晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

『ゴーイングマイホーム』

2012-11-28 20:14:09 | Weblog

書店で1冊の絵本が目に留まりました。『クーナ』(是枝裕和著 大塚いちお イラスト こどもプレス 2012年刊)です。自分のために絵本を買ったのは初めてかもしれません。伝わってくるメッセージの明確な絵本でした。

 森で見つけた小さな赤い帽子。それは、おじいちゃんが言っていた森の小人、クーナの帽子。それは、小さな神様みたいな存在。そう、世界は目に見えるものだけで出来てるんじゃないんだ…

 関西テレビ放送系、毎週火曜日、22時からの『ゴーイングマイホーム』を楽しみに観ています。監督・脚本は、絵本と同じ是枝裕和、主題歌は槙原敬之「四つ葉のクローバー」、主演阿部寛、山口智子、宮崎あおい・・何気ない日常の中で、何気ない日常の中で、存在するはずの無いクーナの存在を人々は徐々に信じ始めていきます。

 世界は目に見えるものだけで出来ているんじゃない、ではそれは何なのだろうか。愛と誠、友情、絆、神・・これからどこまで謎解きが進むか期待がふくらみます。

 それは、「自分が生きていく中で、自分の中に自分で作り出すもの」ではないかと私は思います。

 ドラマとしても、ゆっくりと流れる時間、出演者たちの自然な会話など演出がこれまでのドラマとは一味違っています。どちらかというと年寄り向き、若い人の感性には合わないかも知れません。

 

 毎週火曜日の夜は、テレビに浸かっています。20時からはBSジャパン『空から日本を見てみよう+』の雲ジイとまったりとした空の旅、21時からは、生田斗真、真木よう子主演の『遅咲きのヒマワリ ~ボクの人生』、現在の若者のやるせない心情を巧く描いていると思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

斉藤和義 『ずっと好きだった』

2012-11-24 09:43:55 | Weblog

 ずっと好きだったんだぜ 相変わらず綺麗だな

 ホント好きだったんだぜ ついに言い出せなかったけど

 ずっと好きだったんだぜ キミは今も綺麗だ

 ホント好きだったんだぜ 気づいてたろうこの気持ち

 斉藤和義は、1970年代の空気が漂うシンガーだ。こんなストレートな詩をシンプルなメロディに乗せて、ブルージーンを穿いて、身体全体を使って叫ぶように唄う姿は、私にとっては若き日の吉田拓郎のようだ。

 衝動的に玉光堂に行ってCDを買ってしまった。私にとって、拓郎が全てだが、甲斐バンド、浜田章吾、クレージーケンバンドに続いて、今は斉藤和義だ。

 昨日(23日)は、営業があったのだが、今日と明日は完全休業、久しぶりなので、斉藤和義三昧で行こう。

 それと、ずっと好きだった、ホントすきだった「コンサドーレ札幌」の今季最終戦。今季限りの石崎監督にありがとうを言いたい。ゴンちゃんの現役姿も今日限りかも知れないし。

 日ハムのパレードには行きません。ジョニー(黒木)は、どうしてロッテではなく、ハムのコーチになったの?

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ザ・ニュースペーパー札幌公演

2012-11-20 19:59:40 | Weblog

 さる高貴なご一家の登場に合わせて、思わず入場の時にもらった日の丸を振ってしまいました。日の丸に対する賛成とか反対とかいった難しい考えとは関係なく、皆が笑いながら親しみを込めて振りたくなる登場人物のキャラクターと演出に感心。

 政治が混乱するとザ・ニュースペーパーの舞台も面白くなる。今回の公演は、久しぶりに切れ味がありました。民主党政権の3年間で、何が変わったかと振り返ると、自民党に劣らず、無名に近かった民主党の政治家たちもそれなりのキャラクターを発揮するようになったことかな。政治家たちも役者としてひと回り成長したということか。

 口先だけで反米愛国を叫びながら、下半身はどっぷり対米従属の政治家たち。政党交付金の多寡を気にしながら離合集散を繰り返す政治屋たち。脱原発、減税、手当と無償化と口当たりのいい言葉だけを振りまく無責任政党。

 さあ、私たちは何を選んだら良いのだろうか。私はここしばらく政治の動きにすっかり興味を失っていたので、これから少し復習をしなければと思っていますが、「よりまし論」としても、なるほどという政党なんか無いのではと思う。

 選挙なんかで、世の中変わるか!

 

 

 

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ザ・ニュースペーパー

2012-11-15 21:25:24 | Weblog

 ようやく政治が動いた                           

 ザ・ニュースペーパー札幌公演が週末にせまった。この情況をどのように料理して見せてくれるのか、楽しみだ。

 衆議院解散を巡って何ヶ月同じことの繰り返しをやっていたのだろうか。私は、政治に完全に興味を失っています。いくつ政党があるのだろうか。今、あわてて、この間のおさらいを始めています。

 私は見ていないが、その後の影響を考えるとNHKスペシャル「追跡 復興予算19兆円」2012.9.9のインパクトのあるいい番組だったようだ。ネタ元は誰?財務省?住民税、所得税の復興増税が25年間続くというのに。

 石原前東京都知事の発言で、日中関係が悪化、ヒト、モノの動きが激減、自動車、観光などの損失額は計り知れず。威勢のいいことを言い放ったが、その責任を全く取っていない。この打撃をどうしてくれるのか。

 役者は揃った。それにしても橋下大阪市長はガラが悪い。「週刊朝日」でボツになった原稿を単行本で発行してほしいな。昨日の党首討論の映像を見ると、野田総理の方が安倍総裁より気迫で勝っているように見えた。キャンキャン吼える犬に、いきなりガブッといったようだ。難病潰瘍性大腸炎の新薬はきちんと効いているのか。

 右往左往、くっ付いたり離れたり。8月には自民党総裁だったのに総裁選挙にも出馬できずアッという間に消えていった谷垣さんは今頃何を思っているのだろうか。総裁選挙の最中に倒れた、近いうちに解散が無ければと思っていた、町村信孝代議士は困っていることだろう。田中真紀子代議士が、大学の認可問題で未だ生きていることを示したのに比べて。

 そして、無罪判決を何回も受けているのに、今だ疑惑の人、小沢一郎生活が第一代表に力は残っているのか。

 選挙なんかで世の中が変わるか!

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『子どもと哲学を』 その7(完)

2012-11-11 16:15:27 | Weblog

 週末の金、土曜日で社員採用の面接試験を50人、延べ20時間ほど行い、かなり疲れた。しかるに本日(日曜日)、午前中は、営業が少しあったが、ランニング、午後は読書時間を確保、晴走晴読的生活で心身の回復を図る。

 

 『子どもと哲学を 問いから希望へ』(森田伸子著 勁草書房 2011年刊)  ノオトその7(完)

 第七章 哲学の場所                                

  「子どもは皆学校に行くものだ」ということが当然とされているこの社会。

 「学校とは何か」と問うことも無い。学校はたかだか200年にも足りない歴史しか持っていない。それは、国民国家の成立の歴史と重なる、しかるに「国民国家の黄昏」(私の造語)を迎えている現在、学校という制度の意味も転機に迎えている。

 「子どもはなぜ学校に行かなければならないのか」と問うことも無い。無難な答えとしては、社会、国家にとって必要とされているから。例えば、国がひとつとして円滑に動くためには国語を教える必要があるから。

 「何のために学ぶのか」と問うことも無い。当面の答えとしては、進学する時に学校の勉強の成果=学力がものをいうから。そして良い学校とは、学力の高い生徒の入る学校ということになっている。

 学校で学ぶ知識は将来において直接的にはそれほど役に立つことは少ない。しかし、それに取り組むことによって身に付く根気強さや集中力、注意力、理解力、記憶力などが役に立つということになっている。

 従来の学び得た知識の総量を比べるのでは無い新しい学力観が提示されている。OECDが15歳を対象に実施したPISAテストであり、学力はリテラシーと言い換えられ、生活の役に立つという基準が打ち出された。そこでは、与えられた情報をとらえ、整理し、結論を導き出す力、情報を加工し、別の形で表現し、発信する力が問われる。

 多くの学生は、学校は知識を学ぶ場所ではなく、友だちを作り、人間関係を学ぶ場所と答える。では一方、人間関係がうまくいかなくなった子どもは、「なぜ学校に行かなければならないのか」という問いを抱えるが、その問いを共有できる者がどこにもいない苦しみを持つことになる。

 「学校に行って何を学ぶのか」と問うことも無い。制度としては、学習指導要領に定められたことを学ぶのである。純粋に「知りたい!」という欲望に答える場所にはなっていない。

 著者は、学校についての問いは、学校自らが考えるべき問いであり、学校において少しの時間でも良いから、これらの問いを考える時間(哲学)を持つべきであると主張する。私は、学校を問うことは、学校制度そのものの自己否定につながる契機も含んでいて面白い試みと考える。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『団地の空間政治学』

2012-11-08 20:28:10 | Weblog

 高知県馬路村、ゆずを町の特産品として産業化しています。地下歩道空間でゆずドリンクを販売していました。超酸っぱいです!

 

 『団地の空間政治学』(原武史著 NHKブックス 2012年刊) 

 「団地」には2つの意味がある。1950年代後半から60年代前半にかけて、首都圏や関西圏での住宅不足に対応するため、市営、都道府県営、公団営などの公営賃貸住宅群を表す場合と、それに遅れること10年、1970年代に賃貸住宅群とともに、一戸建て分譲宅地を面的に開発したエリアを表している。

 本書は、主として前者を対象としており、その中でも団地内における住民運動を詳しく分析している。特に私は、団地の歴史が日共の支持拡大の歴史と一致しており、所々に記述されている上田兄弟の日常活動に興味を持った。(後述する)

 読む前の私の問題意識としては、1970年代に開発された道内の「ニュータウン」、例えば、市営もみじ台、道営真駒内、大麻、北広島、その他、民間デベロッパーによって開発されたエリアが、40年を経過して、一斉に少子高齢化、人口減に直面していることから、道内より10年ほど早い首都圏などではどのような情況になっているのか、それらを知りたかったのだが、本書では残念ながらあまり記述されていない。

 「要求」のあるところに「運動」ありで、新興の住宅団地では通勤手段、保育所など生活上の問題が様々に発生したため、そこに移住してきた人々は自治会を結成し、要求実現の運動を行なった。

 

 上田耕一郎は、1952年西武新宿線の野方に住み党派にこだわらない幅広い平和運動を目指した中野懇談会を支えた。1960年から1965年まで松戸市の常盤平団地E街区に住んだ。1960年8月松戸市民の会が発足。その常盤平支部として11月に常盤平市民の会が発足しその会員となる。常盤平駅の隣の五香駅に近い五香地区の党責任者となった。1962年3月常盤平団地自治会が発足、7月自治会のE街区16地区の代議員となったが、自治会役員には選ばれなかった。その後3期続けて代議員として活動した。しかし、常盤平自治会を主導できず、党勢を思うように拡大させることができなかった。(1963年衆議院総選挙松戸市の共産党得票率は4%、国立町では10.2%)1964年3月からは共産党本部に勤めるようになり、通勤の便などから、1965年北多摩郡国立町(現国立市)の一戸建てに引っ越す。1974年参院選東京都選挙区で初当選。

 不破哲三(本名は上田健二郎)は、西荻窪の木賃アパートから、1960年1月から1969年まで北多摩郡田無町(現・西東京市)ひばりヶ丘団地(日本住宅公団住宅の賃貸住宅)に入居、1960年6月ひばりヶ丘民主主義を守る会を結成した。1961年5月自治会が発足したが、守る会からは自治会民主化と称して自治会役員に会員を送り込み、不破は広報部兼自治協常任委員となった。1964年3月からは共産党本部に勤める。1969年墨田区に引越し、同年の衆議院総選挙で東京6区から初当選。1970年書記局長になる。

 

 私も3歳から小学校3年生の途中までと、25歳からの数年間、道営住宅に住んだが、一戸建て住宅に比べて隣近所の濃いつきあいをさせてもらい、ある意味大変心強い暮らし方を実感した。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『藤田嗣治と愛書都市パリ』

2012-11-04 17:08:51 | Weblog

 『藤田嗣治と愛書都市パリー花ひらく挿絵本の世紀―』(北海道立近代美術館 2012.9.15~11.11)

 気が付けばもう11月、少し前までは中々暑さが和らがないなどと言っていたのに、僅かの期間の紅葉があっという間に終ってしまい、今は道路一面に濡れた落ち葉が冷たい雨を浴びながら冬の準備で片づけられるのを待っている。10月は忙しかった。本州方面への出張もあり、休日にも何かしらの営業が断続的に入り、完全休養日は1日のみ。久しぶりに、本日と明日は連休。

 慌ただしい日々に追われ、何がしかの自分も忘れてしまっていたが、ここでしっかり取り戻したいと思っている。

 本日は、道立近代美術館で開催されている『藤田嗣治の挿絵展』を鑑賞した。走り込みで身体を徹底的にいじめるのも、根を詰めて本を読むのも精神の休養になるが、少し趣を変えて抽象の世界に浸ってみた。

 第1次世界大戦前のパリで暮らす藤田がフランスの小説家たちに数多くの挿絵を提供していることから、かの地での藤田の交友関係がわかる。また、画家にとっては、挿絵を描くことがチョットした副収入になったのであろうか。振り返ると、いつ頃からか今の小説には挿絵が無いということに気付く。かつて生沢朗という挿絵作家がいたことを思い出した。

 藤田の自画像や写真から、氏のオカッパ頭のような髪型は到底戦前のこの国になじむものではなかったと思う。第2次世界大戦前に帰国、しかし何作かの戦争画を書いたということで、戦後に戦争責任を問われ、再びパリへ。氏の画風は戦争からはかなり遠いものと思うが、皮肉なことに、氏にとって、返す返すもこの国は生きにくい国だったのではないか。

 展示は、第1部で「藤田の挿絵本」が集められているが、第2部は、「エコール・ド・パリの挿絵本とその時代」となっており、同時代の他作家のコレクションが並んでいた。第2部の会場の見学者から「興ざめ」との声があり、足早にその部分を後にする人も多く、藤田作品だけでよかったのではないかと感じた。ただ、うらわ美術館の所蔵品が多く展示されていて、私の中では、これから行ってみたい場所のひとつに加わった。

 

するより落ち着いて安価で美味しいと思う。 昼食は、京王プラザ札幌ホテル1階、「カフェ・ドュエット」でランチ。月毎!に替わるメニューで11月は、「北イタリア漁師町の伝統料理 魚介の煮込み リヴォルノ風」。となりでバイキング

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする