晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

大下英治 『安藤昇 侠気と弾丸の全生涯』 高倉健 横井英樹 嵯峨三智子 ヤクザ 博徒 

2023-02-23 16:20:43 | Weblog

プーチンの許すことのできない犯罪的な侵略を除いてあえて片面的に見る。バイデンがキーウ電撃訪問しウクライナ支援を約束。小出しの支援にゼレンスキーは本心から感謝しているだろうか。口には出せないだろうが、戦いを止めるに止められない袋小路に入ってしまい、米国にコントロールされた戦争をやらされていると思っていないだろうか。

 

『安藤昇 侠気と弾丸の全生涯』(大下英治著 さくら舎 2021年刊)高倉健  横井英樹 嵯峨三智子 ヤクザ 博徒  

BS12チャンネルで年末から高倉健の出世作『網走番外地』が放映されている。この映画のほとんどのセリフは「てめえ、この野郎!」だ。東映の俳優陣がヤクザに扮して粋がっているが、ヤクザの親分役で出演している俳優安藤昇は流石に本物の元ヤクザだ。全身に漂わせている迫力が全く違う。

本書は、安藤の生まれた時から裏道街道まっしぐらの人生を描く。少年院を出た後、予科練で特攻隊を志願したが敗戦。戦後の混乱を極めた中で、法政大学を除籍、愚連隊で暴れ安藤組を結成し社長(組長)に就任。部下に横井英樹銃撃を命じた罪で逮捕収監される。後に横井はホテルニュージャパンの火災事故を起こす。あの時、殺しておけばと後悔する。安藤組解散。映画俳優、ベストセラー作家として活躍した。

安藤昇に興味があったのは、僕が高校生だった頃、元縁戚の女性が安藤の付き人だったと言っていたからである。その時、嵯峨三智子の名前も聞いた。もしかしたら本書の中にその女性について書かれているかも知れないと思った。本人かどうかはわからないが、1か所だけ付き人が登場する箇所があった。

(P459要約引用)「安藤に付き人、鞄持ちとしてお供した。土日は競馬場へ行くのが常だった。鞄の中に現金1千万円が詰まっていた。それを無くなるまで賭けてしまう。しかし、翌週には現金が補充されていた。桁外れの金銭感覚だ。」と語っているところがあった。

本書も田中清玄に続き、血湧き肉踊るエンターテインメント作品だ。面白かった!星★★★★。読んでいてワクワク感が止まらなかった。

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徳本栄一郎 『田中清玄 二十世紀を駆け抜けた快男児』 唐牛健太郎 オットー大公 岸信介 田岡一雄 児玉誉士夫

2023-02-19 09:38:48 | Weblog

アポ電を受けた方から聞いた話。ナンバー表示を確認せず電話にでてしまったが、相手の声は誰なのだろうかと考えると同時に頭の中は自分の知っている人の声に似ている、だからその人に違いないと決めつけようという気持ちが自然に働くというのだ。ここに騙されるポイントがありそうである。結果は、話をしているうちに疑問がわいて事なきを得たそうだが、スレスレだ。

 

『田中清玄 二十世紀を駆け抜けた快男児』(徳本栄一郎著 文芸春秋 2022年刊) 

近くの図書館の新刊コーナーから借りた。ご存知田中清玄の破天荒な一生を描いた血湧き肉踊るエンターテインメント作品だ。面白かった!星★★★★。読んでいてワクワク感が止まらなかった。久々のことだ。

本書は清玄氏の一生を追いかける。北海道七飯町生まれ、会津藩につながる。戦前は武装共産党のリーダー。獄中で「転向」。敗戦後すぐに昭和天皇に拝謁し、天皇を守るために働くことを誓う。変電所を破壊しようとする日共に対しアウトローたちを電源防衛隊として組織して闘う。1960年安保では長州出身の岸信介らと対峙した唐牛健太郎(北海道紋別市生まれ)全学連委員長らに逃走資金を援助。1960年代にその後のオイルショックを見通す中で中東における国産石油の採掘権を獲得。晩年は環境活動家。

新自由主義経済を唱えるハイエク氏と交流、オットー大公を通じて欧州の独自情報を昭和天皇に伝えるなど、傍から見ると右翼なのか左翼なのか、何が何だかわからなく見えるが、清玄氏の中では全くブレていない。この国のために働いているのだ。これと思ったら相手の懐に飛び込む。相手を惚れ抜く。噓をつかない。約束を守る。

山口組の田岡一雄とはマブダチだが、児玉誉士夫は売国奴であり許すことができない。日米安保条約は国を売る行為だから岸信介は許せないが、唐牛健太郎らブント全学連の安保反対闘争は国を守るためにやっているのだから可愛がった。そこに長州対会津の怨念も混じっている。日共はソ連に国を売っている。石油メジャーの言いなりではなくこの国自前の油田を開発し自主エネルギーを持つべきだ。岸信介を許せないという清玄氏はおそらく統一教会と岸信介の関係も知っていたのだろう。何がこの国にとって正しいのか、そして何をするべきなのか、その義に純粋に本気で殉じた人物といえよう。

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五十嵐敬喜 『土地は誰のものかー人口減少社会の所有と利用』 ノオト    

2023-02-12 09:45:39 | Weblog

1,000円の商品が1,200円に20%値上りしたら、支払う消費税(10%として)は、100円から120円に20%増える。物価上昇は自動的に消費税増税になっているのだ。そこで提案したい。物価上昇率分は消費税率を引き下げるべきだ。所得や企業利益も増加すると所得税や法人税も増額になるが、収入が増えての増税と、支出が増えたうえにさらに増税では負担感が全く異なる。さらに年金受給者は「マクロ経済スライド」という妙な名称の制度によって、物価が上がってもそれに見合う年金は受給されない。

 

『土地は誰のものかー人口減少社会の所有と利用』(五十嵐敬喜著 岩波新書 2022年刊)ノオト    

『土地は誰のものか』については、その1を2022. 8.22、その2を8.26で書いたのだが、その後鎖骨骨折で中断していた。あらためて以下にノオトとしてまとめた。

 『地べた(土地)について』

1.現状

所有者不明の土地:410万ha。国土面積の10%強、九州全体の広さを超えている。登記簿上の所有者が本当の所有者でなくなっている。

空き家:849万戸(内訳:賃貸51%、長期不在41%)、空き家率13.6%、国交省(2018)。高齢単身世帯が多く増加中。

マンション:675万世帯(2020年)。一世帯当たり平均2.33人(国勢調査)居住しているとすると1,573万人、国民の10%強が居住。2020年で、築40年超は103万3千戸(14%)、2030年には231万9千戸、2040年には406万6千戸と予想(国交省)。

2.日本史の中の土地所有権

○縄文時代 集団生活を営むうえでの「縄張り」程度の土地支配があった?

○古墳時代 土地は各豪族(蘇我一族が最強)の「私地私民」として支配されていた。

○古代・大化の改新(乙巳の変)

大和政権(古代国家)が誕生。645年「乙巳の変」。「改新の詔」の第1条に「公地公民」。「天皇」の所有(公地)を国民(公民:農民、奴婢)に開放(「班田収授法」=私有というより無料借地権に近く一代限り)した。天皇を頂点とした中央集権体制(律令体制)を確立。土地からの収穫物は農民のもの、その見返りに税(租・庸・調)や賦役を求めた。「戸籍」で農民と土地を管理した。

○平安時代

都市(藤原京、平城京、平安京)住民には、土地の使用(占有)権と建築が認められた。飢饉や災害などのため天皇や貴族は財源不足に陥った。そのため農民に意欲を持って開墾させるために、それまで一代限りだった土地占有を継続的な私有(墾田永年私財法)に改めた。

だが、私的所有の承認は、天皇権力の弱体化=律令体制の崩壊に繋がった。代わって貴族や宗教など新しい権力による「荘園制」という分権的な支配に移行した。

○鎌倉時代(武家政権の確立)

武士の覇権をめぐる「源平の戦い」は、土地所有権の考え方の対立でもあった。平氏(平清盛)は、天皇を中心とする「中央集権体制」を維持し荘園を規制しようとした。源氏(源頼朝)は、武家政権を確立するため、各地の国司(天皇が地方に派遣した官僚)や地頭が支配する土地の所有(本領安堵)を認めた。その引換えに、各地の有力者(名主など)を鎌倉幕府の「御家人」として任命した。(いざ鎌倉)

○室町時代

荘園、公領(守護・地頭支配地)、名主らが支配する地域の中にあって、農業の生産性を高めるために農民たちが集まって自治集落「惣村」を形成した。(土一揆の実力)

○戦国時代

「大名」たちが惣村を基礎単位とする「領土」の奪い合いをした。奪った領地を家臣に配分し土地支配を認めた。(地方分権的)

○江戸時代

幕府がすべての土地を所有し、直轄地(全国3000万石の1/8)、藩(270)に領地を配分、それを諸藩は家臣に配分し、家臣は領民(農民)を統率し年貢(藩50%、農民50%)を徴収した。

惣村においては、農民の耕作権の平等を保障するため年限を区切って地力の異なる耕作地を入れ替えた(割地)。年貢は各個人毎ではなく村全体で負担した(村請性)。

江戸は人口100万人、うち武士とその関係者が50万人を占めた。土地は大名屋敷や旗本69%、町民20%、寺5%、神社5%が占めた。町民は豪商や商人が建築した長屋(賃借)に住み長屋ごとに自治があった。

○明治維新(天皇を頂点とする近代国家の形成)

政府は、幕府直轄地を取り上げ、「廃藩置県」によって藩の所領をいったん天皇に帰属させた。(土地所有権の国有化は大化の改新以来)

次に、新たな土地所有者に「地券」(所有を証明する権利証)を発行した。さらにこの土地には、相続、売買、流質など所有権の移転を認めた。ここに近代的所有権=「財産」を持つ近代国民(臣民)が誕生した。所有者に土地の面積と価値により地租(固定資産税:金納)を賦課した。

*明治憲法(1889(明治22)年)第27条第1項「日本臣民ハ其ノ所有権ヲ侵サルルコトナシ」で絶対的所有権を保障した。ただし、第2項「公益ノ為必要ナル処分ハ法律ノ定ムル所ニ依ル」として災害、公共事業、軍事など公の活動に資す場合を例外とした(2段階規定)。明治民法(1898(明治31)年)も同様の規定。

*国民はその所有する土地に何を建てようと建てまいと(使用)、いくら利益を得ようと損しようと(収益)、誰に売ろうと売るまいと(処分)、すべて所有者の自由で「権利」であるとなった。

○戦後の動き

農地改革:不在大地主から土地を取り上げ、小作人に所有権を与えた(自作農創設)。1938年自作地53.2%、小作地46.8%→1949年自作地87%、小作地13%。

民法:戦前民法では、長男がすべての財産(家督)という「長子相続」が原則。

戦後の民法改正で、「平等相続」となり配偶者や子(兄弟姉妹)らで財産が分割されることになり相続関係が複雑化した。

*多数の所有者の発生→財産の共有化、細分化→所有者不明の発生原因

「住宅ローン」制度:1970年代に個人向け低金利の融資が普及し国民が土地や建物を所有しやすくした。(マイホーム主義)

日本列島改造→(オイルショック)→バブル経済(1980年代後半)→バブル崩壊(1990年代前半)→失われた30年→現状

3.外国との比較

不動産の概念:日本(土地と建物は分離、木造)、米・英・独・仏(土地と建物は一体、石造りで永久建築)

土地所有の概念:日本・独・仏(絶対的所有権、使用・収益・処分の自由)、米・英(相対的所有権、都市計画に合致していることなど使用の自由に制約)

所有と利用:日本(所有優先、建築自由の国、建築確認制度)、米・英・独・仏(利用優先、都市計画優先で建築不自由の国、建築許可制度)

【都市計画】

アメリカの「成長管理政策」:都市ごとに「開発の速度、量、タイプ、場所、コスト」を制御し、地域の状況に応じて「適切な規模と質」を決める。

イギリスの「グリーンベルト」:「都市の膨張」を防ぐため都市の周辺を緑地帯で囲む。建物と景観は伝統的に保存されるべきもの。

ドイツの「建築不自由の原則」:原則建築は禁止、厳格な規制を守る者だけが建築を許される。

フランスの「美の追究」:国家を挙げて美は文化の象徴と考える。

【外国の相続】

米英法(判例法):相続が発生してもすぐに相続人の権利は発生しない→相続財産を財団(法人)化→遺言書の認定、遺産分割協議→その後に所有権移転

大陸法(成文法:ドイツ、フランス):相続が発生すると相続人全員に所有権が帰属→相続人全体で団体を形成、共同財産になる→その後に合意のもと相続人に配分

4.現状の課題

所有者不明の土地、建物が引き起こす問題

解決を阻む財産権

背景に人口減少社会

5.展望

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三浦英之 『太陽の子 日本がアフリカに置き去りにした秘密』 日本鉱山 コンゴ

2023-02-04 09:59:09 | Weblog

友人からの紹介で月刊雑誌『選択』の見本誌が送られてきた。書店では扱っておらず年間予約購読で自宅に直接郵送される方式だ。創刊45年とあるが全く知らなかった。少し読んでみないとそのテイストがわからないのだが、ほとんどの記事に署名が無いのが特徴か。「左翼の病」を治す効能があるかな?

 

『太陽の子 日本がアフリカに置き去りにした秘密』(三浦英之著 集英社 2022年刊)  

近くの図書館の新刊コーナーから借りた。このルポルタージュの始まりは、「朝日新聞では、1970年代コンゴでの日本企業の鉱山開発に伴い1000人以上の日本人男性が現地に駐在し、そこで生まれた日本人の子どもを、日本人医師と看護師が毒殺したことを報道したことはありますか?」という情報が寄せられたことにある。

はたしてこれは、事実なのだろうか。事実とすれば多くの人に伝えることはジャーナリストとしての使命だ。

著者は、南アフリカ共和国に駐在する朝日新聞のアフリカ特派員。早速、現地に飛び取材協力者に援助してもらいながら関係者の聞き取りを進める。関わってくれる人たちとの信頼関係を築きながら「事実」に迫ろうとしていくところは、さすがは朝日の記者だ。気迫を感じる。断片的な欠片と欠片を繋ぎながら仮説を立てそれを検証していく地道な取材姿勢に引き込まれていく。これが本書を貫くメインストリームだ。

僕は、本書にはもう一つの重要なサイドストリームがあると思う。著者は、常に心の中で迷いを抱えておりそれを正直に吐露する。真実を明かすことが本当に「正しいこと」なのだろうかと葛藤する。この取材行為によって傷つく人が出るかも知れない。でも、真実なら多くの人に伝えるべきではないかと。新聞紙面では記者が自らのこころの揺れを表すことはないだろう。しかし本書では人間三浦英之氏自身を表現できている。

この間、僕は小説とルポを続けて読んだがやはり僕は小説よりドキュメンタリーの方が読みやすいと感じる。現実に起こった事件を題材にした小説なら入り込みやすいのだが、全く著者の頭の中の世界での創作、ゼロからストーリーを構築した小説は中々読むのに難儀してしまう。

それはどうしてなのだろうか。人間に対する興味はあるがアプローチが違うのではないか。僕は人のこころの動きを知りたいと思うが、こころは人間のどこにあるのか、こころと脳の関係はどうなっているのか、こころと身体の関係は、そんな切口だと非常に興味を覚える。だが、人情、こころの機微、愛と憎しみなどを追いかけるのは苦手だ。あまりいい小説を読んでこなかったせいかな。

 

 

 

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