパクトのある言葉で、脳髄に定着されなければならない。著者の講義はこれらを圧倒的にクリアーしているレベルの高いものである。

 1956年生まれの著者と54年生まれの私、本書を読んでその歴史観がサブカル的なことも含めてかなり近いと感じた。安倍総理も同世代なのだが、氏は全く反対側にいる人である。同じような時代経験を経てきていても、なぜこんなに人の思想というのは違うのだろうか。生まれが違う、育った環境が違う、住んでいる世界が違うからなのだろうか。

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オータムリーフさんへ

2013-02-10 15:48:49 | Weblog

 インフルA型に罹って以降、咳が中々取れず体調が戻りませんが、今日と明日は久しぶりの連休。薄日もさして春めいてきたようなので(実際は、-2℃)、思い切って戸外ラン。普段は、3分30秒位で走れる所が、4分45秒と本調子からは程遠かったが、先ずは気持ちよく走れたのが収穫。今年の目標は、去年を上回ること。今日から少しずつコンディションを上げて行きたい。

 

 オータムリーフさんへ    

 このブログと私が一方的にリンクしている「オータムリーフの部屋」さんの2013.1.9「日本共産党の変遷」の記事に触発されたのでここに記します。

 9日の第6回中央委員会総会で志位委員長が夏の参議院選挙の目標を現有3議席から5議席にすると檄を飛ばしている。というよりも実体は、疲弊した高齢下部党員の尻を叩いている。

 日頃接する党員は、この社会にあって概ねまじめで他人のために献身的で正義感が強いと感じるが、ただひとつの欠点は、自分の頭を使って考えているのだろうか、指示待ち人間ではないのかと感じることである。

 ネットを検索していたら、ある地方議員のHPに、「本当に驚いた『戦後史の正体』」と題して孫崎享氏の著作について感想が書かれていた。以下、一部を引用する。

 「昭和天皇はGHQ側に対して、「沖縄を半永久的に軍事占領していてほしい」と伝えていたことにはびっくりしました。沖縄の人たちはこの事実を知っているのでしょうか。」

 否、びっくりして驚いたのは私の方だ。問題なのは、この発言を知っていたかどうかという知識ではない。この国(本土)が今の姿になったのが、戦後史における高度経済成長があったためであり、その条件は、一つには米軍基地の75%を沖縄に押し付けたため、もうひとつは、東西冷戦の境界線が朝鮮半島に引かれたためという、半ば偶然性によるものだという世界戦略上の構造的な把握が全然頭の中に無いのではないかと思わせる点である。

 もし、連合国がこの国を分断して統治していたら、この国は1980年台までの韓国、そして今の北朝鮮の情況であった可能性は否定できない。

 オータムリーフさんが引いている志位氏の発言「資本主義の健全な発展の先に社会主義社会がある」は、驚くというより彼は心からそう思っているのではないかと感じる。志位氏は、社会主義社会に確信を持っていない、社会主義社会にどのようにして変えていくかという理論を持っていないのだと思う。

 株式会社日本共産党と揶揄される党、新聞という商品を売りしっかりとした経営基盤を作ったのは宮本顕治、不破哲三、上田耕一郎は、元々は構造改革路線なのに、宮本から自己批判を何回もせまられながらそれなりに路線を継承した2代目、志位氏はとりあえず先輩のやり方だけをまねているだけの無理論の3代目。商品の売れ行きも悪くなる、営業マンも高齢化する。しかし、新たな経営戦略を見出せない。「将たる器」ではないのである。

 

 

 

 

 

 

 

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祖父からの教え

2013-02-02 19:57:05 | Weblog

 A型インフルは治ったのだが、咳が残っていて中々体調が戻らない。2月に入ってプロ野球もキャンプイン、コンサも熊本合宿に出かける。ランニングを開始したいなあ。

 

 明治生まれの祖父からその子たち、孫たちに伝わっている教えとして3か条があります。ひとつは、株に手を出してはいけない。二つ目は、選挙に出てはいけない。三つ目は、運動選手にはなるな、というものです。

 それぞれに意味を持つものと思っており、私を含め子孫たちの間では守られていると思います。私なりに解釈すると、株は時には儲かることもあるが必ず損をする、虚業ではなく汗して働く実業に就きなさいということだと思います。最近の資産家夫婦が殺された事件からもなるほどと思ってしまいます。

 政治の世界についても、生き馬の目を抜くような非情の世界には入るなということだと思います。昔からの政治家という人種の品性を知ってのことなのでしょう。近頃の理念無き政治屋の節操の無い動きを予想していたのではないかと思います。

 祖父は、運動をするのは良いが選手にはなるな、選手になると身体を壊してしまうからと言っていました。祖父(1899年生まれ)は、軍隊経験の無い稀有な世代なのですが、軍隊における理不尽な暴力、運動における勝利至上主義になった場合の情況をわかっていたのではないかと思います。部活や柔道界における体罰について問われたら、「バカバカしいことだ」と答えるのではないかと思います。

 山師根性を出さず、実直に、誠実に、コツコツと生きて行きなさいということだと思うが、私の中には、駄目で元々、一発当ててやるか、といった突き上げが耐えずあり、その度に祖父の教えを思い出しては自己を抑制している。おそらく祖父の中にもそのような衝動が生じやすいということを自覚していたのではないかと思う。

 

 

 

 

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