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「抑止力・防衛力・軍事力」  43兆円 敵基地攻撃能力 トマホーク 専守防衛 核共有

2024-02-21 09:37:31 | Weblog

能登半島地震に対応する復興予算を2023年度補正予算で措置せず、2024年度当初予算案の予備費増額に盛り込むことを認めた時点で、立憲民主党の「負け」がはっきりした。というのは、ウラ金問題に注力しているのはいいが、予算の成立が遅れる見通しになってきた時点で、その原因は立憲のせいだと自民党から切り返しに遭うことになると思うからだ。立憲の審議引き延ばしによって能登の復興が遅れたと。そもそも自民党が悪いのだが、したたかさでは一枚上手だから。

 

抑止力・防衛力・軍事力」  43兆円 敵基地攻撃能力 トマホーク 専守防衛 核共有  

先日乗車したタクシーの運転手さんとの会話で、「自衛官のお客さんが、長沼町馬追山にあるミサイル(パトリオット)では、下降しながら向かってくるミサイルを撃ち落とすのは至難の技だ、と言っていた」と。

国民に増税を強いてまで2023年度以降5年間の防衛費に従来の2倍、総額約43兆円をかけるという。さらに敵のミサイル基地をたたくことで、日本への攻撃を阻止しようとする反撃能力(敵基地攻撃能力)も保有することとした。その中には、すでに時代遅れとも言われているトマホーク400発、2,000育円も含まれる。

僕は、国家財政が借金まみれの中で増税をしてまで整備するという防衛力が本当に有効な方策なのだろうかと疑問を持つ。長沼のパトリオットもトマホーク400発も機能するのだろうか。ここで選択の分かれ道に直面する。では、真に有効な能力のもっと高い兵器を揃えるのか、それとも別の方策を取るのか。

参考になったのは、2022.12.27道新「論壇時評(中島岳志)」だ。政治学者の遠藤乾氏は、「日本の反撃能力は中国の脅威にならない。相手基地の滑走路に撃っても1日で修復されるような被害しか与えられない通常弾頭のミサイルを仮に1000発持っても、中国のような核保有国が脅しと感じるだろうか。移動式ミサイルを正確に破壊するのも難しい」という。さらに、「戦後日本が他国を攻撃しないという専守防衛で培った世界的な信用資源」が大切だという。

能力のもっと高い兵器の究極は核兵器だ。日本も核を保有し抑止力を持とうということになるのか。遠藤氏は、この考えを否定する。僕も、専守防衛に徹するべきと考える。

同じく政治学者の豊下楢彦氏は、「ウクライナ戦争で明らかになったことは原発の脆弱性である。日本の原発が空からのミサイル攻撃の耐えられないことは明らかになっている。日本の原発の6割近くが日本海側にあり、その存在自体が、巨大なリスクとなっている。原発を再稼働するのは「支離滅裂」である」という。

防衛力強化に向かってまっしぐらに見えるキシダだが、一方で、既存原発の再稼働、運転期間の延長、新増設を決めるという全く矛盾したことをやっている。これをどう理解したらいいのだろうか。

政府=自民党は本気で防衛力を強化しようとは考えていないのだろう。米国の軍事産業を儲けさせるためにセコハン兵器を爆買いして米国のご機嫌をとることが先なのだ。その財源は、国民からの増税。能登半島地震で潜在的な危険性が明らかになった原発。福島第一の廃炉も見通せず、貯まりに貯まってきた高レベル放射性廃棄物の処分場所も決められず、すべてが先送りで「大洪水よ、我が亡き後に来れ!」だ。

キシダは、4月に国賓待遇で訪米するという。これまでも首相の訪米では兵器購入などのお土産を持たされて帰ってきた。今回の宗主国米国の意図はどこにあるのか。被爆地出身を売りにしている岸田に対しての最大のジョークは「核保有」の約束だ。通常兵器では核保有国中国に対する抑止力にならないので、米国の管理下において核を持てと。いち早くアへが言い出していた核共有ではないか。米国の言うことを聞いている限りキシダ政権は延命できる。

 

 

 

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ウクライナ戦争から見えてきたこと 台湾有事 防衛力増強

2024-02-14 09:31:50 | Weblog

自民党裏金問題のターゲットは親中派二階と親ロ派森だろう。5人衆を指名するなど事実上の安倍派オーナーの森を葬り去るために安倍派の解体が進んでいる。中・ロと対峙していくためには二階と森は邪魔な存在と米国は捉えているのではないか。

 

ウクライナ戦争から見えてきたこと 台湾有事 防衛力増強          

ロシアがウクライナを侵攻してから2年が経つ。当初、欧米諸国と日本はウクライナ支持一色だった。だが、ここにきてその熱が冷めてきているように感じる。

この間、米国がやっていることを冷静に観察すると、米国は兵器の供与だけに留めて、自らの国民の命の犠牲を最小限に抑えながら、ロシアの力を大きく削ぐことに成功しつつあるということがわかってきた。従属国であるウクライナの国民に血を流させて敵対的な大国ロシアを弱体化させる戦略だ。そして米国のパシリ役を担わされたのがゼレンスキーだ。

さてここからは、このウクライナ戦争モデルを東アジアに応用するとどうなるだろうかという頭の体操だ。米国の事実上の従属国である日本の国民に血を流させて敵対的な大国中国を弱体化させる戦略が見えてこないか。そして米国のパシリ役をキシダなのか誰かが担うのだろうか。

そう考えると今この国が進めていること、向かっている方向は戦争へまっしぐらということになる。2015年、アへ政権において安保法制が強行採決され集団的自衛権の行使が可能になった。キシダ政権になり、2022年末に防衛3文書の改定、敵基地攻撃能力の保有を含む防衛費をNATO加盟国並みGDP2%(倍増)、23年度からの5年間で43兆円にすることを決めた。その決め方も秋の臨時国会での議論を避け、閣議の開催だけで決め、早速2023年1月にバイデン大統領のもとに飛んでいき伝えた。バイデンはキシダの頭をよくやったなとなでたことも理解できる。これは、国民の代表からなる国会を軽視しただけではなく、米国の言いなりで、全く主権のある独立国とは思えないような卑屈で姑息なやり方だ。

国民の中で台湾有事を危惧する声は大きいと思う。今にも中国が台湾に侵攻するような危機を煽り、軍備増強に突き進んでいるこの国のありようを少し立ち止まって冷静に見る必要があると考える。だが中国もバカではない。中国はロシアの情況を見ているので、台湾問題でロシアと同様のことをするとどうなってしまうかは百も承知だと思う。

米国の意図は、自らは血を流さず、大国の力を弱体化させることにある。ウクライナで起きていることを明日のこの国で起こしてはいけない。

 

 

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大相撲が面白い! 琴の若 霧島 照ノ富士

2024-02-01 09:40:44 | Weblog

大相撲が面白い! 琴の若 霧島 照ノ富士

初場所が終り、新大関に琴の若が昇進した。霧島の横綱昇進は見送られた。休場明けの照ノ富士はまだまだ強かった。ここ最近は、熱海富士、大の里など若い力士もどんどん出てきている。大相撲が面白い。

子どもの頃は、栃錦、若乃花、続いて大鵬、柏戸がスターだった。ラジオで聞いて、その後は白黒テレビだった。プロ野球と大相撲しか無かった昭和の時代である。そして相撲から遠ざかった長い時間がある。それが10年ほど前くらいからなぜか見るようになったのだ。歳のせいかも知れない。

大相撲っていうのは不思議な仕組みで成り立っている。運営のすべてを親方、行司、呼出しなど内部の人で分担している。引退した元横綱白鳳でも売店に立つことがある。場内アナウンスも呼出しの仕事だ。

土俵下の審判員は、親方たちが担っている。自分の弟子の取り組みも審判するのだ。裁き役の行司もそれぞれの部屋に所属している。野球でいえば、審判を自分のチームの監督やコーチがやるようなものだ。客観性、第三者性などとは無縁に見えるが、判定に贔屓が入っているようには見えない。

力士はある相撲部屋に入門すると原則として移籍がない。一つの部屋で親方、おかみさん、行司、呼出しとともに家族のように過ごす。野球やサッカーのように移籍やトレードされることもない。前近代的といえばそうなのだが、しこ名や親方を継承するという名誉を担うことができる。

誰と誰を対戦させるのかという取り組みにも厳密なルールはない。取り組みは、親方たちによる編成会議で2日前に決まる。優勝が絡むクライマックスの場面では、前日の相撲の結果を受けて決める時もある。同じ部屋同士や兄弟力士は当てないなどの決めはあるものの、成績によっては幕内下位と横綱が当たることもある。かなり恣意的に決めることができるので、この力士とこの力士の相撲が観たいと思うと実現することがある。興味をひくような取り組みをつくることができるのだ。

場所の成績をもとに次の場所の番付づくりもおおまかな基準があるものの、厳密なルールはない。横綱、大関、関脇、小結への昇進や新入幕で話題づくりもできる。横綱、大関の人材が不足していれば、昇進基準を緩めて何とかスターをつくろうとする。しかし、どんなに筋書きを書いても、想いどおりにならないのが相撲だ。下位が上位を倒す番狂わせもある。ケガをしてしまうこともある。

あらためて大相撲の面白さはどこにあるのだろうか。それはもちろん体格もタイプも違う個性溢れる力士たちの真剣勝負のぶつかり合いにある。メイクも衣装もなしでまわしひとつ、自分を鍛えて見せる身体をつくる。よくスポーツの面白さは「筋書きのないドラマ」と表現されることがあるが、大相撲の場合は、筋書きをつくるのだが筋書きどおりに進まないところに魅力がある。どうやら歳をとったみたいだ。

 

 

 

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