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晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

「走ることについて語るときに僕の語ること」

2007-11-25 19:51:07 | Weblog
 「走ることについて語るときに僕の語ること」(村上春樹著 文藝春秋社 2007年刊)

 昨日購入した何冊かの本の中の1冊、昨日から「走った後に読もう」と決めていた。本日、午前中はラン、そして午後から一気に読破、読書も忍耐力を要する長距離レースなのだ。

 村上春樹は、今まで全く興味のない作家、すごく支持されている作家だということは知っているが、接点が無かった。そもそも、私はストーリーというものに対して、感情移入が苦手なので、小説との接点がほとんど無い。

 書棚の題名に牽かれた。でも、有名作家のホノルル挑戦記位だろうと舐めていた。

 しかし、村上のマラソンは本気だった。さすが、プロの小説家である、素人ランナーがマラソンについて、どこかで感じたり、仲間と語り合ったりしたことを、本当に的確な言葉で表現している。

 それは、彼が、文章を書くときの集中力、忍耐力を鍛えているからだということが、本書からわかった。さらに、そのために、彼が走っているということも。

 この感動は、同じ走っているものにしか伝わらないのであろうか、否、おそらく、走らない人にも元気を与えてくれると思う。人生を収縮したような山あり谷ありの走る記録であるが、そこから元気がもらえると思う。

 多くの人に読んでもらいたいなどと思っているが、あなたになんか言われなくても、村上春樹の本は売れるとの声が聞こえてくる。私が言いたいのは、今まで村上の著作に親しんでいない方にも読んでほしいと思うということだ。

 

 
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『写真で読む 僕の見た「大日本帝国」』

2007-11-24 19:40:54 | Weblog
 『写真で読む 僕の見た「大日本帝国」』(西牟田靖著 情報センター出版局 2006年刊)

 サハリン、台湾、中国東北部、韓国・北朝鮮、ミクロネシアと表現するより、サハリンを樺太、中国東北部を満州、ミクロネシアを南洋の方が、第2次世界大戦以前に大日本帝国が統治した地域名を良く言い表しているだろう。

 実際、私達の親より上の世代には、敗戦後この地域から引き揚げて来たという人も多く、私達の身近にもたくさんいる。

 1970年生まれの筆者は、ベトナム戦争すら知らない世代であるが、4年もかけて上記の地域をバイクで踏査し、「大日本帝国」が残したものを写真に納めた。特に建物、神社などが、そのまま野ざらしになっていたり、他の用途に使われていたり、侵略の歴史を残すための記念館になっていたりしている。

 それらを対象にした写真の解説は、植民地化を正当化しているわけでもなく、逆に侵略を告発しているわけでもなく、歴史を客観的に淡々と解説している。そこが、この本の物足りなさでもある。

 しかし、写真という映像からは、この地域で、この国が何をやったのかがリアルに透けて見えてしまう。いかなる理由があったにせよ、他人の土地に土足で踏み込んで、支配をすることに道理はない。

 しかし、60年も経過すると、様々なことを言い出す輩もいる。困ったものだ。

このあたりは、BOOK MARKにあるRetriever Legend's blogが、曽野綾子をぶった切っていますので、ご一読を。



 北海道日本ハムファイターズの2年連続パリーグ優勝を祝うパレードを4丁目で観る。ダルビッシュ、稲葉がオリンピック予選で不在、小笠原も金の力でジャイアンツに行ってしまった。昨年は新庄が引っ張っていた。ナンだか、寂しいパレードの印象。

 顔が良いだけで監督になった梨田さん、きっと人の良い野球をすると思います。以上、千葉ロッテマリーンズファンからの精一杯の皮肉を込めたエールです。



 
 

 
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空想的独立論 情況論ノート第18回

2007-11-23 19:21:01 | Weblog
 この冬初めての積雪、風景の中に雪があるか、無いかで季節感が全く違う。今朝から一気に冬に突入したような感じ。



 写真は、以下の文脈に最もふさわしくない、言行不一致、飽食の象徴である。



 「沖縄住民のアイデンティティ調査」(琉球大学調査チーム2005.11)では、25%が沖縄独立を要望している。
 沖縄知事選(2006.11.19)琉球独立党屋良朝助氏が6,220票を獲得、自公推薦候補347,303票、全野党共闘推薦候補309,985票であった。

○何からの独立か。
 ①米軍基地、②日米安保体制、③日本国憲法よりも安保体制を優先させる法律や制度、④日本政府による琉球弧差別の法律や政策、⑤天皇制

 ⑥金融独占資本の価値観、⑦拝金主義の価値観、⑧女性、「障害者」、、アイヌ民族、在日朝鮮人、琉球民族などへの差別主義、⑨日本の15年侵略戦争への無謝罪・無反省によるアジア人への敵対・差別政策、⑩企業、政党、労働組合などの系列化、中央集権性、指示、指令

○何故、何のために独立するか。
 ①琉球民族の「民族自決権」の行使、
 ②真の自治・自立を獲得、③伝統文化、信仰、芸能、生活の知恵などを守り、継承し、創造する、

○最大の問題は、経済的な自立・独立
 ①どんな生活を望むのか、豊かな生活とは何か。まず、持続的発展の保証される経済生活を目指す、自然環境保護と合致した「地産地消」の経済活動を重視する、大量生産・大量消費・使い捨て型の生活を克服する必要がある。

 ②日本政府のODA型援助金制度を拒否、変革する。今まで投資された金は、日本本土の銀行、商社、建設業、航空会社、観光資本に逆流している。

 ③琉球独立時には、琉球弧住民を米軍に売り渡し経済的・物理的・精神的損害を与えた日本政府に「賠償金」を要求する。その賠償金を独立後の「経済生活資金」にして、産業開発、人材育成に使う。



 最後は日本政府からの賠償金に依存するという結末は、いかにも空想的、そこの詰ができなければ、実現の可能性は無い。

 しかし、この北海道では独立論が聞かれず、なぜ沖縄で一定の勢力を持っているのだろうか。第2次大戦で、日本で唯一地上戦が戦われたのは、沖縄だけというところから来る住民感情の違いからか。元々の民族の違い、本州資本による収奪構造の違いからか。

 未だに北海道の政治家の役割が、田中角栄のようにいかにして公共事業を引っ張るかという北海道の中央依存体質も大いに問題である。



「琉球独立運動の目標と展望」 高良 勉を参考にした。
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不自由な顔をして自由を語るな 情況論ノート第17回

2007-11-22 20:21:36 | Weblog
 夜の営業が続き、風邪をひきながらも何とか持ちこたえた。明日からの3日間は、営業なし。早く風邪を治して、スッキリ走りたいと思う。

 この国が、元気だった頃のポスター。なぜ、よそのお宅の中まで土足で入っていったのでしょうか。

情況論ノート第17回 

 ①「テロとの戦い」から「市民的自由との戦い」の監視体制の視座
 9.11以降、米国においては「テロとの戦い」と同時に、テロリストという顔の見えない脅威を媒介にした「市民的自由との戦い」が展開されている。
すなわち、「テロの脅威」に対して、市民的自由を制限する政策が採択された。(米国愛国者法)
 これは、自由は秩序が守られている状態でこそ享受できるのであるから、秩序維持のためには、多少の自由の制限は止むを得ない、つまり自由を守るために自由を制限するという論理に基づくものである。

 ②「怖れ」から「不安」へのセキュリティの位相転換
 偏在する脅威という言説をばら撒くことによって、自由の宙吊りを可能にする地平が構成されている。
 怖れとは、雪崩や失業など明確な原因を持った脅威であり、対して不安とは確たる原因を持たない漠然とした脅威である。怖れと不安は完全に重なり合っている。
拡散した脅威(テロ、犯罪、感染症、経済危機など)に対してのセキュリティは、安全を獲得したと同時に別の不安全に悩まされる。安全を求めれば求めるほど不安全になっていく、セキュリティを追求する行為そのものがまさにセキュリティを脅かすというセキュリティ・パラドックスが、市民生活を席巻している。

 ③「グローバル・ガヴァナンス」から「グローバル・サーヴェイランス」への統治技術の変容
 テロリストを病原菌、ウィルスに例え、観察(オブザーブ)でも監視(モニター)ではなく、根絶やし、駆逐するという意味を持つサーヴェイランスを用いる政治的意図が見える。



 この国でも、子どもに対する犯罪が報道され、子どもの安全対策が叫ばれている。子どもにGPSを付けて、いつでも居所がわかるようにする。小学生の登下校の安全ため、地域の市民が街角で見守る運動を展開する。

 犯罪防止のため、繁華街には監視カメラを設置する。既に、主要な国道には通行記録がデータ化されるNーシステムが配備されている。

 「安全」と引き換えに「自由」が売り渡されていく。

 反対に、究極の自由社会は、自分の身は自分で守る銃社会。

 私達は、逆説社会で生きている。



「グローバル・ガヴァナンス」(統治)から「グローバル・サーヴェイランス」(監視)へ~米国愛国者法における“自由”の再配置 大賀 哲 を参考にした。
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コンサドーレ札幌 智将 三浦俊也

2007-11-18 20:25:50 | Weblog
 久々のコンサ観戦、良く入りました32,599人、今シーズン最高。今日勝てば、6シーズン振りのJ1昇格という大一番。吹雪が予想されていましたが、多少寒かったが天気も持ち、ドームへの人の列。

 応援席には、ONEHEARTの文字、心をひとつにJ1へ!

 試合結果は、同じく今が正念場の京都FCサンガと引き分け、昇格決定は持ち越しとなりましたが、今日の試合にも今季のコンサの戦いぶりが現れていました。

 J1のレギュラークラスがほとんどいなく、外国人選手も飛びぬけた能力のある選手はいない中、若手を育成しながら、この戦力で良くここまで首位を保ってきています。従って、この試合でも、最後にメンタルの弱さが出てしまいましたが、私は悔しいが止むを得ないと思っています。

 ここまでの結果を残してきたには、三浦監督のすぐれた指導のおかげでしょう。昨年までの柳下監督のアクションサッカーは、攻撃重視で、守備はザル、3年間で最下位からリーグ中位の成績しか残せませんでした。

 三浦監督は、現在のJリーグでは異色の経歴で、選手としての実績は全く無く、ドイツで監督業を学び、全く無名の状況から苦労しながら実績を積み上げてきている方です。彼自身も、自分の今後は今の結果が全てという崖っぷち状態で指揮を執っているのだろうと思います。

 今シーズンも、初めから昇格ラインは勝ち点90と明言し、その目標に今一歩というところまできています。選手の起用や戦術も確率的に高い方を選択するという合理的で根拠を持った闘い方をしています。

 一見クールなコメントも聞かれますが、選手がこれだけ動くのは、メンタル面でも信頼されるものを持っている方なのでしょう。

 こういう方は、きっと会社においても、部下に信頼され、そして巧く使い、また組織を効率よく動かし、確実な実績をあげるのでしょう。

 長かったシーズンも12月1日の残り1試合となったが、昇格に向かって最後まで全力で戦ってもらいたい。



 


 
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国立新美術館 (旅6)

2007-11-17 19:46:15 | Weblog
 明日は吹雪ではないかというのに、まだ時々2週間前の旅の余韻に浸っています。



 新橋から都営地下鉄浅草線で大門まで、大江戸線に乗り換え、六本木。東京ミッドタウンの中に、国立新美術館があります。

 旧防衛庁の土地が再利用され、美術館の設計は、先日亡くなった黒川紀章氏です。よくこんな大きな美術館を建てたものだと驚きました。建設費はいくら位かかったのだろうかなど心配もしましたが、先日名古屋空港で離陸に失敗して炎上した自衛隊の練習機が1機120億円と聞いて、そんなのに金をつぎ込む位なら、文化にもっともっとお金を投じてもいいと思いました。

 この感想は、小学校の頃、先生が、自衛隊の戦闘機1機で、学校が何校も建てれるのだよ教えてくれた影響なのでしょう。戦後民主主義教育、平和教育の影響が私の一部を形成しています。



 美術館の開館記念として、「アムステルダム国立美術館所蔵 フェルメール《牛乳を注ぐ女》とオランダ風俗画展」が開催されていました。

 しかし、展示の中で有名どころは、この1作だけ。あとは、同時代の生活の情景を描いた無名の作品が多数。この1作をX線を使って下書きの線が変わったとか、遠近法が取り入れられているとか分析していましたが、引っ張るだけ引っ張ったという感じ。星 ☆個でした。

 同時開催は、2年前に上野で観た「日展」で、美術館の8割以上のスペースはそちらに使っていました。日展の方は、あまり時間が無かったのと、作品数が膨大で、それぞれの作品には作者の「魂!」が込められているので、観る者に対して作品から放たれるエネルギーが強烈で、前回は疲れ果ててしまった苦い記憶があるためです。

 絵画や彫刻の放つエネルギーは中々強烈なものです。
 


 
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変わるか、北朝鮮政策

2007-11-15 20:10:40 | Weblog
 昨日、久しぶりにお姿を拝見しました。安倍様、お元気でしたでしょうか。



 思えば、益々大きな声の出なくなってしまった安倍前首相と米国の意向が合わなくなったのはいつ頃からなのであろうか。

 今年の1月頃、従軍慰安婦問題が下院に提出され、6月に決議されたが、その間、ワシントンポストなどの米国のメディアは安倍の北朝鮮政策と慰安婦問題を批判するようになっていた。このあたりで、政治の潮目は変わっていたのである。

 そして、この国も米国の意向を受けて連動するようにマスコミ挙げて反安倍キャンペーンが繰り広げられ、参議選の大敗北。9月のAPECでブッシュと最後にあった直後に安倍が政権を投げ出した。そのタイミングが問題である。この国の首相であるためには、あくまで米国から覚えめでたいことが必要なのである。おそらく、安倍は、その時ブッシュから三行半をつきつけられたのであろう。健康問題は、元々の持病であるから決定的な理由ではないのではないか。



 このことから、今回の小沢の大連立への慌てふためきぶりを推測すると、テロ支援に抵抗する小沢に米国からスキャンダルか、何らかの恫喝が加えられたためではないだろうか。当然、この結果に米国は小沢NOのサインを送ってくるであろう。衆議院選に向かい、小沢民主党にはネガティブなキャンペーンが予想される。



 さて、今のところ慎重な発言をしている福田総理だが、北朝鮮政策に変更はあるのだろうか。
①国交正常化の前に拉致を解決せよ、にあくまでこだわるのであろうか。②拉致被害者全員生存という前提に立つのであろうか。③水害などの人道支援を行なうのであろうか。④制裁措置を継続するのであろうか。⑤テロ支援国家指定解除など米国の変化を感じているのだろうか。

 福田は、安倍の取ってきた対北朝鮮強硬方針を一つ一つ検証し見直さなければならない。



 本格的な雪の季節が来たようです。週末だけの運動では、体重が増えてきそうなので週半ばに最低1度は運動することにしました。営業終了後、体育館で軽いランニングとウェイトトレーニング。

 足、腕の筋力は春よりもあるようだが、腹筋、背筋が随分弱くなっていることに気付く。明日は、筋肉痛かな。
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表参道、原宿は (旅5)

2007-11-13 20:18:45 | Weblog
 地下鉄東西線神楽坂から九段下で半蔵門線に乗り換え、表参道まで行く。表参道ヒルズへ、スロープの斜面を歩きながら、お店を見て歩くが、私にとって特に寄ってみたくなるようなところは無い。

 お客さんのほとんどは、私と同じただの見物客、店の中にはあまり人がいない。お客さんの手にも買い物をしたような袋はない。

 おそらく、ヒルズの店だけではペイしていないのだろう。ヒルズに出店しているというステイタスだけのためなのだろうか。



 JR原宿駅まで歩く。暗くなった代々木公園沿いの歩道の、あちらこちらで路上ライブが。その中で、最後まで演奏していたのが、「SWEET]、ボーカルの女の子とギターの男の子の2人組み、プラスマネージャーらしき男の子。

 「北海道 SWEET」とのプラカードに魅かれ、しばし「OH!BABY]という元気いっぱいの曲を聞く。「札幌からきたの?」「釧路からです」「えっ!おじさん釧路出身だよ」「そうなんですか」「がんばってよ!」てな会話。後で、カンパしてあげれば良かった、失敗。



 学生時代、1970年代の表参道、原宿といえば、何か若者達から新しいエネルギーが沸き起こるようなイメージを放っていた。それが、竹の子族あたりからだろうか、ガキの街になってしまった。そして、今はブランド店が並ぶ、上辺だけのとっつきにくい商業主義の街になってしまったようだ。



 

 

 

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神楽坂 (旅4)

2007-11-11 19:54:13 | Weblog
 本日は午前中の営業の後、コンサの試合をテレビ観戦。しかし、残念ながら負けてしまう。あと一歩でJ1昇格なのだが、そんなに力のあるチームでないため、どうなるかは未だわからない。夕方、インターバルを中心に練習。直後に雨が降ってくる。夜になって早くも筋肉痛!



 新宿から、JR中央線で飯田橋まで、途中市ヶ谷の外堀はいつもの釣堀の風景が見られる。飯田橋の手前、堀に面して、欧米風の水辺のカフェに人がうようよ、きっと『拝啓、父上様』に出ていた所に違いない。

 飯田橋で、下車。目指すは、神楽坂。人、人、人、メインの通りも、路地の隅々までも人が入り込んでいる。そういう私も、テレビの影響でちょっと行ってみるか組の一人である。

 通りから中に入ると、料亭風の建物もあるが、老舗に混じってこの群集を当て込んだ、新規参入のお店もいっぱい。二宮君のお参りしていた善国寺神楽坂毘沙門天も人だかり。

 10年ほど前、新宿から大井競馬場までの東京シティハーフマラソンで、市ヶ谷から飯田橋、後楽園までの外堀沿いを走ってことがあるが、当時の「神楽坂」は、今ほど注目もされていなかったと思う。これもテレビドラマの影響なのでしょう。



 この国の端っこで生まれ育った私にとって、今でも東京は何か常に魅力を放つ都会だ。話題になったところ、新しい建物には、一度行って見たくなる。あそこなら行った事があるというだけでいいのだ。典型的な田舎者であり、おのぼりさんを自称している。

 北海道の小さく狭い、濃密な世界を忘れ、東京の雑踏の中を、ただ歩くだけでいい。東京でしか見れないものが今でもたくさんあり、自分への刺激が心地よい。




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『ALWAYS 続・3丁目の夕日』

2007-11-10 19:28:59 | Weblog
 午前中の営業終了後、JRタワー・シネマフロンティアで『ALWAYS 続・3丁目の夕日』(監督 山崎 貴 東宝 2007年作品)を観る。この映画のターゲットである団塊の世代を中心にほぼ満員。



 2年前の大ヒット作品の続編で時代は前作の1年後の昭和34年、ほぼ登場人物の個性が定まった感があるが、2時間半の中に、人間模様のドラマの様々なモチーフが織り込まれている。

 その中で、貫かれているのは、「お金より大事なものがあるはずだ。」、高度経済成長とともに、物質的にも豊かになり、現在はそれがグローバリゼーションという名の世界的な拝金主義の時代になっているが、その間、この国で私達が亡くしてしまった大事なものがあるのでは、という問いである。



 当時は、子どもも家事の一翼を担ったり、隣近所が助け合ったりと家族や地域の共同体が存在していた。また、埴谷雄高もそうだが、お金になるわけでもないのみ、ただただ考え抜くことの価値も今よりも何かもっと認められていたような気がする。



 顧客満足度、業務効率性、コストパフォーマンス・・・全て数値化しなければ何事も把握できないとする現在へのアンチテーゼを示している。

 前作同様、小雪さんが良かった。そしてこの作品を、松竹の「寅さん」のようにシリーズ化してほしいと思う。



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鉄道博物館 (旅3)

2007-11-09 19:54:11 | Weblog
 新橋から大宮までJR京浜東北線を利用、しかし、上野でJR宇都宮線(東北本線)に乗り換えた方が早かったかも知れない。帰路は、大宮から新宿までJR湘南新宿ライナーで、停車駅も少なく時間がかからなかった。

 ちなみに前日は、横浜から新橋までJR東海道線を利用、これも停車駅が少なく快適。

 大宮からは、埼玉新都心交通ニューシャトルで一駅、鉄道博物館駅へ。

 関東エリアの交通に詳しくないため、大いなるロスをした可能性がある。どなたか、ベストな方法をアドバイスいただければ幸い。



 先月開館したばかりの鉄道博物館には、全国から鉄道ファンが集まったのだろう、入場まで約30分待ちの状態。

 博物館の中は、現物の鉄道車両や、資料が展示されていて、レストランは日本食堂。中でも、古い客車は、木製の硬そうな椅子や窓枠で、そうだ、そうだ、こんな汽車に乗っていたなあと懐かしい気持ちにさせる。

 北海道関係では、手宮・札幌間を走った弁慶号や開拓史が使っていた客車があり、さる高貴なご一家が利用した御料車もガラス展示室の中で公開されていた。

 お客さんは、圧倒的に男の子を連れた家族連れが多く、また鉄ちゃん(鉄道オタク)も大集合していた。年輩の鉄ちゃんと若いその弟子といった組み合わせもあり、神妙な表情で先輩の説明を聞いていた。

 そこで鉄ちゃんが口々にしていた「万世橋駅」という言葉がどうも鉄ちゃんたちにとって何か因縁があるらしく、それが何なのだろうかということが宿題として残っている。

 鉄道、航空機、自動車など動くものには、私達を現在地から目的地まで運んでくれるような何かしら外に向かうエネルギーを感じる。
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県立神奈川近代文学館 (旅2)

2007-11-08 20:22:52 | Weblog
 町田からはJR横浜線で横浜まで、そして、地下鉄みなとみらい線で元町・中華街駅まで行き、港の見える丘公園にある「県立神奈川近代文学館」に立ち寄った。



 ここでは「無限大の宇宙―埴谷雄高『死霊』展」が開催されており、埴谷雄高が一生をかけて考え抜いて書き上げた「死霊」にまつわる草稿や初出された雑誌「近代文学」「群像」、文壇仲間との交友を写した写真などが展示されていた。

 特に、1976年に「死霊」を20数年ぶりに刊行したくだりは、丁度私の学生時代にあたり、全国4都市で行なわれた刊行記念講演会を聞きに行った記憶が蘇った。当時、その札幌での講演会の講師は、吉本隆明、秋山駿、小川国夫だったと記憶している。
 
 この講演会の模様は、『精神のリレー』として河出書房新社から刊行されていたことがわかったので、早速古本屋サイトから注文をした。

 また、革共同両派への内ゲバ停止宣言も同時代の記憶としてある。

 埴谷の作品は難解で私には全く理解できないが、究極の観念論としてはこれ以上のものは後にも先にも出現しないのではないだろうか。これを文学の頂点と呼ぶか、大いなる無とするか。  

 閉館までの時間が1時間程しかなく、駆け足であったが、ところどころ見入ってしまう所があり、ゆっくり見たいという思いが残った。

 
 
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町田市立国際版画美術館 (旅1)

2007-11-07 20:41:06 | Weblog
 週末に思いつきで関東方面に行きました。全く計画無しのウロウロ旅行です。



 町田市立国際版画美術館は、夏に澁澤龍彦展でここの所蔵品が多く出品されていたので、立ち寄りました。

 一自治体が随分と立派な美術館を持ち、たくさんの(19,000点)コレクションを集めたことに驚きました。あえて言えば、絵画より版画の方が量産されるため、比較的安価なためでしょう。

 
 1987年に開館し20周年を迎えた同美術館では、「木版画東西対決~仏教版画から現代まで~」という企画展が行なわれていました。中世のキリスト教を題材とする版画から、ムンク、マチス、ピカソときて、現代のマン・レイに到ると段々と抽象度が上がって私には良くわからなくなってしまいました。


 知らない街を歩き、初めて入る建物の中で、数百年も昔に製作された作品を観ているその時間は、日常を忘れ、日頃使っていない感覚で、作品から自分なりに何かを感じようとする、不思議な時間でした。

 



 
 
 
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世界最終戦争 情況論ノート第16回

2007-11-02 20:16:23 | Weblog
 ついに冬の到来です。午前10時50分、札幌で初雪が降りました。



 情況論ノート第16回

 アメリカには、ハルマゲドン=世界最終戦争が実際に行なわれると本気で信じているキリスト教原理主義者(キリスト教右派)と呼ばれる人々が相当数いる。

 彼らの終末思想は前千年王国説の形をとっている。それは、千年王国の前にキリストが再臨し、キリスト自らが千年王国を打ち立てるというものである。   
 
 それに対して、後千年王国説は、教会や信仰者の努力によって、千年王国が打ち立てられ、その後にキリストが再臨するという考え方で社会改善など自助努力への積極的姿勢がある。

 キリスト教原理主義者の前千年王国説は、厭世的終末思想として、世紀末的危機が深まった方が救世主到来は早まる訳だから危機回避よりも危機を深めることが求められ、アンチキリストとの最終戦争の到来を待ち望むものである。

 アメリカ社会において、南部バプティスト連盟を中心とするキリスト教原理主義者の勢いが、共和党(ブッシュ大統領)に深く浸透している。



 9.11以降、ブッシュが指揮するテロとの戦争の背景には、このようなキリスト教原理主義者の狂信的・宗教的な背景が存在する。また、米国が、イスラム原理主義者による自爆テロを批判するが、自らも宗教的な暴力性を有していることがわかる。これは他人事ではなく、この国においても、某宗教政党が政治の深部に食い込み影響力を行使している現実がある。

 
 「アメリカニズムと終末思想・最終戦争論」土佐弘之による



 ニュース速報で、福田首相が小沢民主党代表に連立政権を打診と報じられました。
 これは、「大政翼賛」の始まりです。もし小沢が乗るとしたら、参議選の民意への裏切りであるとともに、政界再編の始まりです。所詮、民主はこの程度のものです。

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『満州事変から日中戦争へ』

2007-11-01 20:10:56 | Weblog
 『満州事変から日中戦争へ シリーズ日本近現代史⑤』(加藤陽子著 岩波新書 2007年刊)

 ここまでの日本近現代史シリーズの保っていた質がこの巻で壊れた。一巻づつ著者が違うユニークな編集であるが、全体の流れとしては、それぞれ簡潔な表現で、新書の読者を意識した一定の水準が続いていたのに、残念ながら本書で途絶えた。

 日本近代史の中で、一番興味深い時期なのに、本書を読み通すことに、疲れを感じた。細部にわたる緻密な書き込みはあるが、なぜ満州なのか、日中戦争の泥沼に向かってしまったのか、端的な説明がほしかった。

 この国の現在の情況を考える上でも、この時期から学ばねばならないことが多いはずなのに、こう難しくては、得ることができない。

 このシリーズが、完結した時、この一巻が痛恨の一巻になるのではないか。著者のみならず、編者が出版にゴーサインを出したことに抗議したい。版を改め出版してほしい。



 

 

 
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