晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

『アンモナイトの森で 少女チヨとヒグマの物語』

2010-07-24 21:52:55 | Weblog
 『アンモナイトの森で 少女チヨとヒグマの物語』(市川洋介作 水野ぷりん絵 学研教育出版ティーンズ文学館 2010年刊)

 小学校中学年くらいから読めるであろう児童文学の作品です。第18回小川未明文学賞大賞を受賞した作品です。縁があって読ませていただきました。

 本書でも、著者がさきに発刊したフォトエッセイ『透明な朝・霧の朝』の身近な自然を素材とした写真や季節の文章と同様の眼差しの優しさを感じました。

 この作品には複眼的な思考が貫かれています。著者は、断定的な物言いをしませんが、読者として想定されている小学生に対しては、ものごとを考えるための素材がたくさん提供されます。大人が読んだ場合にも、この作品から突きつけられる問題が見えてきます。

 さて、物語の中に、大きな二つの時間軸があります。
一つは、ヒグマ、オオカミ、アンモナイトが棲む自然界にある時間の流れです。人間が暮らすずっと前から連綿と続く命の流れです。また、古代に生きていた生物が化石になるくらい時間の流れがあります。

 もう一つは、人間の知りうる位の歴史的時間です。舞台は、北海道の開拓時代、明治の頃です。人間の何世代分かの時間ですので何とか実感できるのではないでしょうか。

 人間と自然の関係についても考えさせられます。
 人間が生きていくためには自然と対峙しなければなりません。自然に働きかけて生産をしないと食べていけません。開拓の歴史を振り返ると、人間が自然の侵略者であったのは事実です。

 しかし、源治とツネが絶えず自分たちの子どもである主人公のチヨを心配するように、自然の中で生きているヒグマの親子の側にも同じ想いがあることを想像させられます。欲に惑わされ、不必要に自然を破壊しようとした猟師の二人はしっぺ返しを受けます。人間と自然との関係には、節度が必要なのでしょう。

 また、都会の中で、人間関係だけが中心の生活をしていると、自然の中で私たちが生きていることをつい忘れがちになります。この作品を読むと少女チヨのように私たちにも何か自然に対する能力が潜在的に備わっているかも知れないという思いになります。

 このように、この作品からは、重層的なメッセージが伝わってきます。ぜひ多くの子ども達に読んでほしいと思います。
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『吉田拓郎 終りなき日々』

2010-07-21 20:57:53 | Weblog
 『吉田拓郎 終りなき日々』(田家秀樹著 角川書店 2010年刊)

 昨年、途半ばで挫折した吉田拓郎最後の全国ツアー「Have Nice Day LIVE 2009」。私自身も、2009.8.3NHKホール公演の抽選に当たって、有頂天から失望へを味わった一人です。その顛末が本人へのインタビューを中心に書き込まれています。

 おそらくこの本を拓郎ファン以外が買って読むことは無いでしょう。それゆえ筆者も全篇に渡って拓郎を讃えまくっていますが、批判的な部分は皆無、まあヨイショ本と割り切って書いたのだと思います。

 私は、拓郎ファンです。いつも頭のどこかで拓郎の唄のメロディーが流れています。特に、若い頃は、元気付けられ、励まされ、影響も受けたのも間違いないと思います。拓郎命、人生の随伴者といっても良いでしょう。

 しかし、私自身も社会の中でそれなりに揉まれたり、様々な経験をしていくうちに、拓郎の置かれている情況と自らの場所の距離感を感じ始めていたのは、そんなに最近のことではありません。必ずしも、拓郎の発するメッセージがフィットしなくなってからは随分経っていると思います。

 I like Takuro. ですが、I don’t respect Takuro. になりました。




 読むべきと思っている本に手が出ず、またも寄り道をしています!

 「僕の欲しいものは、何ですか?」♪


 


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『新・日本文壇史』

2010-07-17 17:49:33 | Weblog
 『新・日本文壇史』(川西政明著 岩波書店 2010年刊)

 かつて『昭和文学史』(講談社 全3巻)をまとめた文芸評論家の川西政明がとてつもない仕事にとりかかっている。『新・日本文壇史』全10巻を今年の一月から三ヶ月に一度づつ発行していくのだそうだ。今日発売したのが第3巻だから第10巻が出るのは2012年1月ということになる。

 それでなぜ、「新」が付いていりのかということだが、かつて伊藤整らが明治時代を取り上げて「日本文壇史」を出しているので、その続きの大正時代からを取り上げるので「新」を付けたということである。

 すでに出版された第1巻「漱石の死」、第2巻「大正の作家たち」を読んだのだが、これまた極めて楽しい文壇史に仕上がっている。今は亡き「噂の真相」も真っ青のスキャンダリズムが全篇に貫かれている。岩波書店がこんなエロい本を出版するのだから驚きである。

 例えば、第1巻は夏目漱石が死ぬところから始まり、その娘を巡って作家同士が争うのである。とりあげられた作家たちの私生活、それも不倫、不貞、姦通と何でもありである。

 何か昔の人は道徳的だったようなイメージを持っていた私だが、文豪と言われた人たちの交情を知ると、それが音を立てて崩れていく。

 波乱万丈な私生活をおくりながら、歓喜や苦悩を繰り返し、それが彼らの作品となっていくのである。現在、このようなプライバシーを赤裸々に晒すような書き方をしている作家はいないのではないか。

 本当は、自分の中で他に読むべき本があるのだが、ついははまってしまうくらい面白いのだ。第3巻は、「昭和文壇の形成」である。

 
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『風景 2010 』 その8 参議院選挙報道

2010-07-11 09:11:13 | Weblog
 釧路に着いた昼過ぎの気温は、22℃位で涼しいと感じたのですが、それから2時間ほどの間に突然気温が上昇し、夕方には32.4℃と、釧路における観測史上最高気温を記録しました。

 釧路湿原展望台も暑かったので、冷たいものをいただきました。普通のソフトクリームの上に半分に切ったいちごが乗っているだけですが、「丹頂ソフトクリーム」と称し、50円上乗せした料金でした。


 本日は、参議院選挙の投票日。

 マスコミの事前世論調査の結果が繰り返し詳しく報道されているので、私たちが投票所へ行く前に大方の結果が見えてしまっているような感覚です。

 当確報道が出ている候補なので、他候補に入れようかなどと、報道によって投票行動が影響を受けたり、誘導されたりしていると思います。これは、公職選挙法には抵触していないのでしょうが、公正な選挙という原点からは逸脱していると思います。

 今夜になると、いつもと同じ光景が繰り返されます。20時数分前から始まる選挙特番では、20時丁度の投票終了と同時に、出口調査の結果などに基づいた「当確」情報が続々と打たれます。そして、選対事務所からの中継で「バンザイ!」が三唱されます。

 午後8時は、投票箱の蓋が閉まる時間ですが、未だ各投票所から開票所へ票も移動していない時間です。

 全く有権者を舐めり切った報道姿勢に対し、マスコミ自身からはもちろん問い直しの声は聞こえてきません。

 さてと、私もこれから近くの小学校に投票に行ってきます。

 選挙区は、このままじゃいけない「白戸次郎」へ、比例代表区は「ただとも党」に入れますか。
 
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『風景 2010 』 その7 釧路湿原

2010-07-10 14:02:03 | Weblog
 今週は、昨日まで出張で上京していたため、ブログから遠ざかっていました。

 近くに所用がありその帰路立ち寄ったのが、釧路湿原展望台です。広大な湿原の中に何箇所か小高い場所があります。釧網線の釧路湿原駅の所、新釧路川上流にある岩保木山、そしてここです。

 水産、炭鉱、製紙に行き詰った釧路が観光を唯一の成長産業として売り出したのは20数年前のことです。谷地で全く利用価値が無かったので幸いなことに手付かずで残ったのが湿原です。

 国立公園になったり、ラムサール湿原保全条約の締結など国際的に注目されましたが、今でも釧路育ちの私にはなぜかピンと来ないものがあります。「あんなのただの、谷地だべ!」と。

 高校生の頃は、自転車で岩保木山の麓まで、砂利道をダンプの風圧とほこりに煽られながら遊びに来たことを記憶しています。今は、道が良くなったのに、そんなバカなことができる子どももいなくなったのではないかと思います。


 
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