晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

梅林秀行 『京都の凸凹を歩く 高低差に隠された古都の秘密』『京都の凸凹を歩く2 名所と聖地に秘められた高低差の謎』

2018-03-31 19:46:53 | Weblog

この『晴走雨読』は、2006年4月に開始して以来、この4月で13年目に入る。12年間で1,206本を掲載した。トータル閲覧数(PV)832,004、トータル訪問者数(IP)273,782人。この間の変化としてホームページやブログなどより言葉を短く言い切るツイッターなどが好まれるようになり、トランプ氏のような他者に対して刺のある言い方が流行っているようです。僕はもうしばらく続けるつもりですので、改めまして読んで下さっている方に感謝いたします。

 

『京都の凸凹を歩く 高低差に隠された古都の秘密』『京都の凸凹を歩く2 名所と聖地に秘められた高低差の謎』(梅林秀行著 青幻舎 2016年、2017年刊)                      

『ブラタモリ』というNHKの秀逸な番組がある。タモリさんが全国を訪ね歩き、「土地の記憶」を地形や地質などから読み解く。著者の梅林氏は、『ブラタモリ』の京都編で案内人を務めた在野の研究家である。肩書は、京都高低差崖会崖長。僕は、『ブラタモリ』の功績は、全国で地道に研究している人、特に地質や地理、そして中々目立つことの少なかった学芸員という職業の人たちに世間の光を当てたことだと思っている。

僕は、縁がありここ何年か続けて京都に行く機会がある。空いた時間にはあちこちを歩いてきたが、その中には本書に取り上げられたところもある。

巨椋池(おぐらいけ)の項に興味を魅かれた。巨大な湿地だった所を戦前に干拓して農地や住宅地に変貌させた。僕が行ったのは、近鉄京都線向島駅から填島というあたりだが、その周辺は豊臣秀吉の頃、伏見を首都にするため数々の巨大土木事業が行われたところである。秀吉が行った改造には、伏見城の別荘として向島城の築城、宇治川の流路変更、観月橋の架橋、伏見に繋がる堤防道路などがある。

タモリは、秀吉はデベロッパーだという。京都を巡ると秀吉が開発した痕跡が数々ある。そしてそのスケール飛びぬけているのだ。本書でも、伏見、聚楽第、豊国神社の大仏、御土居の項がある。

翻って、僕らのクラス北海道の場合は、本州に比べて歴史の厚みが薄いが、切口次第では眠っている意外な「土地の記憶」を呼び覚ますことができるのではないか。『札幌の凸凹を歩く』は成立するかな。

 

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吉田裕 『日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実』

2018-03-17 10:02:23 | Weblog

オリンピック選手も甲子園球児も口をそろえて言うのは、「これまで支えてくださった皆さん、お世話になった方々に感謝したい」という言葉。少し前までは、「応援してくれる皆さんに夢と希望を与えたい」だった。これを流行らせたのはマラソンの高橋尚子で、「私の走りを見てくれる人に元気を与えたい」からだ。90年代の有森裕子は、「自分で自分を褒めてやりたい」だった。時代の気分の移り変わりっていうのは重要だと思う。

 

『日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実』(吉田裕著 中公新書 2017年刊)                       

本書は、昨年12月末に刊行され、2か月で5版を重ねている。(5版と5刷の違いがわからない。)書店には地味に置かれているが良く売れている。そして良書だ。

僕らは、自分の意志に基づくことなく、軍隊に入ることも、戦場に行くことも、経験しなくて済んでいる幸運な世代だと思う。(現状の自衛隊入隊者はボランタリー)

軍隊とはどういうところなのか。戦場で戦うとはどういうことなのか。戦争で死ぬとは。本書を読むと想像力が喚起される。

僕の想像する戦死とは、ジャングルや山林のなかで敵との撃ち合いで銃弾に当たり、戦闘機で空を飛びながら、艦船の砲台で敵の砲弾で命を落とすというイメージだ。名誉ある戦死だ。

しかし、そのような死に方をする兵士は限られた者で、アジア・太平洋戦争における現実は、多数の無残な死だった。連日連夜の行軍による極度の疲労から来る自殺、マラリアなどによる病死、食糧欠乏による餓死、船舶の沈没による水没死、撤収に際し足手まといとみなされた傷病兵に対する処置死、隊内における古参兵によるリンチ死、狂死・・家族にとってはかけがえのない命が戦場で簡単に使い捨てられた。そしてその現実は家族に知らされない。

そうであれば、あの戦争とは一体どういう戦争だったのだろうか。僕は、一部の指導者に国民が騙されて巻き込まれた戦争だったとは思えない。「国民=被害者」という図式ではないと思う。国を挙げて、国民全体が全身全霊を賭けて遂行した戦争だった。歓喜とともに若者を兵士として戦場に送り出したのが現実ではないか。

本書は過去の出来事なのかと考えてしまう。僕らが生きている現在。日報の改ざんがあったといわれている南スーダンでの自衛隊員はどのような情況下におかれていたのか。今の自衛隊の組織倫理や隊内生活はどうなのか。

本書で著者は、「反戦」という言葉を一度も使っていないが、真実を描くことがどれほどのスローガンにも勝るということがわかる。

 

 

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西部邁 『保守の真髄 老酔狂で語る文明の紊乱』

2018-03-04 16:10:36 | Weblog

 3月、学生の就職活動が解禁。道職員の採用内定者のうち6割以上が辞退しているという。知事は、人で不足による民間会社の待遇向上や広い道内を転勤しなければならないことなどが理由だと説明していたが、知事の常套句「連携して・・、調整して・・、から相談があれば・・」を聞いている学生にはやりがいが見えないのではないかと思う。道内JR路線問題、新幹線ホームなど課題山積だが道が主体的に関わろうとする姿勢は見えない。問題はトップリーダーにあるのではないか。

 

『保守の真髄 老酔狂で語る文明の紊乱』(西部邁著 講談社現代新書 2017年刊)

今年1月21日、西部は自ら命を絶った。本書の帯には「大思想家・ニシベ最期の書!」とある。本書で西部は「自裁死」に臨んでの覚悟を綴っている。

西部は北海道長万部町出身で、’60年安保をブントの指導者として闘った。当時のブントは、思想的カオス状態にあり、マルクス、スターリン、日共、現存した中ソ社会主義国、帝国主義国などに対する考えは、個々人において多様であり、安保が終ると組織の方向性をめぐって分裂・解体するのは必至であった。

西部は自らを振り返り、安保後に思想的な大転換をして独自の保守主義にたどり着いたという。しかし、僕は西部に保守性ではなく、「反米愛国」という思想の一貫性を見る。’60年安保改定に際し、この国のアイデンティティが米国によって奪われてしまうという危機感に抱いて闘った西部、そして現在も彼は、はたしてこの国が真の独立国家なのかという懐疑を抱いている。

もう一つは、大衆に対する懐疑、衆愚政治に対する警告も一貫していると思う。膠着状況にあった安保闘争に風穴を開けるためにブントは先頭に立って国会突入した。その行動を先導した西部。知恵のある者が愚者である大衆を導くという点では変わっていない。

西部の言葉遣い、語り口は独特である。言葉の本来持っている意味に一度戻り、思想の本質を導き出そうとする方法はまさに訓詁学である。深夜番組『朝まで生テレビ』で、討論者を煙に巻くのも得意技だった。ただ、ひとつ思い出したことは、西部が亡くなった樺美智子の恋人だったのではと言われて激怒したことだ。

本書は、手が不自由になって自ら執筆できなくなった西部に代わって娘さんが口述筆記したものである。そして内容も、妻が亡くなった後、蔵書を全て処分したので全て記憶によるものだという。本書は、西部邁の遺書である。

 

 

 

 

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