晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

釧路にて

2010-09-27 21:19:05 | Weblog
 生涯学習センター「まなぼっと」からの釧路川です。町中で蛇行しているのがわかります。

 お昼頃に到着した時のパターンは、釧路駅近くで、先ず小田原書店をのぞき郷土史関係の新刊が発行されていないかどうかを見ます。続いて、となりのお蕎麦やさん「東屋」で昼食となります。

 ここの「東屋」さんは、老夫婦で切り盛りしていて、いやずっと以前は老夫婦では無かったのですが、奥さんが注文と配膳、ご主人が厨房でお蕎麦を茹でてという分業でしたが、最近は、ご主人の方が少し物覚えが悪くなり、注文を一度聞いただけではどうもすぐに忘れてしまうようなのです。

 先日も奥さんが調理の最中に、何回もご主人に注文の確認をしていました。それも結構、強い口調で。

 今回は、少し寒かったので私は、「カレー南」を頼みましたが、いつもどおりの美味いやつでした。

 
 その後、駅に近い北大通にある「ブック亭」という狭く小さな本屋さんです。

 ここに前日札幌では入荷していなかった月刊「情況」があったので購入、その「情況」誌が、「現代中国論」の特集をやっていて、今回の尖閣問題を読み解く鍵があるような気がしています。

 またぞろこの国のナショナリズムに火が点いて盛り上がっているように見えますが、中国も相当に内部矛盾を抱えて、それも体制崩壊につながるような不満が渦巻いていて、外にその発露を求めているように感じています。



 民放テレビ番組のNKK翼賛ぶりが気になります。旅番組、歴史物、バラエティ・・の素材に「坂本龍馬」、水木しげる「ゲゲゲの女房」が多用されています。








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政治主導と脱官僚

2010-09-26 14:45:53 | Weblog
 6月に痛めた左足のアキレス腱の付け根部分が、3ヶ月半かかってようやく治ってきました。練習不足で夏場に絞れなかった体重をこれから少しずつ落とそうと思っています。



 『誰が日本を支配するのか!? 政治とメディア』(佐藤優+魚住昭責任編集 マガジンハウス 2010年刊)その3

 民主党の掲げるテーマに「政治主導・脱官僚」があります。

 上記の佐藤氏、魚住氏の対談で、官僚経験者の佐藤氏が、「マルクスは、地主、労働者、資本家を三大階級とした。マルクスは、官僚機構の存在を見落としたと柄谷行人は考えている。」(P35)

 「マルクス主義者は官僚を階級としてみなしておらず、キャリア官僚は資本家階級へ分類し、一般の公務員や地方公務員は労働者階級に入れていた。・・しかし、キャリアであろうが、ノンキャリアであろうが、官僚としてひとつの階級を形成し、国家を体現している。」(P37)と、発言しています。

 ここでの「階級」という概念の使い方は明らかではありませんが、佐藤氏は、官僚が国家の中で相対的に自立した意識を持ち、法律や規則などに拠ることによって国家の活動や秩序を規定しているという考えにたっています。

 果たしてそうなのでしょうか。私は、官僚は政治に従属すべきであると考えます。国民の意思が反映された政権の手足となり、その政策実現のために働くべきであると考えます。言い換えれば、官僚は、政治の「道具」であり「手段」であるべきです。

 既存の法律や制度と矛盾を来す場合に、官僚は意見すべきでしょうが、国民の意思として何かを実行しなければならない場合は、法律や制度を変更すれば済むことです。

 政権と折り合いのつかない官僚は自ら職を辞するか、政権の方で罷免すべきでしょう。
 
 どうも最近は、(青年将校化した:佐藤氏の言)地検の行動をはじめとして官僚の独走が目立っています。危険な兆候です。

 民主党は、官僚を使いこなせないので、「脱官僚」=官僚抜きで、政治家だけで、と言っているようです。そんなことは出来るはずがないし、コストのムダです。自信を持って言うことをきかせるべきです。



 
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『誰が日本を支配するのか!? 』

2010-09-24 20:20:55 | Weblog
 釧路スパゲティの『泉屋』、入り口横に並ぶメニューです。ミートソースとカツスパが並んでいます。



 釧路からの帰りの車内で読んだのは、『誰が日本を支配するのか!? 検察と正義』(佐藤優+魚住昭責任編集 マガジンハウス 2010年刊)で、今どきタイムリーなテーマです。

 石川知裕衆議院議員(元小沢秘書)の獄中記は、20日間の拘留期間中の心情が吐露されていて結構引き込まれます。

 村木厚子厚生労働省局長への無罪判決、その後の大阪地検特捜部前田主任検事が逮捕された意図が見えません。

 『検察と正義』では、近年の検察による捜査方法の変質を指摘しています。従来は、それぞれの検事が予断無く集めた資料、調書をもとに、主任検事がストーリーを組み立てていたのが、主任検事が組み立てたストーリーに沿って個々の検事が取調べを行なうようになっている。小沢事件に至っては、ストーリーさえ無く、ただ政治的意図ありきだと。

 今回の、前田主任検事の逮捕も、検察による何らかの思惑を持ったリークにマスコミが乗っただけ。村木局長の立件も、前田の逮捕も、マスコミ独自のウラ取りもなく、要するに何も考えず、ただお上からの情報を増幅して垂れ流しているだけである。

 それにしても、意図がわからない。検察の正義を守るための単なるトカゲの尾っぽ切りなのか、何か政治的な意図があるのか。


 日中関係がギクシャクしています。私は、これは、回りまわって「普天間」に行き着くと見ています。その内、「抑止力」という言葉が出てくるでしょう。だから、沖縄に基地が必要なのだという論理に落ちます。

 社民党がガタガタしています。予想どおり政権離脱後の悲哀に耐え切れなくなっています。今、政権復帰の大義はありません。戻れば、あの離脱が参議選目当てのパフォーマンスだったことを認めることになります。

 社民党の生き残り策は、少し時間をかけて、この国における真の社会民主主義の理念を再構築して提示することです。そして、絶滅危惧に瀕している左翼の大同団結に汗を流すことではないでしょうか。とりあえず、シンシャ(新社会党)と復縁し、提示した理念に賛意を示す無党派市民層、新左翼を糾合することです。


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お月見の夜に

2010-09-22 21:07:48 | Weblog
 今夜は、十五夜さんです。月に傘がかかっていました。明日は、雨でしょうか。

 明日は、秋分の日。暑さ寒さも彼岸までとは、全くその通りです。急に寒くなりました。

 明日は、月見そばでも食べようかな。



 『誰が日本を支配するのか!? 政治とメディア』(佐藤優+魚住昭責任編集 マガジンハウス 2010年刊)

 『誰が日本を支配するのか!? 検察と正義』、『誰が日本を支配するのか!? 沖縄と国家統合』からなる3部作です。

 所用で帰釧することになり、JR車内で読もうと購入。噂の真相的な読み飛ばして楽しいが、比較的寿命の短い本です。しかし、何年か跡にもう一度読もうとは思うほど中身のある本ではありません。乗車時間3時間半程度で丁度一冊が一気に読めるほど楽しい本です。

 釧路行きで読んだ『政治とメディア』で、印象に残ったことをメモします。

 佐藤優氏の捉える菅首相の思想は、

 「暴力は嫌いで、新左翼でも民青でもない。ヒューマニズム、市民社会論です。」

 「日本の社会民主主義の基本形は労農派マルクス主義です。その正統な後継者である社会主義協会によって社会党から追い出された江田三郎、そして父の想いを継承した江田五月の流れを汲む社会民主連合の系譜に連なる人です。」
 
 「市民運動の発想で個を動員して束ね、能力に応じて役割を果たす。束ねた集団に対して超越的な価値や目標を提示し、そこへ向けて動き始めたらもうファシズムです。ファシズムとの距離が意外と近いことだけは留意しておいたほうがいい。」

 ファシズムと近いという点は、重要な分析だと思います。私は、仙石官房長官の方が、権力を持つと危ないタイプに見えます。

 佐藤氏に倣って、私が仙石氏を評すれば、

 「学生時代は、造反有利の毛沢東主義者でした。」

 東大を中退して弁護士資格を得た後も「文化大革命のような思想運動を創出してこの国を変えなければならない。」
「正義のためには、反対派の粛清も止むを得ない。」今のテーマは、小沢派の殲滅だ。

 腹に一物、持っているように見えます。私は、今の無色透明な政治家たちの中にあって、かなり希少な存在と思います。


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『未完のレーニン』 その5 外部注入論

2010-09-13 20:25:15 | Weblog
 名前に魅かれて入店しました。炭焼炉ばた『くし路』のランチです。(札幌市北区北7条西4丁目新北海道ビルB1)



 『未完のレーニン』 その5 階級意識の外部注入論

 歴史の客観的法則(資本主義→社会主義)=必然性を現実化するためには。

 以下、著者から引用する。「プロレタリア階級が科学的に立証された自らの歴史的運命を正しく把握することである。」「しかし、資本主義的生産様式の内部における日々の労働に追いやられ、革命の大義より目先の生活改善に直結する事象に注目せざるをえないプロレタリアートは、自らの歴史的運命を自然に学び取ることができない。ゆえに、プロレタリア階級の真正な階級意識は、プロレタリア階級それ自身から自然に生まれるのではなく、この階級の客観的状況と歴運を彼ら自身よりよく理解したブルジョア・インテリゲンツィアによってプロレタリアートに注入されなければならない。」


 私は、この飛躍した論理に、様々な病理を見出す。

 ひとつは、歴史の客観的法則、いわゆる唯物史観である。検証されるべき論理である。この前提が崩れると以下全ての論理が崩壊する。

 次に、実際に労働し資本に搾取されているプロレタリアート自身は、目先の事ばかりにとらわれ正しい認識(階級意識)を持つことができない。ブルジョア・インテリゲンツィアの認識が正しい。これらの論拠がどこにもない。

 外部注入論こそ前衛党が存在する根拠である。正しい認識を持った前衛党が、無知な労働者階級を革命に導いてあげるから、黙って付いて来いといいような論理である。

 これらから、自称前衛党(日共)の振る舞いがなるほどと理解できることがある。宮本顕治、不破哲三、志位和夫をはじめとした歴代の委員長は、労働者として働いた経験の無い者が続いている。近年の選挙における候補者を見ても、労働者経験者は党内であまり重要視されず、従って社会を実感として理解していない者が社会変革を主張している。そんな声に頷くほど国民がバカではない。

 情報が溢れるほど流通し、国民の知識レベルもあがり、判断能力も備わっている今日において、外部注入論ほど思い上がりの論理はないのではないか。
 
 レーニンによる階級意識の外部注入論、前衛党論を現代社会に適応するのは、革命論として破綻している。
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『未完のレーニン』 その4 無政府主義

2010-09-11 20:51:55 | Weblog
 たらばガニサンド(札幌市大通西4丁目「REGALO KURA」レガーロ・クラ)、旧梅沢時計店の石造りの建物を改造した店です。ランチセット650円、大きなカニがはさまっていました。お薦め!)



 『未完のレーニン <力>の思想を読む』(白井聡著 講談社選書メチエ 2008年刊)

 その4

 「マルクス主義者と無政府主義者との相違は次の点にある。

 (一)前者は、国家の完全な廃絶を目標として、社会主義革命によって階級が廃絶した後に、国家の死滅に導く社会主義建設の結果として、はじめてこの目標が実現可能となるものと認める。後者は、この廃絶を実現できる条件を理解していないので、今日明日にも、国家を完全に廃絶することを欲する。

 (二)前者は、プロレタリアートが、政権を闘い取った後、旧国家機構を完全に破壊し、それをコミューンの型に基づいた、武装した労働者の組織からなる新しい国家機構と取りかえることが必要だと認める。後者は、国家機構の破壊を主張しながらも、プロレタリアートがそれを何と取りかえるか、また彼らが革命権力をどのように利用するかということについては、まったく不明瞭な考えしか持たない。無政府主義者は、革命的プロレタリアートが国家権力を利用することや、その革命的独裁を、否定しさえする。

 (三)前者は、プロレタリアートが今日の国家を利用して革命を準備することを要求するが、無政府主義者はそれを拒否する。」(『国家と革命』(レーニン)から引用、『未完のレーニン』からの孫引P37)

 以下、白井氏の補足。

 『国家の死滅』という最終目標については一致。無政府主義者の空想性は、国家の死滅に至るまでの過渡期的・中間的段階を認めないところにある。」(P38)

 (一)では、政府主義者は、ブルジョア国家を一撃で破壊できると考えている。しかし、レーニンは、階級を廃し、階級社会を生み出す資本主義社会を廃絶するための過渡期的プロセスが不可欠。(P39)

 (二)では、ブルジョア国家の破壊の後に、プロレタリアートによる「半国家」(コミューン型の国家)は必要。無政府主義者には、プロレタリアートが手に入れた「革命権力」についての考察が存在しない。革命を行なうため、プロレタリアートの<力>が必要だが、無政府主義者は、ブルジョア国家が破壊された後、この<力>はどうなるかということを考えていない。(P39)

 引用が長くなってしまった。ポイントは、過渡的なものを想定するか否か。それを想定しない無政府主義は、国家死滅までの道筋と死滅後の社会の具体的なイメージが無い。

 一方、過渡的なものを想定したマルクス主義、それを現実化したレーニン、そこに現出したソ連社会における国家権力による抑圧体制。

 私は、著者が革命の実践力として評価している<力>にこそ、過渡期的な社会(ソ連)に内在した問題の原因があると考える。また、無政府主義をただ切り捨てるのではなく、その中に問題解決のヒントがあるように感じる。

 柄谷行人氏は、交換様式の諸形態を切り口にして、社会構造を分析し、オルタナティブの試みを続けている。氏は、マルクス主義を否定せず、国家の廃絶を目指すと述べる。そして、国家の廃絶は、世界同時でなければ現実化しないと。

 しかし、オルタナティブの可能性を含んだ当面の運動論として氏が提示するのが、協同組合、地域貨幣では、あまりにもみすぼらし過ぎる。
 
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鈴木宗男 上告棄却 実刑確定 収監へ

2010-09-08 21:02:02 | Weblog
 「受託収賄、あっせん収賄など四つの罪に問われた衆院議員鈴木宗男被告(62)の上告審で、最高裁第1小法廷(金築誠志裁判長)は7日付で、被告側上告を棄却する決定をした。懲役2年、追徴金1100万円の実刑とした一、二審判決が確定する。鈴木被告は確定後、公選法などの規定により失職し、収監される。刑期を終えても5年間は立候補できなくなる。」(時事通信社より引用)

 

 この時期に決定した意味はどこにあるのか。

 私は、ここから民主党党首選挙で小沢が優勢となっていると読む。

 宗男氏は最近のHPで党首選における小沢支持を明確にしている。逆に菅の人間性を痛烈に批判している。16日の党首選で小沢が勝利した場合、首相(小沢)サイドから司法へ圧力がかかることが予想され、今日のような決定を下せなくなる、小沢優勢の情況でその可能性が高くなったのではないか。

 7日付けで決定、8日(本日)報道、異議申し立ては、9日(木)~11日(土)の3日間、その処理期間、14日(水)党首選の前日13日(火)がタイムリミット。
 党員、サポーターの投票期限が11日(土)必着、本日の報道は明らかに小沢票を減らす影響を狙っている。

 菅(仙石)サイドからの工作の可能性も否定できない。

 宗男氏のHPからは、訪ロなど外交活動が目立つ。鳩山を立てながらも北方領土問題の解決を目指そうとしていることがわかる。それを米国がどう捉えているか。米国からの圧力の可能性も容易に想像できる。
 
 予想屋のように言えば、いよいよ小沢首相が現実になってきた。まあ、14日になれば決まることだが。

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『一週間』 井上ひさし

2010-09-05 16:31:01 | Weblog
 『一週間』(井上ひさし著 新潮社 2010年刊)

 本年4月10日に亡くなった井上ひさし最後の長編小説。もちろん著者自身はこれが最後とは思っていないだろうから最晩年の作品ということになる。

 舞台は、敗戦後のソ連内捕虜収容所、一人の兵士が一週間にわたりソ連と旧日本軍の体制と真っ向から戦う手に汗握るドラマである。ちなみに、私は「一週間」を4日で読んだ。

 私は、この作品を「反戦・反スタ」小説と名付ける。では、井上氏が、この小説で何と闘ったのだろうか。(何を描きたかったのだろうかと同義。)

 ひとつは、軍国主義だ。旧日本軍内の不条理。上官による下級兵士の徹底的な支配。シベリアの捕虜収容所にあっても、旧日本軍の階級制度がそっくり温存された。配給物資の上官によるピンはねにより飢えと寒さで何人もの兵士が死んだ。

 もうひとつは、レーニンが理想を掲げて作り上げた体制の変質に対する告発である。捕虜収容所における旧日本軍の階級制度の温存も、労働力を効率よく使うというソ連の意図と合致していたため積極的に黙認されていた。従って、兵士たちはソ連の捕虜であるとともに、依然として上官の下にもあるという2重の支配下に置かれた。

 レーニン若き日の手紙の存在がこの小説のポイントになる。そこには、レーニン自身が少数民族出身であることがカミングアウトされ、その解放のために闘うという意志が表明されている。しかし、その後のソ連の政策は、「社会主義の利益は、諸民族の利益にまさる」という見解に変質してしまった。

 井上氏は、暗に日本軍国主義の体制とソ連社会主義体制を同質のものと批判する。実際、日本人のシベリア抑留は、第二次世界大戦で多くの死者を出し、労働力が不足したソ連が、日本人捕虜にそれを求めたこと。逆に、日本政府は、国体の護持を最優先とし、それと引き換えに、多くの兵士たちをソ連に簡単に引き渡した。そこには、ひとり一人の命を尊重される考え方はなく、人間をマスでしか扱かわないという両者の国家的な利益の一致がみられる。

 また、レーニンによる、公平、平等の実現を目標とした革命は、権力を奪取した瞬間から変質が始まった。現在はこれを全てスターリン主義によるものとする傾向が強いが、私は、レーニン思想そのものの中にも大きな欠陥があるのではないかと考える。

 そういう意味から、この小文は、「未完のレーニン その3」とする。

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小沢一郎VS菅直人

2010-09-03 20:54:59 | Weblog
 三井アウトレットパーク札幌北広島内、「弟子屈」のラーメン。店名の釧路管内弟子屈に惹かれた。外食であまりラーメンを食べることは少ないのであるが、コクのあるスープで結構イケテルラーメンだった。



 当ブログで、不屈の男、日本一の嫌われ者、小沢一郎については、2009.5.13「小沢一郎の屈服」、2010.1.17「ガンバレ!小沢一郎」、2010.1.24「小沢一郎、幹事長辞任へ」で東京地検特捜部との闘いを中心にコメントしてきた。

 私の考えは、2010.1.24に書いた、「今回の問題の意図をアメリカからの意向に求めています。小沢のどこに反米思想が具現化しようとしているのでしょうか。なぜなら逆に、そこがアメリカの小沢切りの理由に思えるからです。普天間基地問題で明らかになってきている日米安全保障条約の見直し、大型訪中団や中国要人来日時の天皇会見などの親中国外交、在日外国人への参政権付与、脱官僚政治により内閣法制局長官の国会答弁を禁じ、自衛権に関する従来の憲法解釈を変えるなど、小沢が静かに反米闘争を繰り広げているからです。」と変わっていない。(2010.8.13「陰謀史観」も参考に。)

 私は、民主党、自民党ともに、思想の深みにおいては、一定の境界線を引きながら政治をやっているので全く期待を持っていない。まして、今回の民主党代表選挙については、国民に投票権があるわけではないのでどうぞお好きにやって下さいとしか言いようが無い。

 その上で、あえて小沢VS菅を評価した場合、思想の深みにおいて小沢の方が勝っていると思う。それは、逆接的証明になるが、現在のマスコミ、財界、官僚、米国がこぞって小沢バッシングを行なっているからである。

 そこに、慣例や既得権があるとすれば、その破壊力を小沢が有しているからである。世間で重要視されている政治家の品性と、政治の実力とは全く相関関係はない。この国では、これまで道徳レベルのことを衝かれて何人もの政治家が失脚してきた。大きな損失である。

 菅に触れていなかった。菅は、棚ぼた、漁夫の利で総理になれたのに、すっかり守りに入っている。菅の良さは、攻めにある。

 作られた世論は、菅を支持しているが、私は小沢が選ばれ、その後の波乱の方を選びたい。(選挙権は無いが・・)面白くなるよ!

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