東京五輪のことは、このブログ2016.7.31『幻の東京五輪・万博1940』でも触れた。小池知事は築地市場の問題など手際よく進めているように見えるが、このままいくと道路建設がオリンピックに間に合わないという事態になったとき、それを無視してまでがんばることができるであろうか。現在、この国では、全てのことが2020東京のためにとされ、五輪に異議を唱えることができない空気に満ちている。2020以降なんて、どうでもいいやという気分になっている。
『脱ニッポン記 反照する精神のトポス(下)』(米田綱路著 凱風社 2012年刊)
何年か前に購入し読み始めたのだが、上巻の途中で挫折してしまった。本と言うのは、買った時の「さあ読むぞ!」の心意気があってもいざ読み始めると、著者の組み立てに対して読者側の精神状況が上手くマッチすると感動、完読に繋がるが、ミスマッチの場合は途中で頓挫と言うことになる。今回は、僕の方の気分を変えようと、下巻から読み進めた。結果、良書である。
本書から、日々現在進行で流されているマスコミ情報、また政治家たちが語る綺麗事によって、いかに僕らの脳髄がマヒしてしまっているかに気づかされる。本当のことは何なのか。真実はどこにあるのか。著者は、この国の膨大にある記録文学を掘り起こしながら、自らの足でその題材になった土地を訪ね、関係者から聞き取りをし、書評とともに自分で掴んだ実感を記している。
だがそれは、ただの紀行文ではない。歴史の厚い層に埋もれてしまっていること、記憶の底に沈んだ叫び、地の底を漂流する民の怨念がえぐり出されており、一か所一か所の記述は読む者に重く問いかけてくる。
慌ただしい皮相的な日々に流されながらも、頭のどこかにこの国で生きていくのに忘れてはならない砦となる一冊である。
書名にニッポンを使った意味を作者は語っていない。一体どっちなのだろう。二ホンとニッポン。日本国憲法は二ホン、大日本帝国憲法はニッポン。オリンピックで国威発揚の時は、ニッポン、チヤ、チヤ、チヤ。アルファベット表記は、NIHONではなくてNIPPON。NHKは?日本航空は?全日本空輸は?何となく、著者が「脱ニッポン」とした意味が見えてきた。