晴走雨読

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鮫島浩 「SAMEJIMA TIME」 ロシアのウクライナ侵攻 その3 アゾフ大隊 公安調査庁

2022-04-26 16:08:27 | Weblog

放送大学の新学期が始まった。第1期は、『歴史の中の人間』と『現代の国際政治』の2科目を選択した。僕は、現在のウクライナ情勢に直面して、一体何のために学んでいるのだろうか、と自問を繰り返している。知識のための知識ではなく、垂れ流される圧倒的な情報の中で、一体何が真実なのかを見極めること、もっと身近な問題で当事者となった場合に、他者の考えに右往左往しないで自分なりの判断ができること、そうなりたいと想う。

 

「SAMEJIMA TIME」(鮫島浩) ロシアのウクライナ侵攻 その3 アゾフ大隊 公安調査庁

侵攻当初は、テレビ・ラジオ、新聞などの報道は「ウクライナ=100%善、ロシア=100%悪」一色だったが、月刊誌などの特集ではかなり事態の捉え方が相対化されてきて、言説が多様化してきている。

このことで象徴的なのは、「アゾフ大隊」なる名称がマスコミに出てきたことだ。

アゾフ大隊の存在は、この国の政府機関である公安調査庁もしっかり把握していて性格づけもされている。(以下、引用)『国際テロリズム要覧2021』の「極右過激主義者の脅威の高まりと国際的なつながり」に「2014年,ウクライナの親ロシア派武装勢力が,東部・ドンバスの占領を開始したことを受け,『ウクライナの愛国者』を自称するネオナチ組織が『アゾフ大隊』なる部隊を結成した。同部隊は,欧米出身者を中心に白人至上主義やネオナチ思想を有する外国人戦闘員を勧誘したとされ,同部隊を含めウクライナ紛争に参加した欧米出身者は約2,000人とされる」

公安調査庁のHPに掲載されていることを知ったのは、鮫島浩氏のHP『SAMEJIMA TIME』2022年4月1日付け「ウクライナに跋扈するネオナチを陰謀論で片付けていいのか?トランプ復活を恐れるバイデンと欧米メディア」という記事だ。

開戦時、プーチンの「ネオナチとの戦い」という言葉を聞いた時には、何という寝言を発しているのかと思ったのだが、それは決して虚言ではなかったということだ。そして、このアゾフ大隊の存在がプーチンに侵攻の口実を与えたのだ。公安調査庁の見解とプーチンの考えが一致している。これは政府にとっては不都合だ。

さらに続きがある。何と公安調査庁は4月8日にこの部分をHPから削除した。では、なぜ削除したのだろうか。ネオナチが存在することに政府がお墨付きを与えてしまっては、「ウクライナ=100%善、ロシア=100%悪」の構図にヒビが入るからであろう。削除を境にマスコミ報道に「アゾフ大隊」なる言葉が、準軍事組織、内務省系の軍隊などの枕詞が付けられて使われ始めたと思う。マスコミが「アゾフ大隊」の存在を報道して、その性格付けを説明しても、政府は特にいずくなくなったからだろう。

米国にとってはウクライナ人の命はロシアを衰退させるためには使い捨てなのか。ブリンケン国務長官とオースティン国防長官がゼレンスキーに「武器と金は用意するからお前たちはもっと戦え!」と火に油を注ぐために訪問。

現在、そのアゾフ大隊は東部マリウポリのアゾフスタリ製鉄所に籠城しロシア軍から兵糧攻めを強いられているが、彼らひとりひとりも命を持った人間である。

理由はあとから考えよう。とりあえず即時停戦。これ以上、死者を増やすな!

 

 

 

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ボリス・ヴィアン 「脱走兵」 ロシアのウクライナ侵攻 その2 国家総動員法

2022-04-15 13:51:49 | Weblog

新学期が始まった。近所の小学校に通う児童たち、毎日ランドセルを背負って黙々と登校する。なぜか下校時は歓声を上げている。一人ひとりのランドセルの色がカラフルだ。学校から出てくる子どもたちを見ると、ピンク、ラベンダー、キャメル、ネイビー、グレー、ベージュ、パープル、クリーム・・みんなと同じではない好きな色を選んだのだろう。黒と赤の時代とは隔世の感がある。

 

「脱走兵」(ボリス・ヴィアン) ロシアのウクライナ侵攻 その2 国家総動員法 

フランスの詩人ボリス・ヴィアンの詩を引用する。

「脱走兵」

大統領閣下

お手紙を差し上げます

お時間があれば

たぶん読んでいただけるでしょう

水曜日の夜までに

出征しろという

私宛の召集令状を

受け取ったばかりです

大統領閣下

私はやりたくはありません

哀れな人々を殺すために

私は生まれて来たのではありません

あなたを怒らせるつもりはありませんが

私は覚悟を決めました

私は脱走します

 

血を捧げなければならないのなら

あなたの血を捧げなさい

あなたはよき神徒です

大統領閣下

もしもあなたが私に追っ手をかけるなら

憲兵たちに伝えてください

私は武器を持っていない

発砲してもかまわないと

「殺すな! ウクライナ侵攻から導き出された言葉」(金平茂紀 『世界』2022年5月号)から引用

ウクライナとロシア、2人の大統領がいる。2つの国には大統領と国民がいる。はたして大統領と国民は全く同じ気持ちで戦っているのだろうか。両国ともに政府と違う考え方を持っている国民はどうしているのか。「やりたくない」という自由は確保されているのか。

欧米発の情報だが、ロシア国内の情況が少しだけ伝わってくる。政府に異論を唱える者たちが厳しく弾圧されている。だがそれに抗する市民たちも健在のようだ。ロシアを擁護するつもりは全くないが、一方のウクライナはどうなのだろうか。ロシアのこの間の非道な軍事侵攻に対して一般国民も火炎瓶の作り方の指導を受け、武器を取って国のために戦っていると伝わる。あえて言う。ゼレンスキーは国家総動員法を発令して成年男子の出国を禁じ、銃を持ち抵抗することを義務化した。そこに「やりたくない」という自由は確保されているのか。全員自発的に戦っているのだろうか。

敵側からプロの兵士と素人の国民との区別を見えなくすること(国民皆兵)は、無差別の殺戮による国民の犠牲を増やす。他国から侵略された際に住民と軍人を明確に分けることは為政者の使命だと考える。ゼレンスキーのやり方は一見美しく感じてしまうが国民の犠牲を増やしてしまう。

ひとりひとりの考え方が違っていてもいいという自由も、戦争はそんなことを一気に吹き飛ばす力を持っている。僕はそこが怖い。マスコミは欧米からの画一的な情報しか発しなくなっている。国会も野党の政権へすり寄りで翼賛化している。この国の気分は既に戦時に投入してしまっている。

危機に瀕すると、おまえは祖国のために、家族を守るためになぜ戦わないのかと問われるのだろう。しかし、この国は戦争をすることが決して祖国のためにも家族のためにもならなかったことを先の大戦で心の底から学んだはずだ。「やりたくない」という言える社会を守らなければならない。

理由はあとから考えよう。とりあえず即時停戦。これ以上、死者を増やすな!

 

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エマニュエル・トッド 「日本核武装のすすめ」(『文芸春秋』5月号』)ロシアのウクライナ侵攻 その1 

2022-04-11 15:07:38 | Weblog

BIGBOSSの言葉から立憲民主党が学ぶ。「優勝(政権)なんか一切目指しません。高い目標持ちすぎると選手(政治家)はうまくいかないと思ってるんですよ。1日1日、地味な練習(政治活動)をしてシーズンを迎えて、なにげない1日を過ごして勝ちました。勝った勝った勝った…それで9月(数年先)あたりに優勝(政権)争いしてたら、さあ、優勝(政権)目指そうと。気合の入り方が違う。そういうチーム(立憲民主党)にしていきたい。」

 

「日本核武装のすすめ」(エマニュエル・トッド著 『文芸春秋』2022年5月号掲載) ロシアのウクライナ侵攻 その1 

ロシアがウクライナへ侵攻を始めてから1カ月あまりが経つ。ウクライナ国民の犠牲が日を重ねるごとに増えているというニュースに心が痛む。支援募金に応じたひとが言っていた。「今、自分にできることは何か?」と。僕も僕にできることは何だろうかと自問している。

毎日の報道に接していると、上手く言葉にできない何かしらのモヤモヤ感を持ってしまう。そして僕のへそ曲がり、天の邪鬼体質がもたげてくる。これまでも、アジア、中東、アフリカなどで多くの市民の命が失われてきたが、避難民支援や募金活動などにおいてウクライナの人を特別扱いしていないだろうか。国家総動員法によって成人男子は出国が禁じられて武器をもって徹底抗戦することを義務化したゼレンスキー大統領のやり方は本当に正しいのか。マスコミには笹川財団や防衛省所属の研究者が登場して戦況を中心に解説しているが、それって客観性を持っているのか。国会議員が揃ってスタンディングオベーションする光景。これらを一言でまとめると、言説の翼賛化だ。

そんな僕の愚痴に友人が「いいよ」と紹介してくれたのが、『文芸春秋』5月号に掲載されたエマニュエル・トッドの「日本核武装のすすめ」という論文だ。トッド氏は70年代に当時のソ連の崩壊を予測したフランスの著名な歴史人口学者である。

タイトルの意味は、ウクライナを見ればわかるように、いざという時に米国は日本を守ってはくれない。なので日本は核武装して対米従属を脱し、アジアの中で自立しなければならないというものである。論文の内容については、ウクライナ情勢を把握するうえではとても刺激的だ。「ウクライナ=100%善、ロシア=100%悪」といった図式的な捉えとは全く違う。この侵攻の責任は米国、NATOにもある。プーチンがいうようにウクライナ国内にネオナチ勢力が存在しロシア人を迫害したことは事実だ。米国はウクライナ人を“人間の盾”にしてロシアと戦っているなどとマスコミで流布されている情報とはかなり違う。

詳しくは、『文芸春秋』今月号を読んでほしいのですが、『文芸春秋』という僕からみると偏りのない常識的な国民が購読している大衆誌(僕は初めて買ったのかも知れない)にこのような論考が載ったことの意味は大きい。今後、マスコミの論調もかなり変わってくると予想する。

はじめに戻り、僕にできることは何だろうかと再び問う。それは、デモや募金ではない。発信される限られた情報の中で眼前に起きていることは一体どういうことなのだろうかと考えることだと思う。もし、今僕らがロシア国民あるいはウクライナ国民だったら、統制された情報の中で何を信じて、どのように判断して行動するのだろうかを自分自身の事として考えることだ。このような事態は、この国でも起きるかも知れない、いや気付かぬうちに既に起きているかも知れない。

 

コメント (2)
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