晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

石堂清倫

2009-05-17 20:26:42 | Weblog
 

 午前中にひとっ走りして良かったです。予報どおり雨になりました。昨日も午前中走りましたが、途中に会社からの呼び出しがありました。私にとってケータイは利便より束縛の方が大きいです。

 屋根を叩く雨音が好きです。もう少し暗くなった方がいいです。部屋でひとりというのが一番です。

 テレビは、流感のニュース一色になりました。テポドン騒動をはじめ、危機管理が蔓延しています。

 それもそうだけど、民主党さんへ!「街角に立てている小沢の野立て看板はいつになったら片付けるの?」後始末もできないような党が政権を取れるはずないだろ。今にも泣きそうな鳩山の顔は出せないのかな?



 『図書新聞インタビュー 語りの記憶・書物の精神史』(米田綱路編著 2000年 社会評論社刊)

 特に体系的に本を読んでいるわけではないので、時々なぜこんな本を買ったかな?と思うような本が出てくることがある。それも、途中で挫折したり、面白くなく放棄したりという記憶も無く。

 『語りの記憶・書物の精神史』は、2000年の発行なので10年ほど前の本だ。最近、編著者の図書新聞編集長(当時)米田綱路氏の名前を見かけるが、1969年生まれの若い編集者だ。

 石堂清倫(1904~2001)への『二〇世紀を生きる 終わりゆく世紀の証言』と題したインタビューが掲載されている。

 スターリン主義研究者として著名な石堂氏の講演は、1983年位だったと思うが道労文協の講座で聞いた記憶がある。『わが異端の昭和史』(勁草書房1986年刊)、『続わが異端の昭和史』(勁草書房1990年刊)『二〇世紀の意味』(平凡社2001年刊)は、興味深く読んだが、ソ連の内部から発せられた石堂氏の訳書『共産主義とは何か』(メドヴェージェフ著 三一書房 1973,4年刊)などは不勉強で読んでいない。

 石堂氏はこのインタビューの翌年に亡くなっているが、氏はこの国の将来にとって克服しなければならない課題を語り遺している。

 ひとつは、戦前の軍部による満州侵略論に対して左翼も自由主義者も有力な反論をしなかった事実から、日本人には非常に古くから排外主義の精神がある。

 中国では、直接行動により、辛亥革命、孫文らの国民革命、毛沢東らの新民主主義革命を実践したが、日本の社会主義者の「理論」と「実践」には距離があり過ぎた。日本の現実から出発すべきであるのに、日本にとって他者であるコミンテルンの判断に基づいて運動を開始した。コミンテルン権威主義と排外主義は裏と表の関係にある。

 勝海舟の言ったアジアにおける小国自主自立の主体の結合体は実現されず、日本は征服者になろうとして失敗した。そのことが、もっとはっきりした形で反省されるべきだ。支配と従属を伴わない共生アジアの一員として、受け入れる条件をひとつひとつ作り上げていかなければならない。

 大変重い課題と思います。歴史的な反省は、現在を問います。その歴史も中性から繰り返し繰り返し日本人の中に染み付いていることであるとすると、そう簡単なことではない。また、左翼的な思想からはスターリン主義の汚点を消すこともできない。


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