晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

『ルポ 貧困大国アメリカ』

2010-01-31 17:45:37 | Weblog
 久しぶりに日中の気温がプラス(3℃位)に。満を持してランニングに飛び出す。昨日まではアイスバーンで滑りやすかった歩道も、少し解けて走りやすい。大きな通りでは、大型車がありがたいことにしぶきまでかけてくれる。このところ、30分程度しか走っていなかたのに、調子に乗って1時間を越すランで少々バテバテ。



 ユニークな品揃えで地元書店としてがんばっている「くすみ書房」が琴似から大谷地の東光ストアー内に引っ越してきた。決して広いとはいえないスペースの中で、「中学生はこれを読め」とか、店主の意図を感じる品揃えをしていた。記念の1冊として下記の新書と別役実の本を購入。
 


『ルポ 貧困大国アメリカ』(堤未果著 岩波新書 2008年刊)

 この国の首相が所信表明演説で、「いのち」という言葉を20数回も発したと伝えられた。前政権で、徹底的に命が叩き売られた後なので、口先だけではなく本気で命が大切と考えているなら少しは期待が持てるのだが・・。

 しかしながら、この国とかの国の腐れ縁は中々切れない。かの国の51番目の州として、かの国を「自由」社会のモデルとして、軍事、経済の同盟国としての付き合いは深い。

 かの国には、自由の意味が二通りあることがわかる。本書で描かれていない方の自由は、努力すれば誰しもヒーローになる可能性を持っているというもの。もうひとつの自由は、本書の優れたルポで明らかにされているが、反対に落ちるとこまで落ちることができる自由だ。

 民間の医療保険しか無いため、一度の病気で貧困層に転落する自由。貧困層の若者が大学に行くため、軍隊に志願する自由。生活のため、民間の戦争請負会社に勤める自由。多数の具体的な例が紹介されているが、まさにかの国の原状は暗黒社会である。

 この国として、かの国を今後も立国のモデルとしていくのか。この国の独自の哲学を構築するのか。私たちは、岐路に立たされている。

コメント (7)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

″削除〝

2010-01-30 14:21:40 | Weblog

 ~“削除”~




 『歌舞伎町より愛をこめて 路上から見た日本』(李小牧著 阪急コミュニケーションズ 2010年刊)

 在日21年、歌舞伎町案内人の著者が、ニューズウィーク日本版に連載していたコラムをまとめたものせある。

 外国人(中国人)からこの国がどのように見えているのか。あらゆる人種の坩堝である歌舞伎町で画期的な真理が見えるか。などと少し期待して読んだのだが、結果的には駄本の類。

 そういう世界もあるのだな、そういう生き方の人間もいるのだな、普段は接することができない世界、本で多少わかったような気になったかな、という程度で、思索が広がるような刺激は無かった。



コメント (71)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小沢一郎幹事長辞任へ

2010-01-24 14:44:00 | Weblog
 2010年コンサのメインスポンサーに復帰しました。ユニフォームの胸は、「白い恋人」に戻ります。どこに行く予定もないので、土産に買うこともありません。それでは、義理が立ちませんので、おやつ様に買いました。

 グアムキャンプも始まり、若手が生き生きと練習している情報が伝わってきます。私も、週末になると身体を動かさないではいられなくなりますので、夕方は近くの体育館でランニングです。

 ひとつ、気になるのは、サンフレッテェ広島から移籍してきた李漢宰選手のビザが出ないことです。北朝鮮籍ゆえになのだろうか。




 小沢一郎幹事長辞任へ             

 小沢一郎VS検察庁の猿芝居ストーリーの先が見えました。

 近々小沢は、幹事長を辞任します。これで検察の小沢を降ろすというアメリカへの約束は100%果たせます。なお、東京地検特捜部佐久間達哉特捜部長は、元在米日本大使館1等書記官です。

 一方、小沢は、幹事長を辞任してもかつての師匠田中角栄と同じく闇将軍として権勢は保持できます。利権顔で損している小沢にとっては、その方が望むところでしょう。

 問題は、小沢辞任の大義です。それは、ズバリ国民生活のため政局の混乱の責任をとるというものです。これ以上、国会が混乱して2009年度第2次補正予算、2010年度予算の成立に時間がかかってしまうと国民生活に影響が出てしまうというマスコミも含めた国民世論に配慮してやめるのです。

 従って、小沢は、政治資金がらみを認めたことになりませんので、政治生命は今後も保てます。

 検察は、嫌疑不十分で幕を引きます。刑事訴訟法第47条は、「訴訟に関する書類は、公判の開廷前には、これを公にしてはならない。但し、公益上の必要その他の事由があって、相当と認められる場合は、この限りでない。」とされており、今後、捜査資料やことの真相が明らかになることはないでしょう。(この部分は、立ち読みした「週間金曜日」のコラムに書いてありました。)

 また、同コラムでは、この問題は、民主党が野党時代のことであり、そもそも小沢には職務権限がないのであるから贈収賄事件にはならないということは最初から明らかであると書かれています。

 以上のストーリーで1点だけ違う展開になる要素があります。それは、私たち国民の問題です。国民世論が、予算成立が遅れても徹底解明せよと言い出した場合です。

 そもそも、2010年予算には、露骨に参議院選挙目当てとしか思えないバラマキ政策である子ども手当などが含まれます。極めて確率は低いと思うが、そんなもの要らないと国民が言い出した時、このストーリーは崩れます。そういう意味では、私たち自身の態度も問われています。

 私は、今回の問題の意図をアメリカからの意向に求めています。小沢のどこに反米思想が具現化しようとしているのでしょうか。なぜなら逆に、そこがアメリカの小沢切りの理由に思えるからです。

 普天間基地問題で明らかになってきている日米安全保障条約の見直し、大型訪中団や中国要人来日時の天皇会見などの親中国外交、在日外国人への参政権付与、脱官僚政治により内閣法制局長官の国会答弁を禁じ、自衛権に関する従来の憲法解釈を変える、せっかく小泉に郵政を民営化させたのを後戻りさせるなど、小沢が静かに反米闘争を繰り広げているからです。

 今、私たち国民は、自立した一丁前の国になってアジアの中で生きていくのか、アメリカの第51番目の州として従来のように行くのか、瀬戸際に立っています。否、これで、民主党への失望も広がるでしょうから、戦後60数年続いている政党政治の終焉シーンにも立っています。


 蛇足ですが、このような時に日共のきれい事に終始する態度に腹が立ちます。対米従属を批判してきた日共にとって、今こそ米国からの自立に進む好機と思うのですが、党大会での議論は、この期に及んでアメリカと協調したいという全く逆さまの議論をしています。

 反米愛国を主張するなら、小沢を擁護し、岡っ引き検察と対峙すべきです。党員は、思うところの正義のために会社にあっても出世を投げ捨て、冷や飯を食いながら社会変革を目指して人生を賭けてきたのではないですか。

 蛇足ついでに、赤旗日曜版で志井委員長が党大会で若い女性党員に囲まれている写真が掲載されていますが、何とも人に溶け込めないようなオーラを出しています。そこで醸し出されている雰囲気は、さる高貴なご一家のご長男さまと同質なものを感じました。




コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

五観の偈

2010-01-23 19:31:39 | Weblog
 五観の偈(げ)
                  
 禅宗の修行僧が食事の際に心の中に想念する反省と感謝の意を含む偈(げ)文。半兵衛麩に同封されたパンフレットに書かれており、いい言葉と感じたのでここに掲載する。

【○偈文と●その意味】

○一には功の多少を計(はか)り、彼(か)の来処(らいしょ)を量(はか)る。

●私たちがいただく食事は、いかに多くの人の手数と労力が費やされているか、その苦労を思い、天地自然の恩恵を忘れてはならない。

○二には己が徳行(とくぎょう)の全欠を忖(はか)って供(く)に応(おう)ず。

●自分の人格を完成せんが為、また自分の業務を完全に勤める為に食事をするのである。自分を省みて欠点はないか反省して頂戴する。

○三には心を防ぎ、過(とが)貪等(とんとう)を離るるを宗(しゅう)とす。

●貪(むさぼ)りの心、瞋(いか)り心、因果の道理のわからぬ愚痴の心で食事をしてはならない。

○四には正に良薬を事とすることは形枯(ぎょうこ)を療(りょう)ぜんが為なり。

●日々食事を摂るのは飢えや渇きをいやし肉体の枯死を免れる良薬と思い、平和な心持ちで食事をする。

○五には成道(じょうどう)の為の故に今此(いまこ)の食(じき)を受く。

●私たちが食事をいただくのは、人間として大道を成就せんがためである。人生の真の意義を見失って、一生をムダにすごさないよう成道の為に食事をする。


 「腹減った」「なんか食いたい」「うまい」「いただきます」・・私が日常的に食事の時に発している言葉。この位しか言葉を発していない。改めて一食のありがたみを感じることもない。

 人間は高度の精神性を持った生き物とされているが、私の言葉の何処にその精神性が見えるか。空腹を満たそうとする動物そのものである。

 五観の偈(げ)を覚える必要はないと思うが、そこに書かれている意味も感じながら食事をすることを心がけたい。それで精神性が高まるとは思えないが、随分長く生きてきたのでおそらくすでに6万回位(365日×3回×55年)も食事をしているが、あと何回食事ができるかわからないが、一食一食を大事にしたいものだ。

 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ガンバレ!小沢一郎

2010-01-17 21:58:09 | Weblog
 ガンバレ!ゴン中山

 ついにゴンちゃんがキックオフ2010イベントで札幌に登場しました。背番号は9。今年は行けるぞ!




 ガンバレ!小沢一郎               

 昨日の民主党大会での小沢一郎の演説は見ごたえがありました。

 小沢一郎VS東京地検特捜部の闘いは、2009.5.13の当ブログで「小沢一郎の屈服」と題して私見を述べました。その後、党代表を辞任、幹事長だった鳩山が代表になり、総選挙で民主党が圧勝、政権交代、マスコミに言わせると小沢は幹事長で党内における影響力が過去最大化していると言われています。
 
 昨日の演説で小沢は、最も肝心なこと、「自分の金」と言いながら、その出所を明らかにしていません。裏献金も、自由党解党に伴う政党助成金の残りも、親からの遺産も、もらった後は、自分の金です。

 もうひとつ、小沢は、顔で損しています。どう見てもあの顔は利権顔なのです。清潔で誠実な人なのかも知れませんが、裏舞台に強そうで、普通に話をしても恫喝されたように感じることでしょう。笑いも不自然な作り笑いに見えます。

 一方、もともと何を目的に政治家をやっているのかわからない鳩山首相は、小沢に「がんばって下さい」とあくまで他人事のようなコメントをしています。

 ひとり、菅直人は我関せずで、漁夫の利をねらっています。

 さて、問題は岡っ引きの検察です。検察は、法律に基づいて粛々と法に反するような行動を摘発するのが本来の仕事と言っています。しかし、VS小沢への対応は、極めて政治的なタイミングで動いています。前回は、総選挙前、今回は、民主党大会と国会開会前です。

 検察も官僚組織のひとつですので、民主党の掲げる脱官僚政治に危機感を持っているのでしょうか。検察庁長官人事などがからんできます。

 国民が民主主義の手続きを経て選択した民主党という政権を認知しないという検察の持つ正義観、その正義の正当性の根拠はどこから来るものなのでしょうか。この問題については、あまりにも政治的な検察の動きからは、法律を根拠にとは言えないでしょう。ひとつ考えられるのは、米国の意向でしょうか。

 田中角栄がロッキード事件で失脚したのは、ベトナム沖油田開発で米国メジャー資本の意向を無視して、国産エネルギー開発に走ったためと言われています。普天間基地、インド洋沖撤収などで米国の逆鱗に触れたのでしょうか。

 マスコミの劣化もひどい。検察からのリーク情報を垂れ流し状態です。足で稼いだ情報が全く流れて来ません。

 今後の展開は面白くなるでしょう。しかし、検察がやっている小沢を表舞台から遠ざけることは、最も危険な道です。小沢の師匠であった田中角栄が闇将軍と言われたのと同じことをするでしょう。

 最後までガンバレ!小沢一郎。この国の中に正義が何処にも無いことを暴露してほしい。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『オーロラ交響曲の冬』

2010-01-15 21:51:21 | Weblog
 『オーロラ交響曲の冬』(山口泉著 河出書房新社 1997年刊)

 山口泉氏が子ども向けに書いた一冊。舞台は、20世紀が終ろうとしている長野県内のある街。12歳の主人公は友人たちと合奏団を結成していた。その中には在日の子どもがいた。そこに、チェルノブイリ原発で被爆した子どもたちが療養のためやってきた。外国人の中の一人が交響曲を作り、一緒に演奏する中でみんなが友人になったというストーリー。

 世の中には差別があってはいけない。しかし現実には差別はある。原発は、怖いものである。でも、現実には存在し、事故も起こっている。この国で、在日ということを明らかにすることは勇気がいる。隠している人も、表明している人もいる。作者は、表明してこそお互いの気持ちが分かり合えるという。

 山口氏のこの著作は、子ども向けとはいえ、ストーリーは嘘や偽りの全く無い世界で、極めてきれい事に終始している。

 そこで教育論を考えた。子どもの成長を考えた場合、悪質な環境を遮断し、良質な環境の中で育てるべきか、それとも現実そのままの中で育てるべきか。

 例えば、子どもに見せるテレビ番組を選ぶ。親が子どもの友人を選ぶ。良質の本を与える。いわゆる有害情報から隔離する。山口泉の本を読ませる。

 さて、子どもはどう育つか。人間理解に歪みが生じるだろう。疑うことを知らない人間。人間の持つ多面性がわからない人間ができるであろう。

 山口泉的世界観の行き着く先は破綻と考える。

 なぜなら、子どもたちはきれい事では治まらないこの現実社会の中で、とにかく生きていかなくてはならないから。

 


 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『東京ひとり散歩』&『東京―大都会の顔―』

2010-01-12 19:59:41 | Weblog
 『東京ひとり散歩』(池内紀著 中公新書 2009年刊)&『東京―大都会の顔―』(岩波写真文庫47 1952年刊)

 私は、東京が好きだ。いつでも東京に行きたいと思う。東京にはいつも何かがある。この国の、端っこに生まれ育ったからなのか、東京はあこがれの街であり、花の都なのである。

 『東京ひとり散歩』は、18歳で上京してから東京に居続ける自らを東京の居候と称する著者の散歩紀行文。長期間にわたり滞在したことのない私には、著者が紹介するスポットのうち、霞ヶ関、浅草、八重洲、神田、新橋などしか訪れたことがない。著者は、実際に足を使って、観光ではもちろん行かない場所、東京人もめったに行くことの無い場所を尋ね、見たり聞いたり食べたりした体験とともに、歴史やいわれを丹念に調べて語る。今度、東京に行くことがあったら、行って見たくなった所もある。

 東京ということで、確か積読山脈のどこかに東京の写真集があったはずと探して見つけたのが、昔、古書店で買った岩波写真文庫の『東京―大都会の顔―』。およそ60年前に刊行されたシリーズの一冊であるが、当時の東京の姿がわかる貴重な記録だと思う。

 そこには、昭和20年代の半ば、戦災からようやく復興した東京がある。家も、服装も貧しいが、基本的な生活は今と何も変わっていない。電車が走り、ゴミが発生し、市場が栄える。人や物を運び、工場や会社で働く。野球や映画もある。今と同じ。


 文章と写真、言葉か映像か。どちらが真実に近い姿を表しているのだろうか。言葉を紡ぐ文章は、作者の中で思いを醗酵させたものを著者の主観のフィルターを通して表現したものである。写真は、被写体の持つ瞬間をそのまま写しているはずなのであるが、写真から感じるものは、見る人の主観によることになる。

 私は、真実というものは、「ここの今」にしか無いと思う。文章も写真も主観というフィルターを通した今の保存である。真実は、今という瞬間だけである。









コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『アルベルト・ジャコメッティの椅子』

2010-01-10 14:59:48 | Weblog
 新年に入って1週目が本当に慌ただしく過ぎた。昨日土曜日の夜、会社の若い2組みの社員の結婚祝いの宴で遅くまでワイワイ。

 おめでたいことなのだが、少し前なら時間が惜しくて早々に切り上げて帰ってきたものだが、最近は遅くまで付き合ってしまう。

 僕は少し変わったのさ♪



 『アルベルト・ジャコメッティの椅子』(山口泉著 芸術新聞社 2009年刊)

 それほど小説は読まないのであるが、正月休みに読書。作者の山口泉氏は、1955年生まれで私(1954年)とほぼ同世代。氏の著作は、ソ連型の社会主義が崩壊した後の社会状況を中世と比喩した『「新しい中世」がやってきた!』(1994年刊)以来である。

 本書の舞台は、1980年代初頭、芸大生の主人公は、バブルに浮かれる周りの友人達と距離を取りながら、自らは世界を覆す物語を創造したいという夢想を持つ。そして、その孤独を支えるのが、当時軍事独裁政権下で命を落とした韓国の政治犯たちの手記(雑誌「世界」の掲載から引用。)であり、自室に飾ったジャコメッティの「椅子」のデッサン画であった。

 この物語は、おそらくは作者の山口氏自身の半自伝的な小説なのであろう。私自身の’70年代から’80年代にかけての時代認識も共通のものがあり、グイグイと読ませる作者の筆力で一気に読めた秀作である。

 さて、何年か前の私であれば、この物語に対して「共感」を基礎とした感想を持ったであろう。バラエティばかりのテレビを批判し、パチンコばかりしている人がいれば心の中では無教養と軽蔑し、第3世界を思えば、連帯を求めて孤立を辞さずというようなフレーズを無条件で受け入れる、人は所詮一人なのであり孤独なものなのだといった具合に。

 しかし、近年私は少し変わったと思う。この小説には、私が常々批判している、自分ひとりが絶対正しいとする独善性、この国の左翼の病理と同様のものを感じた。世界を覆す物語を考えているのは自分だけだという驕り、付き合う仲間達と自分の間に設ける優越感、連帯しているつもりの韓国との間に具体的な結びつきも無いのに。

 自分自身の立ち位置の変化を改めて認識させてくれる小説であった。



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゆっくりと歩くように

2010-01-03 19:21:43 | Weblog
 ちょっといい文章だったので、「精進生麩 禅」(半兵衛麩)の紹介文から。

 「味:貝の味にて、貝にあらず。お肉の味にて、牛肉(おにく) 鶏肉(かしわ)にあらず。

 その昔:佛の道を謹める人は、殺生肉食(にくじき)禁断の戒律にて鳥獣魚貝(なまぐさもの)を口にする事成ず。然るに、厳しい修行に耐える力(たいりょく)の根源 肉に代わりて生きる糧こそこの麩なり。

 今の尚:京の町に生まれし半兵衛が、親代々の作り技を受け継ぎて 心をこめて皆様にお伝えするのが生涯(つとめ)です。」



 新年になり、3日目にして「走り初め」を実行。気温0℃、日差しが強くポカポカした陽気。早朝に除雪された歩道は、ツルツルに凍っていてスリッピー。

 走りながら、つらつら考え、今年のテーマに思い当たる。『ゆっくりと歩くように』にしよう。「ゆっくりと歩くように」を何回か唱えていると、2通りの意味があることに気付く。

 ひとつは、似た状態という意味、走るのではなくて歩く様に・・、もうひとつは、意図、指示として、ゆっくりと歩きなさい!という意味の2つあることがわかる。そのどちらもテーマに合う。

 慌ただしい日々に流される毎日ではあるが、今年は、少しゆっくりと調べたり、即断する前に少々考えを廻らすことを心がけようと思う。

 また、早く走ろうと思わず、ゆっくりと長く走ろうと思う。結果的に、それが早く走る方法を見つけるヒントになるような気もする。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『トラストDE』

2010-01-02 17:45:33 | Weblog
 『トラストDE ヨーロッパ滅亡史』(イリヤ・エレンブルグ著 河出書房新社 1970年刊)

 2010年最初の書評『トラストDE』とは、我ながらアナーキーなスタートだと思う。トラストDEすなわちヨーロッパ撲滅トラスト、エンス・ボートという主人公が徹底的にヨーロッパを破壊し尽くすというストーリー。そこには、今で言う細菌兵器や毒ガス、覚せい剤などに通じるようなSF的な破壊手段が登場する。数年間で、ヨーロッパは人っ子一人いない荒野と化す。

 作者のエレンブルグは、ソ連の作家でこの作品は第一次世界大戦直後の1923年に発表されている。なぜにヨーロッパが撲滅されなければならないのか、それは特に書かれていない。それを考えるためには、1920年代という時代の気分を考えて見なければいけないのではないか。

 第一次大戦後は、パックスブリタニカからパックスアメリカーナへの転機、産業革命後のヨーロッパ中心主義、西欧合理主義に影が見え始めた時期だった。それをいち早く感じた著者が、ヨーロッパ的な都会文明、ブルジョア文化に対し想像力の攻撃を仕掛けたのが本書なのであろう。

 私にとって、もうひとつのなぜがある。私は、1975,6年頃、この『トラストDE』の芝居に少し関わったのであるが、調べて見ると、演劇センター68/69で1969年から1970年にかけて『トラストDE』が上演されたという記録がある。おそらく、黒色テントの芝居に影響され、誰かが持ち帰り、それをこの地で真似たのであろう。

 この、1970年前後もまた高度経済成長の矛盾が公害という形で噴出するなど、西欧合理主義に基づく科学技術に対する問い直しがあった時期である。大学が問われ、学問が問われ、技術、思想・・あらゆるものの権威が懐疑に晒された時期であった。

 パックスアメリカーナの限界が見えた今、新たな『トラストDA』(アメリカ撲滅トラスト)が創造される時が来ている。

 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする