晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

馬淵明子 『ジャポニスムー幻想の日本』

2020-07-29 13:59:31 | Weblog

今年の夏は蝉の声がしない。蝶々もあまり見ない。スズメたちが朝から元気よく鳴いていてその数が増えているようだ。ゆえに「異常」な夏だ。というような多様であるべき現象を短絡的に「異常」と捉える思考方法が流行っている。しかし、この世の中は簡単には断定できないことだらけだと思う。紫陽花は咲きました。

 

『ジャポニスムー幻想の日本』(馬淵明子著 ブリュッケ 2004年刊)

19世紀後半の西欧におけるジャポニスムに関心を持った。受容した西欧社会の状況、日本文化の特徴はどうだったのか。

絵画の分野では、印象派やポスト印象派などの画家の作品から、浮世絵版画の色使いや構図において、また屏風や着物など「日本趣味」の品物が描き込まれていることから大きな影響を受けたことがわかる。

工芸でも、日本の煙管、扇子、団扇、焼物、掛軸、手箱などの工芸品は、その高い芸術性が評価され万国博覧会の機会などを通して大量に輸出された。ウイリアム・モリスの主導による西欧工芸を対象にしたアーツ・アンド・クラフツ運動にもジャポニスムの影響がある。日本では、これら名もなき職人たちの手仕事によって作り出された美しく温かみのある日常雑器を昭和初期に柳宗悦は「民藝」と名付け光を当てた。

この西欧の日本との出会いは、ルネサンス以来の伝統的価値観が混迷する中においてであった。すなわちキリスト教思想においては、人間を統括するのが神であり、世界は人間に近い順にヒエラルキーを構成している。動植物や山河などの自然は、地位が低く美術の素材としては軽んじられてきた。

一方、日本では美術のモティーフとして自然景観や動植物は重要なものとして扱われてきた。古い秩序に疑問を持っていた西欧の芸術家たちにとってジャポニスムが描く世界は、共感を持って受容できるものであった。また、人気を博した葛飾北斎らは、権力と結びついた幕府お抱えの身分だったのではなく、庶民社会における芸術家として紹介された。

さらに、西欧には表現方法における序列もあった。「大芸術」は絵画、彫刻、建築などであり、装飾美術、工芸などの「小芸術」に比して優れているという考え方である。モリスらは、日本には西欧のような区別や差別がないことを語っており、これらの垣根を取り払い芸術の中での平等を築こうとした。

19世紀後半の画家たち、マネ、モネ、ドガ、ゴーギャン、ゴッホ、ロートレック、ルノワール、セザンヌらの展覧会は常に盛況だ。その理由のひとつは、宗教画や貴族の肖像画などとは異なり、彼らの作品の中にジャポニスムのDNAを感じることができるからだと思う。また、逝きし世としての江戸時代における庶民文化水準の高さを再認識した。

 

 

 

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「経済クラッシュ」ノオト その6 山田順 『コロナショック』 

2020-07-13 15:14:36 | Weblog

不祥事の原因追及、方策の検討などの際に「第三者委員会による検証・検討」という方法が多用されている。当然その委員の選考に際しては、公正、中立、不偏不党、公明正大、清廉潔白、客観的、私欲や利害、忖度からは遠い清らかな人物を選ばなければならない。だが、そもそもそういう人物がこの世に果たして存在するのだろうか。政府の有識者会議のようなものが第三者性を持つなどとは誰も信じてはいないだろう。

 

「経済クラッシュ」ノオト その6 山田順『コロナショック』

「日本経済新聞」(2020年6月24日)は、僕が最悪事態として空想している預金封鎖を記事化した。『財産税は回避できるか 確率ほぼゼロでも備えを』(見出し)「・・・終戦直後の混乱を伝え聞いた人は、財政危機というと最高税率90%の財産税の導入や預金封鎖、強烈なインフレを想起するだろう。・・・」このことは、コロナ禍による財政破たんを心配する議論が始まってきたのだと捉えるべきであろう。

『コロナショック』(山田順著 Mdn新書 2020年刊)は、今年に入ってからのコロナ禍の経過を振り返りながらこれまでの政府の対応を批判している。マスコミやネットの情報をコンパクトにまとめたという凡庸な本である。ただ、今後の国家財政に関する部分はこの国の行く末を見通すために大変参考になる。以下、引用しながら本書から学びたい。

(P199~)『第九章 ポストコロナで日本は国家破産』では、現在の経済情勢が敗戦時に酷似していて当時の政府が実施した荒療治を説明している。内容は、このブログ「経済クラッシュ」ノオトに記してきたことと概ね重なる。

(P215)『国民から取るだけ取って借金を返す』(小見出し)では、当時の経済情況が記される。:「(敗戦時)大日本帝国の国債と借入金も含めた政府債務残高は、1944年度末時点でGDP比約267%に達していた。(*現在の国債残高とほぼ同じ)この他に政府は、戦時補償債務や賠償問題を抱えていた。」また、「戦後のインフレはすさまじかった。1945年10月から1949年4月までの3年6カ月で消費者物価指数は約100倍になっている。インフレはお金の価値を下げる。(政府の)借金の価値はどんどん下がる。国民はインフレに喘ぐ。」そこで問題になるのは、現在時点においてこのようなハイパーインフレの可能性はあるのかどうかである。

(P216)『預金封鎖→新円切替→資産課税(財産税)』(小見出し)では、当時の政府の政策が記される。:「大蔵省の方針は、国民から取るだけ取って(政府の)借金を返すということだ。まず預金封鎖と新円切替が行われた。預金引き出し額を1日100円に制限(1カ月1世帯500円)された国民は、限度額をせっせと引き出した。しかし、旧勘定(旧円)と新勘定(新円)の移行期間が終了してしまい、引き出せなかった旧勘定の資産のすべて失うことになった。残りは全部、国が吸い上げたのだ。」ここには少し補足が必要だ。通貨の切り替えに際し旧紙幣を一切使えなくしたことで、巧妙な手段で国民のタンス預金を吐き出させたのだ。ここからは紙幣の切り替えには注視する必要があることを学ぶことができる。今言われている紙幣の変更予定は2024年だ。1万円札は渋沢栄一に、5千円札は津田梅子、千円札は北里柴三郎に変わるということだが、ゆめゆめ政府が妙な意図を持っていないことを願いたい。

(P217)『財産税で貧富の差を問わず資産を没収』(小見出し)では、当時の税率(没収率)が記される。:「財産税は国民の資産に課税する税金だ。政府は資産額に応じて14段階の税率を設定した。例えば、1500万円超90%、500万~1500万円以下85%、300万~500万円以下80%、150万~300万円以下75%、100万~150万円以下70%・・10万円25%・・と、すごい高税率である。これにより資産家はほとんど没落した。資産の少ない者からも、なけなしの資産を没収した。課税財産価額の合計は、1946年度の一般会計予算額に匹敵する規模に達している。」現在の物価水準に換算した場合どの位になるのだろうか。当時における1500万円という資産の価値、そして庶民がどれ位の預金を持っていたのであろうか。実感として掴みにくい。また、不動産に変える、外国銀行に預ける、金を買うなど、財産税に抜け道がなかったのであろうか。

次回は、著者が現在の財政状況をどのように認識しているのかを学ぶ。

 

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