晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

『テレビに映らない世界を知る方法』 その2

2013-05-30 21:20:36 | Weblog

 テレビを批判することはいくらでもできる。しかし、そのテレビを視ない生活は私にはありえない。テレビというものには魔性が棲む。

 

 『テレビに映らない世界を知る方法』(太田昌国著 現代書館 2013年刊) その2                       

 裁判員裁判で死刑判決が出ている。複数の「市民」がひとりの「市民」を死刑に処するという判断を「合法的」に行いうる時代が、私たちの心性の何を、どう変えることになるか。

 国家(=政府)は、人びとの安全な生活を保証してくれる拠り所だという「信仰」が、人びとのなかには、ある。太田氏はこれを疑う。最悪の国家テロとしての戦争を発動し外部社会の他者(=敵)の死を望み、殺人を自国兵士に煽動し命令できること、死刑によって内部社会の「犯罪者」を処刑できることに国家の本質がある。

 国家は、個人や小集団を超越した地点で、なぜ他者に死を強いるこの「権限」を独占できるのか。この秘密を解くことが、国家・社会・個人の相互関係を解明する道だ。(2011.8 P48から要約して引用、以下同じ

 *最近、比較的身近なところで、裁判員として召集がかかった人がいる。「国家の廃絶」の視点から裁判員制度を見ると、制度自体は国家によるものであるが、これまで裁判を行う権限を国家が独占していた体制が崩れてきて、国家が後景に下がり、「万人の万人に対する闘い」が開始されたものと捉えることができる。

 太田氏は、国家を背景にして発言したくは無い、国家なるものは、私自身のアイデンティティを最後まで根拠づけてくれるようなそんざいではない、と言う。たかだか、一世紀半の歴史しかもたない近代国家の枠組にわが身を預けてしまうことの、自他に対する「危うさ」を知った。

 (北方)領土問題は、国権の主張では解決できない種類のものである。近代国家の形成以前から、「無主地」であるそこを生活の現場としていた先住民族の共同管理地域として、領土紛争なき自由地とするしかない。(2010.10 P70)

 *現在の国家間の領土問題は、国家が前面に立っている限り、武力による解決しか方法がない。ここでも、私は太田氏に同じく、脱国家主権の論理により解決が有効と考える。「国家の廃絶」は夢想ではない。

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『テレビに映らない世界を知る方法』 その1

2013-05-28 20:37:01 | Weblog

 テレビはその内在する権力性ゆえ、報道する側、視聴する側にとっては痛快な場面を演出するが、報道される側に立たされた場合、暴力そのものである。これは、私の実感である。

 

 『テレビに映らない世界を知る方法』(太田昌国著 現代書館 2013年刊) その1                     

 同郷の好では無いが、釧路市出身の太田氏の論考にはいつも学ばされる。本書の時代批評からも今まで自分では気付く事の無かった多く事を教えられた。

 普天間基地に関して、鳩山元首相が「最低でも県外」移設を掲げて挫折したが、その原因は「政治力の不足」だけが報道されたが、「辺野古移設を既定路線とする米国側とこの国の外務、防衛両省上層部からの反撃」に見舞われたことにある。(2012.12 P10から要約して引用、以下同じ)

 *私のわずかな経験から言うと、何かを変えるときは、最初の一手が大事であり、そこで妥協すると掛け違えたボタンのようにズルズルと行ってしまう。変える現実的な力が無くても筋を通したことを大衆に明らかにする方が、次の機会に繋がる。これが、私たちが民主党から学んだ革命的敗北主義の意義ではないか。

 被害者である蓮池薫著『拉致と決断』が発刊されたが、拉致問題の本質は、近代国家・日本による近隣諸地域への侵略、戦争、植民地化の過程と、敗戦後の「戦後処理」のあり方に関わっており、それへの総合的な視野なくしては拉致問題などの個別課題を解決する目途も立たないことは自明のこと。(2012.11 P13)

 *先日の飯島内閣官房参与の訪朝に対して、米国が異常な関心を示したことから、この日朝問題に蓋をしているのは米国ではないかと私は疑っている。北朝鮮にはレアメタル資源があることから、日朝関係が改善すると米国がその利権から排除されるというような危惧を持っているからなのだろうか。

 尖閣問題をめぐる日中間の不幸な事態を招いたのは、現東京都知事が去る4月米国で行った「尖閣諸島を東京都が買い取る」とした発言にある。(2012.10 P15)

 *喧嘩を売ったのはどちらの方なの?。しかし、その後買い取った野田首相もアホだと思う。

 オウム真理教による松本サリン事件、地下鉄サリン事件問題の本質は、神奈川県警が坂本弁護士事件の真剣な捜査を怠ったことで、二つのサリン事件での膨大な犠牲者を生み出し、また、宗教的な救済を求めていただけの悩める若い信者たちを許しがたい犯罪に走らせる結果に繋がったことである。

 2012.5.26~27「NHKスペシャル 未解決事件」が明らかにしたことだが、国軍でもない一民間宗教団体がいかにして技術的にサリン製造に至ったのか。米軍の一高官がそれを究明するために、サリン開発に関わった複数の確定死刑囚との面会を東京拘置所で重ねているとのことである。(2012.6 P26)

 *一体全体、この国の権力に正義はあるのか!日共幹部宅盗聴事件で県警を追求していた坂本弁護士の事件は真剣に捜査せず、米国からの要求には簡単に死刑囚の面会制限を緩めるいい加減さに呆れる。SF的に想像すると、皇軍731部隊、ロシア(旧ソ連)とオウムの関係を洗っているのであろうか。

 

 

 

 

 

 

 

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『北海道の稲作とそのルーツ』

2013-05-26 17:05:30 | Weblog

 『北海道の稲作とそのルーツ』

 2013.5.25 「第19回サイエンス・フォーラムinさっぽろーホットな科学の話題をやさしく・深く・おもしろくー」(講師:竹川昌和(北海道立道南農業試験場元場長) 札幌市中央図書館)

 確認したいことがあり、久しぶりに専門家のお話を聞き、本を読むのも楽しいが、たまに講演を聴くのもいいなと感じた。

 北海道における稲作の起源は、元禄5年(1692年)頃渡島国文月村(現北斗市文月)で、安政5年(1858年)琴似村、発寒村で米作りが行われたとの記録がある。それを道央圏に広めたのが、明治6年(1873年)月寒村島松で赤毛種の栽培に成功した中山久蔵であった。その後品種改良が行われ、タコ足式直播機の普及とともに、モミの穂に毛の無い坊主と呼ばれる品種が開発された。

 1892年、道庁の酒匂常明財務部長は、道として始めて稲作奨励策を打ち出した。ちなみに、現在の生産量は64万トン、それを石高にすると426万石!

 さて、稲作の起源は、これまでインドのアッサム地方から中国の雲南地域の一帯とされていたが、1980年代になって中国の長江中・下流域が定説化された。また、この国における稲作の開始もこれまで知られていたより古く、従って弥生時代の開始も歴史を遡る事になるということだ。学校で習った歴史が、新しい事実の発見で随分と変わっているのだなあと思う。

 『農耕社会の成立 シリーズ日本古代史①』(石川日出志著 岩波新書 2010年刊)を参考にした。

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『日本経済はなぜ衰退したのか』

2013-05-22 20:00:10 | Weblog

 近鉄京都駅9:50発ー近鉄特急(ビスタカー)ー10:41着橿原神宮前駅ー10:46発ー近鉄特急吉野行きー10:49飛鳥駅着

 飛鳥時代にタイムスリップ

 

 『日本経済はなぜ衰退したのか 再生への道を探る』(伊藤誠著 平凡社新書 2013年刊)                   

 伊藤誠氏は、絶滅危惧種となって久しいマルクス経済学者である。マル経にあらずんば経済学にあらずと肩で風を切って歩いていた研究者たちはどこへ行ってしまったのか。国際経済、社会経済、環境経済・・マルクスという言葉が差し支えるのであろう、看板を付け替えている。

 本書は、200ページほどの新書であるが、現状を歴史的射程の中で捉える、資本に奉仕するのではなく労働者(生産手段を持たないという意味で広義)の視点で考えるという理論を用いて、やさしい言葉で表現されている。

 さて、アベノミクスの評価であるが、歴史を振り返ると、戦後歴代自民党政権のもとでは、1970年代まではケインズ主義的政策であったが、1980年代以降、特に中曽根、小泉政権では、新自由主義的政策に転換した。伊藤氏は、2009年からの民主党政権では、当初、子ども手当てや高校授業料無償化などケインズ主義、社会民主主義的政策をとったと一定の評価をしている。アベについては、新自由主義を基調としながら、ケインズ主義を便宜的・局部的に利用していると捉えているが、7月の参議院選挙後には、緊縮政策と増税に反転する可能性が大きいと分析している。

 現状分析としては、わかりやすく説得的な論理展開である。しかし、不満が残るのは、新自由主義批判、ケインズ的社会民主主義の選択の次元に留まっている点である。資本主義経済体制に対するオルタナティブ、著者が、具体的に提案するのは、グリーン・リカバリー戦略、ベーシック・インカム構想、地域通貨であり、それぞれの考え方のはもうひとつの道の萌芽が含まれているのだが、今後の展望、現在の逼塞状況に対する打開の道の提起が足りない。

 しかし、本書は、日本経済についての数ある書籍の中でも、コンパクトで理解しやすい良書である。これ一冊で、ものの見方、考え方の再確認ができる。

 

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『この道はいつか来た道』

2013-05-19 09:59:15 | Weblog

 『この道はいつか来た道』(別役実作 加藤直樹演出 劇団北芸さようなら公演 2013.5.18 扇谷記念スタジオ・シアターZOO)                                 

 演出と役者を兼ねる、また私的にもお世話になった加藤さんからご案内をいただき観劇。私の故郷釧路で53年間続いていた劇団の最後の公演を観ることができた。

 登場人物が2人、セットは木製電柱とポリのゴミ箱1個、公演時間1時間というシンプルな舞台なのだが、スルメのように噛めば噛むほど味わいが湧いてくる。最後となる公演で人の最期のありようをちょっとユーモラスに、少し悲しく、誰しもの身に迫るように、でもこんな感じの最期もいいなあと思わせる。

 思えば、私たちの日常も朝起きてから、身近な人と出会い、職場の人や友人と会話をしながら毎日が進んでいるように思えるが、この芝居での2人の会話のように、僅かずつズレが生じながら、そういえばそうだったかな、でもそうじゃ無かったよななどと、瞬間、瞬間での思いを超えながら、少しずつお互いが納得をしていく、あらためてそんな関係のような気がした。

 劇中のせりふで「日々新たに出会い、日々新たに愛し合い、日々新たに結婚する」と女が発した。少し認知症気味なのかな、でも忘れがちな、大切な気持ち。好きな人のことを、もっともっと知りたいと思う気持ち、生きようとする実感。

 女「私、痛がって死にたい、なくなっていくみたいに死にたくないんです」男「大丈夫、死ぬときはきっと痛いですよ。それこそが死なんですから」人の死の瞬間こそは、その人が生きていることを実感できる最後の瞬間なのだろう。そうあるべきとは思うが、意気地なしの私などはランナーズハイのようにきっと脳内物質が湧き出て楽に死ねるのだろうなあと思っている、否、楽に死にたいと思っていることを正直に言おう。

 この「老いること、生きること」をテーマにした芝居は、加藤直樹氏、森田啓子氏だからこその今の雰囲気を出せたのだと思うが、お二人がもっと年輪を重ねたあとにこの芝居がどうなるのか、再演を期待したい。

 

 

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『白鳥事件 偽りの冤罪』

2013-05-18 14:56:01 | Weblog

 『白鳥事件 偽りの冤罪』(渡部冨哉著 同時代社 2013年刊)

 4月の終わり頃、各紙で報じていたが、『作家松本清張さんが代表作「日本の黒い霧」で、伊藤律・元共産党幹部を当局のスパイとして描いた記述をめぐり、遺族から抗議を受けた出版元の文芸春秋は27日までに、事実上の修正に当たる注釈文を本の末尾に付けることを決めた。』(2013.4.28京都新聞より引用)

 渡部富哉氏は、『偽りの烙印―伊藤律・スパイ説の崩壊』(五月書房 1993年刊)で、伊藤律氏が、戦前の党活動において、当局に旧ソ連スパイ(ゾルゲ)の摘発につながる密告をしたとして、日共が戦後北京に追放、氏が1980年に帰国するまで投獄・監禁されていたが、それは誤った事実をもとに党が伊藤氏へ押した烙印であることを証明した。日共の誤った判断によってひとりの党員の人生が失われたのである。

 本書(超推薦図書!)も渡辺氏は、日共が主張してきた白鳥事件冤罪説を徹底的に批判している。この事件に関わった党員たちにも悲劇がつきまとう。事件は、60年前の1952年1月21日に札幌市警白鳥警備課長が日共党員にピストルで射殺されたというものだ。主犯格された佐藤博ら10名は、北京に逃亡、佐藤をはじめ3名は日本に戻ることは無く1988年かの地で客死している。1973年から78年に帰国した7名は、白鳥事件は党が分裂していた時代の誤った一派の指示に基づいたものであり、彼らは「反党盲従分子で党(日共)とは無関係」と切り捨てられた。

 国内で逮捕された者たちは、裁判における証言から「党を裏切った」「ユダ」と人格を批判され、苦しい日々を送っていると想像される。党の責任者であり、白鳥殺害を命じた村上国冶日共札幌委員会委員長・軍事委員会委員長も服役後1969年仮釈放、真実を語ることなく酒びたりの日々の中、1994年11月自宅の火災で焼死体となって発見された。

 党のために働いた彼らの人生を奪い、切り捨てた側にいるのが、野坂参三(100歳を超えた晩年にスパイとして除名)、宮本顕治、不破哲三ら現在の日共の路線を築いた者たちである。

 日本共産党よ、死者の数を数えろ!

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あぶない憲法の話

2013-05-08 20:25:16 | Weblog

 天橋立を天に架かる橋のように見るためには、北近畿タンゴ鉄道天橋立駅からは、船で対岸まで渡り、ケーブルカーで傘松公園まで登らなければなりません。そこから股覗きをするとそのように見えるはずですが・・・・?

 

 あぶない憲法の話                       

 新聞の首相動静欄を見ているとアベは毎日のように財界人、マスコミ関係者、評論家、学者などと夜の会食を重ねている。いかにアベが保守反動(死語かも)にとって期待の星なのかがよくわかる。思えば5年前もそうだった。そしてその内お腹が痛くなって政権を投げ出した。

 You Tubeで「あぶない憲法の話」を見ることができる。9条の会事務局長の小森陽一氏が自民党憲法改正草案(2012.4)を解説している。今は、96条をめぐる姑息な手続き論を前面に出して議論しているが、その先の狙いがはっきりとこの改正案に盛り込まれていることがわかる。

 4.28沖縄デーで天皇を政治利用し、5.5には国民栄誉賞でスポーツ選手を政治利用し、おまけに自身の背番号を96とした。

 「調子こくなってんだ!」

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白鳥事件

2013-05-06 20:22:52 | Weblog

 天橋立を股の下から覗くとこうなります。縁起のいい景色といわれていますが、私にはどうしてなのか理解できません。 

 

 白鳥事件                                   

 北海道放送(HBC)が良質の番組を作っている。本日は、ドキュメンタリードラマ「清き國ぞとあこがれぬーウィリアム・S・クラーク博士の魂を謳うー」と題して、北海道大学恵迪寮寮歌「都ぞ弥生」百年を記念した番組を放映した。1912年(明治45年)この寮歌を作った学生たちの思い、彼らが影響を受けたクラーク精神など現役の北大生が自分の今に重ね合わせるように演じていたと感じた。(6月にDVD化)

 HBCは、時々印象に残る番組を作る。思い出したのは、白鳥事件を題材にしたラジオ番組である。2011年3月27日に開局60周年記念番組として放送した「インターが聴こえない~白鳥事件60年目の真実」であった。YouTubeで改めて聴いてみた。1952年1月21日白鳥警部が射殺された事件で、日共の組織的犯行であり当時の北海道大学の学生が犯人の一部とされ、北京に脱出した者たちもいる。

 日共は冤罪説をとりながらも、党の分裂時のことであり、現在の党の路線とは一線を画した対応をとった。権力による謀略説、責任者の村上国冶は出所後の自宅火災により焼死するなど「謎」だらけ事件である。2012年12月に同時代社より「白鳥事件 偽りの冤罪」(渡辺富哉著)が発刊されている。

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5.5 豊平川マラソン

2013-05-05 17:24:28 | Weblog

 京都駅31番線9時25分発天橋立(11時22分着)行き、「はしだて1号」です。途中、嵯峨野線で園部まで、次に山陰本線で福知山まで、北近畿タンゴ鉄道宮福線で宮津、同宮津線で天橋立まで、123.3km、1時間57分の乗車時間です。天橋立は、府内にあり京都府というのが随分と広いということが実感できました。

 

 豊平川マラソン 2013           

 暖かくならないGW、今日は昨日よりほんの少し暖かく感じたが、それでも8℃位。太陽さんの顔をしばらく見ていません。札幌でのシーズン幕開けレース「豊平川マラソン2013」に参加しました。

 天候はパッとしないのですが、今年は世界選手権に出場するあの公務員ランナー川内選手が出場するということで、例年は真駒内競技場にしかいない関係者だけの応援の方が、河川敷全体に一般の方がかなりの数見に来ていました。川内選手の走りは、ちょっとものが違いました。折り返してくる時にすれ違ったのですが、ぶっちぎりのスピードで「早っ!もう戻って来た!」とランナーからも歓声が上がりました。

 彼は、昨日も他の場所でハーフを走ったということですので、驚異的なスタミナの持ち主です。北海道では、6月のJAL千歳、7月の釧路湿原に参加するということでした。

 もうひとつ、久しぶりのことですが、今年はサークルKサンクスがスポンサーに付いてくれ、ゴール付近で焼きそば、おにぎり、温かい珈琲などを販売していて、ゴール後の空腹と冷え切った身体には、滲みるほど美味しく感じました。それと今年の参加賞がランニング用手袋だったのは、買おうかどうかと迷っていたところだったのでラッキーでした。

 自分のランニングの方は、言い訳をしないようにします。トレーニング方法から見直しです。今の自分には、スピード、スタミナ全て足りません。気持ちの持ち方から再構築です!

 

 

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5.3 憲法記念日

2013-05-04 17:21:22 | Weblog

 近鉄京都駅ホテルを利用しました。近鉄線の線路の上に細長い形の建物であり、眼下にはJR線が24時間見る事ができます。全てが合理的に設計されていて料金も比較的リーズナブルで鉄道ファンには垂涎のホテルだと思いました。

 

 憲法記念日                             

 アベが戦後レジームの転換などとほざいて、憲法改訂にのめり込んでいる。北海道の方言に「いいふりこき」という言葉があるが、「アベ、調子こくなよ!」と言ってやりたい。私は今、憲法を改訂しなければならない必要性、緊急性は全く無いと考える。改憲派は、制定後60年余りが経過して、時代にそぐわなくなっていると言うが、現実にはこれまでも事案ごとに憲法解釈と齟齬があるような法律を定め施行してきている。例えば、過去に自衛隊に対して違憲判決も出ているが、現実には自衛隊法で法的に認知されている。

 改憲派のねらいは、9条であろう。この国の起点は、先の戦争における犠牲と反省の上にあり、その精神を明文化しているのが今の憲法である。9条改訂の先には、自衛隊の国軍化があり、教育問題から入って徴兵制に繋げていく意図が見える。

 国に召集され、戦場へ送り込まれ、人間を殺戮することを命じられ、敵の弾に斃れていく。しかし、このリアリティを持ち合わせているのは、仕方が無いことだが、80歳代半ば以降の人だけになってしまった。生活の場から死が排除されてから久しい。報道においても、写真、映像ともに死体を伝えることは無い。惨たらしい死、夥しい死体は、言葉で伝えられても、あえてリアリティを感じないように加工されている。

 憲法改訂には、国会議員の2/3を必要とするが、戦場に送られる可能性の少ない特権階級と、私たち庶民の感覚は隔たりがあるはずである。私たちは何のために戦う必要があるというのか。社民や日共議員とて特権としては同じである。アリバイ的に憲法改訂反対を掲げていれば許されるということではないのだから。

 また、ここにきて左翼、護憲派のこれまでの理論的な怠慢が露わになっている。「9条を護れ!」という以上の主張が無いのである。日米安保と沖縄と朝鮮半島の犠牲の上に乗った平和がこれまで偶然にも辛うじて維持されてきた現実に対して、その犠牲をどう取り除こうとか、別の方法を提示することを何一つできてこなかったのである。

 私は、この国は、世界中から何を言われようが、貿易立国、商人国家として生きていくしかないと思っている。米国の影に隠れてでも、虚勢を張らず、無用なケンカをせず、かっこ悪くても腰を屈めて、頭を低くして、「ボチボチでっせ!」と言いながら、商売に徹して行くほかない。吉本隆明ではないが、「一番立派な生き方は、生まれて大人になって、子どもを産んで、普通に老いて死んでいく」何よりも皆がそれをまっとうできる国が一番なのではないか。

 調子こいているアベの暴走は、前回(従軍慰安婦問題)と同じく米国からストップがかかる可能性があると思う。米国の了解なき原発の売り込みは、核拡散、すなわち潜在的核兵器保有につながるため、ここから米国によるアベ降しが始まるのではないか。

 

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