晴走雨読

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酒井隆史 『賢人と奴隷とバカ』 魯迅 竹内好 2010年代 福島第一原発事故 天皇制 保守リベラル化

2024-04-26 14:28:41 | Weblog

道内選出の参議院議員長谷川岳氏(旧アベ派)が、その言動,振る舞いを批判されている。誰かが言い出すのを待ってそこらじゅう一斉にバッシングを始める構造は、ジャニーズ問題と同じ光景で、横並び意識が蔓延してしまっていることにある種の危機を感じる。政局的には、議員辞職した某宮澤衆議と同様、「溺れた犬(アベ派)は棒で叩いて殺せ」ということなのだろう。

 

『賢人と奴隷とバカ』(酒井隆史著 亜紀書房 2023年刊) 魯迅 竹内好 2010年代 福島第一原発事故 天皇制 保守リベラル化  

書名は、魯迅の『賢人と奴隷と馬鹿』からきている。その翻訳者の竹内好はいう。「日本の近代は、優秀な賢人たちによっておしすすめられた優等生の文化である。しかし、日本の近代はその優秀性ゆえに『負けた』のではないか。優等生(賢人)の文化では、あたらしいものがそれ自体で価値を帯びあたらしい原則に人は次から次と飛びつく」。賢人(優等生)はダメだと。

それに対して、魯迅のような作家を生み出す土壌においては、状況がどれほど変わろうが、にわかに方向を変えるころはできない。そこでは状況に流されない頑固さをもったバカが必要だ。バカであることにこだわる。

酒井氏は、2010年代に対する「おとしまえ」をつけるという。時代の意味、どういう時代にあって、何を課題にすべきかを模索する態度が希薄になったのではないかと問う。この間の言説の微妙な変化に対して感度を研ぎ澄ます。

2010年代、僕にとってはどういう時期だったのか。2010年から16年までは現役として働いていた。バリバリで全力疾走していたと胸を張りたいところだが、「ひとから後ろ指をさされない程度にはやるか」がモットーだった。2017年にリタイアしその後は無業者生活である。この間、僕なりに世の中の情況や言説にこだわってきたつもりだ。時々に感じたことはこのブログに書いた。だが、酒井氏が見たらどう思うだろうか。

僕がバカにこだわった例は、2011.3.11福島第一原発事故以降の世論動向に対する異議だ。それまでの自分の原発に対するスタンスを総括しないで、いとも簡単に「反原発」を唱え始めた多くの人びとに疑問を感じた。それから10年あまりが経過した現在、その人たちの今はどうなっているだろうか。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」状態だ。だから世論の動向を見極めたキシダが原発再稼働、新設に舵を切ったのだ。再び、多くの人の「再転向」が起きたのだ。

僕は、この変わり身の速さに付いていけなかった。僕は「産んだ子(原発技術)は、育てなければならない」と考える。現実にメルトダウンしている原発を横に置いて、反原発を叫んでも事態は打開できないと考える。原子力に関する技術をもっともっと開発しなければならない。廃炉技術をもっと前に進めなければならない。僕は頑固なバカでありたい。

僕が時流に流される賢人だった例がある。それは酒井氏の指摘で、ハッと気づいたことだ。氏はいう。「2010年代に顕著になった批判的言説の『保守リベラル化』のなかで、現在の議会政治の『劣化』が、かつての自民党政治やあるいは天皇制すら担ぎ上げて対抗させるというかまえがあらわれた。」と。この意味するところは、右派ではなくリベラルと称される人びとの中に生じた、平成天皇を民主主義者として讃える言説を指しているのだろう。アベ右派政権と平成天皇は必ずしも折り合いが良かったようには見えない。リベラルの中に、天皇のコメントにはアベ政治に対する批判があらわれているという捉え方だ。だが、酒井氏は天皇制の本質はいささかも変わっていないという。僕も、平成天皇が何かリベラルの声を代弁しているような錯覚をもったことがある。この点では、天皇制に対してはもっと自覚的であるべきだったと反省する。

天皇制の本質を見出さなければならない例を思い浮かべると、皇族の被災地訪問のおり、皇族と面会した人びとは、マイクを向けられた時に口々に興奮と幸福感を表明する。もちろんこころから発していると思う。無意識レベルも含めて、この賞賛コメントに含まれる天皇制のソフトな権力性を感じなければならないと思う。僕は、ものわかりのいい優等生の賢人だった。

2010年代に、何が起こって、どのような言説が流布され、僕がそれらとどれだけ自分の中で向き合うことができたのだろうか。本書を読むと、後ろからゴツンと頭を叩かれたような衝撃を感じる。

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柳原滋雄 『実録 白鳥事件―「五一綱領」に殉じた男たち』 白鳥一雄 村上国治 日本共産党 男沢哲男

2024-04-03 12:46:16 | Weblog

このブログを始めたのが2006年4月。19年目に入った。51歳から69歳になった。当時はブログが盛んだったと思う。今は短くつぶやきささやくのが流行りらしい。読み返してみると体内の毒が減っていることに気付く。備忘録として始めたが、今は脳トレになっている。読んでいただいている方に感謝したい。

 

『実録 白鳥事件―「五一綱領」に殉じた男たち』(柳原滋雄著 論創社 2023年刊) 白鳥一雄 村上国治 日本共産党 男沢哲男  

白鳥事件は、戦後の混乱期を象徴する興味深い出来事なので、これまでこのブログに、2013.5.6にHBC開局60周年記念番組『インターが聴こえない~白鳥事件60年目の真実』(2011.3.27放送)、2013.5.19に『白鳥事件 偽りの冤罪』(渡部冨哉著 同時代社 2013年刊)、2014.12.25に『私記 白鳥事件』(大石進著 日本評論社 2014年刊)と書いてきた。 

また、先日2024.3.30に放映された、「NHKスペシャル未解決事件File.10『下村事件』」も同時期に起きた謎の多い事件だ。

本書で著者は迷いなく冒頭のプロローグからこの事件を「冤罪を装った殺人事件」(P3)と断定して記述をスタートする。すなわち白鳥警部を殺したのは日共の組織的犯行であり、村上国治被告が主張する冤罪説は虚偽だとみなしている。事件後70年以上経過しているため関係者が亡くなっていて聞き取りなどは制約があると思われるが、本書において事件に関する新たな事実などは書かれていない。また、著者独自の推論もない。ほとんどが類書からの引用で構成されている。従って、僕は本書を周りの人に薦める気持ちはない。

強いて言えば、白鳥の生い立ちを描いているところが特徴だ。その中で、帯広中学(旧制)で白鳥と「同じ剣道部に所属した男沢哲男の証言」(P52)という記述が出てくる。ここは、僕の個人的なことだが、この男沢先生から僕は釧路の高校で古典の授業を受けた。懐かしい記憶だ。

本書には表現に粗な箇所が散見される。例えば、

・「現在の比布駅は車掌も常駐しない小さな駅だ」(P6)。無人駅と言いたいのだろうが、駅に常駐するのは車掌ではなく駅員だ。

・「年末には農村工作隊を編成」(P38)は、山村工作隊の誤りだろう。日共関係の書籍を刊行するにしては基礎的な知識が不足しているのではないか。

・「1939(昭和14)年発行の・・・によると、・・新潟または敦賀から北朝鮮の羅津港までの・・・北朝鮮経由ルート。・・下関から釜山までの・・韓国ルート」(P65)。当時は、北朝鮮も韓国も建国されていない。朝鮮半島北部、南部と表現すべきだろう。

・「関東軍(旧日本陸軍)」(P66)に“かんとん”とふりがなされている。かんとん軍というのは聞いたことがない。かんとう軍の誤りだろう。

そして、最後のくだりにある「イデオロギーの対立を除いて虚心坦懐に向かい合い、腹を割って話し合ったら、二人は理解し合える関係になったと私はこれまでの取材で痛感してきた」(P280)。僕には著者が何を言いたいのか全く理解できない表現だ。そもそも白鳥と村上が、警察と党という関係抜きに会うという場面が想像できない。

本書には描かれていないが、僕が白鳥事件を考える上でのポイントは、①実行犯は誰なのか。日共関係者なのか、権力の謀略なのか。証拠とされる銃弾、関係者の証言などが分析尽されているのか。

②日共の歴史的正統性の問題。「五一綱領」およびその方針のもと運動したことが現在の日共の歴史から抹消されていること。出獄直後の村上を日共は支援していたが、その後距離をとったこと。村上はアルコールに溺れ、最後は火災で亡くなっているが、その心の中はどうだったのか。事故死なのか、自死なのか。

かつて(2014.12.25大石進著『私記 白鳥事件』)このブログに書いた「この事件が代表するように日共は、これまで、革命という大義のもと不幸を強いられた党員、シンパに対し真摯な総括をしていない。党が分裂していた時代の一部の分派がやったことと党史にも記載されず、歴史の証人になりえる関係者は中国に追っ払って口を封じ、彼らの帰国後も知らん顔を決め込んでいる。党員の人権すら大事にできない党が、国民の人権についてどのような顔をして議論できるのであろうか。戦後の日共史上の白鳥事件、また伊藤律事件などの総括無しに、日共は政権も獲れないし、政権に近づくことも許されないと思う。」という考え方は変わっていない。

 

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