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「経済クラッシュ」ノオト その12 河村小百合 『日本銀行 我が国に迫る危機』 アベノミクス 異次元金融緩和 日銀国債買い入れ

2023-04-22 15:55:49 | Weblog

韓国は究極的な事態になった時に、日本と北朝鮮のどちらを信頼するだろうか。台湾も同じく米国と中国のどちらを信頼するだろうか。この国は“アジアの片隅でこのままずっと生きてゆくのだと思うのだがー”。

 

『日本銀行 我が国に迫る危機』(河村小百合著 講談社現代新書 2023年刊) 「経済クラッシュ」ノオト その12 アベノミクス 異次元金融緩和 日銀国債買い入れ      

国の借金が1,000兆円を超え巨額に膨れ上がっている情況にもかかわらず、ロシアのウクライナ侵攻に便乗した異次元の防衛費増でアメリカから兵器をバク買い、いまだに中味が明らかになっていない異次元の少子化対策、高齢化で膨らむ社会保障費・・と国家予算は国債発行に財源を依存しながら増額を続けている。本当にこの先は大丈夫なのだろうか。

この疑問に正面から答えている良書が刊行された。著者は、日本総研主席研究員、4月5日のテレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」に出演して日本経済に警鐘を鳴らしていた。4月8日には黒田東彦日銀総裁が現状に対する反省も危惧を示すこともなく「開き直り」退任した。

以前このブログで、財政危機とその対応について、「経済クラッシュ」ノオトとして書いた。その1から4まで(2020.6.4、6.5、6.8、6.11)は、荒和雄著『預金封鎖』を、その5(6.18)は、野口悠紀雄著『戦後日本経済史』、その6と7(7.13、8.5)は、山田順著『コロナショック』、その8(8.11)は、山中恒著『戦争ができなかった日本』、その9(8.26)は、東京新聞・中日新聞経済部編『人びとの戦後経済秘史』をそれぞれ参考に述べた。その10(9.2)は、9までのまとめをした。さらに、その11(2021.12.30)では、西川祐子著『古都の占領』を参考にした。

 

○では、現状はどうなのか。

・日銀が買い入れた国債は2022年度で135兆9,890億円(単月では2023年1月に23兆6,902億円)と過去最大。日銀の国債保有割合(2022.12末時点)は、政府発行額の52%でこれも過去最大。

・日銀による国債買い入れ額の推移は、2010年度から2012年度は約20兆円レベルだったが、第2次安倍政権になってからの2013年度以降は買い入れ額が増加し、2013年度約88兆円、2022年度は約135.9兆円に達している。

・国債買い入れ額増加の理由は、2013.4に就任した黒田東彦日銀元総裁が進めた「金利を下げて経済を良くする」という異次元緩和政策、2016年からはマイナス金利政策⇒日銀が国債を大量に買い入れ金利を低く抑え込んだことによる。

・そのねらいは、低金利にすると企業がお金を借りやすくなる→業績up→景気や賃金が上昇するというものだった。

 

・(河村氏)“異次元の金融緩和”について、確かにこれだけの規模の金融緩和を必要とする時期(2013年当時のデフレ脱却時)はあった。だが、大規模な金融緩和を続けているのは先進国では日本だけで、今はデメリットの方が大きい。

*(河村氏)結果的には、成長戦略が失敗し賃上げも進まず、そのため消費も増えなかった。2年で2%の物価上昇があった2014年は政策転換のチャンスだったが転換できなかった。その理由は、アベノミクスは失敗でないという政治的圧力のためである。

*(僕の考え)かつて日本はこの戦争は絶対勝つ、バブル経済は崩壊しないなどの希望的観測や根拠なき楽観論に依拠して失敗した苦い経験をしている。日銀による国債の買い入れと赤字国債の発行はともに戦後日本経済の禁じ手だったはずだ。これが破られてから久しいが、必ずやしっぺ返しを食らう時が来るのではないか。

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2023.4.3 札幌市長選挙感想 五輪招致に変化 暗黙の了解 

2023-04-16 16:01:02 | Weblog

これまで自ら民主主義を毀損してきたのに、政治家が狙われると「民主主義の破壊を許さない」などのコメントをヌケヌケと発する。よく言うぜ!そのコメントが政治不信を増幅する。でも、なんか山上氏に似ているって。

 

2023.4.3札幌市長選挙感想 五輪招致に変化 暗黙の了解 

僕の推測では、今回の札幌市長選挙を終えて一番ホッとしているのが現職の秋元氏ではないかと思う。

なぜなら、誰が見ても無理筋の五輪招致にブレーキを踏むことができるようになったからだ。マスコミ報道を見ても、この市長選挙が終った途端に2030年招致をめぐる論調が一変した。また秋元氏の発言のトーンも変わった。僕には、五輪反対を掲げた2人の候補の得票が予想より多かったので秋元氏が渋々考えを変更したようには見えない。選挙結果はおおよそ想定の範囲だったはずだ。

秋元氏は、東京五輪にまつわる汚職事件などから本心では五輪開催に疑念を持っていたのではないか。だが経済界からの支援を受けるなど立場上推進を掲げなくてはならなかったと思う。対立候補の高野氏は同じく南区長を務めるなどした市役所後輩だ。一定の信頼があるはずだ。素性のわからない候補が出てきてかき回されるより高野氏の方がいい。そこで反対世論の受け皿として高野氏に立候補を秘密裏に要請した。いや、はっきりとした要請ではなくても、両者の間には暗黙の了解があったのではないか。

僕から見て、高野氏が本気で当選しようとしているように見えなかった理由は、財政畑出身と言いながら、地下鉄の手稲、清田延伸や公共事業の拡大など大風呂敷を広げた公約だ。あえて秋元氏が財源問題で批判できるようにスキを作ったのではないか。また、あえて秋元氏を利すために五輪反対で一致していた共産党候補と共闘することを拒んだ。選挙運動を終えた後の高野氏の「負けます」「明日から市民に戻ります」「一石を投じることができた」などのコメントとすがすがしい表情から自分の役目はここまでとの印象が残った。

今回の選挙で、僕らは秋元氏と高野氏の阿吽の呼吸による出来レースを見せられたのではないかと思う。ここまでの推測は、今後の高野氏の処遇、氏がどのような身の振り方をするのかを注視すればわかると思う。

 

 

 

 

 

 

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樋田毅 『記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実』 朝日新聞 旧統一教会 原理研究会 安倍元総理暗殺事件 立命館大学国際平和ミュージアム      

2023-04-09 10:23:25 | Weblog

テレビは視ない。ラジオは元々聴かない。新聞も止める。ネットももう見ない。本も読まない。物欲も捨てる。もろもろの関心を断つ。他者とは当り障りのない会話をフワッとする。枯れ木のように立っていたいと思うが、真逆の世界に僕はいる。

 

『記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実』(樋田毅著 岩波書店 2018年刊) 朝日新聞 旧統一教会 原理研究会 安倍元総理暗殺事件 立命館大学国際平和ミュージアム      

本書は、昨年(2022)年7月8日に安倍晋三元総理暗殺事件が発生したことによって、再度読まれるべき本である。1987年5月3日朝日新聞阪神支局が襲撃された赤報隊事件の実行犯がα教会、α研究会と表現されていて名指しこそされていないが、明らかに旧統一教会、原理研究会の犯行だった可能性が濃厚と示唆がされている。

本書が刊行された2018年2月時点では現在ほど旧統一教会に世間の関心が集まる情況に葉なかった。それが一転して昨夏の安倍暗殺以降、容疑者とされている山上氏の動機が、母が旧統一教会の信者となり多額の献金をしたため生活が崩壊したことによる恨みによると報道されて以降、旧統一教会がクローズアップされたのは周知のことである。

1987年5月3日憲法記念日の夜、朝日新聞の記者二人が何者かに突如、散弾銃で殺傷された阪神支局襲撃事件。筆者は元朝日新聞記者で「記事は書かなくていいから、真相を明らかにせよ」との使命を与えられ、発生当初から取材チームに加わり事件を追い続けてきた。本書はその追跡の軌跡である。

赤報隊の犯行声明文などから当初は右翼(新右翼)による言論テロが疑われた。しかし、右翼組織には3年間に7回もの事件を起こすことのできる実力がないことが判明してきた。では、α教会(旧統一教会)、α連合(原理研究会)が朝日新聞を標的にする動機は何か。当時、朝日は霊感商法を批判するキャンペーンを行っていて、それが旧統一教会の活動にダメージをもたらしていた。

本書の中で、旧統一教会と自民党の結びつきによって、捜査が政治的に妨げられたことが書かれている。これについて僕らは、昨夏からの旧統一教会と自民党の繋がりの歴史に焦点があたったおかげで、なるほどと納得できるものがある。30年前に起こった未解決事件の形跡を辿っていくと旧統一教会に繋がるのである

僕は数年前に立ち寄った立命館大学衣笠キャンパスにある国際平和ミュージアムで、この事件で散弾銃により銃撃され亡くなった小尻記者が着ていたワイシャツを見た。シャツ全体が血だらけで、小さな穴がたくさん開いていた。散弾を浴びて開いた穴。とても強い印象を持った。しばらくその場を動けなかった。

 

 

 

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〈私〉とはどのようなものか その3 主体性 自己責任 偶然 所与

2023-04-03 09:37:34 | Weblog

エスコンフィールド北海道が本格稼働した。プレイベントのコンサートをTVで視たが、大型ビジョンと音と光を駆使した演出効果は異次元に感じた。これを見た集客力のあるアーティストたちはエスコンでコンサートをやりたいと思ったのではないか。一方、考える時間が数年間もあったのに黒カーテンで半分に仕切ることしか思いつかなかった札幌ドームは、想定以上に大型イベントから見放されるのではないか。建設費の償還も続いているようだし、地下鉄東豊線の乗客数も減るだろう。失政のツケは膨らんでいく。

 

〈私〉とはどのようなものか その3 主体性 自己責任 偶然 所与    

(その2)では、他者が精一杯の自己表現を行っても私はその人のこと全てを知ることができない。逆に、私が知りえる限りの自分を他者にぶつけたとしても、私の全部を知ってもらうことはできないだろう。それは、私が私のこと全てをわかっていないためだろうと述べた。

(その3)私が私のことを自分で主体性を持って決めることができることと、偶然の結果として私のことが決められてしまうことがあると思う。私は1954年に釧路市で生まれたが、その時代にそこで生まれたことは自分で決めたことではない。20世紀の半ばに、世界の中の日本という名前の国で、ある男とある女(両親)の間に私が生まれてきたのは、偶然の積み重ねであり自分で選択できたことではない。

その後の私の成長過程にあっても、例えば高校や大学、就職など節目を振りかえって見ても、自分ではそこにあったいくつかの選択肢の中から自分で決めたと思っていることでも、その時の成績、成績も自分の努力だけではなく、自分の頭の構造、生来の能力、家庭や学校の環境、地域の情況など様々な所与の条件の中での選択だったと思う。

「〈私〉とはどのようなものか」と問うたとき、私はひとつひとつの選択に対して主体性を持って決断してきた自己責任を持った存在であるとともに、出自から始まる自分ではどうすることもできないような所与の環境の中で生きてきた存在である。私は、私自身で選択したことと与えられたことの二項対立の間で生きてきた存在といえよう。

 

 

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