晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

『レッド Red 1969-1972』第3巻、第4巻

2014-05-27 20:34:54 | Weblog

 『レッド Red 1969-1972 3』(山本直樹著 講談社イブニングKCDX 2009年刊)                       

 闘争資金を作るための銀行襲撃や給与強奪、武器を獲得するための銃砲店襲撃やダイナマイト奪取。人民のための革命実践という大義を振りかざしているが、大義が成立しなくなれば、やっていることはただの犯罪。

 彼らは、どのように理論的な根拠として、武装蜂起によって現実の権力を奪取できると考えたのか。それも本気で!左翼に典型的な主観的願望と客観的状況との倒錯状態にあったことは容易に理解できるが、1970年代前半のこの国でなぜ、どの様にして革命を実行しようとしたのか。

 おそらく、闘いの突破口を開けば、あとは中国(毛沢東)が支援してくれる、という期待が彼らにはあったのであろう。しかし、まもなく米中が手を結び彼らは驚愕することになる。

 組織内では、後の「総括」につながるような事案が発生している。男女問題、ささいと思われることを巡っての批判、自己批判。ついに仲間の脱走、組織に歪が出始め、仲間に対する疑心暗鬼も生まれる。

 『レッド Red 1969-1972 4』(山本直樹著 講談社イブニングKCDX 2010年刊) 

 この巻では、京浜安保共闘と共産主義者同盟赤軍派が統一し、連合赤軍が結成される。しかし、彼らの主観的願望と現実は大きく異なり、国際情勢においてはキッシンジャー米大統領補佐官が中国を訪問し、周恩来首相と会談、そこでニクソン米大統領の訪中が決まった。

 彼らが発する言葉は、蜂起、革命、奪取と大言壮語が並ぶが、実態は数十人たらずの学生サークルレベルの組織。それで世界革命ができると考えた根拠は何か。仲間の逮捕と相次ぐ脱走で組織には閉塞感が漂い、利敵行為から組織を防衛するという名目でついに最初の処刑が実行される。組織の仲間内には動揺が走る。疑心暗鬼に陥る。

 これらことは、連赤に固有のことではなく、会社、組織、チーム、仲間・・など、人間が集まり、共同で何事かを進める場合、多かれ少なかれ普遍的に生じている状態ではないか。

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『ザ・ニュースペーパー札幌公演2014』

2014-05-25 09:39:32 | Weblog

 久しぶりの学食、今は選択方式なので、食べたいものを取っていくと、結構な値段になります。大昔は、カレッジランチ130円、エルムランチ180円といった一枚のお皿におかずが乗っていて、味噌汁、どんぶりごはんという組み合わせでした。金が無くなれば、50円の豚汁とライス、20円の卵とライスでお腹を満たしていました。体重52kgの時代です。

 『ザ・ニュースペーパー札幌公演2014』

 札幌では春、秋の毎年2回公演が恒例となっているザ・ニュースペーパーをいつもの道新ホールで観た。先週まで北海道新聞の夕刊で、小樽出身のリーダー渡部又兵衛氏の半生記が連載されていたが、それを読んでいた観客も多かったと思う。昨年の秋は、突然の急病ということでリーダーが舞台に上がれず皆が心配していたと思う。記事によれば、病状は相当深刻で、命を失っても不思議で無かったような状態だったようだ。

 昨日の公演では、渡部氏の姿が舞台上にあったが、歩行が相当難しいようで、支えられながらも気力を振り絞って演じていた。舞台人は舞台に立ってなんぼなのだろうが、彼のニュースペーパーにかける執念のようなものが伝わってきた。

 昨日は演目の構成も変えていて、歌手の谷本氏がいなく、官邸の安倍首相と菅官房長官を中心とした部分と、田原総一朗の朝まで生テレビ、さる高貴なご一家から成り、音楽やダンスを排した政治ネタを中心としたシンプルな作りとなっていて、ニュースペーパーの原点に戻った印象であった。

 何だかんだと言っても、ニュースペーパーは渡部氏あってのニュースペーパーであり、渡部氏の復活を願いたい。独身だった渡部氏が、最近、結婚したとも書かれていたので、きっと元気になると思う。

 

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『超西欧的まで』

2014-05-18 17:13:10 | Weblog

 『超西欧的まで』(吉本隆明著 弓立社 1987年刊)

 今日まで狸小路のラルズで恒例の古本市が開催されている。しかし、ラルズが間もなく閉店するので今回が最後ということだ。会場の担当者に尋ねたが、これだけの広さの会場を他に見つけるのは難しいとのこと。何とかどこかで開催してほしい旨要望を申し上げた。おばあちゃんのデパート、ラルズが無くなるのも寂しい。

 今回は、宝の山の中から、吉本の『超西欧的まで』、田原克拓が聞き手となった『時代の病理』(春秋社 1993年刊)、『吉本隆明詩集』(思潮社現代詩文庫 1968年刊)の3冊を見つけ、合わせて1300円で購入。今週末には、新さっぽろサンピアザで古本市があるのも楽しみ。

 本書は、1977年から1985年までに吉本が行った11回の講演記録であるが、その後半部分では、経済をテーマとしている。吉本の他の著書でも感じていたことであるが、日本資本主義をどうとらえるかなどについて、経済に関する限り吉本の分析は粗雑すぎると思う。例えば、第3次産業の従事者が過半数を超えれば、資本主義は超資本主義に変質するなどというのは、イメージの世界で語っているだけで、発想レベルとしてはそのような感じもするという程度で、経済というシスティマティックな対象の捉え方としては、少々粗すぎないかと感じる。根本が詩人だからなあとは思う。

 ただし、「この焦燥感・不安感はいったいどこからくるのか」、「人類は、国家消滅の方向に向くことが理想である」「国家というものは、幻想の共同体として社会のうえにあり、その下部に資本主義社会(いわゆる市民社会)がある」「資本主義社会がどこか違うところに入ろうとしているのではないか」「先進資本主義社会が到達していく境界線、その向こうになにがあるのか」などは、吉本ならではの言い回しであり、私たちに先端の行方を示唆してくれる。

 本書の前半部分、親鸞、小林秀雄、良寛、竹内好などを語っている部分については、ものごとの初源を辿る言説として吉本の真骨頂が現れている。

 

 

 

 

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『なぜ日本にアメリカ軍の基地があるのか』

2014-05-06 16:50:41 | Weblog

 昨日の豊平川マラソン、完走というか、完歩というか。全然ダメ。自分で思っている以上に体力が低下、老化が進んでいる。もう心を鍛え、考えた練習が必要なのだろう。

 北区の事件、奇妙な展開になってきました。真犯人を逮捕しているので、昨日、今日のは摸倣犯の犯行。本当に?

 

 『なぜ日本にアメリカ軍の基地があるのか』(松本健一著 牧野出版 2010年刊)                     

 近くの図書館から借りる。本書は政治論としては、少し古く民主党鳩山政権時点の内容である。しかし、初めて(!)わずか、10条からなる日米安全保障条約(1960.1.19調印)を読むきっかけになった。

 さて、前文(一部引用)には、「日本国及びアメリカ合衆国は、両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し」とある。

 条約に明文化されていることから、権利としては、集団的自衛権は認められているのである。ただ、現在の内閣法制局の解釈では、行使については、集団的自衛権で国外に出ていった軍隊は「武力」と見なされるので憲法第9条の「武力はこれを保持しない」という条文と矛盾することから行使できないとされている。(P68)

 安保条約第1条には、「締結国は、国際連合憲章に定めるところに従い、それぞれが関係することのある国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決し、並びにそれぞれの国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎むことを約束する。」との表現がある。

 これは、憲法第9条の「一 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 二 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」との表現と共通しており、憲法第9条が前提のもとに日米安全保障条約が結ばれていることを示している。(P46)

 なぜ日本にアメリカ軍の基地があるのかについては、安保条約第6条「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。」(P42)という条文が根拠となっている。そして、前述のとおり安保条約の前提には憲法があるということである。

 他国の軍隊の基地が自国内にある状態は、国際的には独立国とは見なされず従属国又は保護国ということになる。従って現在の日本は独立国ではないということになる。

 現安倍政権は、本心は憲法改正により、それができないのであれば当面は解釈改憲により集団的自衛権の行使ができるようにしたいと表明している。ただ、その先に、真の独立国になることまで、すなわち憲法改正→安保破棄→米軍基地の撤廃までを射程にいれているのかどうかは定かではない。安倍総理は、アメリカの庇護のもとでの美しい日本に屈辱感を抱いているのだろうが、氏はアメリカに逆らえば自らの地位が危ないというジレンマの中にいることを充分わかっている。

 私は、今議論されている集団的自衛権の問題は、米軍基地の存在の可否とセットに論じられなければならないと考える。

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第4次『現代の理論』デジタル版の創刊 

2014-05-03 17:02:57 | Weblog

 憲法記念日で営業は無し。戦争は絶対してはならないと思うが、憲法を真面目に勉強したことがない。

 午後から、5日のハーフを目指して少し練習。疲労が抜けにくいので長距離を走らず、近くの少年野球場の外野芝生でダッシュを中心に身体のサビを落とす。直後から筋肉痛が発生。

 

 第4次『現代の理論』デジタル版の創刊 

 雑誌『現代の理論』の歴史は興味を引く。第1次は、1959年5月に大月書店から創刊されたが、日共中央の言論弾圧により9月の5号で停刊。不破哲三、上田耕一郎兄弟も寄稿していたが後に自己批判する。第2次は、1964年1月に現代の理論社から創刊、1989年12月休刊。第3次は、2004年10月に言論NPO・現代の理論から創刊、途中から明石書店が引き継ぎ、2012年4月に30号で終刊。

 そして、第4次が、デジタル版として5月1日に創刊された。

 http://gendainoriron.jp  で閲覧できる。(無料)

 第1次の5冊は、私の宝である。日共内での路線対立があり、それを公然と党外の出版物で主張できた、今では想像もできないそんな時代があった貴重な証拠である。第1次の寄稿者たちのほとんどは、その後脱党または除名され、上田兄弟のように党内に残る場合は自己批判を行い、茶坊主だらけの党に変質したのである。

 私は、第2次、第3次を通して、『現代の理論』の熱心な読者では無かったが、否どちらかというとその緩~い感じに物足りなさを覚えていた。ラジカルさを感じない、どうせ社民だろっていう感じだった。ただ、振り返れば誰もいなくなった現在の情況では現状批判としての小さな期待を持っている。

 例えば、なぜ、安倍内閣、安倍晋三の支持率が高いのか。左翼的な批判では、この国をどこに持って行こうとしているのか。危険なタカ派総理なのに。支持する国民が間違っているから。ということだろうが。このような、左翼的なものの見方では既にこの現実が解けないのではないかと思う。現実路線の『現代の理論』に優れた言説が現れることを期待したい。

 

 

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『レッド1969-1972』第2巻

2014-05-02 21:29:46 | Weblog

 『レッド Red 1969-1972』第2巻(山本直樹著 講談社イブニングKCDX 2008年刊)           

 永田洋子、坂口弘、吉野雅邦、川島豪らの「日本共産党(革命左派)神奈川県委員会」、その合法組織「京浜安保共闘」、銃から革命が生まれるという毛沢東思想にもとづき銃器奪取作戦などを実行する。

 大菩薩峠での大量逮捕、ハイジャックによる国外脱出で、ほぼ壊滅状態にあった、植垣康博、青砥幹夫、坂東國男、森恒夫らが所属する「共産主義者同盟赤軍派」は、G(ギャング)作戦(金融機関強盗)を実行する。

 後に、この両派が合流して「連合赤軍」となるが、第2巻は、両派とも警察に追い詰められ、次々とアジトを変え逃亡生活が続き消耗戦を強いられる。

 

 消耗とか、展望という言葉は死語なのであろうが、運動が行き詰まる典型的なパターンは、理想社会を描いてそれを実現するため革命理論を構築し、革命運動を実践する。そのための手段は、革命の大義のもと非合法でも許容され、ある程度の犠牲も革命のためには止むを得ないと考えられる。実践の中で、理論からどんどんと遠ざかる。

 この話の中で消耗戦を強いられている彼らの情況はわかるが、彼らが目指す理想的な社会像は見えない。彼ら自身も理論を持ち合わせていなかったことに気づいていたのかも知れない。

 特に、京浜安保共闘は、中国共産党に対して一方的な片思いをしていたのだろうが、国際情勢は劇的に動き始めており、冷え切っていた米中関係が卓球の国際試合などを通じながら急速に接近していく。その後、ニクソン米大統領が訪中することになるが、彼らはそれを知り驚愕することになる。(それが、第何巻に出てくるかはわからない)

 

 どこまでが政治集団、政治党派で、どこからが宗教団体で、どこを超えるとカルトなのだろうか。日共は政党?革共同は党派?オウムはカルト?創価学会は?・・

 

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