晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

広辞苑

2009-07-26 19:10:48 | Weblog
 ずいぶん前にもらっていた定額給付金で『広辞苑第6版』を購入しました。

 12,000円で丁度買えるもので、普段は中々買えないものをと探していたのですが、最終的に『広辞苑』にしました。辞書を引くたびに、2009年天下のバラマキ愚策により購入したことを思い出すのもいだろうと思っています。

 これまでのは、1980年に恩師からお祝いに戴いたものです。10年以上前に亡くなられてしまいましたが、辞書を引くたびに恩師とのお付合いを思い出します。

 
 ぐずついた天候が続いていますが、本日久々の中距離走。しかし、8月30日の北海道マラソンに出場申し込みを行い、出走許可証が既に来ているのですが、残念ながら当日は営業が入りそうな情況で、少し走る意欲を失っています。

 なんとなく、全てが予定どおり進まなくなっています。

 

 
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吉田拓郎 幻のチケット

2009-07-25 19:48:06 | Weblog
 本日は、つま恋でコンサートが開催される予定でした。

 昨日、突然の中止発表を会社に行く前、「目覚ましテレビ」で見た。前日の喜びが暗転、それからは1日違いでキャンセル料が上がってしまうことから、航空機のキャンセルなどバタバタ。けち臭い話しです。

 幻のチケットを眺めながら、しばし脱力感が抜けず。

 でも、人間には修復機能があり、徐々に立ち直っていくのがわかる。自分のことより、拓郎の無念を考えると、いつか必ず復活を!と願う。


 拓郎のコメントを貼り付けます。胸中察するに余りあります。

 「最終となるツアーがこのような結末となり本当に無念であります。
 大阪ライブを体調不良により急遽中止させていただき、帰京後は回復に専念してまいりましたが日常生活に支障は少ないものの、移動と実際のステージとはやはり困難と判断いたしました。
 僕自身も何とか各地での公演で有終の美をと願っておりましたが体調の不良には勝てませんでした。
 この場を借りましてライブを楽しみにしてくださっていた方々に心からお詫びを申し上げます。
 またツアーを支えて下さっていたミュージシャンの皆様、ツアースタッフの皆様、ツアー関係各位にも重ねてお詫びを申しあげます。

 このままでは・・のくやしさを胸に吉田拓郎は本日より治療に専念し完全回復を果たします。

 本当に申し訳ありませんでした。」





 
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吉田拓郎 とりあえず良かった!

2009-07-23 20:50:31 | Weblog
 ようやくコンサート事務局のホームページに以下のようにアップされました。

07/22 コンサート開催についてご案内

いつも吉田拓郎に暖かいご声援を頂きありがとうございます。

7月25日(土)つま恋エキジビションホール及び
8月3日(月)NHKホール公演は
予定通り、開催に向け準備を進めてまいります。

残念ながら中止とさせて頂いた公演のチケットを
お買い求めされていたファンの皆様におかれましては
多大なご迷惑をおかけ致しました事を改めて深くお詫び申し上げます。

 とりあえず、良かった!
 そして、今日、会社から帰宅するとNHKホールのチケットが届いていました。
 先ずは、25日のつま恋が無事開催されますように。

 写真は、1975年のつま恋コンサートの模様です。私は、その10年後、1985年に開催された「ONE LAST NIGHT IN つま恋」コンサートに行ったのでした。

 拓郎とともに40年、生涯最後のツアーと名を打ち、途中体調不良による中止をはさみながら、満身創痍で臨む最後(最期?)のステージ。

 泣いてしまうかも知れないなあ!
 

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『日本語が亡びるとき』 その2

2009-07-20 21:18:31 | Weblog
 クーちゃんに会いに行ったのですが、クーちゃんには会うことができず、ご覧のようにパンになっていました。



 『日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で』(水村美苗著 筑摩書房 2008年刊)その2

 民族や国家の勢いと言語使用は比例する。現在は、米国流のグローバリズムが世界を席巻しているが、言語としては英語の時代になっている。アジアで日本経済の一人勝ちの時代、韓国や中国で学生の日本語ブームがあった。そういう意味では、本書は、見事に言語の「帝国主義論」になっている。

 かつて企業において、英語が堪能な社員を「英語屋」と称した時代があった。しかし、現在のように「デキル」という良い意味では無く、便利屋として「ツカエル」ということで、重宝がられるが重用されない存在としてであった。英語を使えても出世の妨げになるということで、当時はそれを隠したということである。

 水村氏の著作は、言語について様々なことを考えるきっかけとなる良書だと思うが、言語が亡びるということが、人と人との関係や国家間のコミュニケーション手段としての視点に限られており、言語のもう一つの大事な機能、内省のための手段(吉本隆明の提起より)という視点が欠落していると感じる。

 国家や民族が亡びたり、他の言語を強制されたとしても、民衆や民族が自分たち固有の言語を使って思索したり、歴史を伝えたりすることはできるし、現にそういう例は多々ある。抵抗の言語という視点があってもよかったのではないか。

 

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『日本語が亡びるとき』 その1

2009-07-16 21:21:51 | Weblog
 『日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で』(水村美苗著 筑摩書房 2008年刊)

 一期一会という言葉がある。書物との出会いも偶然がいたずらしながら、忘れられない出会いになることがある。私は、著者を知らない。本書は、興味ある分野の本でもない。ただ、書店の書棚に並んでいた時、装丁の雰囲気に魅かれただけなのである。それも、ご覧のとおり平凡なデザインである。

 私は、「日本」という国があまり好きではない。しかし、この国に生まれ、この国で育ち、この国でしか生活したことがない。そして、毎日、この国の言葉を使い、頭の中でもこの国の言葉を使って思考している。否、この国の言葉以外で思考することはできない。

 著者は、日本語の危機について警鐘を鳴らす。明治以降、漢字の廃止やローマ字表記、英語の使用など何回かの危機を乗り越えて来たのだが、インターネットが普及した現在、世界的に英語使用が主流を占め、日本語を含む各国の言語が危機に直面しているという。

 では、言語が滅ぶとはどういうことであろうか。また、言語が衰弱するとはどういうことになるのだろうか。私は、漢字の使用を廃止するなど言語を衰弱させれば、概念の定義が薄っぺらになり、思考が浅く狭くなり思想も痩せてしまうのではないかと考える。現在、漢字の使用をほとんど止め、ハングルのみを使っている南北朝鮮などの情況が知りたい。

 それとともに、著者は言語が亡ぶ側からの論理を展開するが、実際、この国は、過去において、旧植民地の人々の言葉を奪い、日本語の使用を強制した歴史を持っていることにはあまり触れていない。


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北の錦と保守主義

2009-07-12 20:57:57 | Weblog
 知人に薦められて「北の錦」で有名な栗山町の小林酒造を見学しました。
酒造の周辺は、見学用に整備してあり、お酒や酒造にちなんだ展示品をそろえた北の錦記念館では試飲もできます。

 小林家の先代は、越後の出身で田中角栄と遠縁になるとのことで、角栄自筆の手紙もありました。また、角栄の手紙は丁寧な字の毛筆でしたが、歴代の総理大臣が書いた色紙もあり、皆、揃いも揃って書が上手なのです。中でも、森喜朗が一番達筆で、安倍晋三も若いのに上手いのです。総理になる人は、書の練習をするのでしょうか。

 敷地内には、レストランやそば屋さんがありましたが、そばの錦水庵でせいろそばをいただきました。お酒の仕込み水で打ったそばは繊細な麺で美味しかったのですが、タレはダシか味醂が少ないのか、少し塩っ辛くもう少しマイルドだと良かったと思います。

 知人のお薦めは「そばがきしるこ」です。そばがきの上に、漉し餡が乗っているのですが、甘味が抑えられているのと、お薄が付いていて食後にピッタリのデザートでした。こちらは、☆3つです。



 さて、本日は久々の好天に誘われ、長距離ランができました。でも、まだまだフルを走ることのできる力はありませんが。



 さて、走りながら、昨日ここに書いた「超保守主義」になっている自分について考えました。

 「保守」の真髄は、その文字のとおり「守ること」だと思います。では、その守るべきものとは何か。人それぞれ違うでしょうが、生活、財産、家族、健康、安全、平和、国益・・と考えていくと、これらの単語からプンプンと臭って来るものがあります。これが、保守的イデオロギーだと思います。
 
 例えば、会社は社員の結婚を喜びます。その社員がパートナーを、子どもを含めた家族を守ることになるからです。また、家を持つことも喜びます。一生の給料を担保に家を買うことになるからです。社員はリスクを冒すことをしなくなります。会社への忠誠度が上がります。逆に、プライベートなことで会社には全く無関係な事と思いますが、結婚しないことや離婚や家を手放すことは、マイナスに評価します。

 不勉強で良くわかりませんが、保守主義には、特別に核となる体系的な思想は何も無いのではないかと思います。天皇制や歴史と伝統などは、空なる中心を被う衣のようなものではないでしょうか。

 しかし、保守政党のみならず、革新とか、野党と言われている政治勢力の政策を見ると、「保守」がデンと据わっています。現在、この国のほとんどの国民は「失いたくないもの」を持っています。

 今後、オルタナティブを示すには、「失うものが何も無い」無産大衆を再定義する必要があります。


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吉田拓郎 倒れる!

2009-07-11 21:17:25 | Weblog
 お酒が好きな拓郎は、「北の錦」を呑むでしょうか。



 1970年6月「イメージの詩/マークⅡ」でデビューしてから40年目、吉田拓郎が生涯最後の全国ツアーを開始したが、体調不良を訴え8日の大阪公演、14日の福岡サンパレスホール、17日の広島厚生年金会館、21日の神戸国際会館こくさいホールの3公演を中止しました。

 残りは25日の静岡・つま恋エキジビションホールと8月3日の東京・NHKホールなのですが?

 特に、NHKホールは、今回のツアーのチケットが即日完売する反響を受けた追加公演で、アルバム「午前中に…」に封入された葉書を応募し、抽選で当たった人だけが購入できたもの。

 私は、今回は札幌公演もなくほとんど諦めていたのですが、ダメもとで応募したら何とNHKホール公演に当選したのです。8月3日前後に休めないような仕事が入らないよう祈りながら、周辺で大きな事件が起こらないようにとも、超保守主義に徹する毎日なのです。

 すでに、公演を終了した会場もあり、曲順などはネットに出ていますが、あえて見ない様にしています。拓郎ライブの特徴は、その都度、曲のアレンジを変えるので、イントロが始まると何の曲なのか、観客がしばらく考え、わかった瞬間歓声が起きます。今回の編曲は瀬尾一三だと思います。そんな楽しみもあります。

 航空機やホテルの予約もしてしまいましたので、最後の気力を振り絞っても敢行してほしいと思う反面、もう無理をしないでくれという思いもあります。
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『日本の現代思想 ポストモダンとは何だったのか』 その4

2009-07-05 21:21:05 | Weblog
 昨日、土曜日は営業、本日、日曜日はボランティアと超多忙な週末。ボランティアとは、本来は自発的という意味なのでしょうが、義務的ボランティアという論理矛盾を起こしていることが明らかなボランティアなのです。



 『集中講義! 日本の現代思想 ポストモダンとは何だったのか』(仲正昌樹著 NHKBOOKS 2006年刊)その4

 第4章は、『「現代思想」の左転回』として、ポスト80年代の思想状況をテーマに、第7講『なぜ「現代思想」は「終焉」したのか』で「現代思想」が流行らなくなった背景と、第8講『カンタン化する「現代思想」』で「現代思想」が残した“遺産”と今後の展望が述べられる。

 (第7講)現代思想が流行らなくなった理由としては、ネタもとのフランスの思想家達が高齢化して死亡したこと。(1980年代前半でサルトル、バルト、ラカン、フーコー、1990年代入るとアルチュセール、がタリ、ドゥルーズ、レヴィナス、リオタール、2000年代にはデリダ)

 ソ連・東欧ブロックの崩壊とそれに連動したマルクス主義的左翼の凋落によって、アメリカを中心とするグローバリズムの台頭への防波堤がなくなったため、逆に素朴な資本主義批判が再活性化した。

 (第8講)反グローバリズム派は、マルクスを復権しようと企図しているのであろうが、必要なのは、マルクスをリサイクルすること、あらゆる常識を疑い、深い懐疑のまなざしをこそ学ぶべきであると著者は述べる。

 マルクスに始まったこの国の戦後思想は、1970年代から80年代への20年間ほどポストモダンを迂回して、1990年代以降再びマルクスに戻るが如くである。


 途中、生住滅さまよりコメントをいただいておりましたが、マルクスの思想とその後の継承者達によるマルクス主義との間には、問題意識の射程や深さに大きな差異が生じていると考える。

 これまで様々なマルクス主義者による理論の継承、発展、改竄などがあるが、何よりマルクス自身もその一生の中で、初期マルクスの疎外論から始まり晩年の「資本論」における資本主義社会の分析に至るまでには多くの変化を遂げている。

 しかしながら、マルクスが提起した資本主義社会に内在する根源的な矛盾は、現在も我々に突きつけられている問題と考えていいのではないか。


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百人一首

2009-07-04 20:33:41 | Weblog
 百人一首で遊んだ記憶はあまりありません。従って、歌をそらんじる事もできません。

 京都府長岡京市の「小倉山荘」という名のおせんべい屋さんからの贈り物をいただきました。それは、おかきの缶に同封されていた案内パンフから始まりました。

 そこには、百人一首について記されていました。鎌倉時代の歌人藤原定家が選んだ百首をタテ十首、ヨコ十首に特殊な並べ方をすると、上下左右とも合わせ言葉で一つの隙間もなくぴったり結びつくこと(歌織物)を発見したと語るのは、大阪経済法科大学教授林直道先生。

 この歌織物の右側7列分に詠み込まれたの自然の景色を絵にすると、新古今のふるさと水無瀬の里(現在の京都府長岡京の南)あたりの風景になるとのことです。

 参考として、林直道著「百人一首の秘密」「百人一首の世界」(青木書店)、「芸術新潮」第38巻3号(新潮社)が紹介されています。

 さて、私の引っかかりは、ここからです。

 私の知っている林直道なる人物はもう一人いるのです。その場合、「ちょくどう」と呼んでいました。その林氏は、高名なマルクス経済学者で日共系正統派の大御所です。はたして同一人物でしょうか。青木書店というのが臭います。

 以前なら、あれやこれや調べるのに相当手間暇がかかったでしょうが、今はネットがあります。

 結果。間違いなく同じ方でした。1923年生まれ、大阪市立大学名誉教授でご健在のようです。経済学と百人一首、文武両道とでもいうのでしょうか、どちらも一流なのには驚きました。また、林直道氏を起用した小倉山荘もなかなかのものだと思います。


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『日本の現代思想 ポストモダンとは何だったのか』 その3

2009-07-01 22:25:22 | Weblog
 日曜日に白い恋人パークで、コンサドーレ札幌のサテライトの試合を観てきました。結果は、ベガルタ仙台サテライトに3対1で勝利しましたが、若い選手の躍動に感動しました。宮の沢は、スタンドとピッチが近いので、選手の声はもちろん、身体同士をぶつける音も響いてきます。選手のバテ具合もわかり、最後の力を振り絞っている様子につい声を掛けたくなります。

 「ナイス・トライ」「ガンバ、ガンバ」と。



 『集中講義! 日本の現代思想 ポストモダンとは何だったのか』(仲正昌樹著 NHKBOOKS 2006年刊)その3

 第3章は、「八〇年代に何が起きたのか」として、第5講『日本版「現代思想」の誕生』で主要な思想家とその理論の特徴、第6講『「ニュー・アカデミズム」の広がり』でニュー・アカとの関連や学際性が述べられる。

 (第5講)1970年代末になると、蓮實重彦によるフーコー・ドゥルーズ・デリダなどフランスの構造主義、ポスト構造主義の輸入が始まった。その背景は、社会構造の変化により「大きな物語」(マルクス主義に代表される)の終焉であり、それがポストモダン的な知の条件だった。

 栗本慎一郎は『パンツをはいたサル』で、ポランニー・バタイユに拠りながら、「生産的に労働する人間」観から「蕩尽する人間」観へパラダイムをシフトした。浅田彰は『構造と力』で、シラケつつノル、真面目なのかふざけているのか判然としないような“知の実践”スタイルを提唱した。

 私は、当時マスコミにも露出していた栗本らを読んだ記憶があるが、あまり強い印象を持っていない。何というか、知的お遊びにしか思えなかった。そこからは、私自身が「大きな物語」を指向しているのだなということが逆にわかる。

 (第6講)文化人類学者の山口昌男は、あらゆる文化が「中心」と「周縁」の対立構造によって成り立っている。中沢新一は、宗教的な信念と、合理的知識との区別を前提に成立しや近代知の限界に挑戦した。

 1990年代に入って、(以下引用)「フランスで生まれた構造主義/ポスト構造主義が、マルクス主義に取って変わるかもしれないものであり、自分たちにとって深刻な脅威であると認識し始めた。」のだろうか。

 1990年頃(ベルリンの壁、ソ連・東欧崩壊!)の私は「株と思想は、安値の時に買うもの」と思っていた記憶がある。従って、いわゆる「現代思想」の流行に全く興味を覚えなかった。さらに、「ソ連型社会主義の崩壊も、資本主義と社会主義の負け比べ」において、社会主義が一歩早く壊れただけで、いずれ資本主義も瓦解すると考えていた。見よ!現今の世界恐慌を!


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