1991年9月の赤旗号外、記事中に「30年余にわたって党の生死をかけてたたかってきた日本共産党として、もろ手をあげて歓迎すべき歴史的出来事である。」と記されている。(古いスクラップから)
『新しい左翼入門 相克の運動史は超えられるか』(松尾匡著 講談社現代新書 2012年刊)
書名の「新しい左翼」から新左翼を連想したが新左翼には言及していない。この国の左翼の歴史、特に左翼の持つ決定的な欠陥を的確に指摘している良書だ。副題の「相克の運動史」の方が内容を的確に表していると感じる。
左翼ということで当然のことながら日共にも言及しているが、大変興味を引く記述がある。(以下、引用する。)
「日本共産党という組織は、宮本顕治というカリスマに合わせて作られていると言えるかもしれません。大韓航空機爆破事件を北朝鮮の仕業と認定したのは、ほとんど宮本一人の直感によっていたように思います。ソ連共産党の解散について『もろ手を上げて歓迎する』と即答し、ソ連が崩壊した時『せいせいした』と言い切った政治的センスも凄いと思います」(P180)
ソ連が本店なら日共は支店、ソ連が親なら日共はその子のはずなのに、支店が本店の倒産を、子が親の死を『もろ手を上げて歓迎する』という感覚に当時私は違和を感じた記憶を持つ。日共が、ソ連の支店として、子としての記憶を断ちたいならば、日共が一貫していると誇る党史(1922年結党)を根底から総括すべきである。
続いて、本書では、宮本に比べると後継者不破の政治的センスの無さを指摘している。
「中国共産党がいかなる意味でも社会主義的であることをやめ、そのブルジョア独裁の反人民的本質を世界の人々に次々とさらけだすようになったまさにそのときに、党関係の改善に乗り出したのでした。北朝鮮についても、体制危機の深化の中で個人独裁の悪あがきが世界にあらわになってきたそのときに、朝鮮総聯との関係改善と日朝国交回復要求に乗り出したのでした。しかも、そのために拉致問題について、北朝鮮の関与は確定ではなく「疑惑の段階」と強調したまさにその直後に、金正日が北朝鮮の犯行を認めるという間の悪さでした。」(P181)
さらに「もし、中国とも北朝鮮とも激しく対立する宮本路線を続けていた場合、共産党は「左翼=売国」等々の右派側の攻撃に耐えて、今よりずっと勢力を維持することができていたでしょう。今日の苦境はトップの判断ミスでもたらされたところが大きいと思います。」(P181)
不破時代の後、宮本家の家庭教師しか労働体験の無い志井が継ぎ、泡沫政党化していったのは周知の事実である。
宮本、不破、志井とこの党のリーダーは東大卒だが(このこと自体は特に悪いこととは思わない)、一般社会の経験がほとんど無い(決定的な欠落!)、大衆の原像からは遠い者に率いられ、下部活動家は自分の頭で考えることを禁じられ、赤旗に書いていることを唯一真実と思い込んできた。そこにも「左翼の持つ決定的な欠陥」がある。