今年の夏は蝉の声がしない。蝶々もあまり見ない。スズメたちが朝から元気よく鳴いていてその数が増えているようだ。ゆえに「異常」な夏だ。というような多様であるべき現象を短絡的に「異常」と捉える思考方法が流行っている。しかし、この世の中は簡単には断定できないことだらけだと思う。紫陽花は咲きました。
『ジャポニスムー幻想の日本』(馬淵明子著 ブリュッケ 2004年刊)
19世紀後半の西欧におけるジャポニスムに関心を持った。受容した西欧社会の状況、日本文化の特徴はどうだったのか。
絵画の分野では、印象派やポスト印象派などの画家の作品から、浮世絵版画の色使いや構図において、また屏風や着物など「日本趣味」の品物が描き込まれていることから大きな影響を受けたことがわかる。
工芸でも、日本の煙管、扇子、団扇、焼物、掛軸、手箱などの工芸品は、その高い芸術性が評価され万国博覧会の機会などを通して大量に輸出された。ウイリアム・モリスの主導による西欧工芸を対象にしたアーツ・アンド・クラフツ運動にもジャポニスムの影響がある。日本では、これら名もなき職人たちの手仕事によって作り出された美しく温かみのある日常雑器を昭和初期に柳宗悦は「民藝」と名付け光を当てた。
この西欧の日本との出会いは、ルネサンス以来の伝統的価値観が混迷する中においてであった。すなわちキリスト教思想においては、人間を統括するのが神であり、世界は人間に近い順にヒエラルキーを構成している。動植物や山河などの自然は、地位が低く美術の素材としては軽んじられてきた。
一方、日本では美術のモティーフとして自然景観や動植物は重要なものとして扱われてきた。古い秩序に疑問を持っていた西欧の芸術家たちにとってジャポニスムが描く世界は、共感を持って受容できるものであった。また、人気を博した葛飾北斎らは、権力と結びついた幕府お抱えの身分だったのではなく、庶民社会における芸術家として紹介された。
さらに、西欧には表現方法における序列もあった。「大芸術」は絵画、彫刻、建築などであり、装飾美術、工芸などの「小芸術」に比して優れているという考え方である。モリスらは、日本には西欧のような区別や差別がないことを語っており、これらの垣根を取り払い芸術の中での平等を築こうとした。
19世紀後半の画家たち、マネ、モネ、ドガ、ゴーギャン、ゴッホ、ロートレック、ルノワール、セザンヌらの展覧会は常に盛況だ。その理由のひとつは、宗教画や貴族の肖像画などとは異なり、彼らの作品の中にジャポニスムのDNAを感じることができるからだと思う。また、逝きし世としての江戸時代における庶民文化水準の高さを再認識した。