晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

走り納め

2009-12-31 16:14:24 | Weblog
 昨夜は冬の雨、大晦日の今日は日差しもありポカポカと暖かな午前中でした。この陽気(プラス2℃位)につられ、本年の走り納めを少々。一度解けた路面を除雪車が平らにしてくれて、その後凍結したものだから、ツルッツル。

 氷上ランのコツは、滑ったらバランスを崩す前に、足を前に前に動かして進むことです。滑りに身体を乗せてしまうと、転倒します。その代わり、腰高で走るので、腰にかなりの負担がかかります。

 今年は、色々あって距離も走れなかったし、大会もわずかしか出れませんでしたが、何とか走り続けることだけはできたかなと。

 私は化学屋が専門なので(30年位未使用の知識ではありますが・・・)、思考パターンの根底には、「物質収支」があり、インプットとアウトプット、食事と運動のバランスさえとれていれば良しと言うのがあります。

 あまり食べ過ぎない、食べ過ぎた時は運動をして燃やす、食べたい時は運動をするが基本です。

 ただし、その時々の身体情況が異なることが物事を複雑にします。

 原料A+原料B=製品Cのこともあるが、原料A+原料B=製品Dの時もあります。その違いは、反応装置たる身体の情況が異なるからです。その反応は、触媒によって大きく左右されます。体内の触媒は、日々の体調によって、加齢によって変わってくると感じています。


 そして、なぜか石川セリの「8月の濡れた砂」のメロディが湧いてくる。

 あの夏の光と影は
 どこへ行ってしまったの
 思い出さえも 残しはしない
 あたしの夏は 明日も続く
 
 ギラギラした太陽の下を走るイメージで、本年を終了します。

 ブログを読んでいただいている方、お付き合いありがとうございます。明年が良い年でありますように。



 





 
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『戦後革命論争史 下巻』 

2009-12-30 19:43:29 | Weblog
 少し長い休暇を取りました。しかし、本日の午前中、急遽営業が入り、急に仕事モードになるなど落ち着かず。明日からは、ショッピングセンターで会社の人に会っても挨拶をしないぞ! でも、してしまうんだな。その時は、自分の弱さを実感。


 『戦後革命論争史 下巻』〔戦後日本の分析〕(上田耕一郎著 大月書店 1957年刊)

 若き日の上田耕一郎の労作である。本書には、この国を変えなければならないという氏の情熱がほとばしっている。しかし、氏のその後は、党内にあって大衆路線を提起しては宮本顕治に抑えつけられる連続であったと想像されるが、最後まで党を割ったり出たりすることはなかった。

 本書から、革命論に必要なものがわかる。まず現状分析を行い、社会矛盾を明らかにすることが必要である。次に、党として目標とする社会像を提起する。現状と未来を繋ぐため、情勢分析を行い、戦略論を立てる。続いて、当面の戦術論が続く、と。

 さて、50年後の現在、日共も含めて目標とする社会像を提起できている政党はない。


 そして、その日共は、鳩山政権の性格を掴みかねているようである。「建設的野党」なる言葉で判断を留保している。

 私は、昔から日共の専売特許である「反米」(愛国)、普天間の問題だけではなく、鳩山政権で密かに進んでいるのではないかという期待を込めた見方をしている。

 それは、政権発足後4ヶ月の間に8回も首相が外遊していることからである。誰がシナリオを書いているかはわからない。私の思い込みかも知れないが。

 9月、アメリカ(国連総会)、10月、デンマーク(IOC総会)、韓国、中国訪問(首脳会談)、タイ(ASEAN首脳会議)、11月、ラオス(日・メコン諸国首脳会談)、12月、インドネシア(民主主義フォーラム)、デンマーク(COP15)、そして今回のインド(首脳会談)

 アジア諸国との関係づくりを精力的に行なっていることがわかる。鳩山氏は、普天間問題を使いながらアメリカとの距離を測り、持論の「東アジア共同体構想」の実現に動いているのではないか。

 普天間ではアメリカの顔色を窺うことばかり報道し、アジア諸国との首脳会談では成果が乏しいと伝えるマスコミ報道(の裏)を考えると作為を感じるのである。

 田中角栄の例ではないが、この国の為政者が反米に動くと、ことごとくアメリカからの仕掛けで政治テロに遭遇したことには気を付けねばならない。

 

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『書斎曼荼羅 本と闘う人々 ①②』

2009-12-27 10:03:01 | Weblog
 『書斎曼荼羅 本と闘う人々 ①②』(磯田和一絵と文 東京創元社 2002年刊)

 本書でイラストレーターの磯田氏が、作家や評論家を訪ね、その蔵書の収納情況を絵と文で説明している。

 まず書籍は一代限りのものなのだろうと思う。自分の亡き後、その書籍を継承する者はいるであろうか。おそらく、何冊かは興味ある者に行く可能性はあるが、大変はせいぜい古書店に売ったとしても二束三文であろう。

 次に、過去に読んだ書籍のうち、何冊を再び読むことがあるであろうか。おそらく、数パーセントであろう。これは、今までの経験値である。

 従って、合理的に考えると、読み終わった書籍は、「ゴミ」なのである。それは、誰しもわかっていることなのである。巨大な場所塞ぎ、快適な生活空間を狭め、家が荷重に耐えられるか心配し、とっておいてもひとつもいいことのない代物なのである。

 しかし、そこには捨てられない人たちがいる。古本屋に売れない人がいる。火事にでもなって書籍たちがいなくなったら、今までの自分の全部が無くなったような気持ちになるだろう。書籍をどうにかしろと言われることは、死ねと言われていることに等しいと感じる人がいる。

 本書で、紹介されているのは、プロの物書きの書斎である。素人の私たちとは全くレベルが違うが、気持ちは少しだけ共通するものを感じ、読後少し安心できたのである。



 

 
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固有の鼻歌

2009-12-26 19:50:47 | Weblog
 ネット古書店「固有の鼻歌」から注文をしていた『トラストDE ヨーロッパ滅亡史』(イリヤ・エレンブルグ著 河出書房新社 1970年刊)が届く。さあ、年末は本を読むぞ!

 数日前から右の骨盤の中が痛くて座っているのが苦痛。動かしたり湿布をしても回復しないので、明日は荒療治と決めた。23日以来だが、近くの体育館でハードに動かしてみよう。


かきが辛い。


 『日本辺境論』(内田樹著 新潮新書 2009年刊) その2

 Ⅱ辺境人の「学び」は効率がいい

 人間が過剰に断定的になるのは、たいていの場合、他人の意見を受け売りにしているときだからです。P119

 主張するだけで妥協できないのは、それが自分の意見ではないからです。P120

 予備的な考査抜きで、いきなり「清水の舞台から飛び降りる覚悟」を持つことについては、私たち日本人はどうやら例外的な才能に恵まれている。P128

 新渡戸稲造『武士道』努力と報酬の間に相関があることが確実に予見せらるることは武士道に反する。P135

 「何を」学ぶかということには二次的な重要性しかない。重要なのは「学び方」を学ぶこと。P144

 弟子はどんな師に就いても、そこから学びを起動させることができる。P149

 以上第Ⅱ章のポイントから引用した。

 内田氏はこの章でも何か画期的なことを述べているわけではない。先達の文章から引用しながら、日本は辺境にあり、そのことが優位性を持つのだという結論に強引に持っていっているにすぎない。

 占い師を信じてしまうのは、占い師が特別変わったことを言っているのでは無くて、誰しも思い当たる節があることを言っているからだ。これは、ベストセラーになるための条件でもある。

 

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『日本辺境論』 その1

2009-12-24 21:10:14 | Weblog
 ようやくのあるクリスマスイブになりました。

 小学生の頃、一匹の黒い四つ目の犬が突然我が家に来ました。街で魚を売るリヤカーを牽くのを手伝っている犬の子ということでした。その犬が縁の下で産んだ何匹かの内、一番元気のいい犬だったそうです。

 私は今の今まで、その「クロ」の誕生日は、クリスマスイブだと信じていたのですが、きっとその辺りだったのではないしょうか。


 『日本辺境論』(内田樹著 新潮新書 2009年刊)

1.日本人は辺境人である
 梅棹忠夫『文明の生態史観』「はじめから自分自身を中心にしてひとつの文明を展開することのできた民族と、その一大文明の周辺諸民族のひとつとしてスタートした民族とのちがいであろうと思う。」P21

 丸山真男『日本文化のかくれた形』「きょろきょろして新しいものを外なる世界に求める」態度は日本人のふるまいの基本的パターン。P24

 川島武宣『日本人の法意識』主義主張、利害の異なる他者と遭遇したとき日本人はとりあえず「渾然たる一如一体」のアモリファスな、どろどろとしたアマルガムをつくろうとします。」P27

 私たちの国は理念に基づいて作られたものではない。P32

 おのれの思想と行動の一貫性よりも、場の親密性を優先させる態度。P43

 ここではないどこか、外部のどこかに、世界の中心たる「絶対的価値体」がある。それにどうすれば近づけるか、どうすれば遠のくのか、専らその距離の意識に基づいて思考と行動が決定されている。そのような人間のことを「辺境人」と呼ぶ。P44

 「辺境」は「中華」の対概念です。P57

 明治初期の征台論、征韓論は、「日本は中華であり、天皇こそが中華皇帝である」という華夷秩序の物語スキームで考えるとりかいできる。P73

 日本人は後発者の立場から効率よく先行の成功例を模倣するときには卓越した能力を発揮するけれども、先行者の立場から他国を領導することが問題になると思考停止に陥る。P89

 こうなったらとことん辺境でいこうではないかという提案をしたい。P100

 
 以上、第1章のポイントなる言説を引用した。著者の論理は、読んでみると「なるほど」とうなずけることが多いと感じる。確かに、「辺境と中華(中心)」で、様々な事象を捉えると、あたかもスパッと切れたように感じる。しかし、切ることの意味が見えないのである。

 鮮やかに分析をして見せてくれたが、それがどのような意味を持つのかが見えないのである。この国への警鐘であろうか、この国のあり方への提言であろうか。

 例えば、中国は、建国以来自らを第3世界にありと位置づけ、あくまでも開発途上国の代表として振舞う戦略を一貫してとり続けている。CO2削減目標での主張も同じである。言ってみれば、中国は「中国辺境論」を掲げながら国際的な戦略を練り上げているのである。

 内田「辺境論」には、意味が見えない。


 ♪アジアの片隅で、このままずっと生きてゆくのかと思うのだが・・

 

 



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『日本辺境論』 さわり

2009-12-20 20:54:18 | Weblog
 土鍋ハンバーグ専門店「北斗星」(狸小路1丁目西角、5丁目にもあるらしい。)

 スープカレーの様に土鍋の中でハンバーグと野菜(じゃがいも、にんじん、なす、えりんぎ、ピーマン、かぼちゃ)がじっくりと煮込まれている。

 13,4席ほどのカウンターだけの小さな店なので、調理の工程が良く見える。ハンバーグは最初フライパンで表と裏を焼いてから、別の鍋で蒸しているのか、煮ているのか、熱を通して、再びフライパンでワインをかけて火をバッと燃え上がらせてから、じっくり土鍋で煮込んでいたソースの中に入れて完成。

 油がきつくなく、熱々のハンバーグは寒い日には身体の芯から温まる。ご推薦!

ちょっとが降ったかな。


 『日本辺境論』(内田樹著 新潮新書 2009年刊)

 ブックマークしている愛犬日記で絶賛していたので早速購入。さらっと通読した感じでは、大変刺激に満ちていて興奮を覚えた。この本がベストセラーというのが気になるが。「辺境」という切り口でスパスパ切れるものだと驚く。さすが、今売り出し中の内田樹センセイ!「東京ファイティングキッズ」以来の内田ファンとしては、著作の量産が心配であるが。

 中華思想、ヨーロッパ発の近代合理主義、西洋の没落・・次々と発想が浮かんでくる。頭の中のスイッチが押されたようだ。この本、もう一度じっくり読むことにしよう。

 なぜか、昔関わった芝居で上演した、「トラストDE」(ヨーロッパ破壊同盟)を思い出した。早速古書店に注文!

 (p116)幕末の国粋主義者佐藤忠満は「日本」という国名は属国性を表した国辱的呼称であるから捨てるべきと主張した。「日の丸」は、「日本」「日ノ本」「日出づる国」「あるところ(中国)から見て東方に位置するところ」の図像的表現である。との記述が新鮮。

 ということは、我が高校の校歌は、属国の歌詞か。

 ♪日出づる國の北陲に神秘を削る丈夫の
  閧十一州に反響して曙光あまねし蝦夷ヶ原
  瞻よ東方の釧路岬湖陵に立てる我が学舎


 



 

 
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『今日の総理』

2009-12-19 17:38:36 | Weblog
『今日の総理』(池上彰著 ビジネス社 2009年刊)*この本は、22cm×11cmの細長い変型版、この手の本は、後で整理するとき大きさが他の本と揃わない難点がある。
 
 私が、新聞の「首相動静」欄から政治が読めると教わったのは随分前のことで、時の首相がどのような人物と会った、会食をしたという事実から、政治の焦点が見えてくる。また、首相の趣味や嗜好もわかる。

 このことは、2007.3.7の当ブログで「首相動静(夕食の部)」として、潰瘍性大腸炎という難病と闘う当時の安倍晋三首相が夜毎に要人とレストランで食事をしている事実を取上げ、首相の健康状態を心配するとともに、政権がそうは長く続かないのではないかと杞憂した。ちなみに2007.9月の辞任時の病名は、機能性胃腸炎。

 本書は、同じ発想で朝日新聞の首相動静記事が始まった1977年2月1日(1月31日分)から、当時は福田赳夫首相であるが、歴代の首相の動静蘭を丹念に調べ上げ、政治が大きく動いた日や大きな事件の発生した日をピックアップしコメントを付している。

 例えばこんなことがわかる。麻生首相のホテルのバー通いは有名になったが、ただ麻生の場合人脈が狭いと見え、いつも秘書官と一緒であり、お供する秘書官も大変だなあと思ったものである。以前から岡本全勝という総務省出身の秘書官に注目していたが、重労働だったと思う。

 傾向として、昔は政治家といえば赤坂の料亭での宴会が定番であったのだろうが、最近はホテルのレストランが多いようである。また、コンサートや観劇に良く出かける小泉首相、酒とゴルフ三昧、胃袋が歩いているような森首相、同じ本を二度買ってしまうなど本を読む時間も惜しんでバーで酒を飲んでいる麻生首相など、普段の生活が垣間見えたり、明らかにパフォーマンスばかりだったり、それは政治ネタの宝庫なのである。

 本書で著者の筆が滑った箇所がある。版を重ねた時に訂正される可能性があるのでその部分を正確に引用しておく。P56、1977年2月1日(火)の説明で、『「中川」は、中川一郎。息子は、「朦朧会見」で有名になり、2009年10月に自殺した中川昭一です。』

 おっと、やはり業界では「自殺」が定説なのですな。著者の池上氏はご存知のとおり元NHKの報道記者、週間子どもニュースの初代お父さんである。
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クライメート(気候)ゲート事件

2009-12-16 20:35:36 | Weblog
 可愛そうに牛のゲップまで温暖化の原因にされている。思いっきり草を食べて、たくさんゲップをしてもいいからね!

寒いが、相変わらず無し。

 「クライメートゲート事件」

 へそ曲がりであまのじゃくの私は、地球温暖化への異論を、2008.6.28、2008.7.3の2回にわたり当ブログで取上げた。

 当時は、洞爺湖サミットが近づく情況の中、マスコミが地球温暖化大合唱を繰り広げる中で、北海道新聞において孤高の記者たちによる異論の掲載を紹介した。2008.6.28から3回にわたる荻野貴生記者、6.30橘井潤記者の記事である。

 最近になって、ブックマークしている愛犬日記で、2009.12.7「青いドレス」で、2009.11.26朝日新聞の記事を参考する形で、イギリスの研究所の温暖化の前提となっているデータが捏造されたものであるという事件を紹介している。

 それが、ようやく2009.12.15北海道新聞で橘井潤記者が同様の内容で取上げている。まさにCOP15(国連気候変動枠組み条約第15回締結国会議)が開催されているが、その大前提となる二酸化炭素による地球温暖化説が揺らいでいるのである。

 この記事の中では、赤祖父俊一元アラスカ大学国際北極圏センター(IARC)所長が、「もともと日本のマスコミのほとんどがIPCCを盲信し、CO2を削減しなければ大災害が起きる、いや北極圏では起きていると、誤報を繰り返してきた。」と述べている。

 国際ジャーナリストの田中宇も「米欧日のマスコミが、この件をほとんど報じていないのも異様で、地球温暖化問題が科学ではなく政治的プロパガンダであることを感じさせる。」と述べている。

 
 データの改竄が事実なら、面白いことになってくる。政治家で一番早く温暖化に疑問を呈する発言をするのは誰だろうか。政治家は、常に大衆の動向を見ているから勇気ある発言になるだろう。

 鳩山の25%削減公約の大見得も、エコカー減税も全くナンセンス!

 昔から言われている、「使える間は、長く使う」が最もCO2を出さないであろう。未だ見えるテレビが映らなくなる2010.7.23地上デジタル放送への切り替えは、最大の愚策である。我が家は、アナログを継続する!

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『北朝鮮帰国事業』

2009-12-13 14:29:43 | Weblog
 昨夜は、NHKBS7で20:00~24:00まで1970,80年代のポップス&ロックの特集を観てしまった。アーティストのライブ映像が流れたが、一人一人魂を込めて唄うので中々インパクトが強く、頭の中心部にズンと残る。

 日展などのように一度に多くの絵画を観た時も、作品に込められた作者のエネルギーに圧倒され、疲労感となって残った記憶がある。

寒いけれど、今日もは未だか。 

 『北朝鮮帰国事業 「壮大な拉致」か「追放」か』(菊池嘉晃著 中公新書 2009年刊)

 来年2010年は、韓国併合100年の年である。一昨日、訪韓中の小沢民主党幹事長が韓国の大学での講演の中で、過去の植民地化の歴史に謝罪し、在日コリアンへの地方参政権に前向きなコメントをするなど、拉致問題を含めて朝鮮半島が政治の焦点のひとつになる年であろう。

 本書は、1954年12月から1984年7月まで25年間にわたって9万3,340人の在日コリアンが北朝鮮へ帰国した事業の歴史を描いている。このことは、これまで様々な本で取上げられているので、驚くような事実ではない。

 あなたは、何人?
 在日コリアンにとって、個人のアイデンティティの根拠を国家とした場合、そこには不在という不安感が存在するのであろう。

 私が、本書で改めて知った事実。在日コリアンは、なぜ故郷の朝鮮半島を離れて日本に住むようになったのか。1880年代から、留学生や官吏、政治亡命者のほか、労働者が募集により九州の炭鉱などで雇用されていた。急増したのは、1910年の植民地化以後である。

 日本に渡った理由、①生活難など経済的理由、②留学、③戦時動員(1939年~1945年)、前3者の家族として。

 1959年4月現在法務省統計では、在日コリアン60万7.533人(終戦時200万人)のうち、戦時動員期に渡日した人は全体の6.7%(4万461人)である。 また、在日コリアンの約97%が「南」出身!である。

 故郷の朝鮮半島では生活の展望が無く、自発か強制かは別として、日本に渡った。しかし、この国でも、差別に苦しむ日々から逃れるため、「地上の楽園」と宣伝される北朝鮮に帰国。そこも、貧困と差別の絶望社会であった。


 本書では、この悲劇の原因を、①金日成の対南戦略、社会主義社会の優位、朝鮮半島の北による統一戦略、②朝鮮総連の本国と連動した帰国運動、北朝鮮情報の隠蔽、③真の情報を伝えなかったこの国のマスコミにあるという。

 私の経験からも、1970年代までは、「韓国からの通信」(T.K生著、岩波新書、「世界」連載)などを読んでも、韓国社会の方が軍事独裁国家で暗黒社会に描かれていた。一方、北朝鮮については、身近なところで「主体思想」の学習会などがあったが神秘のベールに包まれていた。ソ連社会も同様であったが。自分にもう少し好奇心があったら、北を見に行っていたかも知れないが。

 蛇足であるが、本書でも登場する、寺尾五郎なる人物、「38度線の北」(1959年 新日本出版)で北朝鮮帰国運動を煽ったとされる人物であるが、かつてどこかで名前を聞いたことがある。思い出せない!
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『終生ヒトのオスは飼わず』

2009-12-11 21:51:50 | Weblog
 『終生ヒトのオスは飼わず』(米原万里著 文芸春秋 2007年刊)

 TBS金平氏の影響で、普段はあまり読まない分野に挑戦。本書は、ライト級のエッセイ集。

 米原万里氏は、自宅で多数の犬・猫と生活している、というより家族が犬・猫と言った方が良い。それぞれの個性と行動を巧みに描く。彼らが本当にそんなことを考えているのかどうかは別として、犬と猫がそれぞれ会話したり、気持ちを訴えたり、エピソード満載のひとつの家族の物語なのである。

 以上が第一部、第二部は、米原氏自身の生い立ちと家族の話である。父昶(いたる)氏は、日本共産党の幹部で、16年間の地下生活を経験したり、戦後は、赤旗の編集長やチェコのプラハに駐在するなど凄い経歴の人なのである。ちなみに、万里氏の妹は、井上ひさし氏の夫人である。

 ちょっと変わった家庭環境で育った彼女ならではの感性が随所から感じた。ここらは、何となく共感してしまう。

 第一部だけだったら、単なる動物好きのよくあるエッセイ、第二部があって米原氏にグッと興味を持った。





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『朝鮮 台湾』 

2009-12-06 15:27:13 | Weblog
 12月だというのに昨夜は雨と強風。一夜明けて本日は随分と気温が高く、それにつられて外でランニング。今シーズンはもうこんなに暖かな日は無いだろうなと思いながら1時間ほどジョグ。

 明日は、私の55回目の誕生日ということで、近くのスーパーの「ユーハイム」で840円のアップルパイを購入。甘さの中に酸味があってビシッと味がしまる。パイには、紅玉など昔の品種を使っているのだろう。

の後、道路には枯れ枝がたくさん落ちていた。

 『日本鉄道旅行地図帳 歴史編成 朝鮮 台湾』(今尾恵介・原武史監修 新潮社 2009年刊)

 北海道から九州までの全線、全駅、全廃線シリーズ全12巻に続き、歴史編成がこの巻と『満州 樺太』の2冊で出版された。
 
 いずれの地域も戦前、日帝時代に植民地として統治したところであり、侵略の歴史が肯定できるものではない。しかし、戦後生まれの我々にとっては、このような地図や資料を見たことが無く、都市名やその位置関係など改めて興味深く眺めている。

 鉄道地図なので、歴史的な記述は詳しくは無いが、貴重な資料が掲載されていたり、都市の様子が手に取るようにわかる。例えば、京城(現在の韓国の首都ソウル)の人口は、昭和19年5月の朝鮮国勢調査で、98万8千人、そのうち日本人は15万8千人もいたという事実。

 鉄道は、利便のための施設であると同時に地域の開発の手段であり、国外(外地)にあっては、植民地経営上の手段だったのであろう。

 もともと住んでいる人たちにとっては大いなる迷惑であったろうが、他国に入りそこに理想郷を作ろうとした人たちは、一方的ながら夢やロマンをいだいた心情もわからないわけではない。

 真実は、細部に宿るというが、この本の細部を読めば読むほどとのような都市像や国家像を描いたかが見えてくる。大変な、労作である。


 
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民主党の無思想ぶり

2009-12-05 21:05:24 | Weblog
 そば徳(中央区北4条西5丁目 三井生命共同ビル1F)
 そば粉が多く、腰があって美味しいお蕎麦です。

かよ。

 財源をどこに求めるか その2

 政権交代になってから3ヶ月、未だ民主党の思想は見えない。もともと無いのかも知れない。

 ダム、高速道路、空港、手当、税・・・まるで、街を歩いている女の子に、「手当たり次第に声かけて・・♪」みたものの、身辺の整理が全然付かなくなってしまったみたいだ。

 なぜ思想が無いかというと、民主党の取り組みは、全て「分配論」の範疇に留まっているからだ。

 行政刷新会議の事業仕分け、政府税制調査会による税制改正、社会保障をはじめとした制度改革。不要不急の事業を廃止してその財源を他に振り向ける、様々な納税主体からの税徴収を変更する。共通しているのは、収入から支出に至る道筋を変えているだけ。全部「分配」の世界。

 この国は、1960年代から高度経済成長(資本の強蓄積)戦略をとって、先ずはパイを大きくすることを至上命題としてきた。そのパイを分配し、それなりの豊かさを享受してきた歴史を持つ。その根本は、技術開発と人材育成だった。
民主党が資本主義的生産体制を前提として、長期に渡ってこの国の舵取りをしたいなら、「生産力」戦略をきちんと示す必要がある。


 国家財政も収入と支出しかない。財政が悪化した場合は、増税により収入を増やすか、支出を削減するしかない。埋蔵金などはたとえあったとしても、へそくりみたいなもので一時的な収入にしかならない。

 2009.10.25の本ブログで、『財源をどこに求めるか』で、山家(やんべ)悠紀夫氏の、この国は資産があるのだからまだまだ国債を発行しても大丈夫という考え方を紹介した。

 これを真っ向から否定する言説が日経新聞2009.11.29エコノ探偵団「国はまだ借金を増やせる?」(山川公生)に掲載された。

 その中で、第一生命経済研究所の熊野英生氏は、この国には1.400兆円の個人金融資産があるから、まだ借金の余力がある、という意見に対して、「新たに発行した国債を買う元手としてあてにできるのは、新たに稼いで貯蓄する分のみ」だ。それは、銀行預金をおろして個人向け国債を買っても、銀行は預金が減った分だけ運用していた国債を売っていることになるからというわけだ。

 記事は続いて、しかも、家計の貯蓄力は落ちている。1990年台初めの貯蓄率は15%あったが、2007には3%に低下している。

 今後、国内で国債が売れなくなれば、海外投資家に高金利で買ってもらうしかなくなる。金利が上がれば、国債残高の利払いが雪だるま式に増加し、いずれ限界に達する。

 バラマキを続けて、国民を喜ばせて、クラッシュ、破綻、破産、上出来じゃないか!



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『桃』

2009-12-04 20:08:36 | Weblog
 今週は、少々へばってしまった。何とか週末で回復したいものだ。いい汗も流したい。

は、未だか!

 『桃』(姫野カオルコ著 角川書店 2005年刊)

 金平氏(11.29参照)の幅広いジャンルにまたがる読書に触発され、姫野カオルコなる作家に挑戦した。金平氏の著書では、『ツ・イ・ラ・ク』の読後感が書かれていたが、近くの図書館には無く、同じ著者の『姫』を借りた。

 この本には、6本の短編が納められていて、それらの中を登場人物たちが時間を経たり、戻ったりしながら相互に登場する。文体も一編一編違って、変化を持たせてある。日常の些細な行ないにおいて、男女の感情の機微が繊細に描かれている。ようだ。

 スーっと読み抜けたのだが、あまり残るものも無く、つまらなくなかったわけでは無いが、心を揺さぶられるようなインパクトか感じられぬ小説であった。というより、こちらの感性の方が摩滅していて響かないのかも知れない。

 どうっていうことのないストーリーのどこに面白さを求めて良いのか、世間の評価が何ゆえにされるのか、分からないまま読了。自分の幅を少しでも広げようとの試みは、最初にして失敗。姫野カオルコを追いかけようという気持ちにならず。

 


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コンサドーレ札幌 曽田雄志選手 引退

2009-12-02 20:10:35 | Weblog
 11月29日、札幌ドーム、9年間コンサドーレ札幌一筋で活躍した曽田雄志選手の引退試合。最後の5分に出場し、PKを獲得、サポーターの記憶に残る最後の1点を獲得した。何か持っている選手だったと思う。

 試合終了後の引退セレモニーでの挨拶を再現して残しておきたいと思う。彼は、スポーツ選手であると同時に詩人だったことがわかる。

 こんな主旨だったと思う。

 (前略)変わる素晴らしさ、変わらない美しさ、このスタジアムにはこの二つがあると思います。(曽田選手の好きな言葉は、「不易流行」)

 必死で生き残るための戦いがあって、それを見守ってくれる優しさがあるから、僕にとっての9年間はこれに気付かされる時間でした。

♪何も恐れず胸を張り戦え おー札幌 おー札幌

 このサポーターの声この歌がとても弱くてとても下手だった僕にどれほど勇気を与えてくれたかわかりません。そのお陰で強がってでも前を向きながらサッカーをすることができました。

 手術後暫くして子供とかけっこをすることもできなくなって、夢を見てても夢の中ででもうまく走れなくなる自分を見て今日の日の事を考えるようになりました。

 心と体が本当に一つなんだなと思いました。体はいつでも使える道具だと思っていた自分が恥ずかしくもなりました。だから何度も何度も謝って今日のこの引退の決断を僕自身の全部でしました。

 そうして今ここにいますが自分が思っていた以上に寂しくて思っていた以上に悲しいです。

 でもこうやって僕の終わり際をこんなにたくさんのみなさんの見届けてもらうというのは幸せなのかもしれません。

 これからの僕の人生に良い色を付けてくれるんだと信じています。

 サッカー選手が僕にとってこんなに素晴らしかったから、僕らのチーム僕らのサポーターありがとうございました。活躍しきれなくてすみません。

 僕の家族僕の友達そして僕のサポーター本当にありがとうございました。お陰で素敵な想い出が沢山できました。僕は絶対忘れません。

 最後に今日は僕の大事な大事な息子の誕生日なんです。だから今日を去年までを同じように楽しくて幸せな日として記憶したいと思います。(後略)

 
 サンフレッチェ広島戦のハットトリック、キーパーの退場で急遽キーパーの代役をやったこと、ヘディングは圧倒的に強かったが、サッカー選手なのに足元の動きがおぼつかなかったこと、サポーターをとても大事にしていたこと。印象深い選手だった。




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