次々とロシアの本音が出てくるが、1年ほど前の道新だったと思うが、ソ連が樺太、千島列島(4島を含む)に上陸する際に、米国がソ連軍の訓練を支援、米国の艦船を貸していたと報じられたことを記憶している。北方4島問題にとってこの事実の意味するところは大きいと考える。
『倫敦塔』『カーライル博物館』「漱石全集第2巻 その1」(夏目漱石著 岩波書店 1965年刊)
『倫敦塔』は明治38(1905)年1月10日、『カーライル博物館』は同じく1月15日に書かれていて、『猫』と同時期の短編である。どちらも漱石のイギリス留学時の回想を元にしたものであるが、対照的な印象を受けた。
『倫敦塔』の冒頭がいい。たったひとり異国での生活への不安感、漱石の述懐に共感できる。地理に不案内、言葉も容易に通じない環境で、果たして目指す目的地にたどり着けるのだろうか。
しかし、倫敦塔での見たモノ、出会った人たちについての表現になると、それが実際にそうであったことなのか、漱石の空想の産物なのか、なかなか区別がつきにくい。結局のところ最後は、下宿に戻りその日あったことを主人に報告すると、即座に全てを否定されるというオチで終わるのだが、そうなると倫敦塔におけるくだりはすべて漱石の妄想ということになる。小説などは想像力を駆使した作り話とすれば、それはそれでいいのだが。
一方の『カーライル博物館』は、その場所に刻まれた歴史に思いを寄せて感じるままに書かれたもので、訪問記としてはオーソドックスなものに思える。ただ、そこには、漱石自身が不在で何をどう感じたのかがあまり描かれていない。余計なことだが、書き手自身がいない文章の点形は、町内会の回覧に添えられてくる近所の学校便りの校長巻頭文だ。教育への想いや自身の子どもの頃のことなどが描かれていればじっくりと読むのだが。だから人事異動で校長が変わってもそのことに気づくことがない。
「漱石や鴎外も読まないで吉本隆明を読んでわかったなどと偉そうにしている奴がいる。」という言葉を噛みしめながら